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日蓮大聖人・池田大作

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21世紀使命会の友へ 人材を見つけよう!人材を育てよう!

1998.7.22 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  ″獅子″は、″獅子王″によって育まれる。
 ″英雄″は、″大英雄″によってつくられる。
 今年も、七月二十日から、伝統の「未来部躍進月間」が始まった。
 仕事や青年部の活動が多忙ななか、高等部、中等部、少年少女部の育成にあたってくださる方々の、献身的な努力に、私は心から感謝の意を表したい。
 三年前の夏、私は、未来部担当者の皆様に、「二十一世紀使命会」という名を贈らせていただいた。
 二十一世紀の広布の指導者を育てる皆様こそ、最高の使命の人であり、大功労者であるとの思いからである。
2  未来部各部は、私が結成した部である。
 戸田先生の時代にも、幾つかの支部に、少年部があったが、学会として部を結成するまでにはいたらなかった。
 私は、すくすくと育ちゆく、その姿を見ながら、将来の構想を温めてきた。
 そして、一九六四年(昭和三十九年)、「本門の時代」の幕開けとともに、広宣流布の未来に思いを馳せ、高等部と中等部の設置を決め、この年の六月、まず、高等部を結成したのである。
 その時、私は、当時の青年部長であった秋谷会長に、「青年部のなかで、最も力ある人材を担当者に」と、お願いしたことを覚えている。
 次代を担う鳳雛たちが、良き先輩の触発を受けながら、「勉学第一」に、伸び伸びと成長できる環境をつくりたかったからである。
3  未来部の第一陣・高等部の結成から三十四年。その人材輩出の流れは、今や滔々たる大河となっている。
 副会長や全国副婦人部長などの最高幹部のなかにも、未来部出身者は多い。
 現在の青年部長も、中等部時代に、担当者の励ましで奮起した一人である。
 一九七〇年(昭和四十五年)、学会が激しい批判にさらされていたころ、その担当者の青年は、真剣に、こう訴えた。
 「ぼくは悔しい。勉強もしなかったので、学会を守るだけの力がない。でも、君なら、これから力をつけることができる。しっかり勉強して、広布の大人材に育ってほしい」
 その激励に、自分への期待を知り、それに全力で応えようと決意したことが、彼の飛躍の因となった。
 男子部長の中等部時代の担当者は、結核の体を押して激励に通ってくれた。
 自分の病のことよりも、後輩の成長を願う、気迫の励ましに、胸を熱くし、成長を誓ったのである。
 「後生畏るべし」という。
 後輩を自分以上の人材に――真剣にして、誠実な、この魂の触発が、学会の人材育成の伝統である。
4  私も、青年部の時代から、会場提供者のお宅などに子供さんがいれば、必ず声をかけるようにした。
 そして、常に「若き同志」という思いで接し、真心の励ましを送ってきた。
 一九五〇年(昭和二十五年)ごろであったと記憶している。横浜・鶴見の会員宅を訪問した折、その家の婦人が一通の手紙を見せてくれた。
 ――家計を助けるため、他県に出て働いている、十代半ばの息子さんからの手紙であった。
 手紙には、一部屋に数人の共同生活で勤行ができないため、タオルと石鹸を持ち、風呂に行くといっては裏山に登り、そこで勤行しているとあった。
 手紙を読み終えると、私は即座にペンをとった。
 ″君には、君にしかできない使命がある。断じて負けるな″と心で叫びながら、一詩をしたためて贈った。
  友よ強く 雄々しく立てよ
  僕が信ずる 君が心を
  苦しき仕事 深夜の勉強
  これも修行ぞ 苦は楽し
  君が信念 情熱を
  仏は じっとみているぞ (本全集第39巻収録)
 後日、彼が奮起してくれたことを知り、本当に嬉しかった。
 この詩に、後年、曲がつけられ、学会歌「友よ強く」として、多くの青年たちに口ずさまれるようになったのである。
5  未来のために残すべき最高の財宝は、人材である。
 その人材を見つけ、育てる人こそが、真の人材である。
 そして、人を育てることによって、自分自身が磨かれ、成長していくのである。
 この夏も、私とともに、未来のために、黄金の汗を流そう。二十一世紀の、緑のしたたる、人材の森をつくろう。

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