Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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新生のリーダー 最前線こそ「広布の主戦場」

1998.9.23 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  新しき時代の歯車は、勢いよく回り始めた。
 青年部の第一線組織の役職名が変わり、男子部の班長は「ニュー・リーダー」に、女子部のブロック長は「ヤング・リーダー」に、学生部の班長は「ビクトリー・リーダー」の新名称になってから、間もなく一カ月を迎える。
 それぞれが「初代」「先駆者」の誇りに燃え、「新生」の心で、はつらつと活動を開始していると伺った。
 その報告が何よりも嬉しい。
2  この新しい名称には、私の願いが込められている。
 男子部の「ニュー・リーダー」には、新しき世紀を担う、新しき指導者にとの熱い期待がある。
 二十一世紀は、まさに君たちの腕にあるからだ。
 また、女子部の「ヤング・リーダー」の「ヤング」には、「若い」というだけでなく、「清新な」「青春時代の」との意味もある。
 常に組織に清新の息吹を巻き起こし、幸福と友情のスクラムを広げゆく、″誉れの青春″のヒロインにというのが、私の願いである。
 そして、学生部の「ビクトリー・リーダー」は、広布の勝利の決定打を放つ使命を担った人である。
 断じて勝ち、人間主義の夜明けを――と、私は日々、祈り念じている。
3  大樹を支えているのは根である。根は地中にあって幾つにも分かれ、さらに、広く、深く張り巡らされ、その一本一本が、水分や養分を吸い上げていく。
 根が強く、伸び続けていれば、木は生長し続け、緑の葉を茂らせる。しかし、根が腐れば大樹も倒れる。
 大樹は学会である。そして、一本一本の根こそ、最前線の組織を守る、君たち、あなたたちなのだ。
 地中にある根は見えない。同じように、毎日の活動は地味かもしれない。だが、その地道な実践こそが、広布を支える生命線であり、自身の大成長の原動力となるのだ。
4  戸田先生は、青年部の最前線で戦うリーダーを、最も大切にされ、育成に力を注がれた。
 「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」で始まる、あの有名な「青年訓」も、当初は、第一線の闘将である、班長に与えられたものであった。
 私も班長であり、この「奮起せよ! 青年諸氏よ。闘おうではないか! 青年諸氏よ」との先生の呼びかけに、奮い立ったのである。
 ″同じ戦うなら、後世永遠に輝く、班長の模範、青年の模範をつくろう!″
 それが、弟子としての私の誓いであった。
5  「青年訓」が最初に聖教新聞に発表されてから約一カ月後の、一九五一年(昭和二十六年)十一月、学会の第六回総会で、私は男子部を代表し、「青年の確信」と題して、決意を発表した。
 「じつにじつに宗教革命の道のいかに苦難であるかは、覚悟のうえです。また、この革命を遂行することも、いな革命は死であることも、自覚しております」と。
 さらに、戸田先生の心を心として、新しい世紀を建設せんと宣言した。
 総会終了後、先生が、私の決意を称えてくださった。
 そして、漢詩を書いてくださった。
  真玉しんぎょくは焼けども熱せず
  宝剣はげれども折れず
6  そのころ先生の会社は、再建の緒についたばかりで、師の事業のいっさいを陰で支えていた私は、多忙に多忙を極めていた。帰宅は、連日、深夜である。
 しかも、胸を病み、微熱にさいなまれ続けていた。
 だが、私は戦い抜いた。
 工夫に工夫を重ねて、活動の時間をつくり出しては、座談会に、折伏に、個人指導に、力の限り走った。
 一九五一年七月の男子部結成時には、部員十人であったわが池田班は、年末には、三十一人にまで拡大した。
 会長になられた戸田先生のもと、私は、緒戦の勝利を飾ったのである。
 勝利の実証を示してこそ、まことの弟子である。
 役職や立場ではない。また、口先だけの決意でもない。現実に何をなしたかが、広布を、そして、自身を荘厳しゆくのだ。
 この班長時代の苦闘が、私の人生の最高最大の財産となっている。
7  最前線の組織こそが、広宣流布の主戦場である。
 そこにこそ、仏道修行の道場がある。その勝利のなかに、創価の燦然たる未来がある。
 二十一世紀を頼む。
 学会を頼む。
 わが愛する青年部員を頼む。
 私は、皆さんの大成長をひたすら祈り、待っている。

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