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日蓮大聖人・池田大作

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先哲の箴言(しんげん) 「人類の英知」をわが胸に前進

1998.9.10 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

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1  今、私は、二十一世紀を担う青年部諸君をはじめ、尊敬する全国の同志へ、「先哲の箴言」を贈らせていただいている。
 なぜ、そうしているのか。
 ――偉大な魂からほとばしり出た言葉、また、風雪を越えて語り継がれた知恵は、人類の不滅の精神遺産であるからだ。
 そこには、わが人生を照らす英知の光があり、わが勇気を鼓舞する希望の響きがある。
2  フランスの思想家モンテーニュといえば、私も若き日に愛読したが、彼は自分の書斎の天井に、五十を超える″格言″を書き込んでいたという。
 その一つには、「私は人間である。人間的なことは何によらず私には無関係ではない」(古代ローマの劇作家テレンティウスの言葉。「モンテーニュの書斎の天井に読まれる格言」、『モンテーニュ書簡集』〈関根秀雄訳〉所収、白水社)と。
 モンテーニュは、こうした名言を、座右の銘としながら、日々たゆまず、″人間探究″の旅を歩み続けたのであろう。
 私もまた、先人の言葉を大切にしてきた。
 特に、戦後の焼け跡で送った青春は、それまでの価値観が崩壊した、混沌たる時代であった。
 そのなかを、手探りで、必死になって、人生の″真実の道″を探し出そうとしていた。そんな私にとって、「先哲の箴言」は、最大の道標であった。
3  よく神田の古書店に足を運び、乏しい小遣いをはたいては、一冊、また一冊と書を求め、貪るように読み耽っていった。
 そして、感動した言葉、心に染みた一節を、ザラ紙の雑記帳に抜き書きしていった。
 「一人立てる時に強きものは、真正の勇者なり」「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」
 ちょうど、わが師・戸田先生にお会いするころのことである。
 こうした名言は、ことごとく仏法の生き方に通じていたことが、感銘深かった。
4  人間の真実に触れた「先哲の箴言」は、仏法の人間主義と強く響き合う。
 御書を拝すると、大聖人は、仏典はもちろんのこと、仏教以外の文献からも、自在に引用されている。時には「浦島太郎」の話のように、民衆に親しまれてきた説話も引かれている。
 まさに、「一切の法は皆是れ仏法なり」との思いを深くする。
 御書には、古代中国で悪王の暴政を正し、民衆を助けた太公望などの智者について、「彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり」とあった。
 民衆の幸福と平和を願い、立ち上がった先哲の希望の言葉、勇気の言葉は、まさしく「仏法の智慧」の一分といえよう。
5  仏法の法理を、そのまま語っても、なかなか理解しがたいこともある。
 たとえば、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野せんごくこうや皆寂光土みなじゃっこうどなり」との御文がある。
 信心によって、自分が今いる場所が寂光土となることを教えられたものだが、仏法を初めて聞く人には、難解であるかもしれない。
 しかし、キューバ独立の英雄ホセ・マルティの「いかなる場所であれ、人間が毅然と立ち上がれば、太陽はそこで輝いている」との言葉を引けば、御文の意味は明快になるであろう。
 優れた箴言は、普遍であり、仏法理解の一助となり、また、証明となるのだ。
6  人類数千年の英知の結晶であり、宝である箴言も、今や、語られることは少なく、時とともに、埋もれ去ろうとしている。
 ゆえに私は、これまで、幾度となく、古今東西の偉人の生涯や思想についてスピーチするとともに、その言葉を紹介してきた。
 また、日本では、あまり知られていない、東洋各国やアフリカ、中南米の偉人たちの箴言も、広く紹介するように努めてきた。
 先哲の理想を、悲願を、叫びを、必ずや、われらが実現せんとの誓いを込めて。
 人間主義の大道を行くわれらにとっては、哲人プラトンも、思想家エマソンも、大文豪ゲーテもユゴーもトルストイも魯迅も、インド独立の父ガンジーも、フィリピンの英雄リサールも、皆、心の友人である。
7  箴言を通し、偉大な精神と対話しながら前進することは、なんと楽しいことだろうか。
 ともあれ、仏法の心は、精神の広大な青空のもとへ、人間を連れ出し、万人を結ぶものである。
 インドの大詩人タゴールが、「最善のものは独りでは来ない。一切を仲間にしてくる」(「迷える小鳥」藤原定訳、『タゴール著作集』1所収、第三文明社)と歌ったように。

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