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日蓮大聖人・池田大作

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第41回「SGIの日」記念提言 「万人の尊厳 平和への大道」

2016.1.26 「SGIの日」記念提言(池田大作全集未収録分)

前後
1  私どもSGIが、国連を支援するNGO(非政府組織)としての活動を本格的に開始してから、今年で35年を迎えます。
 2度に及ぶ世界大戦の反省に立ち、国連が掲げてきた目標は、戦争の惨禍を食い止め、差別と抑圧をなくし、人権が守られる世界を築くことにありました。
 それはまた、私どもが信奉する仏法の根幹をなす、「平和」「平等」「慈悲」の理念とも通じ合うビジョンにほかなりません。人間には誰しも幸福に生きる権利がある。その権利を守るために民衆の連帯を広げ、地球上から「悲惨」の二字をなくすことに、SGIの運動の眼目はあり、国連支援はその当然の帰結ともいうべきものなのです。
2  難民と避難民が6000万人に
 世界で今、多くの人々の生命と尊厳を脅かす深刻な危機が広がっています。
 シリアでの紛争が続く中東をはじめ、各地で難民や国内避難民が急増し、戦闘や迫害から逃れるために家を追われた人々は6000万人にもなります。
 また相次ぐ災害により、わずか1年の間に1億人を超える人々に被害が及びました。洪水や暴風雨など気候に関連したものが9割近くを占めるといわれ、地球温暖化がもたらす影響の拡大が懸念されます。
 こうした中、国連で史上初となる「世界人道サミット」が、5月にトルコのイスタンブールで行われることになりました。
 これまでのサミットの準備会合でも、かつてない規模で広がりをみせる人道問題への危機意識が高まっています。紛争の早期終結とともに、多くの人々が直面する厳しい状況を打開する道を何としても見いだしていかねばなりません。
 難民問題や災害をはじめとする「人道」をめぐる課題は、長年にわたって私どもが取り組んできたテーマでもありました。
 SGIとしても、国連NGOとして「世界人道サミット」に参加し、信仰を基盤にした団体が人道支援に果たす役割などについての議論を深めながら、市民社会の側から連帯の輪を大きく広げていきたい。
 創価学会が、国連広報局のNGOに登録されたのは1981年でした。
 SGIが、国連経済社会理事会との協議資格を持つNGOとなったのは、私がこの毎年の提言を最初に行った83年のことで、現在まで「平和・軍縮」「人道」「人権」「持続可能な開発」の4分野を中心に活動を続けてきました。
 そこで今回は、私どもが国連支援に取り組む上で基盤としてきたアプローチに触れつつ、人道危機などの地球的な課題を解決するために重要となる視座や、市民社会の役割に焦点を当てて論じたいと思います。
3  「誰も置き去りにしない」との誓い
 国連で昨年9月、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」=注1=と呼ばれる、新しい目標が採択されました。
 2000年に合意され、昨年まで貧困や飢餓などの改善を進めてきたミレニアム開発目標に続くもので、そこで積み残された課題に加え、気候変動や災害といった喫緊のテーマを幅広く網羅し、2030年に向けて包括的な解決を図ることが目指されています。
 何より注目されるのは、目標の筆頭に掲げられた「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」との文言が象徴するように、すべての課題を貫く前提として「誰も置き去りにしない」との誓いが明記された点です。
 極度の貧困層の半減を達成したミレニアム開発目標の取り組みから、さらに踏み込む形で、誰一人として見捨ててはならないことが宣言されたのです。
 具体的には、さまざまな脅威の深刻な影響を受けやすい存在として、子どもや高齢者、障がいのある人をはじめ、難民や移民などを挙げ、最大の留意を促す一方で、そうした人々へのエンパワーメント(内発的な力の開花)が欠かせないことが強調されています。
 また、人道危機の影響を受けた地域の人々や、テロの影響を受けた人々が直面する困難を取り除くことと併せて、弱い立場にある人たちが特に必要とするものに対する支援の強化が呼び掛けられています。
4  5年に及ぶ紛争が引き起こした被害
 私もこれまで、国連の新目標に「誰も置き去りにしない」との骨格を据えることを訴えるとともに、項目の一つに「すべての難民と国際移住者の尊厳と基本的人権を守ること」を盛り込むよう提唱してきました。
 かつてない規模で難民が増加する中、その状況と真正面から向き合わずして、21世紀の人類の未来は開けないと考えたからです。
 その意味で、国連の新目標にとっての最初の正念場が、難民問題などが議題となる「世界人道サミット」だといえましょう。
 5年近くにわたり紛争が続くシリアでは20万人以上が犠牲になり、人口の約半数が家や故郷から追われる状態に陥っています。
 住居や商店、病院や学校など、あらゆる場所が戦渦に巻き込まれ、避難場所にも攻撃が及んでいるほか、主要な道路が封鎖され、食糧や救援物資の入手が困難になっている地域がいくつもあるといいます。
 その結果、紛争前には、「世界で最も多くの難民を受け入れてきた国」の一つだったシリアが、今では「最も多くの難民が発生している国」になってしまったのです。
 一向にやまない紛争から逃れるため、多くの人が国外脱出を余儀なくされたばかりか、行く先々で危険な目に遭い、家族と離れ離れになった子どもたちも少なくありません。中東を襲った大寒波や、地中海をわたる船の転覆事故などで亡くなった人も大勢います。
 「難民として生きる人生は、動くたびに沈む流砂にはまったようなものだ」(国連難民高等弁務官事務所のプレスリリース、昨年3月12日)
 国連難民高等弁務官を先月まで務めたアントニオ・グテーレス氏は、シリアから逃れた一人の父親が語ったこの言葉を紹介しつつ、状況の深刻さを訴えましたが、どこまで逃れても安心が得られず、先の見えない日々が続く中で生きる縁を失いかけている人は、今も後を絶たないのです。
 アフリカやアジアでも、難民や国内避難民が増加の一途をたどっています。国連難民高等弁務官事務所をはじめとする、さまざまな救援活動が行われてきましたが、依然として、多くの人々が支援を切実に必要とする状況にあるのです。
5  戦時中に難民を守り支えた人々
 大勢の難民がヨーロッパに向かうようになり、さまざまな反応が広がる中、国際通信社IPS(インター・プレス・サービス)の記事で報じられていた、イタリアの港町で暮らす人の言葉が心に残りました。
 「彼らも私たちと同じく生身の人間です。私たちは彼らが沖合で溺れているのを見て見ぬふりをしているわけにはいきません」(「進退窮まる移民たち」、昨年5月11日)
 世界人権宣言には、「すべての人は、迫害を免れるため、他国に避難することを求め、かつ、避難する権利を有する」とあります。
 しかしそれ以前に、先の言葉に宿っていたような“胸を痛める心”こそが、人権規範のあるなしにかかわらず、どんな場所でも灯すことのできる人間性の光明だと思うのです。
 創価学会平和委員会が協力し、昨年10月に東京で行われた「勇気の証言――ホロコースト展アンネ・フランクと杉原千畝の選択」でも、その点がテーマとなりました。
 展示では、ナチスの迫害のためにオランダで身を隠す生活に置かれながらも希望を失わなかったアンネ・フランクの生涯とともに、6000人ものユダヤ難民を救うために、訓令に反してビザを発行し続けた日本の外交官・杉原千畝の行動が紹介されました。
 当時、ユダヤ人への迫害が広がっていたヨーロッパで、いくつもの国の外交官たちが、本国政府の方針に背くことを覚悟の上で、自らの「良心」に従う勇気をもって行動し、難民たちを救っていったことが、歴史に刻まれています。
 また、こうした難民の命を守る行動は、アンネの家族の隠れ家生活を命懸けで支えたオランダの女性をはじめ、多くの国の民衆が、人知れず行っていたものでもありました。私は、ここに歴史の地下水脈に流れる「人間性の輝き」をみる思いがしてなりません。
 同じく現代でも、自分たちが住む町に突然現れた難民の姿をみて、どれだけの辛酸を味わってきたことかと胸を痛め、やむにやまれず手を差し伸べてきた人は少なくないと思います。
 その一つ一つの手が、難民の人たちにとって、どれだけ大きな励ましとなり、かけがえのない命綱になってきたことか――。
 このことを考えるにつけ思い起こすのは、マハトマ・ガンジーが、周囲から投げかけられてきた“大勢の人をすべて救うことなどできない”との声を念頭に置きつつ、自分の孫に語りかけた言葉です。
 「その時々に、一人の命に触れるかどうかが問題なんだ。何千という人々すべてを見まわすことは、必要じゃない。あるとき、一人の命に触れ、その命を救うことができれば、それこそ私たちが作り出せる大きな変化なんだ」(塩田純『ガンディーを継いで』日本放送出版協会)
 ささやかな行動だったとしても、それがあるかないかは、差し伸べられた人にとって決定的な重みをもつ大きな違いなのです。
6  人間の苦しみに無縁なものはない
 このガンジーの信条は、私どもSGIが信仰実践の面はもとより、国連支援などの社会的な活動を展開する上でも銘記してきた、「徹して一人一人を大切にする」との精神と深く響き合うものがあります。
 仏法の根幹は、すべての人々の生命の尊厳にありますが、それは釈尊の次の教えが象徴するように、気づきや内省を促す中で説かれてきたものでした。
 「すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(『ブッダの真理のことば感興のことば』中村元訳、岩波書店)
 つまり、自分が傷つけられることを耐えがたく思い、わが身をかけがえのないものと感じる心――その動かしがたい生命の実感を出発点としながら、“それは誰にとっても同じことではないのか”との思いをめぐらせていく。
 そして、その「己が身にひきくらべて」の回路を開いていく中で、他の人々の痛みや苦しみが、わが事のように胸に迫ってくる。
 こうした「同苦」の生命感覚を基盤としながら、いかなる人も暴力や差別の犠牲にすることのない生き方を歩むよう、釈尊は呼び掛けたのです。
 仏法が説く「利他」も、自分を無にすることから生まれるものではない。
 それは、自分の存在と切っても切り離せない胸の痛みや、これまで歩んできた人生への愛しさを足場としつつ、人間の苦しみや悲しみに国や民族といった属性による違いなどなく、“同じ人間として無縁な苦しみなど本来一つもない”との生命感覚を磨く中で、おのずと輝き始める「人間性の異名」なのです。
 哲学者のカール・ヤスパースも釈尊の評伝をつづる中で、「曚くなりゆく世において、わたしは滅することなき法鼓を打とう」と立ち上がった釈尊の生涯は、「一切の者にむかうとは、ひとりひとりの人にむかうことにほかならない」との決意に貫かれていたと、強調していました(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)。
 私どもSGIは、この精神を現代に受け継ぐ形で、目の前の一人の苦しみに寄り添い、共に涙し、喜びもまた共にしながら、手を取り合って生きるつながりを広げてきたのです。
7  これまでの苦難も人生の糧に変える
 仏法を貫く「徹して一人一人を大切にする」との精神には、このような視座に加えて、もう一つの欠くことのできない重要な柱があります。
 それは、これまでどのような人生を歩み、どんな境遇に置かれている人であっても、誰もが「自分の今いる場所を照らす存在」になることができるとの視座であり、確信です。
 目に映る「現れ(これまでの姿)」で人間の価値や可能性を判断するのではなく、人間に本来具わる「尊厳」を見つめるがゆえに、その輝きによって、今ここから踏み出す人生の歩みが希望で照らされることを、互いに信じ合う。
 そして、これまで味わった苦難や試練も人生の糧としながら、自分の幸福だけでなく、人々のため、社会のために「勇気の波動」を広げる生き方を、仏法は促しているのです。
 私どもの信奉する日蓮大聖人は、すべての人々に尊極の生命が具わり、限りない可能性を開花させることができるとの「一切衆生皆成仏道」の法理こそが、釈尊の説いた法華経の真髄であり、仏教全体の肝心であると強調しました。
 法華経では、釈尊とその弟子をはじめとする、多くの人々が織り成すドラマを通じて、この法理が説かれています。
 ――まず、釈尊の説いた教えを理解した弟子の舎利弗が、自分自身にも尊極の生命が具わっていることを心の底から実感し、「踊躍歓喜」する。
 続いて、他の四人の弟子も、その歓喜のままに誓いを立てた舎利弗の姿と釈尊の励ましを目の当たりにして、同じく歓喜し、無量の宝を「求めずして自ずから得た」喜びを表すべく、自分たちの言葉で釈尊の教えを長者窮子の譬え=注2=を通して語りだす。
 こうした誓いと歓喜のドラマが幾重にも続く中、多くの菩薩たちが、人々の幸福のためにどんな困難も乗り越えて行動する決意を、「ともに同じく声を発して」誓い合う。
 そして最後に、釈尊の滅後に、そうした実践を誰が担っていくのかが焦点となった時に、数え切れないほどの地涌の菩薩が現れ、いついかなる時代にあっても、どのような場所においても、行動を貫き通すことを誓願する――。
 そこで広がっているのは、釈尊の教えに触れて、尊極の生命に目覚めて歓喜した弟子たちが、他の人々にも等しく尊極の生命が具わっていることに気づき、自他共にその生命を輝かせ、社会を照らす光明になっていきたいと決意し、次々と誓いを立てていく、“誓願のコーラス”ともいうべき光景です。
8  竜女の成仏の姿が周囲に広げた波動
 なかでも特筆すべき場面の一つは、「私は、大乗の教え(法華経)を弘めて、苦しんでいる人たちを救っていきます」との誓いを立てた幼い少女(竜女)が、誓いのままに行動する姿をみて、多くの人々が「心大歓喜」(心の底からの大歓喜)をもって称えた場面でありましょう。
 その歓喜の渦が巻き起こる中で、数え切れないほどの人々が、自分にも尊極の生命が具わっていることを覚知していきました。
 つまり、当時の通念として、成仏に最も縁遠い存在として捉えられていた幼い少女が、自らの誓いのままに行動する姿を通して周囲に歓喜の波動を広げ、「一切衆生皆成仏道」の法理を証明する希望の存在となっていったのです。
 大聖人も、この法華経の場面を踏まえつつ、人生の苦難を乗り越えようとする女性たちに、「竜女が跡を継ぎ給うか」(御書1262ページ)などの言葉を贈りながら、励まし続けました。
 13世紀の日本にあって、相次ぐ災害に苦しむ民衆を救おうと、為政者を諫めた大聖人は、何度も迫害を受けました。そうした中、流罪の地で弟子たちへの手紙をしたためたり、遠路はるばる訪ねてきた信徒に対し、真心を尽くして激励を重ねられました。
 また、一つ一つの手紙を周りにいる仲間たちと寄り合って読みながら、皆で支え合い、苦難や試練を共に乗り越えていくよう、励まされていったのです。
 私どもSGIが、創価学会の草創期からの伝統としてきた、小単位のグループで開催する座談会にも、そうした「誓い」と「歓喜」と「励まし合い」の世界が息づいています。
 座談会に参加し、悩みがあるのは自分一人ではないと知り、苦難を乗り越えようと奮闘する友の姿に勇気をもらう。そして、決意を新たにした自分の姿が、さらに多くの友の心に力強い勇気を灯していく。
 この励まし、励まされる心と心の往還を通し、一人の誓いが次の一人の誓いへと伝播する中で、困難に直面してもくじけることのない「希望の力」を共にわき立たせていく生命触発の場が、座談会です。
 老若男女、社会的な立場や境遇の違いを問わず、同じ地域に暮らす人々が集まり、かけがえのない人生の物語や心の中に積もった思いに耳を傾け合いながら、共に誓いを深める座談会は、今や世界の多くの国々に広がっています。
 それはまた、世界を取り巻く脅威や危機が拡大し、複雑化する中で、ともすれば埋没し、蔑ろにされがちな“一人一人の生の重みと限りない可能性”を取り戻すために、SGIが社会的使命として実践してきた「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント」の基盤ともいうべき場にほかなりません。
 平和運動や国連を支援する活力も、そこから生まれているのであり、まさに信仰実践と社会的活動は地続きの関係にあります。
 私どもは、そうした往還作業を通し、「他人の不幸の上に自分の幸福を築かない」「一番苦しんだ人が、一番幸せになる権利がある」との誓いを共々に踏み固めながら、すべての人々の尊厳が輝く世界の建設を目指してきたのです。
9  「独立的生活」がもたらす危険性
 その挑戦を続けてきた私どもが、国連支援の活動において重視してきたのが、教育のアプローチであり、対話の実践です。
 まず、教育に関して言えば、二つの大きな役割に注目してきました。
 第一は、自分自身の行動がもたらす影響を正しく見定めながら、自分にも周囲にもプラスの変化を起こす力を磨く役割です。
 人間教育の先駆者だった創価学会の牧口常三郎初代会長は、1930年に発刊し、SGIの源流ともなった『創価教育学体系』で、人間の生き方には大別して3段階あるとして、「依他的生活」や「独立的生活」から脱却し、「貢献的生活」に踏み出すことを呼び掛けました(『牧口常三郎全集』第5巻、第三文明社)。
 「依他的生活」とは、自分が持つ可能性をなかなか実感できず、目の前の状況をどうしようもないものとあきらめたり、周囲や社会の流れに合わせて生きていくほかないと考えてしまうような生き方です。
 また次の「独立的生活」は、自分の人生を舵取りしようとする意思は持ちあわせているものの、自分とは関わり合いのない人々へのまなざしは弱く、他人がどのような状況にあっても、基本的には本人の力で何とかすべきだと考えてしまう生き方といえましょう。
 牧口会長は、そうした生き方がはらむ問題を、次のようなわかりやすい譬えを通して、浮かび上がらせています。
 ――鉄道の線路に石を置く。これはいうまでもなく悪いことである。
 しかし、石を置いてあるのを知っていて、それを取り除かない、つまり善いことをしなかったら、列車が転覆してしまう。結果的には、善いことをしないことは悪いことをしたのと同じである――と。
 つまり、危険があることを知りつつも、自分に被害が及ばないからといって、そのまま放置しておくこと(不善)は、結果において悪と変わらないのであり、「悪行の罪だけは誰でも教えるが、不善の罪をとわないのは理由のないことであり、根本的な社会悪の解決策とはならない」と訴えたのです。
 なぜ“何もしないこと”が、悪と同義とまで言い切れるのか――。一見すると理解しがたいかもしれませんが、翻って自分が列車に乗っている身だと想像してみるならば、おのずと胸に去来する思いがあるのではないでしょうか。
10  関係性の網の中で変革の波を起こす
 現代においても、「最大多数の最大幸福を追求する上で、多少の犠牲が生じるのはやむを得ない」といった考え方が、政治や経済をはじめ社会のさまざまな分野でみられます。
 しかし、気候変動の問題一つをとってみても明らかなように、今は自分たちに関係ないように思えても、長期的にみれば、リスクと無縁な場所など地球上のどこにもありません。
 むしろ、他の人々の苦境を半ば看過するような考え方の行き着く先は、人類の生存基盤を突き崩しかねないことに、目を向けるべきだと思うのです。
 自分本位の短期的利益の追求が優先される風潮に警鐘を鳴らしてきた、政治哲学者のマーサ・C・ヌスバウム博士も、世界市民意識の涵養を呼び掛ける中で、こう述べていました。
 「過去のどの時代にも増して、私たちの誰もが、一度も会ったことのない人々に依存し、彼らもまた私たちに依存しています」
 「このグローバルな相互依存の外にいる人は一人もいません」(『経済成長がすべてか?』小沢自然・小野正嗣訳、岩波書店)
 地球的な課題の解決を目指して行動する民衆の連帯の裾野を広げるためには、まずもって、そうした関係性への「想像力」を、教育によって培う必要があるのではないでしょうか。
 人間の歩むべき生き方として「貢献的生活」を挙げていた牧口会長は、「真の幸福は、社会の一員として公衆と苦楽を共するのでなければ得る能ざるもの」(前掲『牧口常三郎全集』第5巻)と訴えましたが、そうした意識を地球大へと広げながら生きていくことが、今日、ますます要請されていると思えてなりません。
 仏法では、この世のすべての存在や出来事は、分かちがたい“関係性の網”で結びついており、その相互連関を通じて瞬間瞬間、世界は形づくられているとも説かれています。
 その“関係性の網”の中で、自分という存在が生き、生かされていることの実感を、一つまた一つと深めていく中で、「自分だけの幸福もなく、他人だけの不幸もない」との地平が、一つ一つ開けてくる。
 そして、“今ここにいる自分”を基点とし、変革の波を起こす中で、自らが抱える課題のみならず、周囲や社会の状況をも好転させゆく「プラスの連鎖」を生み出していく――。
 こうした生命感覚を、自分と他者、自分と世界とのつながりを見つめ直すための座標軸の骨格としていくことを、仏法は呼び掛けているのであります。
 その意味からいえば、教育は、人間が他者の苦しみを前にした時に、“胸の痛み”を通じて浮かんでくる人生の座標軸の骨格に、一つ一つ肉付けをする上で、絶対に欠かせないものだといえましょう。
 例えば、環境問題や格差の問題にしても、教育による学びを通じて“背景や原因を見つめるまなざし”を磨いてこそ、問題に向き合う座標軸がより鮮明になり、揺るぎないものとなるのではないでしょうか。
11  自分だからこそできる価値創造
 この点に加えて、教育においてもう一つ重要となると思われるのは、困難に直面しても、くじけることなく行動する勇気を発揮していくための“学び”の場としての役割です。
 人類を取り巻くさまざまな課題は、貧困や災害といったように呼び名は同じでも、その具体的な様相は、問題が起きている場所や周囲の環境によって、それぞれ異なります。また、先に触れた気候変動のように、さまざまな脅威が引き起こす影響は、同じ地球に生きている以上、いつでもどこでも、誰の身にも及ぶ可能性があるものです。
 そこで必要となるのは、危機が深刻になる前に未然に防ぐとともに、被害に見舞われた場合でも、困難な状況をたくましく立て直していく知恵と行動――いうなれば「レジリエンス」の力を、それぞれの地域で日頃から強めていくことだといえましょう。
 牧口会長が教育の主眼として提起したのも、自分を取り巻く出来事の意味を見極め、能動的に応答する力を磨くことでした。
 教育で得た知識を最大限に生かすために、「応用の機会を見出す習慣」を養いながら、機会を捉えた時には逃さず行動につなげていく。そうした「応用の勇気」を一人一人が発揮することに、教育の目的があると呼び掛けたのです(前掲『牧口常三郎全集』第3巻)。
 そこで求められるのは、「先ず応用せらるべき場合の最も多く存在する方面を示して、此の点に注意を集めしめること」(同、現代表記に改めた)であり、正解のようなものを提示することではない。教育で培った“問題と向き合う道筋を見いだす力”を糧としながら、自分自身で問題解決の糸口をつかんでいく「応用の勇気」の発揮に焦点を置くべきと強調したのです。
 この自発能動の学びに基づく「応用の勇気」こそ、状況に押し流されず、自らが望む未来を切り開く原動力となるものです。
 例えば、国連が新目標を通して築こうとしている「持続可能な地球社会」にしても、具体的な有り様が最初から決まっているわけではないと思います。
 問題や脅威の現れ方が、それぞれの場所で違うように、方程式で導かれるような“共通解”は、もともと存在しません。
 持続可能性を追求する上で「経済と社会と環境のバランス」に留意するにしても、何か一つの“収束点”に向けて着地を果たすこと自体が、ゴールとなるわけではないはずです。
 近年、刻々と変化する現実に応答する「レジリエンス」の重要性が注目される中、持続可能性の追求が本来目指すべきは、「琥珀に閉じ込められた静止状態ではなく、健全なダイナミズムである」(アンドリュー・ゾッリ/アン・マリー・ヒーリー『レジリエンス復活力』須川綾子訳、ダイヤモンド社)との主張がなされています。
 先に言及した仏法の“関係性の網”に基づく世界観に照らしてみても、深く共感できるものです。
 「持続可能な地球社会」の姿も、一人一人が“かけがえのないもの”に思いをはせ、それをいかにして守り抜き、未来につないでいけるのかについて、知恵を出し合い、行動を重ねる中で、具体的な輪郭を帯びて浮かび上がってくるものではないでしょうか。
 であればこそ、今この場にいる自分でなければ発することのできない言葉や行動が生み出す「価値創造」の意義が、いやまして輝いてくると思うのです。
 私は、応用の実行といった表現ではなく、あえて「応用の勇気」との言葉を用いた牧口会長の思いに、一人一人の存在の重みをどこまでも大切にする心と、どんな困難にも屈しない力が人間に具わっていることへの限りない期待を感じてなりません。
12  8億6000万の夢と変化を生む力
 その意味で私は、国連ウィメン(国連女性機関)が企画し、ニューヨークの国連本部で昨年2月に行われた公開討論会で、アフリカのジンバブエ出身の10代の女性が語った言葉に、強い共感を覚えました。
 「私たちは発展途上国で暮らす8億6000万人の若い女性・女児です。しかし、単に8億6000万という統計上の数字に留まるのではありません。私たちには8億6000万の夢があり、考えがあり、変化をもたらす力があるのです」(国連ウィメン日本協会のホームページ)
 彼女の言葉が示唆している通り、世界で今、脅威や危機が広がれば広がるほど、その問題の大きさを前に埋没しそうになっているのが、一人一人の生の重みであり、限りない可能性だといえましょう。
 それぞれの人間が紡いできた人生の物語や大切な夢をはじめ、心の中に積もった思いや、足元から変化を起こす力までもが、おしなべて見過ごされそうになっているのです。
 私どもSGIが、教育によるエンパワーメントを通じて目指してきたのは、そうした一つ一つの重みをかみしめ合い、互いの可能性を豊かに開花させながら、自分たちを取り巻く現実に力強く応答する力を磨き、鍛え上げていくことにほかなりません。
 なかでも、1982年にニューヨークの国連本部で開催した「核兵器――現代世界の脅威」展以来、地球的な課題の解決に向けての“民衆発の活動”の中軸に、私どもが据えてきたのが世界市民教育です。
 SGIでは今述べてきたような教育の二つの役割を踏まえ、さまざまな角度から世界市民教育を展開し、次の四つの柱からなるプロセスを進めていくことを目指してきました。
 ①自分を取り巻く社会の問題や世界が直面する課題の現状を知り、学ぶ。
 ②学びを通して培った、人生の座標軸と照らし合わせながら、日々の生き方を見直す。
 ③自分自身に具わる限りない可能性を引き出すためのエンパワーメント。
 ④自分たちが生活の足場としている地域において、具体的な行動に踏み出し、一人一人が主役となって時代変革の万波を起こすリーダーシップの発揮。
 今回、国連の新目標で「世界市民教育」の重要性が明記されたことを受け、SGIとしても、この四つのプロセスに重点を置いた活動に、さらに力を入れていきたいと思います。
13  仙台防災枠組で掲げられた原則
 こうした教育のアプローチと併せて、私どもSGIがすべての活動の基盤として重視してきたのが、対話の実践です。
 「誰も置き去りにしない」世界を築くために、まずもって対話は絶対に欠かせない――それは、私自身の信念でもあります。
 人類が直面する課題の解決といっても、その取り組みによって一番に守るべき存在は何か、それを誰がどのようにして守っていけば良いのかについて、常に問い直しながら進むことが大切ではないでしょうか。
 つまり、「厳しい状況に置かれている人々の目線」から出発し、解決の道筋を一緒に考えることが肝要であり、その足場となるのが対話だと思うのです。
 近年、災害や異常気象による深刻な被害が相次ぐ中、昨年3月、仙台で第3回「国連防災世界会議」が行われました。
 採択された仙台防災枠組=注3=では、2030年までに世界の被災者の数を大幅に削減するなどの目標が掲げられましたが、私が注目したのは、原則の一つとして「ビルド・バック・ベター」の重要性が強調されたことです。
 「ビルド・バック・ベター」とは、復興を進めるにあたって、災害に遭う前から地域が抱えていた課題にも光を当てて、その解決を視野に入れながら、皆にとって望ましい社会を共に目指す考え方です。
 防災対策として、独り暮らしの高齢者の家の耐震化を進めたとしても、それだけでは、その人が日々抱えてきた問題――例えば、病院通いや買い物にいつも難儀してきたような状況は取り残されてしまう。こうした被災前から存在する、見過ごすことのできない課題も含めて、復興のプロセスの中で解決を模索していく取り組みなのです。
14  「三重の楼」の話
 こうした復興の課題を考える時、思い起こすのが、次の仏教説話です。
 ――ある時、富豪が建てた三重の楼を見て、その高さや広さ、壮麗さに心を奪われ、同じような建物が欲しいと思った男がいた。
 自分の家に帰り、早速、大工を呼んで依頼すると、大工はまず基礎工事に取りかかり、一階、二階の工事に入った。
 なぜ大工がそんな工事をしているのか、理解できなかった男は、「私は、下の一階や二階は必要ない。三階の楼が欲しいのだ」と大工に迫った。
 大工はあきれて述べた。
 「それは、無理な相談です。どうして一階をつくらずに二階をつくれましょう。二階をつくらずに三階をつくれましょうか」と(「百喩経」)――。
 その意味で、復興の焦点も、街づくりの槌音を力強く響かせることだけにあるのではない。
 一人一人が感じる“生きづらさ”を見過ごすことなく、声を掛け合い、支え合いながら生きていけるよう、絆を強めることを基盤に置く必要があるのではないでしょうか。
 つまり、人道危機の対応や復興にあたって、「一人一人の尊厳」をすべての出発点に据えなければ、本当の意味で前に進むことはできないことを、私は強調したいのです。
 そこで重要となるのが、危機の影響や被害を最も深刻に受けてきた人たちの声に耳を傾けながら、一緒になって問題解決の糸口を見いだしていく対話ではないでしょうか。
 深刻な状況にあるほど、声を失ってしまうのが人道危機の現実であり、対話を通し、その声にならない思いと向き合いながら、「誰も置き去りにしない」ために何が必要となるのかを、一つ一つ浮かび上がらせていかねばなりません。
 何より、つらい経験を味わった人でなければ発揮できない力があります。
 「仙台防災枠組」では、市民や民間団体の役割として、知識や経験の提供などを挙げていますが、なかでも被災地から発信されたものには何ものにも替えがたい重みがあると思います。
 東日本大震災でも、自らが被災者でありながら周りの被災者を励まし、心の支えとなる行動を続け、復興の力強い担い手となってきた人は大勢いました。私どもは復興支援を続ける中でその意義をかみしめながら、防災をめぐる国際会議などで「被災者の声と力が復興を進める重要な鍵となる」と訴えてきたのです。
 同様に、国連の新目標の推進にあたっても、厳しい状況にある人たちの声に耳を傾けることが、各国や国際機関、またNGOなどが、自らの活動の方向性を見定め、さらに実りあるものにする上で外せない一点ではないかと思います。
 その意味で、新目標のとりまとめに尽力した、国連のアミーナ・モハメッド事務総長特別顧問が、国際社会の結束を強めるための要諦について語った次の言葉に深く共感します。
 「この問題は、私たちの人間性の居場所を見つけることにもつながります。課題や紛争が山積し、来る日も来る日も、良いニュースがほとんどないような世界へと迷い込む過程で、私たちが落としてきたものを再び拾い上げる、ということです」(国連広報センターのホームページ)
 対話とはまさに、その人間性を社会が取り戻すために、いつでもどこでも誰でも始めることのできる実践ではないでしょうか。
15  マータイ博士とイチジクの木
 次に、対話が果たすもう一つの大切な役割は、対立が深まる時代にあって、自分と他者、自分と世界との関係を結び直す契機となり、時代を変革するための新しい創造性を生み出す源泉となることです。
 21世紀の世界を規定する潮流は何といってもグローバル化ですが、多くの人々が生まれた国を離れ、仕事や教育などのために他国に一時的に移動したり、定住する状況はかつてない規模で広がっています。
 多くの国にさまざまな文化的背景を持つ人たちが移り住む中、交流の機会も芽生え始めています。
 しかし一方で、レイシズム(人種差別)や排他主義が各地で高まりをみせていることが懸念されます。
 昨年の提言で私は、各国で社会問題化しているヘイトスピーチ(差別扇動)に警鐘を鳴らしましたが、「どの集団に対するものであろうと、決して放置してはならない人権侵害である」との認識を国際社会で確立することが、焦眉の課題となっているのです。
 排他主義や扇動に押し流されない社会を築くには何が必要となるのか――。
 私は、「一対一の対話」を通して自分の意識から抜け落ちているものに気づくことが、重要な土台になっていくと考えます。
 仏法には「沙羅の四見」といって、同じ場所を見ても、その人の心の状態で映り方が違ってくることを説いた譬えがあります。
 例えば、一つの川を見ても、清流の美しさに感動する人や、どんな魚がいるのかと思う人もいれば、洪水を心配する人もいる。
 問題なのは、その違いが「映り方」の違いで終わらず、結果的に「風景そのもの」を変える可能性をはらんでいることです。
 そのことを物語る具体例として思い起こされるのは、私の大切な友人であったケニアの環境運動家のワンガリ・マータイ博士が、自伝の中で紹介していた話です。
 ――博士が生まれたケニアの村では、皆が「畏敬の念」をもって大切にしていたイチジクの木を中心に、自然が守られていた。
 しかし、アメリカへの留学を終えた博士が、ある時、故郷に立ち寄ると、信じられない光景が広がっていた。
 イチジクの木が立っていた土地を新たに手に入れた人が、「場所を取りすぎて邪魔だ」と考え、イチジクの木を切り倒し、茶畑にするためのスペースがつくられていたのです。
 その結果、風景が一変しただけでなく、「地滑りが頻繁に起こるようになり、きれいな飲み水の水源も乏しくなっていた」と(『UNBOWEDへこたれない』小池百合子訳、小学館から引用・参照)。
 自分が限りなく大切にしてきたものが、他の人には邪魔としか映らない――。
 こうした認識の違いが引き起こす問題は、人間と人間、ひいては文化的背景や民族的背景が異なる集団同士の関係にも当てはまるのではないでしょうか。
 つまり、自分の意識にないことは、「自分の世界」から欠落してしまうという問題です。
16  ステレオタイプを打ち破るための鍵
 人間はともすれば、自分と近しい関係にある人々の思いは理解できても、互いの間に地理的な隔たりや文化的な隔たりがあると、心の中でも距離が生じてしまう傾向があります。
 しかもそれは、グローバル化が進むにつれて解消に向かうどころか、情報化社会の負の影響も相まって、レッテル貼りや偏見などが、むしろ増幅するような危険性さえみられます。
 その結果、同じ街に暮らしていても、自分と異なる人々とは、できるだけ関わり合いをもたないようにしたり、ステレオタイプ的な見方が先立って差別意識を拭いきれなかったりするなど、相手の姿を“ありのままの人間”として見ることのできる力が、社会で弱まってきている面があるのではないかと思われます。
 私は、こうした状況を打開する道は、迂遠のようでも、一対一の対話を通し、互いの人生の物語に耳を傾け合うことから始まるのではないかと訴えたい。
 昨年、国連難民高等弁務官事務所は「世界難民の日」に寄せて、難民となった人たちの物語を紹介するキャンペーンを行い、その物語に触れた人が周囲や友人にも知らせることを併せて呼び掛けました。
 そこで、難民となった人たちの名前と共に紹介されていたのは、「園芸家・母親・自然愛好家」や「学生・兄・詩人」など、国籍の違いに関係なく“身近に感じられる姿”を通して語られる人生の物語であり、今の境遇への思いです。
 たとえ一人の物語であったとしても“身近に感じられる姿”を通して接する経験を持つことができれば、ともすれば一括りに扱われがちな難民の人たちに対する意識も、次第に変わってくるはずです。
 私も以前、デンバー大学のベッド・ナンダ教授と対談した際、インド・パキスタン紛争の勃発(1947年)によって、当時12歳だった教授が、母親と一緒に故郷を逃れて何日も何日も歩き続けた話を、伺ったことがあります。
 後に国際法の道に進み、人権や難民問題の第一人者となった教授が、「あの体験が、私の人生に大きな影響を与えたことは間違いありません。生まれ故郷を離れなければならなかった悲しみは、終生忘れられません」(『インドの精神』、『池田大作全集』第115巻所収)と語った言葉は今も胸に残っています。
 異なる民族や宗教に対する認識も、難民の人々に対するまなざしと同じように、たとえ「一人」でも直接会って話すことができる関係を持てれば、そこから見えてくる“風景”も、おのずと変わってくるのではないでしょうか。その「一人」と胸襟を開いて対話を重ねる中で、意識から抜け落ちていたものが目に映るようになり、自分にとっての世界の姿が、より人間的な輝きを放つようになっていくと思うのです。
17  心の世界地図を友情で描き出す
 思い返せば、冷戦対立が激化した時代に、反対や批判を押し切ってソ連を初訪問した際(74年9月)、私の胸にあったのは、「ソ連が怖いのではない。ソ連を知らないことが怖いのだ」との信念でした。
 対立や緊張があるから、対話が不可能なのではない。相手を知らないままでいることが対立や緊張を深める。だからこそ自分から壁を破り、対話に踏み出すことが肝要であり、すべてはそこから始まる――。
 モスクワに到着した夜、「シベリアの美しい冬に、人びとが窓からもれる部屋の明かりに心の温かさ、人間の温かさを覚えるように、私どももまた、社会体制は違うとはいえ、人びとの心の灯を大切にしてまいることを、お約束します」と、歓迎宴であいさつしたのは、その偽らざる思いからだったのです。
 時を経て96年6月、キューバを初訪問した時も、思いは同じでした。
 キューバによるアメリカ民間機撃墜事件が起こった4カ月後のことでしたが、平和への意思で一致できれば、どんな重い壁も動かすことができるとの決意で、カストロ議長と率直に意見交換したのです。
 そして、国立ハバナ大学での記念講演で述べた「教育こそが、未来への希望の架橋である」との信念のままに、教育交流をはじめ、文化交流の道を広げる努力を続けてきました。
 それだけに昨年7月、アメリカとキューバが54年ぶりに国交正常化を果たしたことは、本当にうれしく感じてなりません。
 現代において切実に求められているのは、国家と国家の友好はもとより、民衆レベルで対話と交流を重ね、民族や宗教といった類型化では視界から消えてしまいがちな「一人一人の生の重みや豊かさ」を、自分の生命に包み込んでいくことではないでしょうか。
 その中で、一人一人が「心の中にある世界地図」を友情や共感をもって描き出していくことが、自分を取り巻く現実の世界の姿をも変えていくことにつながると訴えたいのです。
 私の師である戸田城聖第2代会長も、さまざまな問題を“国や属する集団の違い”の次元だけで捉えて行動することの危険性を、常々訴えていました。
 国が違っても、個人同士の関係からみれば、互いに文化的な生活を送ろうとする人が少なくないはずなのに、ひとたび国家と国家の関係になると、「表面が文化的であっても、その奥は実力行使がくりかえされている」(『戸田城聖全集』第1巻)状況に陥ってしまう、と。
 また、思想の違いが原因となり、「地球において、政治に、経済に、相争うものをつくりつつあることは、悲しむべき事実である」(同第3巻)と述べ、集団の論理のぶつかり合いが“同じ人間”という視座を見失わせる弊害に、警鐘を鳴らしていました。
 そして戸田会長は、どの国の民衆も切望してやまない平和を結束点に、「世界にも、国家にも、個人にも、『悲惨』という文字が使われないようにありたい」(同)との思いを共有する、「地球民族主義」という人間性の連帯の構築を呼び掛けたのです。
18  創立20周年迎える戸田平和研究所
 その師の名を冠する形で、私が創立した戸田記念国際平和研究所が、「世界的諸宗教における平和創出の挑戦」をテーマにした国際会議を、来月、東京で開催します。
 キリスト教、ユダヤ教、イスラム、仏教など、異なる宗教的背景を持つ研究者や識者が集まり、宗教が本来持つ「人間の善性を薫発する力」に光を当てながら、暴力や憎悪ではなく、平和と人道の潮流を21世紀の世界で共に高めるための方途を探るものです。
 かつて「世界人権宣言」の起草に携わった哲学者のジャック・マリタンは、さまざまな思想の違いを超えて、人間の行動として外してはならない共通項を掘り当てる「良心の地質学」のアプローチの意義を強調しました(『人間と国家』久保正幡・稲垣良典訳、創文社)。
 来月11日に創立20周年を迎える戸田記念国際平和研究所が、「地球市民のための文明間の対話」をモットーに続けてきた活動は、その挑戦を現代で展開してきたものでもあります。
 人間の心を深部において揺り動かすものは、定式化された教条や主張などではなく、その人自身でなければ発することができない“人生に裏打ちされた言葉の重み”です。
 そうした言葉の交わし合いによってこそ、互いの生命の奥底にある「人間性の鉱脈」が掘り当てられ、社会の混迷の闇を打ち払う人間精神の光が輝きをさらに増していく。私もその確信で、さまざまな民族的、宗教的背景を持った人々と対話を重ねてきました。
 思うに、歩んできた道が異なる人間同士が向き合うからこそ、一人では見ることのできなかった新しい地平が開け、人格と人格との共鳴の中でしか奏でることのできない創造性も育まれるのではないか。
 そこに、歴史創造の「可能性の宝庫」となり、「最大の推進力」となりゆく、対話の意義があると思えてなりません。
 同じ場所で同じ時間を過ごしながら、対話によって培われた友情と信頼――。その堅実な挑戦の積み重ねこそが、世界平和の創出と地球的な課題の解決のために行動する「民衆の連帯」のかけがえのない礎となると、私は確信してやまないのです。
19  続いて、国連の新目標が目指す「誰も置き去りにしない」世界を築くために、各国と市民社会の連帯した行動が急務となる課題として、
 ①人道と人権
 ②環境と防災
 ③軍縮と核兵器禁止
 の三つのテーマに関する提案を行いたい。
20  子どもの生命と権利を共に守る
 第一の柱は、人道と人権です。
 具体的には、5月にトルコで行われる「世界人道サミット」に関し、二つの提案をしたいと思います。
 一つ目は、深刻の度を増す難民問題について、サミットの場で「国際人権法に基づく対応を第一とすること」を確認した上で、特に難民の子どもたちの生命と権利を守るための対策を強化することを約し合うことです。
 難民の数が戦後最大規模に達する中、多くの受け入れ国の間で、社会不安の広がりや財政負担の増大、また、難民を装う形での入国によってテロ行為が引き起こされることなどへの懸念が生じています。
 こうした点を踏まえ、各国で何らかの対策を講じることが必要になってくるとしても、その対策は対策として、難民問題の対応の基盤は国際人権法の中核をなす「人間の生命と尊厳」の保護に置くことを再確認すべきだと思うのです。
 紛争によって、多くの人々が突然、住み慣れた場所を追われ、生きる希望を奪われた状態は、災害で家を失い、避難生活を余儀なくされた人々の窮状と変わらないものです。
 何より難民の半数以上を占める子どもたちは、なすすべもなく避難するほかなかった、紛争の最大の犠牲者にほかなりません。
 昨年は、紛争下の子どもたちの保護に関する国連安全保障理事会決議1612=注4=の採択から、10周年にあたりました。
 紛争によって子どもたちが暴力や搾取に巻き込まれる事態の防止はもとより、紛争から逃れるために避難を強いられてきた子どもたちを守ることが急務ではないでしょうか。
 この点、ユニセフ(国連児童基金)のアンソニー・レーク事務局長も、「すべての子どもは、あたりまえの子ども時代を平和に享受する権利をもっています」(日本ユニセフ協会のホームページ)と強調しています。
 国連の新目標でも、さまざまな脅威による深刻な影響を受ける存在として、子どもを筆頭に挙げており、この子どもたちの平和的に生きる権利の確保を“扇の要”として、難民への国際的な支援を強化すべきだと訴えたいのです。
 人道危機の解決といっても、子どもたちがつらい経験を乗り越え、未来への夢を抱いて前に進むことができるようになる中で、希望の曙光は輝き始めるのではないでしょうか。
 そうした子どもたちの笑顔はまた、故郷を離れて、新しい場所で生活を立て直そうとしている人々にとって、「生きる力」を取り戻す源泉となっていくに違いないと思うのです。
21  中東地域で進む受け入れ国支援
 次に、「世界人道サミット」に関する二つ目の提案として、国連が主導する中東地域での受け入れ国支援の強化と、アフリカやアジアなど他の地域でも同様のアプローチを重視することを合意に盛り込むよう、提唱したい。
 現在、世界全体の難民の9割近くが途上国で生活する状況となる中、水の確保や公共サービスの面で影響が出るなど、国際的な協力が得られなければ、受け入れを続けることが困難になってきている地域も少なくありません。
 難民条約の前文では、「難民に対する庇護の付与が特定の国にとって不当に重い負担となる可能性」への留意を促した上で、「問題についての満足すべき解決は国際協力なしには得ることができない」と記されていますが、この条約の原点に脈打つ国際協力の精神を今一度想起し、難民問題に臨むことが求められていると思うのです。
 私も昨年の提言で、難民となった人々へのエンパワーメント(内発的な力の開花)を進めるにあたって、受け入れ国の青年や女性も一緒に教育支援や就労支援を受けられるような仕組みを各国の協力で設けることを呼び掛けました。
 現在、この難民への支援と、受け入れ国への支援を組み合わせた国連主導の取り組みが、中東の5カ国で行われています。
 「シリア周辺地域・難民・回復計画」と呼ばれるもので、難民への人道支援と併せて、受け入れ国の社会的インフラの向上を図り、住民の生活や雇用を支援していく取り組みです。
 100万人以上のシリア難民が避難したトルコやレバノンをはじめ、多くの難民が身を寄せるヨルダン、イラク、エジプトの負担を国際協力によって軽減し、地域の安定に寄与することが目指されてきました。
 これまで食糧の確保や安全な飲み水の利用、保健に関する分野などで改善が進んでおり、先月には、今後の方針と具体的な目標が打ち出されました。
 私は、この国連主導の計画に関する討議をサミットで行い、課題や経験を共有しながら、資金面での協力を含め、今後の活動を軌道に乗せるために各国が連帯して行動することを、サミットの合意に盛り込むよう訴えたい。
 また、日本の取り組みとして、これまでシリアと周辺国への人道支援を続けてきた経験を生かしながら、今後は特に「子どもたちの未来を育むための支援」に大きな力を注ぐことを呼び掛けたいと思います。
 現在、トルコやレバノンなどでは、難民の子どもたちが学校や一時的な教育施設に通える状況も生まれていますが、大半の子どもは教育から取り残されたままとなっています。
 国連の計画では、さらに多くの難民の子どもが「学ぶ機会」を得られる環境づくりを目指しています。ユニセフと連携し、シリアや周辺国での教育支援を進めてきたEU(欧州連合)とともに、日本がその分野での貢献を果たしてほしいと願ってやみません。
 これに関連して、現在、日本のいくつかの大学が、国連難民高等弁務官事務所と協力して、難民となった若者たちに大学教育の機会を提供する「難民高等教育プログラム」を実施していますが、こうした若い世代への教育支援をあらゆる形で広げていくべきではないでしょうか。
 市民社会の側からも、難民問題などの人道的課題に連帯して行動することが重要となってきており、SGIでは「すべての人々の尊厳を大切にする世界」を目指す観点から、特に人権教育の推進に力を入れていきたいと考えています。
 国連加盟国の合意として人権教育の国際基準を初めて定めた、「人権教育および研修に関する国連宣言」が採択されて、今年で5周年になります。
 難民と移民に対する偏見や蔑視をはじめ、人種差別や外国人嫌悪の動きが各国でみられる中、宣言の掲げる目的のうち、喫緊の課題になると思うのは次の二つの要素です。
 「自由で平和、多元的で誰も排除されない社会の責任ある一員として、人が成長するよう支援すること」
 「あらゆる形態の差別、人種主義、固定観念化や憎悪の扇動、それらの背景にある有害な態度や偏見との戦いに貢献すること」(阿久澤麻理子訳、アジア・太平洋人権情報センターのホームページ)
 ここで焦点となるのは、自分が差別をしないだけでなく、「誰も排除されない社会」を築くために、偏見や憎悪による人権侵害を許さない気風――すなわち、人権文化を社会に根づかせることにあります。
 この提言の前半で、教育の役割について論じた際、牧口初代会長が“不善は悪に通じる”と警鐘を鳴らしたことに言及しましたが、一人一人の行動が鍵を握る人権文化の建設には、そうした不善の意味に対する問い直しが強く求められるのではないでしょうか。
 国連の宣言では、人権に関する知識の習得や理解の深化にとどまらず、「態度と行動を育むこと」を明確に射程に入れているほか、人権教育と研修を「あらゆる年齢の人びとに関わる、生涯にわたるプロセス」と位置付けています。
 これはまさに、人権文化を豊かに花開かせるための要諦がどこにあるのかを、指し示したものにほかならないと思うのです。
22  SGIの新たな人権教育の展示
 起草段階から宣言の制定を、市民社会の立場から支援してきたSGIは、2011年12月の採択以来、映画「尊厳への道――人権教育の力」の共同制作や上映のほか、意識啓発の展示活動を行ってきました。
 また2013年には、アムネスティ・インターナショナル、人権教育アソシエイツなど他の団体とともに、「人権教育2020」という市民社会ネットワークを立ち上げました。
 国連の宣言や人権教育世界プログラムの推進を後押しする協力を深め合う中、「人権教育2020」では昨年、『人権教育の指標に関するフレームワーク』を出版し、各国での人権教育と研修の実践をより良いものにするためのガイドブックとして利用できるようになっています。
 SGIでは現在、「人権教育2020」に携わる他の団体とも協力し、宣言の採択5周年を期して、新たな人権教育展示を開催する準備を進めています。
 国連の新目標が掲げるさまざまなテーマを人権の角度から掘り下げつつ、「すべての人々の尊厳を大切にする世界」を築くための行動を誓い、共に強めていけるような展示を開催していきたいと思います。
23  世界195カ国がパリ協定に合意
 続いて、第二の柱として環境と防災に関する提案を行いたい。
 一つ目は、地球温暖化の要因である温室効果ガスの削減に関するものです。
 昨年11月から12月にかけて行われた国連気候変動枠組条約の第21回締約国会議で、温暖化防止の新たな合意となるパリ協定=注5=が採択されました。
 世界の平均気温の上昇を産業革命以前の時代から「2度未満」に抑えなければ、深刻な事態を避けることはできないとの懸念が広がる中、先進国のみならず、195カ国が“共通の枠組みの下での行動”を約束したことは、大きな意義があるといえましょう。
 目標達成の義務化は見送られたものの、各国がそれぞれ自主的に目標を定め、国内対策を実施することが義務付けられました。
 温暖化の防止は容易ならざる課題ではありますが、世界のほとんどの国の参加を得たことをパリ協定の最大の強みとしながら、各国が人類益に基づく積極的な貢献を果たす流れを協力してつくり出すことが重要ではないでしょうか。
 特に私は、異常気象による被害が相次いでいるアジア、なかんずく、世界の温室効果ガスの排出量の3割を占める、日本と中国と韓国の3カ国が連携し、意欲的な挑戦を先行して進めることを、提唱したいと思います。
 昨年11月、3年半ぶりとなる日中韓首脳会談が、韓国のソウルで開催されました。
 政治的な緊張を乗り越えての首脳会談の再開は、私も繰り返し訴えてきただけに、今回、首脳会談の定期開催を再確認したほか、日中韓の3カ国協力の完全回復が宣言されたことを、うれしく思っています。
 この3カ国協力の端緒となり、中核となってきたのが環境分野での協力です。
 「北東アジアは一つの環境共同体である」とは、3カ国の環境大臣会合で一致をみてきた認識であり、外交関係が悪化した時でも、環境協力をめぐる対話だけは毎年続けられてきた経緯があります。
 私は昨年の提言で、そのさらなる発展を願い、日中韓による「持続可能なモデル地域協定」を提案したところでした。
 大気汚染や黄砂といった、地域で焦点となっている課題とともに、温暖化防止のための地域協力を強めていくならば、パリ協定の目標達成に向けての重要な一つの足場となるに違いありません。
 具体的には、省エネルギーの分野をはじめ、再生可能エネルギーや3R(廃棄物の発生抑制、再使用、再資源化)の分野などで知識や経験を共有し、その相乗効果をもって3カ国が「低炭素社会」への移行をともに加速させていってはどうでしょうか。
 今年は日本で首脳会談の開催のほか、青年たちが北東アジアの平和や環境について話し合う「日中韓ユース・サミット」の開催が予定されています。
 そこで私は、パリ協定の目標となる2030年までの温暖化防止の協力に焦点を当てた「日中韓の環境誓約」の制定を、今年の首脳会談を機に目指していくことを呼び掛けたい。
 また、日本でのユース・サミットの開催を大成功に導きながら、3カ国の青年たちが創造的なアイデアと活動の経験を共有するための仕組みを設けることや、若い世代の発案による意欲的な活動と環境協力のための青年交流の支援を、3カ国の共同事業として立ち上げることを提案したいと思います。
24  多くの市民の納得と誇りが推進力に
 次に私が、こうした国家間の協力に加えて呼び掛けたいのは、各国の都市が温暖化防止対策で連携し、パリ協定の推進を牽引する水先案内人の役割を担っていくことです。
 面積でいえば、地球の陸地部分のわずか2%にすぎない都市は、世界全体における炭素排出量の75%、またエネルギー消費の60%以上を占めるといいます。
 それだけ大きな環境負荷が世界の都市で生じているわけですが、この事実は半面で、「都市が変われば、世界が大きく変わる」可能性を示したものとはいえないでしょうか。
 確かに、密集性という都市の特徴は、さまざまな問題が一カ所に集中し、より大きな負荷を生み出す弱点ともなります。
 しかし一方で、省エネルギーの推進や再生可能エネルギーの導入といったように、都市が「低炭素社会」に向けて本格的に舵を切れば、その密集性によって効果が絶大なものとなることが期待されます。
 2年前に行われた「国連気候サミット」を契機に、世界の都市が独自の削減目標を立てて行動を起こす「首長誓約」と呼ばれる動きも始まっており、すでに400以上の都市が加わっています。
 ひとたび都市が新しい方向に動きだせば、変化が目に見える形で現れ、その手応えがまた、多くの市民に納得と誇りをもたらす。そこから市民の協力がさらに広がり、持続可能な社会に向けた勢いが増す――。
 こうした都市が持つ“プラスの連鎖”のダイナミズムこそが、パリ協定の達成に向けた各国の自主的な努力を軌道に乗せるエンジンになると思うのです。
 私は以前、国連の新目標を制定する出発点となった4年前のリオ+20(国連持続可能な開発会議)への提言で、多くの人が「これこそが私たちが果たすべき共通目標である」と納得し、そのために協力したいと思える目標を打ち立てるべきと訴えました。
 国連の新目標でテーマの一つに掲げられた「持続可能な都市」は、自分の足元での努力の積み重ねが、地球環境にとっての大きなプラスの変化につながるという意味で、まさに多くの人々が納得と誇りをもって取り組むことができる挑戦であると強調したい。
25  ハビタット3で対話フォーラム
 10月には、南米のエクアドルで第3回「国連人間居住会議」(ハビタット3)が行われます。各国政府だけでなく、地方自治体が公式に意見を表明できるこの会議は、それぞれの実績や教訓を分かち合いながら、「持続可能な都市」に向けた連携を国家の枠を超えて広げる絶好の機会となるものです。
 環境運動家のワンガリ・マータイ博士がケニアで始めた「グリーンベルト運動」も、1976年にカナダで行われたハビタット1に参加し、勇気づけられたことが契機となったといいます。「バンクーバー周辺の美しい環境や、私と同じように環境に対する懸念を募らせている人々とのふれあい」が、「失敗に落胆していた私が必要としていた気付け薬だった。私は再び元気をもらい、自分の考えをうまく実現させようと決意してケニアに帰ってきた」と(『UNBOWEDへこたれない』小池百合子訳、小学館)。
 国や住む街が違っても、自分の子どもや孫たちの世代に“より良い環境”を残したいという気持ちに変わりはないはずです。
 先ほど私は、国レベルでの日中韓協力を呼び掛けましたが、ハビタット3の開催に合わせ、3カ国の地方自治体や環境分野で活動するNGO(非政府組織)の代表などが集まる形で、「環境協力のための自治体対話フォーラム」を開催してはどうでしょうか。
 昨年3月、仙台で第3回「国連防災世界会議」が行われた際、SGIの主催で、防災・減災分野で活動する日中韓の市民団体の代表らが参加するシンポジウムが開催されました。
 席上、シンポジウムを後援した日中韓三国協力事務局の陳峰事務次長が、「3カ国のうち、どこか1国で発生した災害は、他の2国にも同様に大きな苦しみを与える。ゆえに防災は、常に優先して協力すべき課題である」と強調しましたが、環境問題も同様の性質をもった課題であるといえましょう。
 日中韓3カ国の地方自治体の間では、合計で600を超える姉妹交流が結ばれています。この姉妹交流の絆を基盤としながら自治体同士の協力を広げ、互いの暮らす街が同じ「環境共同体」に属している意識を深め合っていくことは、日中韓3カ国の友好と未来にとって非常に大きな財産となっていくに違いないと、私は確信するのです。
26  生態系保全による防災・減災の活動
 二つ目の提案は、「生態系を基盤とした防災・減災」に関するものです。
 現在、世界で約8億人が飢餓や栄養不良に苦しむ中、食糧生産の基盤となる世界の土壌の3割が劣化した状態にあります。
 土壌は農業のみならず、水の貯蔵や炭素の循環をはじめ、生態系において欠くことのできないものでありながら、長い間、十分な注意が払われない状態が続いてきました。
 わずか1センチの厚さの土壌がつくられるまで100年以上も要するにもかかわらず、いったん劣化してしまうと簡単には再生できないのが、土壌なのです。
 また森林についても、減少率は鈍化していますが、毎年1300万ヘクタール(日本の面積の3分の1に相当)が失われているといわれ、生物多様性への影響など環境面で深刻な事態を招くことが懸念されています。
 国連の新目標でも、「土地の劣化の阻止・回復」や「持続可能な森林の経営」が掲げられており、生態系の保全や、炭素の貯留という温暖化防止の面でも、待ったなしの課題となっているといえましょう。
 近年、こうした生態系を守る取り組みは、防災の観点からも重要な意味を持つとの考え方が広がってきました。
 「生態系を基盤とした防災・減災」と呼ばれるもので、2004年にスマトラ島沖地震が起きた際、マングローブ林があった場所となかった場所との間で、津波による被害に大きな差があったことをきっかけに、注目されるようになったアプローチです。
 これまで砂丘を安定化させるための植林や、湿地を活用した水害防止、洪水被害を抑えるための都市緑化をはじめ、さまざまな取り組みが世界各地で進められてきました。
 特筆すべきは、その地域で暮らす人々による意欲的で継続的な関わりが何よりの支えとなる点です。
 5年前の東日本大震災によって被災した地域では、子どもたちも参加して、海岸防災林の再生や整備のために苗木を植える活動などが行われています。
 そうした活動は、地域における生態系の大切さを共にかみしめ合ったり、“自分が植えた木が誰かの命を守ることにつながるかもしれない”といった思いを広げる機会ともなってきているのです。
 このように皆で汗を流した体験の後、その場所を通るたびに目に映る“風景”は、以前にもまして「かけがえのないもの」として胸に迫ってくるのではないでしょうか。
 自分の日々の生活が、地域の生態系によって知らず知らずのうちに支えられているのと同じように、地域の環境や防災を支える上で自分の関わりが「なくてはならないもの」であることを心の底から実感する――そんな一人一人の思いが、年々、成長する一本一本の木と分かちがたく結びついていく中で、地域のレジリエンスは揺るぎない強さを帯びるようになるに違いないと、私は考えます。
 つまり、自分たちの手で地域の生態系を守ることがそのまま、地域の“未来”と“希望”を育むことにつながっていくのです。
27  若者と子どもは社会変革の主体
 折しも国連では、「持続可能な開発のための教育(ESD)の10年」に続く取り組みとして、「ESDに関するグローバル・アクション・プログラム」が始まっています。
 そこでは、重点項目の一つに「若者の参加の支援」が挙げられていますが、私はその一環として、植樹をはじめとする「生態系を基盤とした防災・減災」の取り組みを、若者や子どもたちと一緒になって、各地域で積極的に推進していってはどうかと提案したい。
 昨年3月の第3回「国連防災世界会議」で採択された仙台防災枠組でも、災害リスクの削減には社会をあげての関わりと協力が必要であるとし、若者と子どもを“変革の主体”と位置付けて、防災に貢献できるような環境づくりが欠かせないと強調されています。
 これまでSGIは、他のNGOとともに「ESDの10年」の制定を呼び掛けた2002年以来、「変革の種子」展や「希望の種子」展などの環境展示を各地で行ってきました。
 この展示は、小・中学校や高校の生徒たちが数多く訪れる環境教育の場ともなってきたものです。
 私どもがESDを重視してきた理由も、人間と環境との切っても切れないつながりを学びながら、教育の重要課題として牧口初代会長が提起していた「応用の勇気」を、子どもから大人にいたるまで、それぞれの地域で力強く発揮する輪を広げていきたいとの思いからにほかなりません。
 このように地域を足場にした行動を積み重ねる中で、地球環境を守るための確かな軌道も敷かれていくのではないでしょうか。
28  通常兵器の拡散が招いた甚大な被害
 最後に第三の柱として、軍縮と核兵器禁止に関する提案をしておきたい。
 一つ目は、人道危機の悪化や各地で相次ぐテロ行為の背景にある「通常兵器の拡散」に歯止めをかけるための制度強化です。
 紛争地域に大量に流入した拳銃や自動小銃などの小型武器によって、毎年、世界で非常に多くの人たちが命を落としています。
 この“事実上の大量破壊兵器”とも呼ばれる小型武器をはじめ、戦車やミサイルなど通常兵器の取引を包括的に規制する武器貿易条約=注6=が、2014年12月に発効しました。しかし、現在の批准国は79カ国で、焦点となる武器移転の報告制度のあり方についても合意をみていません。
 昨年8月、メキシコで第1回締約国会議が行われましたが、報告内容を一般に公開するのか、対象となる武器はどこまで範囲が及ぶのかなど、多くの点で意見が完全には集約できず、結論が持ち越されることになったのです。
 武器取引の規制は、21世紀の世界の平和を展望する上で決して放置することのできない課題として、私も1999年以来、毎年の提言などで繰り返し訴えてきたテーマでした。
 難民問題が深刻化する今、この条約を基盤にして通常兵器の蔓延に終止符を打つことが、ますます切実な課題となっています。
 多くの武器の存在が、紛争の泥沼化を招く要因となり、多くの人々を難民状態に追いやる状況を生み続けているだけでなく、紛争が終結しても再燃の恐れが残るために、人々が安心して帰還する道までも塞いでしまうのです。
 なかでも小型武器は、持ち運びや取り扱いが容易であるため、子どもたちが兵士として動員される状況も招いています。
 その結果、世界で30万人もの子どもたちが、兵士として戦闘に参加させられ、命を落としたり、心に深い傷を負っているのです。
 また、各地で相次ぐテロの拡大を防ぐ上でも、通常兵器の取引を厳格に規制することは避けて通れない取り組みです。
 これまで、テロ防止のための条約が数多く整備されてきましたが、武器貿易条約との相乗効果によって、テロ防止の体制を強化することが急務ではないでしょうか。
 紛争の長期化や難民の増大に加え、子ども兵士やテロ問題の背景にあるのが、通常兵器の蔓延にほかならず、武器貿易条約を柱に、各地で高まる“憎しみと暴力の連鎖”を押しとどめる防波堤を築き上げねばならないと訴えたいのです。
 国連の新目標でも、武器取引は「暴力、不安および不正義を引き起こす要因」であるとし、2030年に向けて違法な武器取引を大幅に減少させることが打ち出されました。
 私は、この目標を軌道に乗せる誓いの証しとして、各国が武器貿易条約への批准を早急に果たしていくことを呼び掛けたい。
 また、報告制度についても、情報の一般開示や、武器取引の数量の明記など透明性を十分に確保し、条約の実効性を運用面でも高めることを望むものです。
29  合意なく閉幕したNPT再検討会議
 二つ目の提案は、核兵器の禁止と廃絶に関するものです。
 広島と長崎への原爆投下から70年となった昨年、ニューヨークの国連本部でNPT(核拡散防止条約)再検討会議が行われましたが、最終合意を得られないまま閉幕しました。
 2010年の再検討会議での最終文書で、核兵器使用の非人道性と国際人道法の遵守への言及が盛り込まれて以来、3回にわたって「核兵器の人道的影響に関する国際会議」が開催されるなど、非人道性への懸念が幅広く共有されるようになりました。
 しかしながら、今回の会議でも核保有国と非保有国との溝は依然として埋まらず、この歴史的な節目にNPT加盟国の総意としての合意が実らなかったことは、極めて残念な結果と言わざるを得ません。
 それでも、希望が完全に失われたわけではありません。注目すべき動きが、さまざまな形で起こっているからです。その動きとは、
 ①核問題を解決するための連帯を誓う「人道の誓約」の賛同国が拡大していること、②昨年末の国連総会で事態の打開を求める意欲的な決議がいくつも採択されたこと、③市民社会で核兵器の禁止と廃絶を求める声が高まる中、信仰を基盤にした団体に
 よる取り組みや、若い世代による行動が広がっていること、であります。
 このような新しい動きを突破口に「核兵器のない世界」への道筋を描き出し、具体的な行動をもって実現に導く挑戦を開始しなければならないと訴えたい。
30  一切を無にする非人道性の極み
 今月6日、北朝鮮が核実験を行う中、核拡散の脅威が高まり、国際社会の懸念が強まっています。
 どの地域であれ、ひとたび核兵器が使用され、核攻撃の応酬が始まるような事態が起これば、どれほど多くの人々が命を奪われ、後遺症に苦しむことになるのか計り知れません。
 そればかりか、山積する地球的な課題に対し、どれだけ努力を尽くしていったとしても、すべて一瞬にして無に帰してしまう元凶となりかねないのが、いまだ世界に1万5000発以上も存在する核兵器であるといってよい。
 例えば、難民問題一つをとってみても、核兵器の爆発による影響は国境を越えて非人道的な被害を及ぼすだけに、6000万人という現在の世界の難民の数をはるかに上回る、数億もの人々が住み慣れた場所から逃れ、避難生活を強いられる恐れがあります。
 また、わずか1センチの厚さを形成するのに最長で1000年を要するといわれる土壌を守るために、どれだけ努力を重ねたとしても、その土壌が核爆発によって広範囲にわたり汚染されてしまいかねません。
 さらに最近の研究によれば、核攻撃の応酬が局地的に行われただけでも、深刻な気候変動が生じることが予測されており、「核の飢饉」と呼ばれる食糧危機が起こるとともに、人間の生存基盤である生態系に甚大な影響が及ぶことへの警鐘が鳴らされています。
 これまで貧困や保健衛生の改善のために積み上げてきた国連のミレニアム開発目標の成果も、その後継として始まった国連の新目標の取り組み――例えば、防災や持続可能な都市づくりにしても、あらゆる取り組みの意味を根底から突き崩してしまうのが、核兵器の存在なのです。
 こうした破滅的な末路が避けられず、計り知れない犠牲を世界中に強いることになったとしてもなお、核兵器によって担保しなければならない国家の安全保障とは一体何でしょうか。
 国を守るといっても、多くの人々に取り返しのつかない被害を及ぼす結果を前提に組み上げるほかない安全保障とは、そもそも何を守るために存在するのでしょうか。それはつまるところ、本来守るべき民衆の存在を捨象した安全保障になりはしないでしょうか。
 現代まで続く軍事的競争の端緒となった20世紀の初頭(1903年)に、ある分野での競争が目的に適う手段として機能しない状態が続くと、競争の形式や質的な転換が迫られるようになると分析していたのが、私どもの先師である牧口初代会長でした。
 「交戦漸く久しきに亘れば、内国諸般の方面に影響を及ぼし、其極、国力の疲弊は免るべからざれば、其れによりて得る所は容易に喪う所を償う能わず」(『牧口常三郎全集』第2巻、第三文明社、現代表記に改めた)
 牧口会長がこう指摘していた軍事的競争の限界は、第1次世界大戦と第2次世界大戦を経て、冷戦時代から現代にいたるまでの核軍拡競争によって、行き着く所まで行き着いてしまったのではないでしょうか。
31  CTBTの制度が果たす人道的貢献
 実際、非人道性の観点からも、軍事的な有用性の面からも、核兵器が“使うことのできない兵器”としての様相を一層強めていく中で、軍事的競争の限界から生じた「人道的競争への萌芽」ともいうべきものが、一つの形を結ぶまでになってきています。
 それは、CTBT(包括的核実験禁止条約)の採択を機に誕生した国際監視制度が、さまざまな形で果たしてきた貢献です。
 条約は今なお、残り8カ国の批准が得られず発効にいたっていませんが、核爆発実験を探知する監視制度は、条約機関(CTBTO)の準備委員会によって整備されてきました。
 先日の北朝鮮の核実験をめぐる地震波の検知や放射性物質の観測のような本来の役割に加えて、最近では、世界中に張りめぐらされた監視網を活用して、災害の状況や気候変動の影響を幅広くモニターする活動なども行われるようになっています。
 例えば、海底地震の探知によって津波警報を早期に発令できるように支援したり、火山噴火の状況を監視して航空機のパイロットへの警戒情報につなげたり、大規模な暴風雨や氷山の崩壊を追跡するなど、“地球の聴診器”としての重要な役割を担ってきました。
 国連の潘基文事務総長が、「CTBTは、まだ発効していないうちから命を救っています」(IPS通信「核実験を監視するCTBTOは眠らない」、昨年6月17日)と功績を称えたように、核軍拡と核拡散に歯止めをかけるための制度が、多くの生命を守るという人道的な面でも欠くことのできない存在となっているのです。
 条約採択から20周年となる本年、残りの8カ国が一日も早く批准を果たし、CTBTを名実ともに力強く機能させ、核実験が二度と行われることのない世界への道を開くよう、あらためて呼び掛けたい。
 そして、核問題解決への取り組みを加速させ、軍縮の促進はもとより、CTBTの採択を土台に生まれたこの活動のような「世界の人道化」に向けた潮流を、本格的に強めていくべきではないでしょうか。
32  民衆の犠牲を前提にした安全保障
 かつて、冷戦対立の激化で核開発競争がエスカレートする中、私の師である戸田第2代会長は「原水爆禁止宣言」(1957年9月)を発表し、次のように訴えました。
 「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」(『戸田城聖全集』第4巻)
 つまり、核実験の禁止を求める世界の人々の切実な声に共感を寄せつつ、さらにそこから踏み込んで、多くの民衆の犠牲の上にしか成り立たない安全保障の根にある生命軽視の思想を克服しない限り、本当の意味での解決はありえないことを強調したのです。
 この師の叫びを胸に、私は、核問題の解決は核兵器保有の「奥に隠されているところの爪」を取り除くこと――すなわち、「目的のためには手段を選ばない」「他国の民衆の犠牲の上に安全や国益を追い求める」「将来への影響を顧みず、行動をとり続ける」といった現代文明に深く巣食う考え方を転換し、世界を人道的な方向に向け直す挑戦にほかならないと考え、行動を続けてきました。
 地球上に核兵器が存在する限り、核抑止力を保持し続けるしかないといった考え方が、核保有国やその同盟国の間に、いまだ根強くあります。
 しかし、核抑止力によって状況の主導権を握っているようでも、偶発的な事故による爆発や誤射の危険性は、核兵器を配備している国の数だけ存在するといってよい。その脅威の本質から見れば、核兵器の保有が実質的に招いているのは、自国はおろか、人類全体の運命までもが“核兵器によって保有されている”状態ではないでしょうか。
 核兵器の威嚇と使用に関する違法性が問われた国際司法裁判所の勧告的意見において、NPT第6条の規定を踏まえ、「すべての側面での核軍縮に導く交渉を誠実に行い、かつ完結させる義務が存在する」との見解が示されてから、今年で20年を迎えます。
 にもかかわらず、核軍縮の完結の見通しが一向に立たないどころか、すべての保有国が参加する形での誠実な交渉が始まっていない現状は、極めて深刻であるといえましょう。
33  「人道の誓約」と意欲的な国連決議
 こうした状況の打開を求めて、昨年のNPT再検討会議への提出以来、賛同国が広がっているのが「人道の誓約」です。
 「核兵器を忌むべきものとし、禁止し、廃絶する努力」を、国際機関や市民社会などと協力して進める決意を明記した誓約には、国連加盟国の半数を優に超える121カ国が参加するまでになっています。
 その誓約の中で、早急に開始すべき具体策として提起されているのが、核兵器の禁止および廃絶に向けた法的なギャップを埋めるための効果的な諸措置を特定し、追求することです。
 昨年の国連総会でも、その追求を呼び掛ける決議がいくつも提出される中、効果的な措置について実質的な議論をするための公開作業部会の開催を求める決議が採択されました。
 決議では、ジュネーブで年内に行われる公開作業部会を「国際機関や市民社会の参加と貢献を伴って招集すること」と併せて、「全般的な合意に到達するための最善の努力を払うこと」が明記されています。
 NPT再検討会議での停滞を乗り越えて、実りある議論を行い、国際司法裁判所が勧告していた「核軍縮に導く交渉を誠実に行い、かつ完結させる」道を何としても開くよう、強く呼び掛けたい。
 非人道性の観点からも、特に私は、
 ①核報復のための警戒態勢の解除、
 ②“核の傘”からの脱却、
 ③核兵器の近代化の停止、
 の3項目について、市民社会の声も踏まえながら議論を進めることを提案したい。
 最初の2点について言えば、非人道性の観点からも軍事的な有用性の面からも、核兵器が実質的に“使うことのできない兵器”となっている状況を踏まえ、まずもって着手すべき課題だと考えるからです。
 2度の世界大戦を機に、各国が開発を競った化学兵器や生物兵器が、その非人道性ゆえに、どの国にとっても“使うことが許されない兵器”となった歴史を、今一度、想起すべきではないでしょうか。
 以前、アンゲラ・ケイン前国連軍縮担当上級代表もこう訴えていました。
 「どれだけの国が今日、自らが『生物兵器保有国』であることや『化学兵器保有国』であることを誇るでしょうか。攻撃か報復であるかにかかわらず、いかなる状況下であれ、腺ペストやポリオが兵器として使用されることが合法であると、誰が論じているでしょうか。私たちが、“生物兵器の傘”について話をすることがあるでしょうか」(2014年4月、ニュージーランドのビクトリア大学での講演)
 何より、軍事・安全保障上の核兵器の役割低減は、2010年の再検討会議での最終文書でも、保有国が速やかに取り組むべき課題の一つとして明確に掲げられていたものでした。
 その意味からも注目すべきは、昨年、ブラジルなどが国連総会に提出した決議で、核兵器の役割を低減させる取り組みを「核保有国を含む地域同盟の一員であるすべての国」に奨励したことに加え、日本が主導した決議においても、「関係する加盟国」に対して役割低減に向けた見直しが呼び掛けられた点です。
 この総会決議を主導した日本は、「関係する加盟国」の先頭を切る形で、“核の傘”による安全保障からの転換に着手すべきではないでしょうか。
 G7(主要7カ国)のサミットに先立ち、4月に広島で外相会合が行われますが、核兵器の非人道性に関する議論をはじめ、北朝鮮の核開発などの拡散防止の問題や、北東アジアの非核化に向けた核兵器の役割低減についても議論を行うことを強く望むものです。
34  核開発と近代化が世界に及ぼす弊害
 3点目の「核兵器の近代化」がもたらす問題については、昨年の提言でも警鐘を鳴らしましたが、核兵器の維持のために年間1000億ドル以上もの予算を費やし続けることにより、結果として“地球社会の歪み”を半ば固定化する恐れがあることです。
 南アフリカ共和国などが提案した総会決議でも、この点に関し、「人間の基本的ニーズがいまだ充足されていないこの世界では、保有核兵器の近代化に充てられる膨大な資金は、このような目的でなく持続可能な開発目標を達成するために振り向けることができる」(「核兵器・核実験モニター」第482―3号)と、提起されたところでした。
 このまま核兵器の近代化を進めることは、次の世代やそのまた次の世代まで、核兵器の脅威にさらされることを意味するだけではありません。核兵器が使用されない状態が続いたとしても、国連の新目標を達成するための道を閉ざしかねず、“地球社会の歪み”が今後も続く事態を意味するのではないでしょうか。
 「核軍縮は国際的な法的義務であるのみならず、道徳的・倫理的至上命題である」(同)とは、総会決議の提案にあたって南アフリカ共和国の代表が訴えた言葉であります。
 その思いは、原爆投下によって筆舌に尽くしがたい苦しみを味わってきた被爆者や、核開発と核実験の影響で被害を受けた各地の“ヒバクシャ”をはじめ、「人道の誓約」に賛同した国々、そして平和を求める多くの人々の一致した思いではないでしょうか。
 私どもSGIも、昨年のNPT再検討会議で発表された「核兵器の人道的結末に対する信仰コミュニティーの懸念」と題する共同声明に加わり、キリスト教、ユダヤ教、イスラムなどの各団体の代表とともに、次のようなメッセージを発信しました。
 「核兵器は、安全と尊厳の中で人類が生きる権利、良心と正義の要請、弱き者を守る義務、未来の世代のために地球を守る責任感といった、それぞれの宗教的伝統が掲げる価値観と相容れるものではない」
 「核兵器を禁止する新たな法的枠組みに関する多国間交渉について、すべての国々に開かれた、いかなる国も阻止できない場における、これ以上の遅滞ない開始を訴える」
 核開発競争は、軍事面でも意味を失いつつあるどころか、保持し続けるだけで世界に深刻な負荷を与え続けるという意味で、かつて牧口初代会長が軍事的競争の限界を論じていたように、実質的に破綻をきたしているとの認識に立つべきだと思うのです。
 年内にジュネーブで行われる公開作業部会で、「核兵器のない世界の達成と維持」のために必要となる効果的な措置をリストアップし、国連のすべての加盟国が取り組むべき共同作業の青写真を浮かび上がらせることができるよう、建設的な議論を行うことを切に希望するものです。
 そして、2018年までに開催されることになっている「核軍縮に関する国連ハイレベル会合」を目指し、核兵器禁止条約の締結に向けた交渉開始を実現に導くことを訴えたい。
35  世界青年サミットを継続的に開催
 明年は、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」発表から60周年にあたります。
 この宣言を原点に活動を続けてきたSGIとしても、核兵器のない世界への潮流をいよいよ揺るぎないものに高めていきたい。
 そして、多くの国と市民社会が力を合わせ、民衆のイニシアチブによる“国際民衆法”としての意義も込めながら、核兵器の禁止と廃絶を何としても実現したいと決意するものです。
 「核兵器は過ぎ去った時代の象徴でありながら、今も現実の世界に甚大な脅威を突きつけています。しかし、私たちが紡いでいく未来には核兵器の居場所などありません」
 昨年8月、広島で行われた「核兵器廃絶のための世界青年サミット」で発表された「青年の誓い」の冒頭の一節です。
 SGIなど6団体からなる実行委員会が主催し、23カ国から青年が集ったサミットには、アフマド・アレンダヴィ国連事務総長青少年問題特使も出席し、被爆体験の継承や同世代の意識啓発をはじめ、人類共通の未来を守るための行動が誓い合われました。
 その成果は、国連総会第1委員会の関連行事として10月にニューヨークで行われた報告会でも発表され、若い世代が核兵器のない世界の実現に向け、国連や各地域でどのように行動し、問題解決のために参画できるかが議論されました。
 今後も志を同じくする人々や団体とともに、「核兵器廃絶のための世界青年サミット」を継続的に開催していきたいと思います。
 「核兵器の廃絶は私たちの責務であり、権利だ。核廃絶のチャンスが失われるのを、もはや黙って見過ごしはしない」
 「私たち青年は、あらゆる多様性と深い団結のもと、この目標の実現を誓う。私たちは『変革の世代』なのだ」
 国の違いを超えて青年たちが広島で分かち合った誓いが、世界に大きく広がっていけば、乗り越えられない壁などなく、実現できない目標などありません。
 若い世代の心に脈打つ誓いの深さこそが、核兵器によって多くの生命と尊厳が踏みにじられる世界ではなく、すべての人々が平和的に生き、尊厳を輝かせていくことのできる世界を築く何よりの礎なのです。
 私どもSGIは、「変革の世代」である青年の連帯を基盤としながら、核兵器の禁止と廃絶とともに、国連の新目標の達成を後押しし、「誰も置き去りにしない」世界への軌道を確かなものにすることを、ここに固く誓うものです。
36  語句の解説
 注1 持続可能な開発のための2030アジェンダ
  昨年9月の「国連持続可能な開発サミット」で採択された成果文書。宣言のほかに、17分野169項目からなる「持続可能な開発目標」が掲げられている。2030年までに、貧困や飢餓、エネルギーや気候変動など、多岐にわたる課題の包括的な解決を目指している。
 注2 長者窮子の譬え
 法華経信解品にある譬喩。幼い頃に家出し、他国を流浪した男が長者の家で仕事を得て、財産管理を任されるまでになったが、財産は自分と無縁のものと思い込んでいた。しかし長者が臨終を迎える時、自分が長者の実の息子であったことを聞かされ、無上の宝聚を求めずして得た喜びで歓喜する物語。「仏」を父、「衆生」を子に譬え、すべての衆生が仏と同じ最極の生命を開くことができるとの法理を示した。
 注3 仙台防災枠組
 2030年までの国際的な防災指針をまとめたもので、災害が起こる前からあった問題も含めて解決を目指す「ビルド・バック・ベター」の原則をはじめ、災害リスクの理解や強靱化に向けた防災への投資などを優先行動に掲げている。2005年から推進されてきた「兵庫行動枠組」の成果を踏まえ、昨年3月に採択された。
 注4 国連安全保障理事会決議1612
 2005年7月、国連安全保障理事会で採択された決議。紛争下で子どもの命を奪う行為をはじめ、子ども兵士の徴集、学校や病院への攻撃、人道的なアクセスの妨害や拒否など、子どもの権利の重大な侵害行為を監視し報告する仕組みが設けられたほか、安全保障理事会に「子どもと紛争に関する作業部会」が設置された。
 注5 パリ協定
 先進国の温室効果ガスの排出量削減を定めた「京都議定書」に代わる新しい枠組み。新興国や途上国を含め、195カ国が削減目標を国連に提出し、国内対策を実施することを義務付けた。2023年から5年ごとに進捗状況を検証する仕組みが設けられ、21世紀後半に排出量を森林などによる炭素吸収量と相殺して「実質ゼロ」にすることも目指されている。
 注6 武器貿易条約
 6年以上に及ぶ交渉を経て、2013年4月に国連総会で採択された、通常兵器の国際取引を規制する初めての条約。国際人道法や国際人権法に対する重大な違反をはじめ、テロ防止に関する条約の違反につながらないことなどを輸出の判断基準とし、ジェノサイド(集団殺害)、人道に対する罪、戦争犯罪に使用されることが明白な場合には輸出を禁じている。

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