Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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人間教育の勇者 教師の「情熱」が生命を触発

1998.8.12 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  不登校、いじめ、非行、自殺……。追い詰められた子供たちの″うめき″に、私は胸を痛めている。
 また、教育部の先生方が、どれほど悩み、苦闘されているかを思うと、強く胸を打たれる。
 深刻な問題をかかえた子供も多いにちがいない。しかも、問題の根をたどれば、家庭や社会に行き当たらざるをえない。
 一教師の力で、いったい何ができるのかという、疑問を感じることもあろう。
 しかし、深い闇に閉ざされた、迷路のごとき状況であるからこそ、教育部員の使命は、あまりにも大きい。
2  いかなる時代も、子供にとって、教師こそ最大の教育環境であることに変わりはない。
 目は不自由、耳も聞こえない、話すこともできない、″三重苦″のヘレン・ケラーが、サリバン先生という一人の教師と出会って、人生を一変させた話は、よく知られている。
 特に、ポンプからほとばしる水を手に受けた瞬間、それが″WATERウォーター″(水)という名前をもっていると知り、英知の窓が一気に開かれたことは、大変に有名である。
 しかし、サリバン先生によれば、それは「彼女の教育で大事な第二歩」であったという。
 ――では、「第一歩」はなんであったか。
 ヘレンと接するようになってから二週間余りが過ぎたころ、ヘレンが、サリバン先生のキスを受け、膝の上に乗ったりするようになったことである。
 それまでは、サリバン先生を拒否し、野獣のように暴れ回ることの連続であった。
 だが、寝食を共にするなかで、ヘレンは、先生と一緒にいることを受け入れるようになったのである。
 「信頼」が生まれたのだ。この信頼の基盤のうえに、あの奇跡的な、人間教育の大樹が育まれていったのである。
3  教育の根本目的は何か。
 創価教育の父・牧口先生は、それは″子供の幸福にある″と断言された。
 今日の教育の混迷の最大の要因は、この、なんのための教育かという、原点が見失われていることにあるように思える。
 子供は、教師が自分の幸福を願っていることを感じてこそ、信頼もし、心を開くのである。
 また、子供の幸福を真剣に考えてこそ、初めて子供の性格も、才能も、問題点も見えてくるといえよう。
4  かつて、小説『人間革命』の挿絵を担当してくださった三芳悌吉画伯の、こんな話を伺ったことがある。
 ――小学校二年生の時、母親が学校に行くと、壁に子供たちの絵が、張り出されていた。
 皆、鶏の絵であるが、どの子も、描いているのは、一、二羽である。
 しかし、三芳少年の絵には、籠の中の雄鳥、雌鳥を中心に、餌をついばんだり、駆けたり、空を飛んだりしている、たくさんのヒヨコが描かれていた。
 担任の教師は言った。
 「おもしろく楽しい絵です。特別上手とはいえませんが、こんな絵は初めてです。絵を描きたいといったら、紙や鉛筆を惜しまず与えてやってください」
 以来、母親は、貧しい暮らしのなかでも、紙と鉛筆はふんだんに与えてくれたという。
 教師のアドバイスがなければ、「画伯」の誕生はなかったかもしれない。
 この教師の鋭い洞察眼もまた、一人ひとりの児童の、将来を考える、強い思いやりが育んだものといえよう。
5  戸田先生は、牧口先生の教育学説を実践しようと、私塾「時習学館」を開設されたが、ここから、さまざまな人材が出ている。
 ゲーテ研究の大家として知られる、ドイツ文学者の山下肇先生も、教え子の一人である。
 山下先生は、こう述懐されている。
 「戸田先生自身が燃えていたんですね。我々が接していても、何か熱いものを感じた。触れると火傷しそうな熱気、覇気というか――。話をしていても、そういう迫力がじかに伝わってきました」
 実は、そこにこそ、教育の要諦がある。
 教育とは、幸福を築く力を開花させる、生命の触発作業であり、その触発の源泉こそ、教師の、子供たちを思う″燃える心″である。
 子供と徹してかかわる勇気も、探求心も、創意工夫も、情熱の産物である。
 そして、情熱は、使命の自覚から生まれるのだ。
 私も、教育に生命をかける決意をしている一人である。
 未来を決し、平和と価値を創造する根幹こそ、教育であるからだ。
 その人間教育の勇者こそ、わが教育部員であると信じたい。

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