Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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恩師のレコード 獅子吼に弟子は勇気百倍!

1998.1.8 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  わが師・戸田先生の声を思い出すと、私の胸は、懐かしさであふれる。
 悲しむ友を励まし、青年を慈しむ、深く温かな声。
 百雷の如く、大感情から発する厳愛の叱咤。
 障魔を鋭く粉砕する弾丸の舌鋒、友を鼓舞してやまぬ大将軍の言。
 この世から、不幸を一掃せんとの大獅子吼。
 その響き、激、静、寒、暖、厳、寛、慈……。
 あるいは、厳冬、春風、烈日、秋霜……。
 師の声は、あたかも鮮やかな四季の彩りの如く、つねに私を包んでくれたものである。
 一九五九年(昭和三十四年)――恩師が逝去して、始めて迎えた元旦のことである。
 信濃町の学会本部に集った幹部は、戸田先生の講義の録音テープを聴いた。
 学会のなかから、先生の叫びが薄らいでゆくのを憂いて、私が提案したのである。
 テープレコーダーから、先生の声が流れると、空気は一変した。
 恩師、ここにいますが如く、同志は皆、襟を正し、感涙し、敢闘を誓った。
2  それからまもなく、私は、先生の「声」をレコード化し、永遠に残す事業に着手した。
 先生の講義・講演のテープ百六十余本を結集。これには、全国の同志も協力してくださり、感謝にたえない。
 遺弟を代表して、私が「創価学会会長 戸田城聖先生の教え」と、ジャケットの題字をつづった。拙い字ではあったが。
 レコードの一枚目(「可延定業書」講義)が完成したのは、この年の7月であった。
 「実に嬉しい。報恩」と、伸一は日記に記した。
 私が恩師の「声」をレコードにする着想をもったのは、実は、五一年(同二十六年)にさかのぼる。
 きっかけは一冊の本。戸田先生の膝下で、私が英国の作家ホール・ケインの小説『永遠の都』を学んだときのことである。
 この本を通して、革命のロマンと同志愛を教えていただいた思い出の一端は、かつて、『随筆 人間革命』にも書いた。
3  小説の舞台は一九〇〇年のローマである。不思議にも先生のお誕生の年であった。
 ともあれ、先生の気迫の言々句々は、まさに″遺言″の如く、私の胸に響いた。
 作品中、次のような忘れ得ぬ一場面があった。
 ――ある日、主人公のディビッド・ロッシィのもとに、蓄音機に掛ける円筒(シリンダー)が届く。今でいえば、レコードやテープ、CDである。
 手回しの蓄音機から聞こえてきたのは、彼を養育してくれた恩人であり、師匠である老革命家の声。
 流刑地からの″遺言″であった。後を頼む――と。
 懐かしい、大恩ある師の声を聴いて、むせび泣きながら、ロッシィは誓う。
 「やりますとも! ぼくはやります!」
 戸田先生を囲み、広布の大理想を語り会いながら、一人思った。
 ″先生の叫びを、永遠に残したい。いつかレコードのような形で・・・・″
 当時、私は二十三歳。人生の嵐の渦中であった。
 青年部の室長時代。先生の叱られ役は、常に私であった。
 いつであったか、森田一哉理事長が語っていた。
 「先生ほど、戸田先生から、よく叱られた方はいませんね。私などは、ほんの数回でした。みんなは、先生のことを″防波堤″と呼んでいたんです」
 これは、弟子としての私の誇りとなっている。だれよりも深く、恩師の獅子吼を、わが魂に刻み得た青春の証であるからだ。
4  「一の獅子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわ(破)る」(御書1316ページ)
 獅子王の子なれば、勇気百倍、我は立ちたり。法戦、いまだやむことなし。
 ゆえに、正義を叫び抜かずして、どうして愛弟子といえようか!
 「広宣流布の闘志たれ!」
 恩師の声は、今も私の耳朶を、瞬時も離れることはない。

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