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第37回「SGIの日」記念提言 「生命尊厳の絆

2012.1.26 「SGIの日」記念提言(池田大作全集未収録分)

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1  きょう26日の第37回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、池田SGI会長は「生命尊厳の絆輝く世紀を」と題する提言を発表した。
 提言ではまず、東日本大震災をはじめとする災害や世界的な経済危機などの脅威を乗り越えるための視座として「人間の安全保障」の理念に言及。災害が相次いだ13世紀の日本で著された「立正安国論」に脈打つ”民衆の幸福と安全を第一とする思想”を通しながら、苦難に直面した一人一人が「生きる希望」を取り戻せるよう、徹して励まし続けることの重要性を強調するとともに、「自他共の幸福」を願う対話こそ、時代の閉塞感を打ち破る力となると訴えている。続いて、災害に苦しむ人々の人権を守る国際枠組みの整備や、防災や復興において女性の役割を重視する原則の徹底を提唱。
 また環境問題に関連し、「持続可能な未来」を築くための新たな人類共通の目標の制定を提案する一方で、福島での原発事故を踏まえ、日本のとるべき道として、原発に依存しないエネルギー政策への転換を早急に検討することを呼びかけている。最後に、核兵器を絶対悪と指弾した戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」の現代的意義に触れた上で、有志国とNGO(非政府組織)が中心となった「核兵器禁止条約のための行動グループ」(仮称)を発足を提案。青年を先頭にしたグローバルな民衆の連帯を広げながら、「核兵器のない世界」の実現を呼びかけている。
2  地球上から悲惨の二字をなくす
 平和と共生の地球社会への道を開くために、1983年1月に「SGIの日」を記念する提言の発表を開始してから、今回で30回目を迎えます。
 私どもSGIは1975年の発足以来、仏法の「生命尊厳の思想」を基調にした平和・文化・教育の運動を進め、全ての人々が自身の尊厳を輝かせながら、平和的に生きられる世界の建設を目指してきました。
 その大きな原動力となってきたのは、私の師である戸田城聖第2代会長の「地球上から悲惨の二字をなくしたい」との熱願です。
3  世界で相次ぐ災害
 今なお世界には、紛争や内戦、貧困や飢餓、環境破壊などの脅威によって生命や尊厳が危険にさらされている人々や、人権侵害と差別に苦しんでいる人々が大勢います。
 加えて、多くの尊い生命を一瞬にして奪い、生活の基盤を破壊し、社会に深刻な打撃を及ぼす災害が相次いでいることに、胸を痛めずにはいられません。
 ここ10年近くをみても、2004年のスマトラ沖大地震に伴うインド洋津波から、2010年の中米ハイチでの大地震にいたるまで、多数の犠牲者が出る災害が起こりました。
 昨年も3月に発生した東日本大震災をはじめ、ニュージーランドやトルコでの地震、タイやフィリピンでの水害、ソマリアを中心とした東アフリカ諸国での干ばつなど、世界各地で災害が続きました。
 亡くなられた方々にあらためて哀悼の意を表させていただくとともに、各地の被災者の方々のご心痛とその窮状を思うにつけ、一日も早い復興を心から祈るばかりです。
 災害は、かつて地震や津波対策への警鐘を鳴らした物理学者の寺田寅彦が指摘していたように、「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す」(『天災と国防』講談社)恐れのあるものです。
 東日本大震災によって発生した福島の原子力発電所の事故は、その象徴といえるものでした。放射能の汚染が国内外の広大な地域に及ぶ中で、大勢の人々が長期にわたる避難を余儀なくされるとともに、子どもたちの健康や、農作物や食品への影響に対する懸念も高まるなど、災害に伴う事故としては未曽有の被害をもたらしました。
 それはまた同時に、原子力にエネルギーを依存する現代社会のあり方や、巨大化する科学技術のあり方に対し、重大な問いを投げかけました。
4  セン博士が警告する突然の困窮
 こうした前触れもなく深刻な被害をもたらす脅威に留意を促してきたのが、経済学者のアマルティア・セン博士です。
 少年の頃、故郷ベンガルで起きた大飢饉を目の当たりにした体験を原点に、貧困や不平等の問題に強い関心を持って経済と社会のあり方を探究してきたセン博士は、人々の生存・生活・尊厳を守り抜くための「人間の安全保障」のアプローチ(方策)を、地球的な規模で進める必要性を訴え続けてきました。
 その博士が、「人間の安全保障」における重要課題として強調していたのが、「突然襲いくる困窮の危険」への対処です(以下、人間の安全保障委員会『安全保障の今日的課題』朝日新聞社)。
 いわく、「人間の生存と日々の暮らしの安全を脅かし、男女が生まれながらに有する尊厳を冒し、人間を病気や疫病の不安にさらし、そして立場の弱い人々を経済状況の悪化に伴う急激な困窮に追いやる種々の要因に対処するためには、突然襲いくる困窮の危険にとくに注意する必要がある」と。
 つまり、「人間の生にとってかけがえのない中枢部分」を蝕む危険や不安を少しでも軽減し、取り除くための努力を払うことなくして、社会の真の安寧などありえないことを、博士は強く訴えているのです。
 この点は、博士が緒方貞子氏と共同議長を務めた「人間の安全保障委員会」の報告書でも、「人々が危機や予想できない災害に何度も見舞われ倒れそうになるとき(それが極度の貧困であれ、個人的な損害や倒産であれ、あるいは社会全体への衝撃や災害であれ)、『人間の安全保障』は、こうした人々を支える手がそこにあるべきだと考える」と、重ねて主張されていたものでした。
5  どの国にも等しく起こりうる脅威
 こうした予期せぬ脅威は、災害以外にも、突然の経済危機が引き起こす生活不安の拡大や、気候変動に伴う急激な環境悪化など、さまざまな形で人々に襲いかかるもので、先進国や途上国を問わず起こりうるものです。
 世界銀行のロバート・ゼーリック総裁が、世界経済は新たな危険地帯に入りつつあると警告したように、今、経済危機が各国で連鎖的に広がっています。
 リーマンショック=注1=以来の長引く経済不況に追い打ちをかけるように、ギリシャの財政危機に端を発するヨーロッパ諸国での信用不安の拡大や、アメリカ国債の史上初の格下げなどが、金融市場の混乱や景気の後退に一段と拍車をかけ、今や世界の失業者数は2億人近くに達するなど、多くの国で生活不安を訴える声が強まっています。
 なかでも若者の失業率は深刻で、他の年齢層の2倍から3倍にのぼる国もあり、職を得ても非正規で低賃金といった不安定な雇用が常態化しています。
 私はこれまでの提言で、本来あってはならない「命の格差」や「尊厳の格差」が生まれた国や育った環境などによって左右されてしまう、“地球社会の歪み”を是正するための提案を重ねてきました。現在、その課題と並んで緊急性を増しているのが、災害や経済危機のような「突然襲いくる困窮の危険」への対処であるといえましょう。
 そこで今回の提言では、人々の生存・生活・尊厳に深刻なダメージをもたらす「突然襲いくる困窮の危険」に、どう立ち向かっていけばよいのかについて考えてみたいと思います。
 災害は、人間の生にとってかけがえのないものを一瞬にして奪い去ります。
 何より、自分を生み育んでくれた父や母、苦楽をともにした夫や妻、最愛の子どもや孫たち、そして親友や地域の仲間など、自分の人生の大切な部分を成していた存在を失うことほどつらいものはありません。
 仏法でいう愛別離苦の胸を刺す苦しみは、どんな人でも耐え難いものです。
 私が若き日から愛読してきたアメリカの思想家エマソンをめぐる忘れられない逸話があります。
 エマソンは、5歳の愛児を病気で亡くした時、日記にこう記しました。
 「昨夜8時15分、私のかわいいウォルドーが逝ってしまった」
 青年時代から常に日記を書くことで、精神の足場を踏み固めてきたエマソンでしたが、何とか文字にすることができたのは、痛ましい現実を示す短いその一文だけだった。
 別の日にエマソンが再びペンを手にし、次の文章を記すまで、日記帳には4ページにわたる空白が続いていたのです。
 「まばゆいばかりの朝日が昇っても、ウォルドーのいない風景は色を失っていた。寝ても覚めても、私が思いをかけていたあの子。暁の星も、夕暮れの雲も、あの子がいたからこそ美しかったのだ」
 魂の懊悩から絞り出すように綴られた“どうしようもない喪失感”と、空白の4ページに込められた“言葉にできない胸の痛み”。そこに彼の底知れない悲しみがにじみ出ている気がしてなりません。
 仏法の出発点もこの「生死」の問題にありますが、夫に先立たれ、息子までも不慮の出来事で亡くした女性信徒に対し、日蓮大聖人が「どうして親と子を代えて、親を先立たせずに、この世にとどめおいて嘆かせるのであろうか」(御書929㌻、趣意)と、母親の胸中を代弁するような言葉を綴られた手紙があります。
 そこでは、「たとえ火の中に入ろうとも、頭をも割ろうとも、わが子の姿を見ることができるならば惜しくはないと、あなたが思われるであろうと、その心中が察せられて涙が止まらない」(同930㌻、趣意)と、母親の悲しみに寄り添い、どこまでも同苦する言葉が記されています。
 災害では、そうした家族や仲間を失う苦しみが前触れもなく一度に大勢の人々にもたらされるのであり、その人々を長い時間をかけて社会全体で支えていくことが欠かせません。
6  人生史の時間が断たれる悲しみ
 また災害は、人々の生きる足場となる家を破壊し、それまでの生活の営みや地域での絆を奪い去る悲劇を引き起こします。
 家は、単なる居住のための器ではなく、家族の歴史が刻まれ、日々の生活の息づかいが染み込んでいる場所です。そこには、家族の過去と現在と未来をつなぐ特別な時間が流れており、その喪失は人生史の時間を断たれることに等しい。
 加えて、東日本大震災に伴う巨大な津波がもたらした被害のように、地域一帯が壊滅的な打撃を被った場合、土地への愛着が強ければ強いほど、近隣の人々とのつながりや、心のよりどころが一瞬にして奪われた悲しみは深くなります。
 新しく住む場所が見つかっても、環境の異なる生活を強いられ、それまで築いてきた人間関係の多くを失うことになる。
 そうした被災者の方々の辛労や心痛を思う時、私の胸には、作家のサン=テグジュペリの言葉が切々と迫ってきます。
 「何ものも、死んだ僚友のかけがえには絶対になりえない、旧友をつくることは不可能だ。何ものも、あの多くの共通の思い出、ともに生きてきたあのおびただしい困難な時間、あのたびたびの仲違いや仲直りや、心のときめきの宝物の貴さにはおよばない。この種の友情は、二度とは得がたいものだ。樫の木を植えて、すぐその葉かげに憩おうとしてもそれは無理だ」(堀口大學訳『人間の土地』、『世界文学全集77』所収、講談社)
 これは親友との絆の尊さとそれを失った悲しみについて述べた文章ですが、「住み慣れた家」や「故郷」や「愛する地域」についても、同じような重みやかけがえのなさがあることを、決して看過してはならないのです。
7  生きがいの喪失
 さらに災害は、多くの人々の仕事や生きがいを奪い、“尊厳ある生”の土台を突き崩します。
 私は現在、シドニー平和財団のスチュアート・リース理事長と「正義に基づく平和」をテーマに連載対談を行っています。その中で、人間の尊厳を損なう脅威という面から見過ごすことのできないものとして、失業の問題が焦点となりました(「平和の哲学と詩心を語る」、「第三文明」2012年2月号)。
 リース理事長は、失業は単なる経済的な問題にとどまらず、人々の目的観や自己実現の機会を奪い去るものであるとし、その理由を自著の言葉を通じて、こう強調していました。
 「労働から生じるそれ自体価値のある深遠な人間的感覚、すなわち何かを達成する満足を感じながら、もしくは社会に貢献しながら自身の生計を立てるという人間的感覚を否定」されることになる、と(川原紀美雄監訳『超市場化の時代』法律文化社)。
 2年前に逝去した世界的な免疫学者の多田富雄氏は、67歳の時に突然の病気に襲われ、やりかけていた多くの仕事を断念しなければならなくなりました。
 その時の衝撃を、後に氏はこう述べています。
 「あの日を境にしてすべてが変わってしまった。私の人生も、生きる目的も、喜びも、悲しみも、みんなその前とは違ってしまった」「考えているうちにたまらない喪失感に襲われた。それは耐えられぬほど私の身をかんだ。もうすべてを諦めなければならない」(『寡黙なる巨人』集英社)
 人間にとって仕事とは本来、自分が社会から必要とされている証しであり、たとえ目立たなくても自分にしかできない役割を、日々、堅実に果たすことで得られる誇りや生きる充実感の源泉となるものです。
 まして、災害によって家や財産の多くを失い、過酷な避難生活を強いられた上に、仕事を失うことは、生活を再建するための経済的な命綱が断たれるのと同時に、前に進む力の源泉となる生きがいを失わせ、復興への精神的な足がかりまで突き崩される事態につながりかねません。
 だからこそ、被災した方々が少しでも生きる希望を取り戻せるよう、住む場所や仕事の変更を余儀なくされた人たちが“心の落ち着く場所”を新たに得られるよう、そして「心の復興」「人生の復興」を成し遂げることができるよう、支え続けていくことが、同じ社会に生きる私たちに求められているのです。
8  トインビー博士の透徹した歴史眼
 実のところ、こうした悲劇は災害に限らず、さまざまな地球的問題群によって多くの人々の身に押し寄せるものに他なりません。
 では、悲劇の拡大を食い止め、地球上から悲惨の二字をなくすためには、いかなるビジョンが求められ、いかなるアプローチが必要となってくるのか──。
 「手の届くところにあって、未来を照らしてくれる唯一の光は、過去の経験である」との言葉を残したのは、20世紀を代表する歴史家アーノルド・J・トインビー博士でした。
 博士の招聘を受けてロンドンのご自宅を訪問し、人類の未来を展望する対話を行ってから今年で40年になりますが、対話や著作を通じて博士がよく強調されていたのが「歴史の教訓」という言葉でした。
 博士が、その歴史観の基底部に流れる「すべての文明の哲学的同時性」(深瀬基寛訳『試練に立つ文明』社会思想社)について考察するようになったきっかけは、第1次世界大戦の勃発直後、紀元前5世紀のペロポネソス戦争=注2=について当時の歴史家ツキディデスが記した本を、学生に講釈している時に突然脳裏によぎった感覚に根ざすものだったといいます。
 博士は述懐しています。
 「わたくしたちの経験していることが古代ギリシアの内乱のはじめのころのツキュディデスの歴史そっくりだということに、急に気がついた。彼の時代と現代とが二千三百年もへだたっていることはすこしもさしつかえないのだ。彼の歴史はわたくしたちの目の前にくりかえされようとしているのだった」(?山政道責任編集『世界の名著73トインビー』中央公論社)
 透徹した歴史眼をもって何千年もの歴史から教訓を汲み取り、現代世界への警告を怠らなかった博士が、私との対談集で、「人類の生存を脅かしている現代の諸悪に対して、われわれは敗北主義的あるいは受動的であってはならず、また超然と無関心を決めこんでいてもなりません」(『二十一世紀への対話』、『池田大作全集第3巻』所収)と語られた言葉が忘れられません。
9  悲嘆に暮れる民衆を救うために執筆
 トインビー博士がそうであったように、私が今、世界で相次ぐ災害を前にして浮かんでくるのは、13世紀の日本で日蓮大聖人が著した「立正安国論」です。
 冒頭に「近年より近日に至るまで天変地夭てんぺんちよう飢饉疫癘ききんえきれいあまねく天下に満ち広く地上にはびこ」とあるように、当時は災害が毎年のように続き、大勢の民衆が命を落とした悲惨きわまりない時代でした。そうした中、悲嘆に暮れる民衆を何としても救わねばならないと、鎌倉幕府の事実上の最高権力者だった北条時頼に提出されたのが「立正安国論」だったのです。
 そこで私は、現代の時代相と、人間の安全保障の理念に照らし合わせて、「立正安国論」から浮かび上がってくる視座を、以下3点にわたって提示したい。
 第1の視座は、国家が最優先で守るべきものは、民衆の幸福と安全であるとの思想哲学です。「立正安国論」は、日蓮大聖人の仏法の根幹を成し、生涯を通じて何度も自ら書写されたほど最重視されていたものですが、現存する書写をみると、特徴的な漢字の用い方がされていたことがわかります。
 そこでは、国家を言い表す言葉として通常使われる「国」(王の領地を意味する字)や「國」(武力によって治めた場所を意味する字)に代えて、「■(囗の中に民)」という字が多用されており、割合にして8割近くを占めています。つまり、国家の中心概念に据えるべきは権力者でもなく軍事力でもない。あくまで、そこに暮らす民衆であるとの思想を明らかにされたものと拝されます。
 大聖人は別の御書でも、権力者に対して「万民の手足為り」と記し、権力を預かる者は民衆に奉仕し、その生活と幸福を守るためにこそ存在すると強調しています。
 その哲学を凝結したともいえる「■」(囗の中に民)の字を用いた書を通じて、仏法思想の上から社会を覆う混迷の闇を打ち払う道を示し、封建時代の指導者を諫めることは、まさに命懸けの行為でした。その結果、「世間の失一分もなし」にもかかわらず、大聖人は何度も命を狙われ、2度も流罪に遭われました。
 しかし750年余りの時を経て、大聖人が提起した視座は、今日叫ばれる人間の安全保障の基本理念にも通じる輝きをますます放っているように思われます。
 「人間の安全保障委員会」の報告書でも、次の留意が促されていました。
 「国家はいまでも人々に安全を提供する主要な立場にある。しかし今日、国家は往々にしてその責任を果たせないばかりか、自国民の安全を脅かす根源となっている場合さえある。だからこそ国家の安全から人々の安全、すなわち『人間の安全保障』に視点を移す必要がある」(前掲『安全保障の今日的課題』)と。
 その意味において、いくら経済成長を推し進め、軍備を増強しても、人々の苦しみを取り除く努力を払わず、尊厳ある生を支える役目を果たしていないならば、国家の存在理由は一体どこにあるのでしょうか。
 災害は、社会が抱える問題を断層のように浮き上がらせる側面があります。
 高齢者をはじめ、女性や子ども、障がいのある人々、経済格差に苦しむ人々といった、社会で厳しい状況に置かれてきた人に被害が集中する傾向が、東日本大震災でも見られました。
 そうした方々の苦しみや心中を思えば、政治の対応はあまりにも遅すぎると言わざるを得ません。
10  世界市民の自覚と持続可能性の視点
 次に、第2の視座として提起したいのは、「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」とあるように、“自分だけの幸福や安全もなければ、他人だけの不幸や危険もない”との生命感覚に基づいた世界観の確立を訴えていることです。
 地球温暖化の問題に象徴されるように、相互依存の深まる世界にあって、特定の地域に深刻な脅威を及ぼしている現象であっても、やがてグローバルな脅威として猛威を振るう危険性は大いにあります。
 また、現在直面している脅威の影響が比較的小さいからといって、手をこまねいたままでいると、これから生まれてくる世代にとって、取り返しのつかない事態を招きかねません。
 こうした脅威の空間的・時間的な連関性については、国連の潘基文《パンギムン》事務総長の報告書でも、「個人と共同体に対する、特異な一連の脅威が、広範な国内と国家間の安全保障の破壊へと移ることを理解することによって、人間の安全保障は将来の脅威の発生を予防し緩和しよう」とする、と記されています(国連広報センターのホームページ)。
 ここに、「立正安国論」で示された、「四表の静謐」(社会全体の安穏)が訪れない限り、「一身の安堵」(個々人の安心)は本当の意味で得られないとの視座が重要となってくる所以がある。
 仏法の縁起思想に立脚したこの視座は、私が度々触れてきた哲学者オルテガ・イ・ガセットの「私は、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない」とのテーゼ(命題)と、同じ志向性を持つものです。
 そのオルテガがテーゼを示した後に記したのは、「現象を救え」「われわれの周囲にあるものの意味をさぐれ」との言葉でした(A・マタイス/佐々木孝共訳『ドン・キホーテに関する思索』現代思潮社)。
 世界各地で災害が起こった時、多くの国から真心の支援や励ましの声が寄せられますが、こうした「同苦の心」「連帯の心」が、どれだけ被災者の心を明るくし、勇気づけるか計り知れません。
 「一切衆生の異の苦を受くるはことごとく是れ日蓮一人の苦なるべし」と叫ばれた大聖人が、「立正安国論」を通して打ち出されたのも、現実社会で苦しみに直面している人々の心に共振して、わが身を震わせつつ、人々の苦しみが取り除かれることを願い、行動しようとする人間の生き方でした。
 そして、立正安国の「国」や、「四表」の意味するところも、大聖人の御書に「一閻浮提」や「尽未来際」といった言葉が何度も記されているように、広く“世界”を包含するものであると同時に、はるか“未来”をも志向していたものだったのです。
 その二つのベクトル(方向性)を今様に表現するならば、「世界のどの地で起こる悲劇も決して看過しない生き方」であり、「将来世代に負の遺産を断じて引き継がせない生き方」だといえましょう。前者には「世界市民としての自覚」、後者には「持続可能性に基づく責任感」に通じる精神が脈打っています。
 同じ地球に生き、環境を子どもたちに引き継いでいかねばならない私たちは、この横と縦に広がる二つの生命の連鎖を意識し、行動する必要があります。
11  憂いの共有から誓いの共有へ
 続いて述べたい第3の視座は、対話を通じて「憂いの共有」から「誓いの共有」への昇華を果たす中で広がる「エンパワーメント(内発的な力の開花)の連鎖」が、事態打開の鍵となるとの洞察です。
 仏教経典の多くが対話や問答によって成立しているように、「立正安国論」も、権力者と仏法者という立場の異なる両者が対話を通じて議論を深めていく形となっています。
 最初は、杖を携えて旅をする客人(権力者)が主人(仏法者)のもとを訪れ、天変地異が相次ぐ世相を嘆く場面から始まります。
 しかし二人は、災難をただ嘆き悲しんでいるのではない。災難が繰り返される状況を何としても食い止めたいとの「憂い」を共有しており、そこに立場の違いを超えての“対話の糸口”が生まれます。
 そして始まった対話では、両者が互いの信念に基づいた主張を真剣に交わしていく。その中で、客人が示す怒りや戸惑いに対して、主人がその疑念を一つずつ解きほぐしながら議論を深めるという、魂と魂とのぶつかり合いが織り成す生命のドラマを経て、最後は心からの納得を得た客人が、「唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ」と決意を披歴する形で、主人と「誓いの共有」を果たす場面で終わっています。
 では、対話を通じて両者が見いだした結論は何か。それは、仏典の精髄である「法華経」で説かれた“全ての人間に等しく備わる無限の可能性”を信じ抜くことの大切さでした。
 つまり、人間は誰しも無限の可能性を内在しており、かけがえのない尊厳を自ら輝かすことのできる力が備わっている。その尊厳の光が苦悩に沈む人々の心に希望をともし、立ち上がった人がまた他の人に希望をともすといったように、蘇生から蘇生への展転が広がっていく中で、やがて社会を覆う混迷の闇を打ち払う力となっていく──との確信であります。
 こうした思想に響き合う内容が、「人間の安全保障委員会」による報告書でも提起されています。
 人間の安全保障は「人間に本来備わっている強さと希望」に拠って立つものであり、「自らのために、また自分以外の人間のために行動を起こす能力は、『人間の安全保障』実現の鍵となる重要な要素である」。ゆえに人間の安全保障を推進しようとするならば、「困難に直面する人々に対し外側から何ができるかということよりも、その人々自身の取り組みと潜在能力をいかに活かしていけるかということに、重点が置かれてしかるべきである」と(前掲『安全保障の今日的課題』)。
 「立正安国論」が執筆された時代は、「当世は世みだれて民の力よわ」とあるように、相次ぐ災難を前に、多くの民衆が生きる気力をなくしかけていた。その上、現実の課題に挑むことを避けたり、自己の内面の静謐だけを保つことを促すような思想や風潮が社会に蔓延していました。
 そこで大聖人は、諦観や逃避が救いにつながるかのように説く思想は、無限の可能性を秘めた人々の生命を曇らせる“一凶”であり、一人一人が互いの可能性を信じ、力を湧き立たせる中で、時代の閉塞感を打破していく以外にないと主張されたのであります。
12  生きている限り絶対あきらめない
 この点に関して思い起こすのは、どんなに絶望の闇が深くても「自分が小さなろうそくの灯になることを恐れてはいけない」と呼びかけた思想家のイバン・イリイチ氏の言葉です。氏は『生きる意味』の中でこの信念に触れた箇所で、軍政下のブラジルで非人道的な行為と戦った友人のエルデル・カマラ氏の言葉をこう紹介しています。
 「けっしてあきらめてはいけない。人が生きているかぎり、灰の下のどこかにわずかな残り火が隠れている。それゆえ、われわれのすべきことは、ただ」「息を吹きかけなければいけない……慎重に、非常に慎重に……息を吹きかけ続けていく……そして、火がつくかどうか確かめるんだ。もはや火はつかないのではないかなんて気にしてはいけない。なすべきことはただ息を吹きかけることなんだ」(高島和哉訳、藤原書店)
 これは、後にブラジルで最も無慈悲な拷問者となる将軍との対話を試みたカマラ氏が、将軍との話を終えて、イリイチ氏の前で完全な沈黙にしばし陥った後、語った言葉でした。
 つまり、自己の信念と敵対する人物との対話が破談した後、“それでもなお、私はあきらめない!”と気力を奮い起こした言葉ですが、一方で私には、絶望の淵に沈みそうになっている人々に心を尽くして励まし続けることの大切さを示唆した言葉でもあるかのように胸に響いてきます。
 敵対者に対してであれ、仲間に対してであれ、一人一人の魂に眠る“残り火”に息を吹きかけていくエンパワーメントは、ガンジーやキング博士による人権闘争をはじめ、冷戦を終結に導いた民衆による東欧革命や、最近の“アラブの春”と呼ばれる民主化運動においても、大きなうねりを巻き起こす原動力になったものではないでしょうか。
 私どもが、冷戦時代から中国やソ連などの社会主義国を訪問し、緊張緩和と相互理解のための交流に努め、さまざまな文明や宗教的背景を持つ世界の人々と対話を重ねて、国境を超えた友情の輪を広げてきたのも、「平和と共生の地球社会」を築く基盤はあくまで一人一人の心の変革にあり、それは“互いの魂を触発し合う一対一の対話”からしか生まれないとの信念からだったのです。
 以上、「立正安国論」を貫く思想を通し、災害に象徴される「突然襲いくる困窮の危険」に立ち向かう上で重要になると思われる三つの視座を提起しました。
 このうち、最後の視座の柱となるエンパワーメントは、災害からの再建を目指す上で最も難しく時間を要する課題といわれる「心の復興」に関わるものです。
 先ほど私は、人間の安全保障は「人間に本来備わっている強さと希望」に拠って立つとの理念に言及しましたが、その挑戦は容易に一人で踏み出せるものではなく、たとえ踏み出せても、自らの人生を希望の光で照らすまでには、それ以上の困難が伴います。
 だからこそ、険しい峰を登り続けるためのザイル(綱)となる「心の絆」と、ハーケン(岩釘)となる「励ましの楔」が必要となってくる。
 冒頭で触れた思想家のエマソンも、愛息を病気で亡くす前に、妻や弟たちを相次いで失う悲哀に見舞われましたが、歳月を重ねる中で「導き手、あるいは守り神の相貌を帯びてくる」(酒本雅之訳『エマソン論文集 上』岩波書店)との思いを綴り、自身のその後の生き方に良い変化をもたらす力になったとも述べています。
 故郷を失うつらさに通じる言葉として挙げた作家のサン=テグジュペリも、その後の文章で、「人間に恐ろしいのは未知の事柄だけだ。だが未知も、それに向って挑みかかる者にとってはすでに未知ではない」「救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰返すことだ……」(前掲『世界文学全集77』)との気迫こもる言葉を記しています。
 また、突然の病気で仕事を続けられなくなった免疫学者の多田富雄氏も、ダンテの『神曲』にならうかのように、「今いる状態が地獄ならば、私の地獄篇を書こう」と述べ、「これからどうなるかわからないが、私が生きた証拠の一部になる」(前掲『寡黙なる巨人』)と執筆を再開し、生きがいを取り戻しました。
 そうした悲劇からの蘇生のドラマの一つ一つには、必ず、心の支えとなった人たちの存在があったに違いありません。
 1906年のサンフランシスコ大地震直後の人々の姿を調査した、哲学者のウィリアム・ジェイムズも、「体験を分かち合った場合には苦難や喪失は何か違ったものになる」との結論を導いています(レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』高月園子訳、亜紀書房)。
 この分かち合いこそが、「前に進もうとする気力」をすぐさま奮い起こすことができなくても、苦悩に沈む人々が「頭を上げよう」とする気持ちを抱くようになる契機となっていくのではないでしょうか。
 そのためには一方的に話をするのではなく、何よりもまず、じっと心の声に耳を傾けることが欠かせません。その中で相手の苦しみに心を震わせ、少しでも分かち合いたいとの思いから生まれる励ましであってこそ、相手の心の奧に沈む残り火に息を吹きかけることができるに違いない。
13  仏法の智慧は相手を思う慈愛の結晶
 釈尊が説いた八万法蔵という膨大な教説も、その大半は、哲学者のカール・ヤスパースが「仏陀はひとりひとりに語り、小さなグループで語った」「一切の者にむかうとは、ひとりひとりの人にむかうことにほかならない」(峰島旭雄訳『佛陀と龍樹』理想社)と記したように、さまざまな悩みに直面する一人一人と向き合う中で説かれたものでした。「友よ」と呼びかけ、相手の心にどこまでも寄り添い、対話を通して苦しみの本質を浮かび上がらせながら、本人の気づきを促し、血肉化できるような諭しの言葉をかけたのです。
 仏法の智慧は、毒矢の譬え=注3=に象徴されるように、形而上学的な概念や哲学的な論争にふけるのではない。あくまで、目の前にいるかけがえのない一人を何としても救いたいとの思いがその源にあるからこそ尽きることなく顕現しゆくものに他なりません。
 日蓮大聖人の教えにおいても、弟子たちの苦難をわが事のように嘆き、抱きかかえるように励ましながら、試練に負けない人生を歩むことを願う“慈愛と祈りの結晶”として発せられた言々句々が、現代においても私どもの人生の重要な指針となっています。
 SGIでは、こうした仏法の精神に立って、192カ国・地域で「一対一の対話」を根本に励ましの輪を広げながら、心と心の絆を堅実に育んできました。
 そして、災害のような緊急時には、会館に地域の被災者を受け入れることをはじめ、救援物資の搬入や配布、被災地での片付けの応援など、さまざまな活動に取り組んできました。被災者でありながら、大変な状況にある人たちをそのままにしてはおけないと、やむにやまれぬ思いで行動し、悲しみや苦しみを一緒になって受け止め、励ましの対話を続けてきたメンバーも少なくありません。
 こうした取り組みはあくまで、人生の喜びや悲しみを分かち合い、ともに支え合う中で「自他共の幸福」を目指してきた、私どもの日常的な活動の延長線上にあるものでした。
 昨年6月にスイスで行われた国連難民高等弁務官事務所とNGO(非政府組織)との年次協議会で、「信仰を基盤とした団体の役割」に焦点が当てられた分科会が開催されたように、現実社会で起こる脅威に苦しむ人々に対して宗教団体の果たす役割が注視されるようになってきています。分科会では、私どもの代表が東日本大震災での経験を踏まえながら、“エンパワーメントは、被災者自らの手による救援活動をも可能にする。それにより、人道援助は効果的かつ持続的なものになる”との報告を行いました。
14  子どもや孫たちのために私は歩く
 このテーマを考える時に浮かんでくるのは、かつてキング博士が自著で紹介していた、バス・ボイコット運動に参加した一人の年配の女性の話です。
 ──人種差別が横行するバスに乗車することを拒否し、懸命に歩き続ける女性の姿を見て、心配した自動車の運転手が車を止めて、「おばあさん、おのりなさい。歩くには及びません」と声をかけた。しかし彼女は手を振って、こう断ったというのです。
 「わたしはわたし自身のために歩いているのではありません」「わたしは子供や孫のために歩いているのです」(雪山慶正訳『自由への大いなる歩み』岩波書店)と。
 たとえ災害によって身も心も傷ついていたとしても、愛する家族や仲間のために、また目の前で苦しんでいる人たちのために、自分ができることをしたいと思い、行動しようとする人は少なくないはずです。
 仏法では、どんな状況に置かれた人であっても“他の人々を救う存在”になることができると強調するとともに、最も苦しんだ人こそが一番幸せになる権利があると説きます。
 仏典には、「宝塔即一切衆生」とあります。「法華経」に説かれる宇宙大にして荘厳なる宝塔とは、全ての人々の本来の姿に他ならないとの仰せです。その本有の尊厳に目覚めた人は「心を壊る能わず」で、どんな脅威が襲いかかり、試練に見舞われようと尊厳を壊されることは絶対にない。
 この確信で立ち上がった一人が、苦しみに沈む人たちと手を取り合い、ともに再起を期して新たな一歩を踏み出す。その輪が一人また一人と広がり、尊い生命の宝塔が林立していく中で、地域の復興も本格的な軌道に乗っていく──と、私どもは信じ、実践しているのです。
15  マータイ博士が運動にかけた信念
 近年発生した世界各地の災害において、現地の行政機能が損なわれる中、大きな役割を果たしてきたのが、地域に根ざした“助け合いや支え合いの輪”であり、さまざまな立場の人たちが参加して行われたボランティア活動であり、多くの国々から寄せられた支援や励ましでした。
 「突然襲いくる困窮の危険」に対する社会のセーフティーネット(安全網)を強固にするためには、災害時に示されてきたような、苦しんでいる人々とともに歩もうとする気風を常日頃から社会全体で高めつつ、支え合いや助け合いの絆をどのように積み上げていくかが課題になります。
 災害とは分野が異なりますが、民衆自身の力で環境を守る運動を、ケニアをはじめアフリカ各地で広げ、昨年亡くなられたワンガリ・マータイ博士の言葉が忘れられません。
 植樹運動を進めていく中で何度も妨害され、せっかく植えた木を傷つけられても、「木々は、私たちと同じく生き抜いた。雨が降り、太陽が輝くと、木々はいつのまにか空に向かって若葉や新芽を伸ばすのだ」と、博士は不屈の心で立ち上がりました。
 そして、自らの運動を振り返り、「民衆のために何かしてあげたい」といった気持ちではなく、「民衆とともに汗する」ことに徹したからこそ、地域の人々の力を引き出すことができたと、信念を語られていたのです(福岡伸一訳『モッタイナイで地球は緑になる』木楽舎)。
 ここに、民衆自身が巻き起こすエンパワーメントの連環が、どんな絶望の闇も打ち払い、希望の未来への旭日を立ち昇らせゆくための要諦があるのではないでしょうか。
16  時代変革のビジョンを共有し地球的課題への挑戦を
 続いて、人々の生存・生活・尊厳に深刻な影響を及ぼすさまざまな脅威を克服するための具体策について言及したいと思います。
 その前に提起しておきたいのが、「平和の文化」の母と呼ばれたエリース・ボールディング博士が強調していた二つの観点です(以下、『「平和の文化」の輝く世紀へ!』、『池田大作全集第114巻』所収)。
 一つは、人々が未来へのビジョンを共有した上で行動することの大切さであり、もう一つは、“200年の現在”という時間軸に立って生きていくことの大切さです。
 最初の点について、博士は次のようなエピソードを紹介してくれました。
 ──1960年代、軍縮の経済的側面について研究している学者の会議で、もし完全な軍縮が達成できたら世界はどうなるのかと、博士が尋ねた。すると返ってきたのは、「私たちにはわからない。私たちの仕事は、軍縮が可能であることを説くことにあると思う」といった、思いもよらない答えであった、と。
 その時の経験を踏まえて博士は、「ある運動が、具体的に、どのような結果をもたらすかを思い描くことができずして、どうしてその運動に心から献身できるでしょうか」と、疑問を呈していました。
 大事な問題提起だと思います。いくら平和や軍縮が必要であったとしても、運動の底流に具体的なビジョンが脈打っていなければ、厳しい現実の壁を打ち破る力を生み出すことは難しい。事態打開のために「心から献身」したいと願う人々を結集する紐帯になるものこそ、皆が心から納得して胸に抱くことのできる明確なビジョンであると博士は考えておられたのです。
17  “200年の現在”の時間軸と責任感
 もう一つの観点である“200年の現在”とは、今日を起点として過去100年と、未来への100年の範囲を、自分の人生の足場として捉えるものです。
 博士は、こう強調されていました。
 「人間は、現在のこの時点だけに生きる存在ではありません。もし自分をそういう存在だと考えるならば、今、起こっている事柄にたちまち打ちのめされてしまいます」
 しかし、“200年の現在”という、より大きな時間の中に存在すると考えれば、今年生まれた乳児から今年で100歳の誕生日を迎える高齢者にいたるまで、多くの人々の生きる時間に関わる可能性が大きく広がっていく。自分は、その「より大きな共同体」の一部を成す存在であるとの世界観をもって生きていくことが大切である、と。
 それは、脅威に苦しんできた人々に思いをはせると同時に、新しい世代が同じ悲劇に見舞われないよう、未来への道を切り開く責任感を促すものなのです。
 このボールディング博士の観点を踏まえつつ、私は「人道」「人権」「持続可能性」の三つの観点から、人類が共有すべきビジョンを提起したい。
 「どの場所で起こった悲劇も決して看過せず、連帯して脅威を乗り越えていく世界」
 「民衆のエンパワーメントを基盤に、地球上の全ての人々の尊厳と平和的に生きる権利の確保を第一とする世界」
 「過去の教訓を忘れず、人類史の負の遺産の克服に全力を注ぎ、これから生まれてくる世代にそのまま受け継がせない世界」
 私はこれまで30回にわたる提言を通じて、これらのビジョンを常に想起しながら具体的な提案を重ねてきました。どんなに複雑で困難な課題に取り組む上でも、ビジョンから逆算して考えるアプローチが、混迷深まる現実社会の袋小路から抜け出すための“アリアドネの糸”(道しるべ)となり、変革の波を巻き起こすための代替案の源となると信じるからです。
 そこで今回は、対応が遅れれば遅れるほど未来世代への負荷が大きくなる、「災害」「環境と開発」「核兵器の脅威」の三つの課題に焦点を当てて解決の方途を探ってみたい
18  UNHCRの任務拡大し被災者支援
 まず災害に関して提案したいのは、被災者を支援する国際枠組みの整備です。
 現在、国連国際防災戦略を通じて、予防的な側面から災害による被害の拡大を防ぐためのさまざまな協力が進められています。
 しかし災害は、人智を超えたところで予期せぬ被害をもたらすもので、被災の苦しみにさいなまれている人々を実際にどう支えるかという点が同時に重要になります。この点を考慮して私が強く呼びかけたいのは、被災者への支援において緊急性に基づく人道的な対応に加えて、「被災者には“尊厳ある生活を営む権利”がある」との人権ベースに立ったアプローチを確立することです。
 そこで、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が、これまでケース・バイ・ケースで対応してきた「災害避難民への救援活動」を、正式な任務に盛り込むことを提案したい。
 これまでの歴史を通じてUNHCRは、本来の任務である難民保護に加えて、国内避難民や戦争被災民の救援、庇護希望者や無国籍者の保護といったように、援助の対象や活動の範囲を広げてきました。
 UNHCR規程では「国連総会の決定するその他の活動にも従事しなければならない」(第9条)とあり、数々の国連総会決議を経ることで法的根拠が与えられてきたのです。
 世界では毎年、約1億6000万人が被災し、10万人もの命が奪われる状況が生じており、災害の発生件数や被災者の数も、1970年代と比べて約3倍も増加しています。
 特に犠牲者の大半が途上国に集中しており、“災害と貧困との悪循環”が問題になっているのです。
 こうした中、UNHCRのアントニオ・グテーレス高等弁務官も、次のような認識を示しています。
 「2004年のインド洋津波や他の近年の災害から、被災者の人権への新たな脅威が発生していることが確認されたように、いかなる新しいアプローチも人権ベースでなければならないことは明らかである」
 この指摘通り、災害救援から復興の過程において、被災者の尊厳をいかに守るかが大きな焦点となってきています。
 ともすれば、被災者の健康状態や生活状況の悪化は、災害時にはある程度避けられないものと見なされがちですが、むしろ緊急時であればこそ、そうした一つ一つの権利の欠落が被災者にとっては命取りにもなりかねないのです。
 その改善のために、UNHCRが常に支援に関われる仕組みを確保した上で、他の国際組織と共に「人道主義」と「人権文化」に立脚した救援活動を展開し、人々の生命と尊厳を徹底して守る態勢を整えるべきだと思うのです。
19  人権教育に関する国連宣言が採択
 災害をはじめとする脅威や社会的弊害に苦しむ人々の尊厳を守る上でも「人権文化」の建設は喫緊の課題であり、先月の国連総会で「人権文化」を教育や研修を通じて育むための原則や達成目標を示した歴史的な宣言が採択されました。
 この「人権教育および研修に関する国連宣言」は、2007年の国連人権理事会で草案起草が決定して以来、検討作業が進められ、「人権教育学習NGO作業部会」をはじめ、さまざまなNGOが市民社会の声を反映させようとサポートを行ってきたものです。
 このNGO作業部会の議長を務めるSGIでは、現在、宣言の精神を踏まえて、人権教育アソシエイツ(HREA)や国連人権高等弁務官事務所と協力し、人権教育のためのDVDを制作しております。
 宣言に基づく取り組みが世界的に広がれば、災害が発生した国の政府や自治体が行う救援においても、人権ベースの活動の重要性に対する認識が深まっていくことが期待されます。
 「人権文化」の建設は21世紀の国際社会の中心課題であり、SGIとしても今後、市民社会の側からの取り組みをさらに強力に進めていきたいと思います。
20  防災から復興まで女性の役割を重視
 二つ目の提案は、防災から救援、復興にいたるまで災害に関する全てのプロセスで、女性の役割の重視を国際社会の取り組みとして徹底させることです。
 災害のような「突然襲いくる困窮の危険」に対処するには、一人一人の置かれた状況に向き合うのと同時に、人々が自らの力で事態を打開しようとする動きを支えることが重要です。
 その意識を社会に根づかせる上で欠かせないのは、女性の役割に光を当てることではないでしょうか。
 災害によって命を失うのは女性が男性より多く、大規模な災害ほど格差は大きくなるといいます。また、ひとたび災害が起こると、女性が生活上の不自由や過度な負担を強いられる状況が生じるだけでなく、人権や尊厳が脅かされる危険性が増すといわれます。
 しかしその一方で、女性が本来持っている「防災に貢献する力」や「復興に貢献する力」に、もっと着目して対策に反映させる必要があるとの認識も高まりをみせています。2005年の国連防災世界会議で採択された「兵庫行動枠組」では、「あらゆる災害リスク管理政策、計画、意思決定過程にジェンダーに基づいた考え方を取り入れることが必要」との項目が盛り込まれました。
 ただし残念なことに、実施状況を点検した昨年の報告書では進展が芳しくないことが指摘されています。この状況を変えるためにも、法的効力を持つ明確な原則として打ち出すことが重要ではないでしょうか。
 そこで私が想起するのが、平和と安全の維持および促進のあらゆる取り組みにおける女性の平等な参加と完全な関与の重要性を謳った、国連安全保障理事会による1325号決議=注4=です。
 2000年10月に採択されたこの決議は、国際社会に強力なメッセージを発信しました。10年余りを経てその履行には課題も残り、さらなる後押しが求められますが、さまざまな取り組みを各地で進めるにあたって常に念頭に置くべき指針として、決議の存在が顧みられるようになった意義は大きいと思います。
 当時、採択に尽力したアンワルル・チョウドリ元国連事務次長は、私との対談集でこう訴えていました。
 「女性が関わることによって、『平和の文化』はより強靱な根を張ることができる」
 「女性が取り残されるところに、本当の意味での“世界の平和”はないことを忘れてはいけない」(『新しき地球社会の創造へ』潮出版社)
 防災や復興という面においても、女性が担い、果たすことのできる役割は、同様の重みを持っているのではないでしょうか。
 こうした中、各地で平和維持活動に取り組んできた国連でも、2010年1月の大地震で深刻な被害が出た中米ハイチでの状況を踏まえて、1325号決議の対象範囲を自然災害にまで拡大させる必要があるとの見解を示しています。
 ゆえに私は、1325号決議が対象とする平和構築の概念を拡大させて防災や復興を含めた運用を図ること、もしくは、防災や復興における女性の役割に焦点を当てた新たな決議の採択の検討を呼びかけたい。
 そして、「兵庫行動枠組」を採択した時のホスト国であり、阪神・淡路大震災や東日本大震災を経験した日本が、その旗振り役を担うとともに、国内での環境整備を早急に進め、各国のモデルケースとなることを強く望むものです。
 2年前に創設された国連女性機関(UN Women)のミチェル・バチェレ事務局長は、こう語っています。
 「私は、女性たちは機会さえ与えられれば、過酷な状況にあっても自分たちの家族や社会のために多くのことを達成できることをこの目で見てきました。女性の強さ、勤勉さ、知恵はまさに人類最大の未開発資源といえます。この可能性を拓くのに、この先100年も待つわけには絶対いかないのです」(UN Women日本国内委員会事務局のホームページ)
 この言葉の通り、女性をいつまでも災害の最大の被害者のまま終わらせてはならない。紛争防止や平和構築の場合と同じく、女性が防災や復興においても事態を好転させる“最大の変革の主体者”として役割を発揮できる時代を今こそ築こうではありませんか。
 「平和の文化」に果たす女性の役割について意識啓発に取り組んできたSGIとしても、今後、災害に関する分野における女性の役割に焦点を当てた意識啓発を草の根レベルで広げていきたいと思います。
21  6月にブラジルで「リオ+20」の会議
 災害に続き、第2の柱として取り上げたいのが環境と開発をめぐる問題です。
 6月にブラジルで、国連持続可能な開発会議(リオ+20)が開催されます。
 1992年の地球サミットから20周年を迎える現在までの成果を再検討するもので、主要テーマは「持続可能な開発及び貧困根絶の文脈におけるグリーン経済」と、「持続可能な開発のための制度的枠組み」となっています。
 このうち前者のグリーン経済については、まだ定義が固まっていませんが、経済成長と環境保全の案分をめぐる調整的な概念として限定することはもとより、経済成長の新しいモデルづくりや雇用創出を図るための手段的な概念に狭めてはならないと訴えたい。
 国連環境計画が昨秋行った国際青年会議では、グリーン経済を「人々の幸福、社会的公正、環境保護を同等の重みをもってとらえる、真に持続可能な、唯一の一体的枠組」と位置付ける宣言を採択しました。
 世界の青年の代表たちによる未来への責任感に満ちた意欲的なビジョンとして私も強く共鳴します。
 そこで私は、国連のミレニアム開発目標=注5=に続く新たな取り組みとして、持続可能な未来を築くための共通目標の制定を強く呼びかけたい。
 先日、リオ+20に向けた最初の意見取りまとめの文書が発表され、そこでも「持続可能な開発目標」の必要性を提起する内容がありました。この機を逃さず、人類と地球が直面する課題を総合的に見据えた議論を深めていくことが求められます。
 これまで国際社会では、国連のミレニアム開発目標に基づいて、貧困や飢餓で苦しむ人々の削減などが目指されてきました。
 いわば、生まれた国や育った環境によって命の格差や尊厳の格差が生じている状態を、さまざまな角度から改善することを目指したもので、一定の成果を得てきましたが、目標期間が終了する2015年以降の新しい目標設定が必要との声が高まっています。
 ゆえに私は、貧困や格差がもたらす地球社会の歪みの改善を求めたミレニアム開発目標の精神を継承しつつ、どの国の人々も避けて通ることのできない「人間の安全保障」に関する諸問題への対応を視野に入れた、“21世紀の人類の共同作業”としての目標を掲げるべきだと訴えたい。そしてリオ+20で、新たな共通目標を検討する作業グループを設置し、対話プロセスを開始することを会議の合意事項に盛り込むべきだと考えるものです。
 その柱となる理念として、これまで論じてきた「人間の安全保障」に加えて、私が挙げたいのは「持続可能性」の理念です。
 では「持続可能性」の意味するところは何か──。私がこれまで論じてきた文脈に沿って表現するならば、それは「誰かの不幸の上に幸福を求めない」生き方であり、「故郷(地域)や地球が傷つけられたままで、次の世代に受け渡すことを良しとしない」精神であり、「現在の繁栄のために未来を踏み台にせず、子どもや孫たちのために最善の選択を重ねる」社会のあり方といえましょう。
 それは、何か義務感のような形で外から縛り付けるルールでもなく、重苦しさを伴った責任感のようなものでもない。むしろ、経済学者のジョン・ガルブレイス博士が私との対談集(『人間主義の大世紀を』潮出版社)で、21世紀の目指すべき姿として提起していた「人々が『この世界で生きていくのが楽しい』と言える時代」を築くために、皆で持ち寄り、分かち合う心ともいうべきものです。
 私がかつて、国連のミレニアム開発目標について、「目標の達成はもとより、悲劇に苦しむ一人一人が笑顔を取り戻すことを最優先の課題とすることを忘れてはなりません」と注意を促したのも、博士と同じような思いからでした。
 そのために必要となる倫理は、何もゼロから新しくつくりあげる必要はないでしょう。なぜなら、北米の先住民であるイロコイの人々が「すべての物事は、現代の世代だけでなく、地面の下からまだ顔を見せていないこれから生まれてくる世代にまで思いをはせて考えなければならない」との教えを伝承してきたように、さまざまな伝統文化や宗教に息づいていた生活実感──現代人の多くが見失ってきた精神の中に素地があるからです。
 仏典にも、「目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」(中村元訳『ブッダのことば』岩波書店)との教えがあります。
 新たな目標の基盤となる倫理を規定する上では、外在的なルールとしてではなく、こうした生命観に根ざした“誓い”としての性格を、教育や意識啓発を通じて帯びさせることを目指す必要があるでしょう。
 具体的には、貧困や格差の問題をはじめ、災害のような突然襲いかかる脅威を真摯に考慮すると同時に、生態系の破壊を食い止め、生物の多様性を保護するための課題を掘り下げ、考察していく。そして議論を重ねる中で、地球上の人々の生存・生活・尊厳を未来にわたって守り抜くためには、どんな生き方が求められ、いかなる社会を築いていくべきなのかを、世界の英知を結集して探求すべきだと思うのです。
22  放射能汚染による現在進行形の脅威
 今年は、国連の定める「すべての人のための持続可能エネルギーの国際年」にあたりますが、世界のエネルギー問題を考える上でも「持続可能性」を重視することが欠かせません。
 これに関して触れておきたいのは、原子力発電の今後のあり方についてです。
 福島での原発事故は、アメリカのスリーマイル島での事故(1979年)や、旧ソ連のチェルノブイリでの事故(86年)に続いて、深刻な被害をもたらす事故となりました。
 今なお完全な収束への見通しは遠く、放射能によって汚染された土壌や廃棄物をどう除去し貯蔵するかという課題も不透明なままとなっており、“現在進行形の脅威”として多くの人々を苦しめています。
 事故のあった原発から核燃料や放射性物質を取り除き、施設を解体するまで最長で40年かかると試算されているほか、周辺地域や汚染の度合いが強かった地域の環境をどう回復させていくのかといった課題や、放射能が人体に及ぼす晩発性の影響を含めて、将来世代にまで取り返しのつかない負荷を及ぼすことが懸念されています。
 私は30年ほど前から、原発で深刻な事故が起こればどれだけ甚大な被害を及ぼすか計り知れないだけでなく、仮に事故が生じなくても放射性廃棄物の最終処分という一点において、何百年や何千年以上にもわたる負の遺産を積み残していくことの問題性について警鐘を鳴らしてきました。この最終処分問題については、いまだ根本的な解決方法がないことを決して忘れてはなりません。
 また、国連の潘基文事務総長が、原子力事故には国境はなく、「人の健康と環境に直接の脅威」となると述べた上で、「国境を越えた影響が及ぶことから、グローバルな議論も必要」(国連広報センターのホームページ)と指摘しているように、もはや自国のエネルギー政策の範疇だけにとどめて議論を進めて済むものではなくなってきています。
 日本は、地球全体の地震の約1割が発生する地帯にあり、津波による被害に何度も見舞われてきた歴史を顧みた上でなお、深刻な原発事故が再び起こらないと楽観視することは果たしてできるでしょうか。日本のとるべき道として、原子力発電に依存しないエネルギー政策への転換を早急に検討していくべきです。
 そして、再生可能エネルギーの導入に先駆的に取り組んでいる国々と協力し、コストを大幅に下げるための共同開発などを積極的に進め、エネルギー問題に苦しむ途上国でも導入しやすくなるような技術革新を果たすことを、日本の使命とすべきではないか。
 また、その転換を進めるにあたっては、社会や経済に与える影響を考慮し、これまで原発による電力供給を支えてきた地域に、他の産業基盤の育成を含めたさまざまな手立てを講じていくことなども必要になると思います。
23  IAEAを中心に取り組むべき課題
 国際社会の課題としても原発にはさまざまな課題があり、各国が協力して対応を図ることが急務となっています。
 国連の潘事務総長は、チェルノブイリの原発事故から25年を迎えた昨年4月に現地を訪れた直後の寄稿で、「今後、原子力の安全問題には、核兵器に対するのと同じ真剣さをもって取り組まねばならない」(「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」フランス版、昨年4月26日付)と、国際社会に注意を促しました。
 核兵器の使用はもとより、その開発や実験に伴う放射能汚染も、原発事故が引き起こす汚染も、被害を受ける人間の身においては変わるものではなく、もうこれ以上、事故が繰り返されてはならないのです。
 1954年にソ連で世界初の原発が稼働してから半世紀以上が経ち、寿命を迎える原子炉が多くなってくる一方で、世界の原発の稼働数に比例するように、放射性廃棄物の量も増加の一途をたどっています。
 これまで、国際原子力機関(IAEA)を通して、原子力の平和利用について研究開発や実用化、科学・技術情報の交換をはじめ、軍事的利用への転用防止などの面を中心に整備が進められてきました。
 しかし、原発の稼働から半世紀以上を経た現在の世界を取り巻く状況、そして福島での事故の教訓を踏まえて、従来の任務に加え、原子力の平和利用の“出口”を見据えた国際協力の整備を進めることが必要となってきているのではないでしょうか。
 私は、国際原子力機関を中心に早急に取り組むべき課題として、設立以来進められてきた「放射性廃棄物の管理における国際協力」のさらなる強化とともに、「事故発生に伴う緊急時対応の制度拡充」や「原子炉を廃炉する際の国際協力」について検討を進め、十分な対策を講じることを呼びかけたいと思います。
24  軍事的必要性の論理を打ち破る
 次に最後の柱として、核兵器の禁止と廃絶に向けての提案を行いたい。
 昨年3月に起きた福島での原発事故は、ある面で、1950年代以降に核保有国が各地で繰り返し行った核実験による放射能汚染を想起させるものでした。
 今年で発表55周年を迎える戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」は、まさしくそうした核開発競争が激化した当時の時代情勢を踏まえて打ち出された宣言だったのです。
 戸田会長はその中で、「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」(『戸田城聖全集第4巻』)と述べ、核実験の禁止はもとより、多くの民衆の犠牲の上で成り立つ安全保障から完全に脱却しない限り、問題の本質的な解決はありえないと訴えました。
 以前から戸田会長は、どの国もどの民族も戦争の犠牲となることがあってはならないと「地球民族主義」を提唱し、民衆の連帯で戦争の根絶を目指すことを呼びかけていました。
 そして逝去の前年(57年9月)に、その前途に立ちはだかる“一凶”として核兵器に焦点を定め、「原水爆禁止宣言」を通じて、核兵器の禁止と廃絶を目指す運動を若い世代が受け継ぎ、行動の先頭に立つことを念願したのです。
 宣言が発表される3年前に起こった、アメリカの水爆実験によるビキニ環礁事件=注6=に象徴されるように、核兵器は攻撃に用いられなくても、開発の段階で人々や生態系に深刻な被害を及ぼすものでした。
 また実験をとりやめても、抑止の手段として核兵器を保有すること自体が、“多数の民衆や地球の生態系を犠牲にすることも厭わない”との非道な思想に安全保障を立脚させていることの表明に他なりません。つまり、そこには「軍事的必要性」の一点で全てを正当化しようとする思考がある。その究極の現れが、核兵器といってよい。
 仏法では、戦争などを引き起こす貪・瞋・癡の煩悩の根にあるものを「元品の無明」といい、他者への蔑視や憎悪、生命への軽視もそこから生じると洞察します。この生命軽視の根本的な衝動を打破することなくして、たとえ核兵器が使用されなくても、民衆の犠牲を厭わぬ悲惨な戦争が繰り返される土壌がいつまでも残るに違いありません。
 ここに、核兵器を“必要悪”として容認するのではなく、“絶対悪”として禁止し、廃絶する以外にないと訴えた「原水爆禁止宣言」を貫く最大の問題提起があったのです。実際、「軍事的必要性」の観点は、核兵器の使用と威嚇の違法性について問われた96年の国際司法裁判所の勧告的意見でも、突き崩されることのなかった大きな壁でした。
 つまり、国際人道法に一般的に違反するとしながらも、「国家の存立そのものが危険にさらされている自衛の極端な状況」においては違法にあたるかどうか確定的な決定を下すことができない、との見解が示されていたのです。
25  政策転換を求めるさまざまな動き
 しかし、この法的な隙間をふさぎ、核兵器の非合法化の地平を開く合意を含んだ文書が、2010年の核拡散防止条約(NPT)の再検討会議において全会一致で採択されました。
 「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結果をもたらすことに深い懸念を表明し、すべての加盟国がいかなる時も、国際人道法を含め、適用可能な国際法を遵守する必要性を再確認する」(梅林宏道監修『イアブック「核軍縮・平和2011」』ピースデポ)として、“どの国”でも、“どのような場合”でも、国際法を遵守しなければならないとの合意がなされたのです。
 私は3年前に発表した核廃絶提言で、2015年までに達成すべき目標の一つとして、核兵器の非合法化を求める世界の民衆の意思を結集し、「核兵器禁止条約(NWC)」の基礎となる国際規範を確立することを呼びかけました。
 NPT再検討会議での合意はその突破口となるもので、明確な条約の形へと昇華させる挑戦を今こそ開始しなければなりません。
 一般に、新しい国際規範は、次の3段階を経て確立するといわれます。
 ①既存の規範の限界が浮き彫りになり、新しい規範の必要性が主張される。
 ②その受容をはたらきかける中で同調の動きがみられ、勢いが加速するとカスケ
 ード現象(賛同国の雪崩的な拡大)が起こる。
 ③国際社会で広範に受容され、条約などの形で正式に制度化される。
 この図式に照らせば、現在の段階は②の前半にあたり、カスケード現象が起こる手前に位置しているといえましょう。
 私がなぜ、そう捉えるのか。それは、次のような世界の動きに基づきます。
 一、市民社会のイニシアチブ(主導)で1997年にNWCのモデル案が作成され、2007年に改訂版が出されるなど、核兵器の禁止から廃絶にいたるまでに必要となる法的措置の検討が進んでいること。
 一、96年以降、マレーシアなどを中心にNWCの交渉開始を求める決議が国連総会に毎年提出される中、昨年には、中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イランを含む130カ国が賛成するまで支持が広がっていること。
 一、国連の潘基文事務総長が、“NWCあるいは相互に補強し合う別々の条約の枠組みによる核軍縮の推進”を提唱する中、2010年のNPT再検討会議において全会一致で同提唱への留意が示されたこと。
 一、159カ国が加盟する「列国議会同盟」が、潘事務総長の提案に、ロシア、イギリス、フランス、中国を含む全会一致で支持を表明し、5100以上の都市が加盟する「平和市長会議」がNWCの交渉開始を求めているほか、各国の首相・大統領経験者による「インターアクション・カウンシル(OBサミット)」もNWCの締結を呼びかけたこと。
 一、2009年の国連安全保障理事会の首脳会合で「核兵器のない世界」に向けた条件を構築することを誓約する1887号決議が採択されたこと。そして、昨今の経済危機に伴う財政悪化で核保有国の間でも軍事支出の見直しが叫ばれ、核兵器に関する予算にも、その議論が及ぶようになってきていること。
26  生命に対する権利への重大な侵害
 以上、それぞれの動きは単独で局面を打開するほどの力には達しないかもしれませんが、「核兵器のない世界」を求める声は、一歩また一歩と、押し戻せないところまで着実に前進してきたのであります。
 これまで市民社会の主導で条約のモデル案がつくられ、交渉を求める活動や署名がさまざまな形で行われてきたように、まさにNWCの規範の源泉となる精神は、民衆の中で脈打ってきたものに他なりません。
 ゆえに、「核兵器による悲劇は二度と繰り返されてはならない」「人類と核兵器は共存できない」といった、すでに民衆の間に存在し息づいている規範意識をベースに、条約という形をもって具体的な輪郭を帯びさせ、人類の共通規範として明確に打ち立てる作業こそが、今まさに求められているのです。
 大切なのは、NWCの実現に向けてカスケード現象を巻き起こすための、あともう一押しの力を結集していくことです。
 私はそのために、従来の国際人道法の精神に加えて、「人権」と「持続可能性」を、グローバルな民衆の意思を結集するための旗印に掲げ、青年たちを先頭に「核兵器のない世界」を求める声を力強く糾合することを呼びかけたい。
 なぜなら、「人権」と「持続可能性」の観点に立てば、核兵器使用の事態が生じるか否かにかかわらず、核兵器が存在し続け、核兵器に基づく安全保障政策が維持されることで、同じ地球で暮らす多くの人々や将来世代にもたらされる被害と負荷の問題が浮き彫りになり、関心を高めることができるからです。
 世界における人権保障の柱となっている条約の一つに「市民的及び政治的権利に関する国際規約」があります。1984年に、その実施を監視する規約人権委員会で、次のような一般的意見が表明されたことがありました。
 「核兵器の設計、実験、製造、保有および配備が、生命に対する権利にとって、こんにちの人類の直面する最大の脅威の中に入ることは明白である」
 「その存在自体と脅威の重大さにより、国家間に猜疑心と恐怖の雰囲気が醸成されるのであり、このこと自体が、国連憲章および国際人権規約に基づく人権と基本的自由に対する普遍的な尊重と遵守の促進に対して敵対するものなのである」(浦田賢治編著『核不拡散から核廃絶へ』憲法学舎/日本評論社)
 つまり、核兵器が存在する限り、相手を強大な軍事力で威嚇しようとする衝動が生き続け、それが多くの国々に不安や恐怖をもたらすということです。
 事実、その威嚇の悪循環が、どれだけの核兵器の拡散を招き、どれだけの軍備拡張をもたらし、世界をどれだけ不安定にさせてきたか計り知れません。
 脅威が不安を呼び、その不安が軍拡を招き、脅威がさらに増す──まさに負のスパイラル(連鎖)しか生まない核兵器や軍備拡張のために使われてきた膨大な予算や資源が、人々の生存・生活・尊厳を守るために使われるようになれば、どれほど世界で貧困の克服や教育の拡充が進んだかわからないのです。
 戦争と核兵器の廃絶を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」の起草者である哲学者のラッセルが、「私たちの世界は異様な安全保障の概念と歪んだモラルを生み出してしまった。兵器を財宝のように保護する一方で、子どもたちを戦火の危険にさらしている」と指弾した転倒が、いまだ世界で横行しています。
 こうした非道で冷酷というほかない状況を打破することの必要性は、私が2年前の提言で、国連憲章第26条の精神を具現化していく「人道的活動としての軍縮」を呼びかけた際に強調した点でもありました。
 加えて赤十字国際委員会のヤコブ・ケレンベルガー総裁が「破壊力、それがもたらす筆舌に尽くしがたい被害、その効果が時間的、空間的に制御不可能であり拡大してゆくこと、環境、将来の世代、そして人類の生存そのものへの脅威となること。それが核兵器の特質」(前掲『イアブック「核軍縮・平和2011」』)と述べ、非人道性と並んで持続可能性の面からも警告し、国際赤十字・赤新月運動の昨年の代表者会議でも核兵器の廃絶を求める決議を行ったことを、核保有国は真剣に受け止めるべきでしょう。
 世界には今なお2万発以上もの核兵器が存在していますが、地球上の全ての人々とその子孫に危害を及ぼし、地球上の生態系を破壊してなお何十倍、何百倍も余りある兵器を保有し続けてまで守ろうとするものは一体何なのか──。仮に自国民の一部が生き残ったとして、そこに“未来”という文字がないことは明らかではないでしょうか。
27  有志国とNGOで行動グループを!
 このように国際人道法の精神に加えて、「人権」や「持続可能性」という、同じ地球で暮らす以上は無関係では済まされない観点から問題提起することは、「核兵器のない世界」を目指す運動の裾野を大きく広げることになる。特に保有国や、その“核の傘”に依存してきた国の人々に対し、従来の政策を今後も続けることは「人権」と「持続可能性」に対する重大な侵害であるとの意識転換を促すことにつながることが期待されましょう。
 そのことを踏まえ、私がNWCを実現するための一つの方途として提案したいのは、基本条約と議定書をセットにする形で核兵器の禁止と廃絶を追求するアプローチです。
 つまり、「『核兵器のない世界』の建設は人類共同の事業であり、国際人道法と人権と持続可能性の精神に照らして、その建設に逆行する行為や、理念を損なう行為をしない」との合意を基本条約の柱とし、製造と開発の禁止や、使用と威嚇の禁止などの徹底、廃棄と検証に関する取り決めについては、それぞれの議定書の締結を通して段階的に進めていく方式です。
 その眼目は、全ての国が安心と安全を確保できるような“人類共同の事業”としての枠組みを打ち立てることにあります。
 こうした位置付けをすることで、条約を、各国が現在の立場の違いを超えて、「核兵器のない世界」という共通目標に向かって共に前進するための足場としていくことができるのではないか。また、条約に加盟した国々が共通目標に鑑みて、脅威を角突き合わせるのではなく、互いに脅威をなくしていこうとする道が開けましょう。
 そうした“脅威から安心への構造転換”を基本設計とする条約が成立すれば、次の段階となる議定書の発効が多少遅れたとしても、現在のような先行き不透明で脅威が野放図に拡散していく世界ではなく、明確な全体像に基づいた国際法によるモラトリアム(自発的停止)の状態が形成されていくのではないか。
 そのための準備を早急に開始することが必要であり、今年か来年のうちに、有志国とNGOが中心となって「核兵器禁止条約のための行動グループ」(仮称)を発足させることを呼びかけたい。SGIとしても、積極的に関わっていきたいと思います。
 そして、基本条約の原案や議定書の構造設計の検討を進める一方、青年たちの情熱と信念の力をエネルギーの源としながら国際世論を喚起し、グローバルな民衆の連帯を強め、賛同国の拡大の後押しをする中で、2015年までに核兵器の禁止と廃絶に向けた基本条約の調印、もしくは最終草案の発表を広島・長崎で行うことを提案したい。
28  被爆地に立って胸に刻まれるもの
 私は以前から、原爆投下から70年にあたる2015年に、各国の首脳や市民社会の代表が参加して、核時代に終止符を打つ意義を込めた「核廃絶サミット」を広島と長崎で行うことを提案してきました。
 また、その一つの方式として、NPT再検討会議の広島・長崎での開催も呼びかけてきました。
 NPT再検討会議は通常、ニューヨークやジュネーブで開催されてきただけに他の場所での開催は困難が伴うと思いますが、「核廃絶サミット」にせよ、NPT再検討会議にせよ、私が被爆地での開催を念願してきたのは、各国首脳をはじめとする会議の参加者が訪問を通じて「核兵器のない世界」への誓いを新たにすることが、核問題解決の取り組みを“不可逆で揺るぎないもの”にしていくと信じるからです。
 ここ数年、「核兵器のない世界」に向けた提言を、ヘンリー・キッシンジャー博士らとともに続けてきたウィリアム・ペリー元米国防長官は、広島の原爆ドームや平和記念資料館をつぶさに見て回った感想を、こう綴っております。
 「目の前に広がる被爆地の地獄絵図を見て、私の心は締めつけられた。もちろん、それまでにも核兵器の恐ろしさは十分理解していたつもりではいた。だが、それが実際にもたらした悲惨な現実を眼前に突きつけられ、私は改めて核爆弾が持つ強大なパワーを実感し、かつそれがとんでもない悲劇を引き起こすのだということを強く感じた。同時にこうした兵器が二度と地球上で使われるべきではないという思いを強く胸に焼きつけた」(春原剛訳『核なき世界を求めて』日本経済新聞出版社)
 もちろん、人それぞれに感想は違ってくると思います。しかし、それが何であろうと心に刻まれるものは必ずあるはずです。
 いずれにしても核兵器の拡散が進み、脅威が現実のものになりかねない状況を一刻も早く打開するには、同じ地球に暮らすより多くの人々が、自分たちの生命や尊厳、そして子どもや孫たちといった未来の世代に深く関わる問題として受け止め、声を強めていく以外に道はありません。
 SGIは、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」の発表50周年にあたる2007年から「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の運動を立ち上げ、民衆の声の結集に努めてきました。
 これまで世界220都市以上で開催してきた「核兵器廃絶への挑戦」展はその一環で、多くの市民の来場を得てきました。
 そのほか、核戦争防止国際医師会議が進める「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に協力し、NWCの実現を求める民衆の輪を広げるとともに、国際通信社IPSと共同で核兵器に関する記事や論考を発信するプロジェクトを通じて「核兵器のない世界」に向けた課題や現実変革のための代替案を探る取り組みを続けてきました。
 「いやしくも私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」(前掲『戸田城聖全集第4巻』)との、55年前の師の遺訓は、今も耳朶を離れることがありません。
 SGIの青年たちとともに、師との誓いを果たし、「核兵器のない世界」への道を民衆自身の手で切り開くべく、志を同じくする団体や人々と手を取り合いながら、人類未到の挑戦を何としても成し遂げたいと決意するものです。
 また、私が創立した戸田記念国際平和研究所でも、「核兵器のない世界」を地域的な面から確保しようとする国際的な動きを支援するために、「非核兵器地帯の拡大」に焦点を当てた研究プロジェクトを今年から開始していきたいと考えております。
29  具体的提案と行動が人類守る屋根に
 以上、災害や環境と開発の問題に加えて、核兵器の問題について、それぞれ具体的提案を行いました。
 いずれの問題も容易ならざる困難を伴うものですが、無限の可能性を秘めている民衆一人一人の力を結集することで、解決への道は必ず開くことができると確信しています。
 今から60年前に「地球民族主義」を提唱し、55年前に「原水爆禁止宣言」を発表した師の戸田第2代会長の信念は、“常に100年先、200年先を見据えて行動せよ”でした。
 そして戸田会長が、不二の弟子である私に未来を託して師子吼された言葉は、生涯の誓いとなり、行動の原点となりました。
 「人類の平和のためには、“具体的”な提案をし、その実現に向けて自ら先頭に立って“行動”することが大切である」「たとえ、すぐには実現できなくとも、やがてそれが“火種”となり、平和の炎が広がっていく。空理空論はどこまでも虚しいが、具体的な提案は、実現への“柱”となり、人類を守る“屋根”ともなっていく」と。
 これまで30年間にわたって続けてきたこの提言は、師との誓いを果たす実践に他なりません。
 こうして地球的問題群の解決のための提案を重ねる一方、問題解決の最大の原動力となるグローバルな民衆の連帯を広げるために、192カ国・地域のSGIの同志とともに、来る日も来る日も、勇気と希望を人々の心にともす対話に取り組んできたのです。
 平和への戦いも、人権や人道のための戦いも、何か一つの山を乗り越えれば、終わりが見えてくるようなものでは決してない。
 一つの世代から新しい次の世代へ、誰にも断ち切ることのできない滔々たる流れをつくり、その流れを強く、また太くしていく挑戦の中で、地球の未来は盤石なものになると、私どもは確信し、ともに行動を積み重ねてきました。
 今後もその信念を燃やして、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント」を力強く推し進め、平和と共生の地球社会に向けた土壌を耕していきたいと決意するものです。
 2012.1.26創価学会インターナショナル会長池田大作
30  語句の解説
 注1 リーマンショック
 2008年9月、大手投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻が引き金となった世界的な金融危機。ほとんどの国の株式相場が暴落し、金融システム不安から国際的な金融収縮が起きた。アメリカのみならず、ヨーロッパ諸国や日本が、第2次世界大戦後初の同時マイナス成長に陥った。
 注2 ペロポネソス戦争
 紀元前431年から前404年、古代ギリシャで繰り広げられた戦争。アテネを中心とする「デロス同盟」と、スパルタを中心とする「ペロポネソス同盟」との間で覇権が争われた。ペルシャの援助を受けたスパルタ側の勝利に終わったが、戦争の痛手は大きく、ギリシャ全体が衰退に向かう原因となった。
 注3 毒矢の譬え
 観念的な議論にふける弟子を戒めるために釈尊が説いた譬え。“毒矢で射られて苦しんでいる人が、だれが矢を射たのか、矢はどんな材質だったのか判明しないうちは治療しないでほしいとこだわっているうちに、命を落としてしまった”との譬えを通し、人々の苦しみを取り除く現実の行動にこそ、仏教の本義があることを諭した。
 注4 1325号決議
 国連安全保障理事会が2000年10月に採択した画期的な決議。紛争の防止や解決、平和構築における女性の重要な役割を再確認した上で、武力紛争下のあらゆる形態の暴力から女性を保護する特別な方策をとることや、女性や少女への暴力を含む戦争犯罪の責任者を訴追することなどを求める内容となっている。
 注5 ミレニアム開発目標
 2000年9月に採択された国連ミレニアム宣言等をもとにまとめられた国際目標。2015年を目標期限とし、極度の貧困や飢餓に苦しむ人々の半減をはじめ、初等教育の完全普及、乳幼児死亡率の削減、妊産婦の健康改善など、8分野21項目にわたる目標の達成が目指されている。
 注6 ビキニ環礁事件
 1954年3月、太平洋中西部にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって、近海で操業中だった日本の漁船「第五福竜丸」の乗組員が被ばくした事件。ビキニ環礁では46年から58年まで、アメリカによる核実験が繰り返し行われ、マーシャル諸島の周辺住民たちは長年にわたって放射能汚染による被害に苦しんできた。

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