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日蓮大聖人・池田大作

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韓国の英雄・李舜臣 ″正義の心″に脈打つ無限の力

1998.7.8 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  先日、韓国・忠清チュンチョン大学の鄭宗澤チョン・ジョンテク学長(元環境大臣)と再会した。
 学長は、閣僚経験者として、中央の政界で活躍を続けることを多くの人から望まれていた。
 しかし、教育こそ、人生の総仕上げの聖業なりと、あえて、故郷の私立大学を働き場所に選ばれ、未来を担う青年の育成に、心血を注がれている。
 「大人たいじんに己なし」との感銘を、私は深くする。
 その清廉潔白な人柄に触れ、私は、韓国の″救国の大英雄″李舜臣将軍を思った。
 豊臣秀吉が行った残虐な朝鮮侵攻(一五九二〜九八年)を打ち破った名将軍であり、今年はちょうど、没後四百年にあたっている。
 韓国では、李舜臣といえば、あまりにも有名だが、日本人の多くは、この大英雄のことを知らない。そこで韓国理解の意味からも、その将軍学に学んでおきたい。
2  豊臣軍との戦闘が始まった時、李将軍は四十七歳。水軍(海軍)の一地方の司令官にすぎなかった。
 だが、敵の進撃の報を聞くや、彼は直ちに軍官を集めて、作戦会議を開いた。
 当初、奇襲に出たこともあり、日本軍が圧倒的に優勢であった。
 会議に臨んだ、ほとんどの水軍の軍官は弱腰であった。攻撃された場所が、彼らの地方とは異なることから、「我々の守備範囲だけを守っていればいい」という声もあった。
 それを聞くと、李将軍は獅子吼した。
 「祖国の危機にあって、他の地方の将兵に責任をおしつける法があるか!」
 自分たちの責任が問われなければよいというのは、官僚主義の悪弊である。
 すべてのリーダーは、勝敗の全責任を担い立て! この一念の変革から、李将軍の戦いは始まったといってよい。
3  彼が率いる、水軍の活躍は、目覚ましかった。
 なかでも、威力を発揮したのが、将軍の指示で建造された「亀甲船きっこうせん」である。
 亀の甲羅のように厚い鉄板で覆われ、敵の矢を跳ね返す一方、銃や火砲を撃てるように工夫されていた。
 皆が、日本軍の侵攻はありえないと油断するなかで、戦いへの万全の準備を怠らなかったのである。
 ところが、武勲を妬んだ輩の陰謀で、将軍は投獄されてしまう。一番、国のために働いている人間が、なんと反逆罪の汚名を着せられたのである。国の「柱」を倒すに等しい嫉妬の謀略であった。
4  しかし、将軍は毅然としていた。獄吏が賄賂を使って出獄するように勧めても、「道理に外れてまで生を求めない」と、言下に拒否したのである。
 民衆は、この大英雄を慕い、牢獄の門前にまで雲集したといわれる。民衆こそが彼の味方であった。
 李将軍のいない水軍は、壊滅的な打撃を受けた。
 将軍あっての水軍であり、勝利であったことに、皆が気づき始めた。彼を陥れた者までが、「やはり、李将軍しかいない」と言うようになる。
 毀誉褒貶は世の習いである。彼は、そんなことは歯牙にもかけず、再び司令官として立った。自らの使命を果たさんと。
 戦況が悪化して、無敵を誇った水軍の船は、わずか十二隻になっていた。敵はその十倍を超す大軍である。もはや、誰も勝てるとは思わなかった。
 敗者は、戦う前に既に敗れているものだ。諦めや臆病、怠惰という、「心中の賊」に敗れてしまうのである。
 将軍は叫ぶ。
 「私が死なない以上、敵に勝手なまねはさせない」
 勝利への大確信の言葉であった。この気迫が、この信念が、皆の「心中の賊」を打ち破り、奮い立たせていった。
 ″将軍とともに戦えば必ず勝てる!″
 必勝の炎となった将兵の敢闘は、遂に、敵の水軍を敗走させたのである。
5  李将軍は、権力や富を得るために戦ったのではない。祖国、民族を守り、民衆を救おうという、私心なき正義の闘争であった。そこに彼の尊さと強さがあった。   
 「ただで動くのは、風と地震と創価学会だ」
 私たちはよく、こう揶揄されてきた。
 だが、それは、私利私欲でしか行動しようとしない世の中にあって、社会のため、人のために献身する民衆の力を目の当たりにした、驚嘆でもあった。
 正義によって立つ、私心なき民衆の善の強烈なる連帯こそ、新しき人間世紀の開幕の力である。
 「妙法に勝る兵法なし」――。
 広宣流布の「大理想」に向かう、わが創価の″庶民の大英雄″の力は無限だ。

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