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日蓮大聖人・池田大作

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沖縄精神 人道開拓の世界市民よ立て!

1998.3.1 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

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1  今年は、私にとって、「世界広布の基盤完成の十年」の開幕の年――。
 その第一歩となる、フィリピン、中国の香港の旅を終えると、真っすぐに沖縄を訪問した。
 「平和の城塞」沖縄研修道場では、珊瑚礁の青い海と、色とりどりの美しき花と、優しく精悍な同志の笑顔が、私を迎えてくれた。
 沖縄は、東洋広布、世界広布の「港」である。
 また、日本の春は、沖縄から始まる。
 ゆえに私は、この沖縄に帰り、ここから広布の新しき春風を起こそうと決意したのである。
2  沖縄滞在中の私に、宮古島の友が、『ドイツ商船R・J・ロベルトソン号宮古島漂着記』(エドワルド・ヘルンツハイム著、上野村役場編集)をはじめとする郷土の資料を届けてくださった。
 沖縄の島々には、漂着した外国の船を助けたという話は少なくないが、宮古島にも、次のような象徴的な出来事がある。
 一八七三年(明治六年)七月、中国からオーストラリアに向かうドイツ商船のロベルトソン号が、台風に遭遇し、宮古島上野村の宮国沖で座礁・難破した。
 村民たちが、これを発見するが、海は猛り狂い、救出は困難であった。
 夜になった。村民は、乗組員に希望と勇気を与えようと、浜辺でかがり火を燃やし続けた。
 そして、夜が明けると、波浪逆巻く海にクリ舟を漕ぎ出し、命がけで救出したのである。
 帰国した船長から、その報告を受けたドイツ皇帝は、軍艦を宮古島に派遣して、御礼の贈り物をするとともに、記念碑を建立した。
 今、この上野村では「うえのドイツ文化村」を開設。その博愛の精神を伝え残し、国際交流の推進を図ろうと努めている。
 沖縄には、偏狭なナショナリズムを超え、「友愛」を重んじる伝統がある。
3  一九九五年(平成七年)六月、糸満市の平和記念公園に、あの沖縄戦で亡くなった戦没者銘碑「平和のいしじ」が建てられた。
 この碑には、日本人の戦没者だけでなく、一万数千人の米軍兵士の戦死者の名前も刻まれている。
 日本本土の捨て石となった沖縄は、膨大な数の犠牲者を出した。にもかかわらず、かつての敵国の兵士の死をも悼み、かくも多くの名を刻銘した碑は、世界にも、およそ例を見ない。
 そこには、被害者として怨念を伝えようとするのではなく、戦争そのものを憎み、平和を創造しようとする心がある。そこに、私は敬意を表したい。
4  沖縄の目は、常に、広く世界に向けられてきた。
 かつて、ハワイなどへの移民の道を開いた、金武町きんちょう出身の当山久三は詠んだ。
 「いざ行かん 吾等の家は 五大州 誠一つの 金武きん世界石」
 わが沖縄の同志も、慈悲の哲理を胸に、世界に雄飛していった。
 南米では、ペルーの理事長をされていた故・岸本憲清さんをはじめ、ボリビアの理事長の神谷健さん、チリの理事長の知念義正さんら多数の同志が、広布の先駆の道を切り開かれた。
 また、アフリカにも、ザンビアの本部婦人部長の初子・カラブラさんがいらっしゃる。
 更に、アメリカで、ヨーロッパで、東南アジアで、実に多くの沖縄出身の方々が活躍されている。
 沖縄に脈打つ、人道開拓の「世界市民」の心を、私は「沖縄精神スピリット」と呼びたい。
 それこそが、「創価の精神」でもある。
5  最も戦争の辛酸を味わい、不幸に泣いた沖縄は、断じて″二十一世紀の幸福島″にしなければならない。
 それには、「沖縄精神(スピリット)」をもって立ち、わが生命に「人間革命」の歴史をつづり、燦たる人格の光を、社会に放ちゆくことだ。
 友情の輪を、同信の友の輪を、幾重にも、幾重にも広げゆくことだ。
 この天地に、広宣流布の模範を築き上げることだ。
 そして、「わが沖縄を見よ!」と胸を張りながら、先駆けの勝利の光を、日本全国に、全世界に、送りゆこう。私とともに。

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