Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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私の文章修行 励ましの手紙に生命を刻印

1998.1.10 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  よく人から、「どのようにして、文章を磨かれたのですか」と尋ねられる。
 考えてみると、そのための特別な勉強をする余裕などなかった。また、決して上手な文章ではない。ただ、少年時代から、多くの文学書に親しんできたことや、海辺を歩いたり、桜を見たりしては、感じたままを、ノートに記してきたことが、文章力を培う基礎になっていったのであろう。
 戸田先生の会社で、少年雑誌の編集をしていた時には、依頼していた作家の原稿が入らなければ、自分で詩も書き、散文も書いた。
2  一九五一年(昭和二十六年)に、聖教新聞が創刊されると、先生はみずから、「妙悟空」のペンネームで小説『人間革命』の連載を始められた。更に、寸鉄などもどんどん筆を執られ、私たちにも原稿を書くように言われた。
 長年、出版社を経営されてきた先生は、文章の鋭い批評家であられた。
 「これでは、人の心は打たぬ!」「論旨が不明瞭である!」など、厳しく、ご指摘いただいたことが、今は懐かしい。
 先生は、しばしば、途中まで書かれた『人間革命』の原稿を私に渡され、粗筋あらすじを語り、こういわれた。
 「後は君が書いておけ。また、直したいところは、好きなように直してよい」
 それから、私の呻吟が始まるわけだが、思えば、ありがたき師の訓練であった。
3  先生は、弟子たちの原稿がおそいと、よく、吉川英治氏の『三国志』にも登場する「七歩の詩」の話をされた。
 ――父・曹操の後継者の地位を巡って争った、曹丕そうひ曹植そうしょくの兄弟。王位についた兄の曹丕は、詩才に恵まれた弟の曹植に、こう迫る。
 「七歩あるむ間に、一詩を作らなければ、汝の首は、八歩目に、直ちに床に落ちているものと思え」(『三国志』、『吉川英治全集』27、講談社)
 曹植は即座に詩を作る。
 それが、「豆ヲ煮ルニ 豆ノまめがらク 豆は釜中ふちゅうニ在ッテ泣ク もと是レ同根ヨリ生ズルヲ 相煎あいにルコト何ゾはなはダ急ナル」(同前)との有名な詩。
 兄弟でありながら、争わねばならぬ悲しみを、巧みな比喩を用いてうたった曹植の詩に、曹丕は、自身の考えを深く恥じたという。
 「言論戦はスピードなんだ。みんなが曹植なら、とっくに首はなくなっているぞ」
 こう言って呵々大笑された、先生のお顔が忘れられない。
4  私にとって、一番の文章修行は、あえていえば、友につづった励ましの手紙であったのかもしれない。
 どこへ行くにも、便箋に封筒、葉書を持ち歩いた。
 会合の合間や移動の列車のなかなど、わずかでも時間があれば、同志に、激励の手紙を書いた。
 どう訴えれば、この人が希望をもてるのか、元気になるのか、奮起できるのか――限られた時間のなかで、考えに考え、生命を刻印する思いで、懸命にペンを走らせた。
 深刻な悩みをかかえている友も多い。一葉の葉書で人生を決することもある。
 観念の遊戯ではない。現実のなかで、一念を研ぎ澄まし、凝縮した言葉を紡ぎ出す″精神の格闘″であった。
 海外指導の折も、日に何通となく、手紙や葉書を認めた。
 また、励ましのために、和歌などを詠み、日々、友に書き贈ってきた。
 その数は、多い年には、千首近くになるだろうか。
5  できることなら、全同志の皆様、お一人お一人に、感謝と励ましのお手紙を差し上げたい。
 しかし、身は一つ。
 そこで、毎日、手紙をつづる思いで、小説『新・人間革命』の執筆に取り組んでいる。
 自分の書いたものを、読み返すのは恥ずかしい。
 『新・人間革命』も稚拙さが目立ち、まことに赤面のいたりである。もっと推敲の時間がほしいが、連載小説の過酷さのゆえ、追われるように先に進むしかない。
 八日、東京は雪となった。八王子も一面の銀世界。静寂……。
 毎日が文章修行と、法悟空はペンを走らせる。

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