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日蓮大聖人・池田大作

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「日に日に新たに」 ″第三の青春″を勇猛精進で

1998.1.4 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  新しき年。偉大な境涯の旭日は昇る。
 正月二日――。東京牧口記念会館にて、敬愛するわが友と、「民衆勝利の年」の出発を飾ることができた。
 この日は、私の七十歳の誕生日である。個人的なことながら、世界の同志が祝福してくださった。申し訳なく、また嬉しい。
 小説『新・人間革命』第一巻の単行本も、この日付で発刊。少しでも皆の励みになればと願う。出版の労をとられた関係者の方々、そして、読者の皆様に心から感謝申し上げる次第である。
2  かつて、三十歳の誕生日を約一ヶ月後に控えた、懐かしき日記に、私は、こう記していた。
 「先生と共に戦い、進み、生きぬくこと以外に、私の人生はない。師ありて、われあるを知る」(一九五七年=昭和三十二年十二月四日)
 病弱のため、医師から、三十歳まで生きられないだろうと言われたわが生命。
 戸田先生はそんな私を誰よりも心配され、厳愛の指導を続けてくださった。
 激しき法戦の明け暮れ。病に苦しみ、疲労困憊した私に、先生は言われた。
 「三障四魔との戦いだ。泣いて、御本尊にぶつかれ! そして、すべてを打開せよ!」
 「いつ臨終になっても、悠然と、従容たる人生であれ、信心であれ」
 生命を貫く、厳父の声であった。
 また、ある時は、「私の命をやろう! 生きぬけ、私に代わって、断じて生き抜け!」とも言ってくださった。
3  師に生命を吹き込まれ、病魔の宿命に打ち勝ち、迎える三十歳。
 私は、その感慨を胸に、十年ごとの人生の来し方と未来の指標を、さらに日記につづっている。
 十歳まで・・・・・平凡な漁師(海苔製造業)の少年時代
 二十歳まで・・・・自我の目覚め、病魔との闘い
 三十歳まで・・・・仏法の研鑽と実践。病魔の打破への闘い
 四十歳まで・・・・教学の完成と実践の完成
 五十歳まで・・・・社会への宣言
 六十歳・・・・・・日本の広布の基盤完成
4  しかし、日記には、六十歳から先のことは、触れていない。それ以上、生きぬけるとは、とうてい、考えられなかったからである。
 私が体調を崩し、検査入院したのも、恩師の逝去の年齢五十八歳が、目前の晩秋であった。
 先生がご存命ならば、間もなく九十八歳。先生の命を分けていただいての、わが「更賜寿命」の七十星霜なりと、しみじみ思う。
 かのユゴーは、七十歳で小説『九十三年』の制作に着手。またトルストイは、七十歳の頃、名作『復活』の執筆に没頭した。
 牧口先生は、七十歳になられてすぐ、機関紙『価値創造』を創刊。新しき言論戦の火蓋を切られた。
 私の今、『新・人間革命』第八巻の執筆に余念がない。間もなく、連載も再開となる。
 ここに、六十歳以降の、わが人生の歩みと推測を記せば、たとえば、次の如くなる哉。
 七十歳まで・・・・新しき人間主義の哲理を確立
 八十歳まで・・・・世界広布の基盤完成なる哉
 こにあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する。
5  ゲーテは、七十余歳の詩にうたった。
 「『教えてほしい いつまでもあなたが若い秘密を』
 何でもないことさ つねに大いなるものに喜びを感じることだ」(「不老長寿の薬」内藤道雄訳、『ゲーテ全集』1所収、潮出版社)
 わが生涯は、広宣流布への大いなる旅路。眼前には、二十一世紀の希望の山並み。
 ″第三の人生″とは、″第三の青春″の異名である。
 「日に日に新たに、また日に新たなり」(『大学』)
 この一年も、勇猛精進の日々をと、断固と誓う。

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