Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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恩師の交友から 「友情の拡大」に広布あり!

1998.3.29 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

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1  いよいよ、桜が咲き、桜が舞い、桜が散りゆく四月。
 この四月の二日は、私たちの恩師の戸田城聖先生が逝去された日である。
 戸田城聖という仏法の大指導者は、交友も人脈も多かった。
 そばにお仕えしていた私は、幾たびとなく、その連絡をさせていただいた。
 その先生の友人に、東大の助教授であった気鋭の宗教学者がいた。後に教授となり、日本宗教学会の会長も務められた方である。
 一九五九年(昭和三十四年)の春、恩師の一周忌にあたり、この学者が、聖教新聞(四月十日付)に追憶談を寄せている。
 彼は、かつて、研究旅行に行く時、戸田先生から、はなむけとして、小説『人間革命』(妙悟空著)を贈呈された。さっそく、本を開いてみると、表紙の裏に一首の和歌が認められていたという。
  君がため
    おくる心に
      幸あれと
    祈りてやまぬ
      今の心境
 旅立つ友を「幸あれ」と送られる、なんともいえない温かな和歌といってよい。
2  戸田先生がその学者を知られたのは、一九五四年(昭和二十九年)の十一月下旬である。
 学会本部で、二人の宗教学者を相手に対談された。その一人が、当時四十四歳の彼であった。
 対談の様子は、NHKのラジオ番組「宗教の時間」で紹介された。戸田先生は、率直に、また悠然と、創価学会の主張を語られていた。
 私も、その場に同席させていただいた。
 彼は、どちらかといえば学会に批判的な見解であった。先生は、丁寧に誤解を解かれながら、それから後も、同氏との交流を続けられた。
 また私も、戸田先生の友人であるその学者を東大に訪ね、わが学生部員たちも交えて、哲学談義、宗教談義をした。すべてが懐かしい思い出である。
3  その学者の、戸田先生の追憶談を、少々、紹介しておきたい。
 「私なんかは観察者という立場にあるので、教団と余り親しくなっては困るんですが、宗教学上の問題を超えて戸田先生とは人間的なつながりをもった。世間の人も学会の悪口をたとえ言っても、一度、先生に会えば好きになってしまうでしょう」
 また、こんなエピソードも語っておられる。
 「戸田先生は『学会やオレをきらっている連中を集めて、座談会をやりたい』と言われて、私にその仲介の労を頼まれたことがあったけれど、とうとう実現せずに終わってしまった」
 実現していたら、どんなに愉快であったことか。
 ともあれ、戸田先生は、仏法のことについては、絶対の確信をもっておられたが、一般的な社会通念においては、常に、柔軟であり、寛容であられた。主義主張を超えて友情で結ばれ、すべての人を味方にされた。
 この学者は、宗教学の世界で重鎮となった後も、学会の理解者として、折々に、貴重な助言を寄せてくださった。
4  私も、これまで、多数の学者・文化人と対話を重ねてきた。誰とでも悠々と語り合われた恩師の姿を、まぶたに思い描きながらの行動である。
 宗教社会学者では、名門オックスフォード大学の名誉教授のブライアン・ウィルソン先生や、上智大学の名誉教授であられた故・安斎伸先生など、多くの方々と深い友情で結ばれてきた。
 いずれも、宗教への批判の眼は、極めて鋭い。
 しかし、だからこそ私は、ありのままの学会を、われらの真実の姿を知ってほしかった。
5  戸田先生が生命を注いで築き上げた、尊き学会である。
 人びとの幸福と平和に生きる″良心の城″の学会である。
 ″民衆の城″の学会である。
 そこに集う、同志の皆様には、人間として最も尊い精神の輝きがある。
 その光をもって、あの友、この友を包みゆく作業が、広宣流布といってよいだろう。
 「仏法即社会」である。本来、学会と社会の間に垣根はない。一人ひとりの心にも、垣根などあってはならない。
 友情は人間の証であり、その人間をつくるのが仏法である。
 ゆえに、われらが人生には、常に友情の果実を実らせ、楽しく価値ある対話の花を咲かせゆくことが大事ではなかろうか。

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