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日蓮大聖人・池田大作

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写真と私 今の「一瞬」に全生命を発光

1998.4.8 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

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1  「美」は、人間を結び、世界を結ぶ。
 このほど、フランスの「ヴァル・ド・ビエーブル写真クラブ」から、「名誉写真芸術会員」にとのお話があり、証書をお届けいただいた。
 同クラブは、一九四九年にアンドレ・ファージュ氏が父君と共に創立された、由緒ある世界的な文化団体である。
 その理念は、写真文化をもって、世界中に″アミティエ(友情)″を広げることにある。
 尊い「友情」の拡大の一端を担わせていただけるなら、光栄の極みである。
2  以前、ファージュ氏と懇談した折、文豪ユゴーも、熱心な写真の愛好家だったと伺った。
 ユゴーがビエーブルに滞在中に、自ら撮った貴重な写真も見せていただいた。
 彼は、独裁者ナポレオン三世に迫害され、十九年間の亡命に追いやられた。
 その亡命先でも、ユゴーは自分の肖像写真を幾枚も撮って、本国へ送った。
 彼を倒そうと策動する敵に向かって、写真を通して「我はいよいよ健在なり」と示していったのである。
 「写真」もまた、間断なき精神闘争の一つとなる。
3  私が、カメラを手にするようになったのは、1970年ごろであったと記憶する。
 過労が重なり、体調を崩した際に、ある方から気分転換にといただいたのが、一台のカメラであった。
 私は、御礼に、そのカメラで撮った写真をお贈りしようと、少しずつ撮影を始めたのである。
 翌年の六月、車で北海道の大沼湖畔の夜道を走っていた時のことである。暗闇のなかで、山の彼方だけが、不思議と明るかった。
 「たぶん、函館の街の明かりでしょう」と、同行の人は言ったが、私は、何か違うように感じた。
 車は光の方へ進んでいった。すると、厳かに巨大な月天子の姿が現れた。私はその美しさに息を呑んだ。
 湖面には、月光が金波、銀波と揺れ、幻想の光の舞台を思わせた。
 ″この瞬間は、今しかない!″
 私は、車に置いてあったカメラを手にすると、瞬時にシャッターを切っていた。
 そうした「自然との対話」が積み重なり、写真展として、国内、海外の各地で開催されるようになったが、汗顔の至りである。
 ただ、皆様が「自然」と語り、少しでも心を潤す機縁となれば幸いである。
 「一人一日の中に八億四千念あり」というように、人の心は余りに移ろいやすい。
 だが、「自然」は、悠揚として動じない。ゆえに、わが生命を見つめる「鏡」となるといえまいか。
4  現在、東京富士美術館で、「ロバート・キャパ全作品展」が開催されている。
 戦場という生死の境界線上で、戦争の悲惨さを撮り続けた、二十世紀最大の報道写真家である。
 その兄の遺志を受け継ぐ、国際写真センター創設者のコーネル・キャパ氏と、私は幾たびも、語り合った。
 「『この瞬間は、もう二度とない』という人生への愛が、写真家を突き動かす」
 「安閑と惰性にゆるんだ生命から、美しい作品が、生まれるはずがない」と。
5  「命已に一念にすぎざれば」と御書には仰せである。仏法は、この「一瞬の生命」に焦点を当てている。
 久遠の大生命も、わが一刹那の心に収まる。
 「いつか」ではない。「今」が真剣勝負である。
 先日、来日された大科学者のログノフ博士が語ってくださったことがある。
 「池田先生が強いのは、これまでの人生で、力を抜く暇がなかった。だから、強くなったのだと思う」と。
6  広宣流布の戦いは、「未曾暫廃」(未だ曾て暫くも廃せず)であり、瞬時たりとも止めることはできない。
 瞬間瞬間、この大願に自身を最大に燃焼させ、全生命を発光させていく。
 そのたゆみなき行動のなかにのみ、人生を鮮やかに、永遠に荘厳しゆく道がある。
 その人こそ、偉大なる、生命の大写真家にして、大芸術家であると、私は思う。

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