Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

民衆の歌と舞 指揮は勇気を鼓舞する″芸術″

1998.3.22 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  「民族の興隆には、必ず歌があった。わが学会にも、歌が必要だろう」とは、戸田先生の卓見である。
 妙法の死身弘法を決意されていた恩師は、すでに獄中で、あの「我いま仏の旨をうけ……」で始まる「同志の歌」を作詞されている。
 また、お好きな歌の歌詞を変えては、皆と楽しく、勇気を鼓舞しながら、歌われることもあった。
 それが、自然に、学会歌として広まっていったのである。
 やがて、多くの支部や地方でも、歌が作られるようになっていった。それらの歌には、自然と、広宣流布への心意気と誓いが込められていた。
 そして、学会の会合や活動のなかで、学会歌はなくてはならない、歓喜の源泉となった。どれほど多くの同志が、学会歌によって、励まされ、元気づけられていったことか。
 幾多の名曲も生まれた。
 私も、これまで、幾つかの歌詞を作ってきた。
 多くの同志が作曲したり、作詞をした数は、主な歌だけでも、三百数十曲になっている。
 歌の合唱は、団結を呼び、その団結のなかで、一人ひとりが勇敢なる自立した歌の指揮者となり、広布の指揮者と変わっていった。
 隣近所の人から、「いい歌だから、教えてください」と言われたり、「お経もいいけど、歌を歌う団体は、本当にすばらしい」と言われることもあった。
2  戸田先生は、たまに、幹部の慰労のために、宴席を設けてくださった。
 そして、その時には、必ず「黒田節」や「田原坂」などを舞われ、皆にも舞うように言われた。
 ある時、幹部がそれぞれ舞を披露した。ところが、皆、ラジオ体操のように手を動かし、部屋の端から端まで行ったり来たりするばかりであった。
 「なんだ、その踊りは!」
 先生は、すっくと立ち上がると、傍らの座布団の上に立って舞い始めた。足は座布団から、一歩も出ることはなかった。気迫の指揮である。
 舞い終わると、先生は私を見て、こう言われた。
 「座布団ほどの広さであっても、そこで、全軍の、全世界の指揮をとるのだ!」
 いかなる時、いかなる場所であれ、また、どんなに困難な状況であれ、そこから、悠然と、勝利の指揮をとれ、との指導であった。
 舞の所作一つにも、先生は厳しかった。それを通して、最高の人間学、将軍学を教えようと真剣であられた。
3  数学の大家であられた先生は、どちらかといえば、舞や、歌の指揮をとることは苦手であったにちがいない。
 しかし、先生は、みんなのために舞ってくださった。歌の指揮は、全軍の勇気を鼓舞し、呼吸を合わせる″芸術″であるからだ。
 中国の周恩来首相も、文化・芸術には、深い関心をもたれ、外交部の部長(外相)をされていた時には、外交部の活動として行っていたダンスにも、参加されたとうかがった。
 そこには、同志を思う指導者の心がある。
 恩師は、私の舞を、ことのほか喜ばれていた。
 私が歌の指揮をとると、いつも、じっとご覧になり、感嘆して言われた。
 「もう一回だ」「大作、もう一回見たいんだ」
 師の前で、ある時には力の限り、ある時にはさわやかに、舞いに舞った日々が、今は懐かしい。
4  余談になるが、先生が慰労の宴席をもってくださることに調子づき、学会の組織で、よく酒宴を開く男性幹部もいた。
 学会は信心の団体であり、そうしたことを好まぬ婦人部や女子部の方々もいる。ましてや、酒を飲んで乱れ、周囲に迷惑をかけるようなことは、絶対にあってはならないと、私は深く憂えていた。
 そうした風潮は戒めるべきではないかと、先輩幹部にも訴えてきた。また、戸田先生も、私たちの心を察知されてか、次第に、酒宴は控えるようになり、大きく方向転換されていったことは、嬉しい限りである。
5  1952年(昭和27年)の春、学会が編纂した『御書』の完成を祝して行われた集いで、私は、先生とともに、″大楠公″を舞った。
 「青葉茂れる桜井の……」で知られる、南北朝時代の名将・楠木正成、正行の父子を歌った歌である。
 父・正成は先生、子・正行は私である。″父子の舞″であり、″師弟の舞″であった。
 踊りながら、この師匠とともにある喜びが、私の生命を深く包んだ。
  ♪此正行は年こそは
   未だ若けれ諸共に……
 それは、わが青春の誓いであり、誇りでもあった。
 師の精神を、わが精神とするがゆえに、私は一つの舞でも、魂を発光させて舞った。
 友よ立て! 君よ負けるな!――と心で叫びながら。
 高熱を押して、何曲も舞ったこともある。
 今月の本部幹部会では、青年部の代表と一緒に、「威風堂々の歌」の指揮をとった。
 ″父子の舞″を舞いゆく、幾十万、幾百万の「山本伸一」が育ちつつあることが、私は、何よりも嬉しい。
 二十一世紀のいっさいを頼む。永遠不滅の学会を託す――との思いを込めた舞は、あまりにも嬉しき王者の舞であった。
 わが弟子よ、広宣の扇を手に、生涯にわたって、ある時は敢然と、ある時は悠然と、また、ある時は勇気凛々と、陣頭指揮の舞を頼むと、祈りたい。

1
1