Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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近隣友好の信濃町 聖教前の盆踊りは夏の風物詩

1998.7.29 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  学会本部が、信濃町に移転してから、間もなく四十五年を迎える。また、現在の本部に建て替えてから、三十五年になる。
 私は、地元の皆様のご厚意に、常に感謝している。
 学会本部には、大勢の会員が訪れるために、近隣の方々には、何かとご迷惑をおかけすることもあるにちがいない。
 しかし、いつも温かく見守ってくださる。
 学会創立六十周年(一九九〇年=平成二年)の時には、商店会の皆様が、祝賀のフラワーボードを、JR信濃町駅に飾り、ともに祝ってくださった。
 また、創価高校の野球部の甲子園出場にあたっては、店先に祝福のステッカーを張ってくださる。
 こうした真心に、学会本部に集って来る、全国、全世界のメンバーが、どれほど勇気づけられることか。ありがたいことである。
2  私がいつも、心がけてきたことは、地元の人びととの交流であり、地域への貢献であった。
 「仏法即社会」である。近隣の方々と、信頼と友好に結ばれ、地域と一体になっての発展のなかにこそ、広宣流布の確かな前進があるからだ。
 第三代会長に就任した折にも、私は、ご近所にごあいさつに回った。
 本部から数十メートル先にある、当時、通産大臣をされていた池田勇人氏のお宅にもお伺いした。
 その時、応対に出られた大臣は、三十二歳の私を見ると、ユーモアを込めて言われた。
 「会長さんになられたって……。この町の青年会の会長さんですか」
 そして、二人で大笑いしたことが、今は懐かしい。
 交わりは心を和ませ、結んでいくものだ。
3  以前、信濃町の町内の街灯は光が弱く、夜道で通行人が襲われるという事件もあった。
 町会では、明るい水銀灯にする計画を立ててはいるが、負担が大きく、実現は難しいとの話を耳にした。
 私は、なんとか協力できないものかと思い、本部で検討し、尽力させていただいた。
 さらに、こんな思い出もある。十三年余り前になるが、ある日、学会本部の近くのコーヒー店に立ち寄った折、そこのご主人から盆踊りの話を聞かされた。
 ――信濃町の″盆踊り大会″は、戦後間もないころからの伝統であった。社会は殺伐としていたが、町内の人たちは、慶応病院の北側の焼け跡に集まり、夏の夜のひと時、盆踊りを楽しんできた。
 しかし、町の復興につれて、会場にできる空き地も減り、いつしか中断されてしまった。だが、地元の人びとは、盆踊りを復活したいと、強く願っておられるとのことであった。
 そして、ご主人は言われた。
 「学会で、どこか盆踊りの会場を提供していただけないでしょうか」
 私は即座に申し上げた。
 「大賛成です。私も信濃町の住民の一人ですから」
 嬉しそうにほころんだ、ご主人の顔が忘れられない。
4  一九八五年(昭和六十年)の八月九日、聖教新聞社前に、盆踊りの太鼓の音が響き渡った。
 信濃町商店振興会主催の第一回の「信濃町ふるさと盆踊り大会」が開催されたのである。
 その盆踊りも、今年で十四回を迎え、今では、すっかり、信濃町の夏の風物詩となった。
 しかも、年々、盛大になりつつある。
 二年前の″盆踊り大会″の折、私は句を詠んだ。
  盆おどり
    思い出多き
      平和かな
5  各地の会館にも、地域の皆様から、実に多くの感謝の声が寄せられている。
 会合の際、迷惑のかからないように、細心の注意を払うことはもとより、毎週日曜日に、「守る会」のメンバーを中心に、最寄り駅から会館までの公道のゴミを回収しているケースもある。
 要請があれば、会館を町会の集いなどに、使っていただいている例もある。
 また、災害時には、会館は避難所として提供され、救援の大きな力となっている。
6  仏法には「身土不二」とある。自身と国土、人間と地域とは一体であると教えている。
 学会員の笑顔が弾けるところ、地域が明るくならないはずがない。妙法の栄えるところ、その地域が繁栄しないはずがない。いな、そうしていくことが、仏法者の使命である。
 わが地域を「和楽の町」「繁栄の都」に――それが私どもの願いである。

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