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第33回「SGIの日」記念提言 「平和の天地 人間の凱歌」

2008.1.26 「SGIの日」記念提言(池田大作全集未収録分)

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2  「対立」超える「対話」の架橋作業
 さて、冷戦終結後に志向された「新世界秩序」が“錦の御旗”として掲げていたのが、周知のように「自由」であり「民主主義」であります。両者ともに、それ自体文句のつけようのないものですが、ひとたびそれを異なった政治文化の中に根付かせようとすると、どんなに困難が伴うか。それどころか、「自由」や「民主主義」を一定限度実現しているところでも、維持向上の努力を怠ると、みるまに似ても似つかぬものへと堕落してしまう――。このことを“ベルリンの壁”の崩壊(1989年11月)を受けた直後のSGI提言の中で、私はプラトン(田中美知太郎・藤沢令夫他訳「国家」、『世界古典文学全集15プラトンII』筑摩書房)の洞察に依りながら訴えたことがあります。
 すなわち、「自由」といい、「民主主義」といっても、行き着くところ「欲望の大群」を生み出して、それによって「青年の魂の城砦」が崩されてしまえば、救いようのない無秩序、カオスを招き、あげくの果ては、事態収拾のために、「一匹の針のある雄蜂」が待望されるようになる。「民主制」は「僣主制」への衰退=注2=、逆行を余儀なくされるであろう、と。
 その警鐘は、決して杞憂ではありませんでした。金融主導のグローバリゼーションの、蝶番の外れたような進行は、世界的規模の格差社会をもたらし、拝金主義と不公平感を蔓延させ、それを一因(最大の要因といってもよいかもしれない一因)とするテロ行為は、拡散の一途をたどっております。テロや犯罪の発生する構造的要因を析出し、きめ細かく対処せずに、一方的に力で抑え込もうとしても、事態を悪化させるばかりであることは、歴史の教訓です。力による秩序は、むしろ無秩序、カオスに隣接している。
 私が仏法者として一番憂慮していることは、こうした風潮に乗じて昨今の“原理主義への傾斜”ともいうべき現象、心性が、随所に顔をのぞかせていることであります。
 かまびすしく取りざたされている宗教的原理主義に限らず、民族や人種にまつわるエスノセントリズム(自民族中心主義)やショービニスム(排外的愛国主義)、レイシズム(人種主義)、イデオロギー的なドグマ(教条)、あるいは市場原理主義にいたるまで、カオスに乗じて、わが物顔に横行しているといっても過言ではない。そこでは、万事に「原理」「原則」が「人間」に優先、先行し、「人間」はその下僕になっている。それぞれの分野での細かい定義は措くとして、そうした“原理主義への傾斜”を端的に要約すれば、かつてアインシュタインの遺した「原則は人のためにつくられるのであって、原則のために人があるのではない」(ウィリアム・ヘルマンス『アインシュタイン、神を語る』雑賀紀彦訳、工作舎)という言葉に尽きていると思います。
 原理・原則は人間のためにあるのであって、決して逆ではない――この鉄則を貫き通すことは、容易ではない。人間は、ともすれば手っ取り早い“解答”が用意されている原理・原則に頼りがちです。シモーヌ・ヴェイユの比喩(田辺保訳『重力と恩寵』筑摩書房)を借りれば、人間や社会を劣化させてやまない「重力」に引きずられ、人間性の核ともいうべき“汝自身”は、どこかに埋没してしまう。私どもの標榜する人間主義とは、そうした“原理主義への傾斜”と対峙し、それを押しとどめ、間断なき精神闘争によって自身を鍛え、人間に主役の座を取り戻させようとする人間復権運動なのであります。
3  四面楚歌にあって己を貫いたジイド
 ここで、原理主義と人間主義の対峙という点で、忘れがたい有名なエピソードを一つ、想起しておきたい。それは、希代のヒューマニスト(ユマニスト)であったフランスの作家アンドレ・ジイドとソビエト社会主義にまつわるものであります。
 1936年6月、敬愛するM・ゴーリキーの重篤の報に、ジイドは急ぎモスクワに飛ぶが、その翌日、ゴーリキーは死去。葬儀や一連の行事を終えた後、かねてからの希望もあって、1カ月ほど地方を旅した。その感想を11月上旬、『ソヴェト旅行記』(小松清訳、岩波書店)として世に問いました。
 その上梓は、フランスはもとより、欧米各国や日本においても、まさに歴史的ともいうべき喧々囂々たる論議を巻き起こしていったようです。内容は、ジイドがロシア革命やその後のソ連の歩みに、十分な歴史的意義を認めながらも、次第に見え隠れしつつあったソビエト社会主義の病理に、今日から見れば控えめすぎるほど控えめに、批判のメスを入れている。その多くが鋭く、正鵠を射たものであることは、ソ連崩壊後の今日、誰の目にも明らかです。
 しかし、当時は“赤い30年代”といわれ、全体主義と戦うスペイン内戦=注3=の影響もあって、多くの知識人、青年が、雪崩を打つように左翼へとなびき、ソ連へ希望の眼を向けていた。それだけに左翼の一員と思われていたジイドの警告は、学界、ジャーナリズムの世界、政界を巻き込んだ大反響を引き起こした。賛否両論といっても大多数は“否”であり、なかにはジイドを裏切り者扱いする者も多く、彼は孤立無援に近かった。
 しかし、四面に楚歌を聞きながら、ジイドは一歩も退かず、己に誠実たらんとする一点を踏まえて、こう言い放ちます。
 「私にとつては、私自身よりも、ソヴェトよりもずつと重大なものがある。それは人類であり、その運命であり、その文化である」と。
4  人間主義の立つ普遍的な足場
 ジイドは大仰な言い方を嫌うかもしれないが、明快にして要を得た、まさに人間主義宣言ともいうべき歴史的留言であります。ジイドにとってヒューマニティー(ユマニテ)とは、今日、使い古されてすっかり手垢のついてしまった、それ故さしたる共鳴を響かせなくなってしまったヒューマニズムがもたらす語感とは違い、極度に磨きすまされた、そこ以外に正義の根拠を求めようのない普遍的な足場であった。そして、「私自身よりも……」と述べられているように、その擁護のためには命を賭してもよい「文化」――自他の尊重、差異や多様性の尊重、自由や公正、寛容などの精神的遺産に裏打ちされた普遍的価値であった。その信念こそが、時流に抗した不屈の精神闘争を支えていたにちがいないのであります。
 そのヒューマニティーの普遍的な広袤は、仏典で説かれる「法性の淵底・玄宗の極地」(一切諸法が拠りどころとする根本の真理)を連想させます。仏法を基調とする人間主義とは、その普遍的な足場――仏性という誰もが具えている金剛にして不壊、清浄にして無垢なる心性を「心蓮台」(心の蓮台=仏の座する蓮華の台座)と名付けるのは、普遍的な足場、根拠をよくイメージさせます――を踏み外すことなく、宗派性はもとよりのこと、あらゆる主義・主張の相違、民族や人種の相違、社会を構成する位階秩序の順逆などを相対化し、正しく再構築していくことを本領とする。「原理」ではなく「人間」が主役であるとは、そのことをいうのであります。
 故に仏典では、「然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり、此の八万法蔵を我が心中に孕み持ち懐き持ちたり我が身中の心を以て仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり此の心が善悪の縁に値うて善悪の法をば造り出せるなり」(御書563〜564ページ)と説かれている。
 「八万四千の法蔵」とは、直接的には釈尊一代の説法を指しますが、敷延すれば“差異”の世界のすべてともいえます。そうした“差異”を超えて、あらゆる人間が共有する無差別・平等な境地を探り当て、一切がそこからスタートし、そこへ帰着してくる。アルファ(出発点)であり、オメガ(究極)なのであります。あらゆる原理主義は、その点が逆倒し、倒錯しているといってよい。
5  自ら作ったものの奴隷となる弱小さ
 半世紀以上も前、フランスのユマニスム研究と紹介に生涯を捧げた渡辺一夫(当時、東大教授)が、第2次世界大戦中に吹き荒れた狂信(原理至上主義)の嵐を振り返りながら「宗教のヒューマナイゼーション」を提起したことがあります。
 「第二の宗教改革が、新しいルッター、新しいカルヴァンによってなされねばならず、その道は、奇妙な表現であるが、宗教のヒューマナイゼーションしかない。そして、宗教のヒューマナイゼーションとは、『鴉片』的なものを一切自ら棄てて、神すら人間のためにあるものであることを認知し、自らの作ったものの機械となり奴隷となりやすい人間の弱小さに対する反省を、自らも行い他人にも教え、ルネサンス期以来人間の獲得したものに対する責任を闡明する役を買わねばならない」(大江健三郎・清水徹編『渡辺一夫評論選 狂気について 他二十二篇』岩波書店)と。
 以来60年、それ以降のそして昨今の宗教事情を顧みれば、このラジカルな問題提起は、今もって未完の問いかけであり続けていると言わざるを得ません。何といっても、原理主義という言葉が最も頻繁に使われるのは、宗教のあり方をめぐってであるからです。
 とはいえ、いつまでも未完のまま放置しておいてよい訳では決してない。それでは、宗教は平和構築の原動力どころか、戦争や争いの加担者になってしまいます。
 それ故、私は「21世紀文明と大乗仏教」と題するハーバード大学での2回目の講演(1993年9月)で、宗教を持つことが、人間を「強くするのか弱くするのか」「善くするのか悪くするのか」「賢くするのか愚かにするのか」という視点を、宗派性を超えて導入すべきであると、自戒の念を含めて、強く訴えたのであります。宗教が人々の平和と幸福に資するためには、何よりもその宗教が、人間を「強く」し「善く」し「賢く」するよう促し、後押しするものでなければならない。それは「宗教のヒューマナイゼーション」とほぼ同義語であり、その内実であります。
6  ヴィーゼル氏の良心からの叫び
 ノーベル平和賞を受賞したエリ・ヴィーゼル氏は、教条主義や原理主義につきまとう狂信と憎しみを凝視し、自ら創設した人道財団が中心となって、「憎しみの分析」をテーマにした国際会議をこれまで数回開催してこられました。
 氏はその動機を「今日、多くの知識人たちが狂信に惹かれているのをどう説明したらよいのか?また、こうした魅力に取りつかれないよう免疫力を宗教につけるにはどうしたらいいのだろう」とし、「<歴史>始まって以来、人間だけが狂信と憎悪に苦しみ、それをせき止めることができるのも人間だけだ。人間だけがその能力を持ち、そしてその罪を犯しているのである」(村上光彦・平野新介訳『しかし海は満ちることなく 下』朝日新聞社)と強調しています。人間の良心のやむにやまれぬ叫びであり、宗教のヒューマナイゼーションへの、切なる期待といえましょう。
 少年期、アウシュビッツで父の死を目の当たりにし、母や妹を失い、ナチズムという最悪の原理主義の地獄をくぐり抜けてきた人の言葉だけに、人類史の直面する容易ならぬ課題を実感させる、重みと響きがあります。そして、それは、我々が避けて通ることの許されぬ難題(アポリア)なのであります。
 そうした努力を怠り、宗派性のみに固執していれば、宗教が人間の精神性を「弱く」し「悪く」し「愚か」にしてしまい、「鴉片的なもの」を増長させ、かえって戦争や争乱を助長し拍車をかけてしまう。ヴィーゼル氏の指摘するように、いわゆる“原理主義への傾斜”であり、あえて実例をあげる必要もないほど人類の歴史に刻まれてきた宗教の暗部、負の側面であります。
7  狂信と憎悪の重力にいかに立ち向かうか
 私が「未完の問いかけ」としたように、「宗教のヒューマナイゼーション」ということは、21世紀の今日、今なお越えねばならぬハードルとして、我々の眼前に立ちはだかり続けている。宗教史の明と暗のバランス・シートをどう捉えるかは難しい問題ですが、少なくとも、21世紀文明と宗教のあり方を考える際、宗教は人間性の向上、平和と幸福のためにあるという視点を忘れてはならないと、強く訴えるものであります。
8  歴史家ミシュレが提起した宗教観
 その点、かねてより私が注視していたのは、19世紀の大歴史家ジュール・ミシュレの宗教観であります。
 ミシュレの生きた時代はオリエント・ルネサンスと呼ばれたように、古代ギリシャ・ローマ文明の発見・再興であったルネサンスを受け、さらに、インドやペルシャなどを含むオリエント(東洋)への関心が増大し、時間的にも空間的にも、ヨーロッパ中心のキリスト教的世界観からの脱皮を迫られていた時代であった。当時の時代精神はどこか今日のグローバリゼーションと似た雰囲気があったのかもしれない。著書『人類の聖書』(大野一道訳、藤原書店)で、ミシュレは言います。
 「われわれの時代は何としあわせな時代か! 電線を通して地球上の魂を、今現在の中に一つに結びつけ調和させる時代である。歴史の流れを通し、いくつもの時代を照応させ、友愛にみちた過去を共有していたという感覚を与え、地上の魂が、同じ一つの心によって生きてきたことを知る喜びを与える!」と。
 「電線を通して……」などという表現は、今日のネット社会を連想させますが、何といっても、19世紀前半といえば、近代の科学技術文明の夜明けというか“揺籃期”であります。ミシュレの個人的資質も加わって、文明のフロンティア、世界像の拡がりへの期待は、時間的にも空間的にも無限大で、ほとんど手放しに近い。その点、30年以上も前にローマクラブの報告が「成長の限界」を警告したように、近代文明の“黄昏期”を余儀なくされている我々の時代とは、際立って対照的です。急速に進むネット社会に漂う、ある種の手詰まり感は、情報科学のもたらすコミュニケーションの拡大がそのまま「地球上の魂を……一つに結びつけ調和させる」ことにつながるとする楽観論など、現状は皆無に近いことを物語っているといえましょう。
 その意味では、ミシュレの時代は、ヨーロッパ人が、自らの文明を相対化しつつも、というよりも相対化の故に、人間の力や可能性の普遍的な拡がりに自信を持つことができた幸福な時代であったのかもしれません。そうした時代精神は、ミシュレの宗教観にも如実に映し出されております。それは、まさしく「宗教のヒューマナイゼーション」そのものでした。
 『人類の聖書』とは、「新・旧約聖書」に限らず、ミシュレが「真の著者、それは人類である」と述べているように、インドの「ヴェーダ」や「ラーマーヤナ」、古代ギリシャの英雄叙事詩や古典劇、ペルシャの「シャー・ナーメ」、あるいはエジプト、シリアなど、漢字文化圏を除くほとんどの文明圏の「聖典=聖書」(神々)を広く渉猟したもので、それらを過不足なく比較・検証した上で、彼は、こう大胆かつ明快な結論を導き出しております。「精神活動が宗教を包含するのであって、それが宗教の中に包含されるのではない」と。すなわち「人間」を超越し、「人間」に先行する一切の宗教的要因を拒否するのであります。「ヒューマナイゼーション」たる所以です。
 そして言います。「アジアとヨーロッパとの完璧な一致、はるかな昔の時代とわれわれの時代との一致が分かったのである。(中略)――したがって、唯一の人類が、唯一の心があるのであって、二つに分かれてあるのではないということが分かったのだ。空間と時間を貫く大いなる調和が、永遠に復元されたのである」と。
9  自己規律に基づく骨太な人間讃歌
 人間不信や閉塞感の遍満する現代から見れば、まさに隔世の感を深くします。確かにそれは、近代文明の“夜明け”“揺籃”の時代の、ユートピア的というか、あまりにもおおどかで楽観的な人間観、人間讃歌といえるかもしれない。そして、人間性の開花の系譜を、古代インドやギリシャの人間観から、中世の“暗黒時代”を経て、ルネサンス、フランス革命(自由・平等・友愛)へとたどるミシュレの期待と展望を、その後の歴史が大きく裏切ってきたことは周知の事実であります。20世紀の2度にわたる世界大戦、“アウシュビッツ”や“ヒロシマ”の惨劇を経験し、知識や科学技術が油断のできない“諸刃の剣”であることが骨身にしみている我々は、到底そのような手放しの楽観論に与することは不可能です。また、前世紀末のソ連の崩壊が、歴史の進展をフランス革命からロシア革命へとたどる進歩主義的歴史観に終止符を打ったことも、我々の記憶に新しい。
 とはいえ、我々は「沐浴の水と一緒に子どもまで捨ててしまう」(ドイツのことわざ)愚を犯してはならないでしょう。ミシュレが「お願いだから<人間>であるようにしよう。人類の聞いたこともない新しい偉大さによって、偉大になってゆこう」と訴えているように、人間が原点であり、人間こそが、宗教を含めた歴史創出の主役でなければならないという基本スタンスだけは、忘失されてはならない。我々の標榜する人間主義の戦いの成否も、そのスタンスを共有し、どう深化させ、継承していくかにかかっているからであります。
 特筆すべきは、ミシュレの人間讃歌が、今日のヒューマニズムという言葉にまつわる曖昧さ、骨格の定まらぬ情緒的な脆弱さとは縁遠いダイナミズムを有していたこと、換言すれば、人間解放とは似て非なる、エゴイズムの野放図な拡大にほとんど無防備であったその後のヒューマニズムの歩みとは対照的に、人間精神の規範性、自己規律という点でも、一本の太いバックボーンを有していた点であります。『人類の聖書』の末尾には、「インドから[一七]八九年まで光の奔流が流れ下ってくる。『法』と『理性』の大河である」という人類史の正統を継いでいるという自信、そして「諸々の時代にあって同一であるもの、自然と歴史の堅固な基盤にのった永遠の『正義』が輝き出る」とされ、「法」や「理性」「正義」を根拠ともバックボーンともしながら、自らを律し、創り直し、もって歴史創出の主役たらんという自覚、自負が、骨太に謳い上げられています。おおどかな人間讃歌が“遠心力”であるとすれば、これは“求心力”ともいえる。両者が均衡を保ってこそ、人間の魂は正常にはたらくことができます。
 ミシュレのいう「法」とは若干ニュアンスを異にしますが、それは仏教で説く「自帰依、法帰依」の構図と重なってきます。いわく、「みずからを洲とし、みずからを依りどころとして、他人を依りどころとすることなく、法を洲とし、法を依りどころとして、他を依りどころとすることなかれ」(増谷文雄『仏教百話』筑摩書房)と。昔も今も、人間が人間(主役)たらんとするには、何らかの依るべき「法」が不可欠なのであります。
10  部分的な「正義」の誘惑を超えて
 とはいえ、歴史はミシュレの思う方向には進まなかった。先に触れたように、渡辺一夫は「自らの作ったものの機械となり奴隷となりやすい人間の弱小さ」を言います。その「弱小さ」故に、人間は「人間、それ自らに背くもの」(G・マルセル)の言葉のごとく、歴史創出の主役たらんとしてその座から転がり落ち、20世紀は、イデオロギーの絶対化、狂信に発する戦争と暴力の嵐が吹き荒れました。ミシュレのいう普遍的な「正義」ではなく、あらゆる次元の個別的、部分的な「正義」が、人間の「弱小さ」につけ込むように己の正しさを言い募り、角突き合わせ、争っている――“原理主義への傾斜”を憂慮する所以であります。部分的「正義」の先にどんな悲惨が待ちかまえているかを知らずに、人間はなかなかその誘惑に勝てない。
 そうした“原理主義への傾斜”を止めるためには、それを座視するのではなく、人間主義は、悪との闘いを避け、放棄してはならないと訴えたい。ヒューマニズムという言葉には、平和や寛容、穏便といったプラスイメージと同時に、微温的、生ぬるさなどのマイナスイメージもつきまとう。そこをもう一歩突き抜けなければ、原理主義特有の過激さと対峙することは不可能でしょう。
 ナチズムと戦い続けたトーマス・マンは、それを「戦闘的なヒューマニズム」と名付け、こう述べております。
 「今日必要なのは戦闘的なヒューマニズム、みずからの雄々しさを発見し、自由、寛容および懐疑の原理は恥も懐疑も持たない狂信によって悪用され、踏みにじられてはならないのだという確乎たる見解に貫かれたヒューマニズムであろう」(佐藤晃一訳「ヨーロッパに告ぐ」、『トーマス・マン全集11』新潮社)と。
 ちなみに渡辺一夫は、マンのその小冊子が「激動期における私の『枕頭の書』となり、次いで『雑嚢の書』となり」(前掲)と語っています。
 この「戦闘的なヒューマニズム」とは、事実、ジイドが「正当なヒューマニズム」として熱烈にエールを送っているように、ジイドが「私自身よりも、ソヴェトよりもずつと重大なもの」として普遍的価値、正義の根拠としていた「ヒュマニティ」(ユマニテ)と同根から発しているはずであります。
 そして私は、そこに仏法を基調にした人間主義による精神闘争のあり方が、二重写しにされてならないのであります。私どもの推し進める仏教運動が、現在、世界的な拡がりを見せ、各界から幅広い支持をいただいているのも、それを基調にした人間主義が、宗派性、宗教原理を超えた普遍的な拡がりを有し、すなわち「宗教のヒューマナイゼーション」という文明史的課題の一翼を担っているからではないでしょうか。
11  言論を嫌うのは人間嫌いと同根
 ところで、ヒューマニズムを言う限り、最大の武器、コミュニケーションの手段が対話――人類史とともに古くて新しい課題であり続ける対話に帰着することはいうまでもない。古来、“対話的存在”であることは、人間の本質に根ざし続けており、対話が途絶するということは、人間が人間であることをやめるに等しい。いうなれば、対話なき人間は人間失格であり、対話なき社会は墓場といっても過言ではありません。
 古くはソクラテスが「およそ人の心がおちいる状態で、この、言論を忌み嫌うということほど、不幸なものはありえない」(藤沢令夫訳「パイドン」、『世界古典文学全集14プラトンI』筑摩書房)として、言論嫌い(ミソロゴス)を人間嫌い(ミサントローポス)と同根としました。
 また近くは、例えば、昨年亡くなったドイツの碩学カール・フォン・ヴァイツゼッカー氏(私が会談したドイツ元大統領の長兄)は、「人間とは共に生きるための、人生の対話者という存在である」(小杉尅次・新垣誠正訳『人間とは何か』ミネルヴァ書房)と喝破しております。
 この種の証言は枚挙にいとまがなく、それは、言論や対話が、いかに人間を人間たらしむる本質的要件であるかを物語っております。人間が善き人間であろうと、つまり叡知人(ホモ・サピエンス)たらんとすれば、同時に言語人(ホモ・ロクエンス)として、対話の名手でなければならない。
 特に、対話と対極に位置する狂信や不寛容の歴史を引きずる宗教の分野にあっては、ドグマを排し、自己抑制と理性に裏打ちされた対話こそ、まさに生命線であり、対話に背を向けることは、宗教の自殺行為といってよい。したがって、仏法を基調とする人間主義を推し進めるにあたって、いかに狂信や独善、不信といった問答無用(原理主義)の壁が立ちはだかろうと、この、対話こそ人間主義の“黄金律”であるという旗だけは、断じて降ろしてはならないと訴えておきたいと思います。
 途中で途絶しては対話とはいえず、真の対話は、間断なき持続的対話として貫徹されねばならない――こうしたホモ・ロクエンスの真価を発揮するには、相応の間断なき精神闘争を要するはずです。
 それには、人間の「強さ」「善良さ」「賢明さ」などの美質が、総動員されなければならない。そして、真の宗教は、それら美質を顕現させゆく駆動力でなくてはならない。すなわち「人間革命の宗教」でなければならないというのが、私の変わらぬ信念であります。故に、ハーバード大学での講演でも、その点を踏まえ、21世紀文明に果たすべき大乗仏教の精髄について、論及したのであります。
12  50冊近くに及ぶ識者との対談集
 対話こそが宗教の生命線であり黄金律である――この信念に立って、私は、これまで7000人余の識者・要人と会談してきましたし、トインビー博士をはじめ、50冊に及ぼうとする対談集を世に問うてきました。
 そこには、キリスト教文明圏や儒教文明圏の人も数多い。従来、比較的日本と交流の少なかったイスラムやヒンズー文明圏の人も、旧共産圏の人もいます。また、人文系に限らず、物理学や天文学など理数系の識者もいる。仏典に「無量義は一法より生ず」とあるように、国境を超え、宗派やイデオロギーを超え、人種や民族、学問間の障壁を超えながら、異なる分野を架橋しゆく対話を、仏法を基調にした人間主義にのっとり、着実に推し進めてきました。それは、普遍的ヒューマニズムを、時代精神にまで高め、21世紀文明に寄与したいとの念願からであります。
 またSGIでも、7年前の同時多発テロ事件の直後からヨーロッパ科学芸術アカデミーが開催してきた、キリスト教、仏教、ユダヤ教、イスラム教の代表による「四大宗教間対話」に継続的に参加し、平和に貢献する道をともに模索してきました。
 そしてさらに、私の創立した東洋哲学研究所やボストン21世紀センター、戸田記念国際平和研究所においても、「文明間対話」や「宗教間対話」を積極的に推進してきたのであります。
 続いて、この人間主義を基盤に、今、世界が直面する諸課題を克服するための方途について、いくつか提言しておきたい。
 第2次世界大戦の悲劇を、再び繰り返さないとの反省に基づき、世界人権宣言が採択されて、今年で60周年を迎えます。
 「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」との崇高な一節を前文に掲げ、全30カ条からなる自由権や社会権を定めた宣言は、その後の各国の政策に影響を及ぼし、人権に関する諸条約や制度を形成する上での基礎となり、人権運動に取り組む人々に勇気と希望を与える源泉となってきました。
 戦後世界の再出発にあたって、「人権の普遍性」のビジョンと、「恐怖及び欠乏のない世界の到来」を目標に掲げた人権宣言は、国連憲章と並んで“人類共和への指針”としての役割を果たしてきたといえましょう。
 21世紀に入り、人権宣言が標榜する「国境を超えた普遍性」の横軸に加えて求められるのは、未来にわたる人間の幸福を視野に入れた持続可能で平和な地球社会を築く「世代を超えた責任」の縦軸ではないでしょうか。
 この問題意識に基づき、今回は「地球生態系の保全」「人間の尊厳」「不戦の制度化」の三つの柱から提言を行っておきたい。
13  環境問題に関する二つのリポート
 第1の柱は、「地球生態系の保全」に関する提案であります。
 昨年、最新の研究成果を踏まえた注目すべきリポートが相次いで発表されました。
 一つは、UNEP(国連環境計画)の「地球環境概況」です。これによると、大気汚染に関しては改善された地域もあるが、地球全体でみると、毎年200万人以上の死期を早める原因となっているほか、有害な紫外線から人々を保護するオゾン層も、南極上空の穴は過去最大になったといいます。また、一人あたりが使用できる淡水の量は地球規模で減少し、生物多様性の面でも、1万6000種以上が絶滅の危機にあると指摘しています。
 つまり、比較的単純な問題は各地で取り組みが進んでいるものの、複雑で深刻な問題は依然残されたままで、対策が急務となっているというのであります。
 もう一つは、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)=注4=がまとめた「第4次評価報告書」です。二酸化炭素の排出量が近年急増し、ここ50年の温暖化傾向は過去100年のほぼ2倍となり、21世紀末には最大で6.4度上昇する可能性があると予測しています。
 このままでは、北極域における海氷の縮小が進むとともに、猛暑や熱波、大雨などの極端な気象が頻度を増していく可能性がかなり高く、今後、人間の存在基盤が著しく脅かされる恐れがあると警告しております。
 また国際政治の場でも、サミットで気候変動が継続して議題にのぼり、昨年9月には「気候変動に関するハイレベル会合」が国連で開催されるなど、環境問題の緊急性に関する認識は年々深まっています。ただし、国際社会が一致しての行動という面では、いまだ課題は大きいと言わざるを得ません。
14  同じ地球で生きる自覚と責任感を
 あらためて述べるまでもなく、地球生態系の保全は、国境を超えた人類共通の課題であり、“同じ地球で生きている”という一人一人の強い自覚と責任感なくしては、解決への糸口を見いだすことは困難といえます。
 かつて牧口常三郎初代会長は、身近な地域に根ざした「郷土民」、国家を形成する「国民」、世界を人生の舞台とする「世界民」という、三つの自覚をあわせ持つことの重要性を訴えました。その上で、国益に縛られない、同じ地球に生きる人間としての“開かれた人類意識”の涵養を促したのであります。
 これこそ、SGIが「持続可能な開発のための教育の10年」を提唱する上で基底に据えていた理念であり、関係機関や他のNGO(非政府組織)と一緒に、実現のために力を注いできた理由にほかなりません。
 まさに今、「地球益」「人類益」に立った協調行動が求められているのであり、その中心軸となるべき存在こそ国連であります。
 国連では、これまでUNEPを通し、環境問題への取り組みの促進と調整が図られてきました。またUNEPは、環境関連の多くの条約事務局の役割を兼ねているほか、六つの地域事務所を有し、持続可能な開発と環境保全のプログラムを推進する努力が続けられてきました。
 その実績を踏まえつつ、深刻化する地球環境問題に、より万全の態勢で対処していくために、UNEPのさらなる強化を求める声が高まっております。昨年2月、ナイロビで行われた閣僚級の環境フォーラムでも、同様の認識で一致がみられました。科学的知見の集積と分析や環境条約を調整する機能の強化の重要性が指摘される一方、UNEPを国連の専門機関に格上げすべきであるとの意見も出されました。
 私も以前から、21世紀の国連が担うべき活動の大きな柱は地球環境問題であると考えてきました。構想の一端として、6年前に「国連環境高等弁務官」の設置を呼びかけたこともありますが、その主眼は、国連が中心となって問題解決へのイニシアチブを発揮する体制を整備する点にありました。
 従来、UNEPが担ってきた機能の強化に加えて、こうした点なども勘案しながら、「世界環境機構」ともいうべき専門機関への発展的改組を目指していってはどうか。
 専門機関への改組が重要だと考える一番の理由は、UNEPでの議論や意思決定に直接関わることができるのが理事国に限られるのに対し、専門機関の場合はその加盟国となることで、どの国も議論のテーブルにつくことができる点であります。これは、私が30年前に提唱した「環境国連」のイメージにも近いものであり、近年、叫ばれている「グローバル環境ガバナンス」の確立という面では、すべての国が参加できるという体制を整えることが、何にもまして重要となってくるのではないでしょうか。
15  東アジアを省エネの“モデル地域”に
 次に、焦点となっている温暖化防止対策について言及しておきたい。
 昨年6月、ドイツで行われたサミットで、2050年までの世界の温室効果ガス半減を真剣に検討することで合意をみました。しかし、温室効果ガスを削減する手だては京都議定書に基づく2012年までの枠組みしかないのが実情です。また、50%削減を達成するには、京都議定書の枠組みに加わっていない国々が参画した形での全地球的な体制づくりが欠かせないことは論を待ちません。
 先月、国連気候変動枠組み条約締約国会議がインドネシアで開催され、2013年以降の枠組みをつくる交渉の行程表「バリ・ロードマップ」=注5=が採択されました。削減の数値目標が盛り込まれなかったのは残念ですが、アメリカや中国、インドなど京都議定書に加わっていない主要排出国を含めた形で、温暖化防止の新たな枠組みづくりを目指す体制が整ったのは、一定の前進といえましょう。
 この「バリ・ロードマップ」に基づく交渉を進めるにあたって、私が呼びかけておきたいのは発想の転換です。ともすれば全体的な目標の達成よりも、いかに自国の義務や負担を少しでも軽くするかに力点が置かれてしまうマイナス思考の発想から脱却する必要があると思うからです。
 主要国が率先して目標を設定し、意欲的な政策を進めるとともに、他国の取り組みも積極的に支援しながら、地球レベルでの貢献を良い意味で競い合っていく――いうなれば、「協力」と「連帯」をキーワードにした温暖化防止の体制を築いていく時代への転換であります。
 今から100年以上も前、牧口初代会長は、各国が国益のために相争う状態に終止符を打ち、互いにプラスの影響を与え合い、共存共栄する世界を建設する方途として、「人道的競争」のビジョンを提唱しました。この「人道的競争」の時代を、地球環境問題への取り組みを契機に大きく開いていくべきではないでしょうか。7月の洞爺湖サミットの議長国でもある日本が、そうしたプラス思考への転換を呼びかけ、時代変革の先頭に立つことを強く望むものであります。
 では具体的に、温室効果ガスの排出量をどう削減していけばよいのか。
 さまざまな対策が考えられますが、特に、自発的な目標と貢献というプラス思考の発想になじむものとして、再生可能エネルギーの導入促進と省エネルギー対策によって「低炭素・循環型社会」への移行を図るアプローチを取り上げたいと思います。
 再生可能エネルギーについては、すでにEU(欧州連合)で注目すべき動きが見られます。昨年3月の首脳会議では、温暖化対策として太陽光など再生可能エネルギーの利用拡大を加盟国に義務づけ、現在6.5%のEU全体での利用割合を2020年までに20%に引き上げることで合意しました。
 これとあわせて、「低炭素・循環型社会」への移行に向けたカギを握るのが、省エネルギー対策です。私は、この分野で多くの経験と実績を持つ日本が、近隣諸国との連携を深めながら、東アジアを「省エネルギー推進のモデル地域」にしていく努力を傾けるべきであると訴えたい。
 昨年の提言で、私は東アジア共同体の構築に向けて基盤となる地域協力のパイロットモデルとして、「東アジア環境開発機構」の創設を呼びかけました。まずは省エネ分野で日本がリーダーシップを発揮し、先鞭をつけることが望ましいと考えるものです。
16  民衆の力を結集し“下からの改革”を
 こうした制度面での整備とともに欠かせないのが、民衆レベルでの取り組みです。
 かつて私は、「持続可能な開発のための教育の10年」の制定を呼びかけるにあたり、環境問題解決のためには、制度面での整備といった“上からの改革”だけでなく、草の根レベルで行動の輪を広げ、目覚めた民衆の力を結集していく“下からの改革”が欠かせないと強調しました。
 その活動の柱として教育に着目したのは、教育には一人一人が秘めている限りない可能性を引き出し、それぞれの地域にとどまらず、やがては地球的規模で時代変革の波を生み出す力があると信じるからであります。
 SGI(創価学会インタナショナル)では、2005年のスタート当初から「教育の10年」を支援し、教育教材として映画「静かなる革命」を地球評議会、国連環境計画、国連開発計画と協力し制作したほか、地球憲章委員会と共同制作した「変革の種子」展を各地で開催しております。
 またこれに先立つ形で、私が創立したボストン21世紀センターでは、持続可能な未来を築くための理念と指針をまとめた「地球憲章」の起草作業を支援してきました。
 さらに自然保護の活動として、ブラジルSGIが「熱帯雨林再生研究プロジェクト」を93年から展開し、アマゾン川流域の生態系を保全するための植林や貴重な種子を採取・保存する活動を継続しており、カナダやフィリピンなど各国のSGIでも植樹活動が行われてきました。
 こうした植樹活動の意義をめぐって、グリーンベルト運動の指導者でノーベル平和賞を受賞した、ケニアのワンガリ・マータイ博士と語り合ったことがあります。
 その際、古代インドで釈尊が緑の木々を植えることの重要性を説いていたことや、戦争を放棄し平和と慈悲の政治を行ったアショカ大王が、街路樹の植樹など環境保護政策に努めていたことが話題となりました。また、グリーンベルト運動を通して女性のエンパワーメント(能力開花)が進んだことなどを踏まえ、「木を植える」ことは「生命を植える」ことであり、「未来」と「平和」を育むことにほかならないと、共感し合ったことを思い出します。
 「教育の10年」の取り組みを真に実りあるものにするには、単に環境問題に関する知識を身につけるだけでは十分とはいえません。例えば、植樹活動のような実体験を通じて、自身を取り巻く生態系の尊さを体感し、それを守る心を一人一人の中に植え付ける作業が必要となってくるのではないでしょうか。
 UNEPでは現在、マータイ博士らの後援を受けて、「10億本植樹キャンペーン」を推進しています。その結果、これまで世界全体で19億本もの植樹が行われ、今年も同様に10億本を超える植樹が目指されています。私は、この取り組みを「教育の10年」と連動させる形で、今後も定着させていくことが望ましいと考えるものです。
 「教育の10年」を軌道に乗せ、地球環境の悪化を食い止められるかは、一人でも多くの人々が自身の問題として受け止め、具体的行動を起こせるかどうかにかかっています。すなわち、持続可能な未来を築くために、個人や家族、地域社会や職場といった、身近なところから何ができるかを話し合い、共に行動を始めることが何よりも求められているのです。
 例えば、こうした取り組みを「持続可能な未来のための行動ネットワーク」等と名付け、環境問題だけでなく、貧困、人権、平和問題など個々の取り組みをつなぐ横の連帯を広げながら、人類共闘の足場を固めていってはどうか。SGIとしても、“下からの改革”を地球規模で進める一翼をさらに力強く担っていきたいと考えております。
17  精神的なつながりこそ恒久平和の礎
 続いて、第2の柱として、「人間の尊厳」に関する提言を述べておきたい。
 かつて私は、世界人権宣言の制定にあたって重要な役割を果たしたブラジル文学アカデミーのアタイデ元総裁と対談集(『二十一世紀の人権を語る』、『池田大作全集第104巻』所収)を発刊しました。その中で、当時を回想し、アタイデ氏が述べておられた言葉が忘れられません。
 「『世界人権宣言』の検討作業を進め、直面した幾多の難問について考えるうえで、私がとくに心がけた点は何であったか――それは、世界の各民族の間に“精神的なつながり”を創り出すこと、すなわち、“精神の世界性”を確立することでした」と。
 つまり、経済的なつながりや政治的なつながりのように、状況次第で壊れてしまう関係では、恒久平和の基盤としてはあまりにも脆すぎる。それらの結びつきよりも、はるかに崇高で、幅広く、強固に人類を結びつける絆を育むことが欠かせないとの信念に立って、検討作業に臨んだというのであります。
 「世界人権宣言」の採択60周年にあたる本年は、国連人権高等弁務官事務所が中心となって、人権宣言の意義を一層広めていくための、「わたしたち全員のための尊厳と正義」と題するキャンペーンが行われます。この機を逃すことなく、各国政府と市民社会が協力し合って、人権教育の普及など具体的な取り組みを積極的に進めることが求められます。
 現在、「人権教育のための国連10年」(1995年―2004年)に続く形で、国連の「人権教育のための世界プログラム」が2005年からスタートしています。こうした枠組みを継続させる重要性は、私も、2001年に南アフリカで開催された「反人種主義・差別撤廃世界会議」に向けた提言などで繰り返し訴えてきたものです。人権の尊重を政府レベルの議論の対象にとどめるだけでなく、「人間の尊厳」の基盤として人々の現実生活に深く根ざし、世界共通の「人権文化」として定着させることが重要となるとの信念からでした。
 「人権教育と学習の推進」は、国連改革に伴い新たに発足した人権理事会においても、総会決議に基づき、主要任務の一つとして掲げられています。また昨年9月には、「人権教育および訓練に関する国連宣言」の草案作成に着手することが同理事会で決定しました。この宣言が採択されれば、世界人権宣言や国際人権規約などの国際法上の人権基準に、新たな一文書が加わることを意味します。
 こうした重要な宣言は、先に述べたように、人々の現実生活に根ざした「人権文化」の定着に資するものとして起草されるべきであり、市民社会からの視点や要望を十分踏まえた形で検討されることが望まれます。
 そこで私は、宣言の草案づくりに向けて、市民社会における幅広い声を結集することを目的の一つとして、人権教育をテーマにした国際会議の開催を強く呼びかけたい。
 人権教育に関して、これまで地域レベルの会議や、専門家による小規模の会議などは開かれたことはありますが、世界規模での国際会議は実現しておりません。その意味でも、“市民社会のイニシアチブ”による市民社会のための世界規模での「人権教育および訓練に関する国際会議」の早期開催を提案したいのであります。
 また会議では、新たな国連宣言に関する議論に加えて、「人権教育のための世界プログラム」の今後の進め方についても、活発に意見交換を行っていってはどうかと思うものです。
18  「命のための水」世界基金の設置を
 次に、国連が取り組む「ミレニアム開発目標」に関して述べておきたい。
 この目標は、2015年までに貧困や飢餓に苦しむ人々を半減させるなど、人間の尊厳を保つ上で不可欠となる生活基盤や社会基盤の確保を目指したものです。昨年はその折り返し地点にあたり、国連がこれまでの進捗状況を調査し、明らかにしました。
 それによると、開発途上国で初等学校への就学率が上昇したほか、貧困に苦しむ人々の割合や子どもの死亡率などの点で改善傾向がみられる一方で、このままのペースではミレニアム開発目標のすべての目標を達成することは困難と言われています。
 こうした中、昨年7月、イギリスのブラウン首相が中心になってとりまとめ、アメリカやカナダ、日本やインド、ブラジルやガーナなど各国の首脳が署名した「ミレニアム開発目標に関する宣言」が発表されました。
 そこでは、先進国と途上国がともに政治的な意思をもって、「正しい政策と正しい改革が十分な財源と一体となる体制」を早期に確立することの重要性が確認されています。
 そこで私は、国連が2005年から2015年までを「『命のための水』国際行動の10年」とし、今年を「国際衛生年」と定めていることに鑑み、安全な水の確保と衛生環境の整備を軸に、「正しい政策と正しい改革が十分な財源と一体となる体制」の確立を目指していってはどうかと考えるものです。
 現在、10億人を超える人々が安全な水を得る権利を否定され、26億人が十分な衛生設備を利用できない状況に置かれています。その結果、毎年およそ180万人の子どもが下痢やその他の疫病で命を落とし、多くの女性や少女が毎日の水汲みを余儀なくされ、雇用や教育のジェンダー不平等(性別による格差)を拡大する状況を招いています。
 また、安全な水と衛生設備の不足により引き起こされる日常的な体調不良などが加わり、経済的な不平等が固定化され、人々を“貧困の連鎖”に閉じ込めてしまうことが懸念されています。
 国連開発計画も、「水と衛生に関する危機の克服は、21世紀前半の重要な人間開発課題の1つ」と位置付け、その対策が成功すれば、「ミレニアム開発目標(MDGs)に間違いなく弾みがつくことになろう」と強調しています。
 また、水と衛生設備に関する目標を達成するには、世界の軍事支出の約8日分にあたる100億ドルの追加資金が毎年必要となると試算し、「国家安全保障というより狭義の概念は除外して、人間の安全保障の向上という点からみると、少額であっても軍事支出を水と衛生設備への投資に回せば、大きな利益がもたらされる」と呼びかけています(以上、『人間開発報告書2006』古今書院から)。
 すでに、ミレニアム開発目標に関する資金的な枠組みが成果を収めてきた例として、2002年に設立された「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」があります。
 その最大の特徴は、地域や疾病ごとに事前に予算を割り当てず、各国のニーズに応じた計画を立て、審査を経て財政的な支援を行うという「途上国のオーナーシップ」が重視されていることです。また運営にあたる理事会には、各国の代表以外に、民間セクター、先進国と途上国のNGO、感染者団体の代表が加わり、同等の票と発言権を持つことで、より広範な人々の声を意思決定に反映するシステムがとられています。
 これらの特色を引き継ぐ同様の資金的な枠組みとして、「『命のための水』世界基金」を創設し、人間の尊厳が脅かされている多くの人々の状況を改善するための対策を集中的に進めるべきではないかと、私は考えるのです。
19  次代担う青年を育成支援し「アフリカの世紀」の旗手に
 私の創立した戸田記念国際平和研究所では、2年前から「人間開発、地域紛争、グローバル・ガバナンス」と題する新プロジェクトに取り組んでいます。
 この「人間開発」の概念とともに、「人間の安全保障」の概念を先駆的に提唱したことで知られるマブーブル・ハク博士は、戸田平和研究所の活動に創立時から期待を寄せてくださっていた一人でありました。かつて博士は、戸田平和研究所が主催した国際会議での基調講演(97年6月)で、「悲劇的結果がもたらされた下流で対峙するよりも、発生源の上流で人間の安全保障の新たな課題に取り組むほうが、容易であり、人間的である」と強調されたことがあります。
 また博士は、人間の安全保障を「人間の尊厳に関わる概念」と位置付け、「死亡しなかった子ども」や「蔓延しなかった病気」のように具体的な姿をもって人々の生活に反映される安全保障でなければならないと訴えていました(植村和子他訳『人間開発戦略 共生への挑戦』日本評論社)。その意味からも、ミレニアム開発目標に関する取り組みは、目標の達成はもとより、悲劇に苦しむ一人一人が笑顔を取り戻すことを最優先の課題とすることを忘れてはなりません。
 地球上から悲惨の二字をなくしたい――これは、私の師である戸田城聖第2代会長の熱願でもありました。その師の平和思想を淵源とする戸田平和研究所では今後、ミレニアム開発目標や持続可能な開発をはじめ、「人間開発」に関する取り組みを地球的規模で促進するための国際会議の開催や研究に、さらに力を入れていきたいと思います。
20  悲劇の流転を転換する新たな潮流
 ここで、「人間の尊厳」の輝く地球社会を築くために、特にアフリカに光を当てて提案を述べておきたい。
 21世紀に入り、アフリカの恒久的な平和と持続可能な成長を目指して、アフリカの国々による新たな挑戦が始まっております。
 その核となる存在が、AU(アフリカ連合)です。旧来のOAU(アフリカ統一機構)を改組する形で2002年7月に発足したAUは、53カ国・地域が加盟する世界最大の地域機関です。最高機関である総会(首脳会議)や各加盟国の代表からなる全アフリカ議会に加えて、平和・安全保障理事会、経済・社会・文化理事会、アフリカ人権裁判所などが、これまで相次いで設置されてきました。
 「21世紀はアフリカの世紀」との信念で、各国の首脳や識者と対話を重ね、民衆レベルでの文化交流や教育交流の拡大に取り組んできた私にとって、AUの挑戦が着実に成功し、アフリカの人々に大きな実りがもたらされることを願ってやみません。
 「アフリカの再生」こそ「世界の再生」であり、「人類の再生」につながる道であるというのが私の変わらぬ確信であります。
 事実、20世紀末から21世紀にかけ、人類の悲劇の流転史を転換する新しき潮流は、アフリカの大地から生まれてきました。南アフリカのマンデラ元大統領らによるアパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃と真実和解委員会の取り組みしかり、先に触れたマータイ博士らによる環境運動と女性のエンパワーメントの活動しかりであります。これらの潮流は、今や世界各地に広がって、時代変革の波を広げているのです。
 またアフリカでは近年、多くの国々で内戦や紛争が終結し、民政移管へのプロセスが進むとともに、経済成長率が好調となっているように、明るい兆しがみられます。
 もちろん、ダルフール地域やソマリアにおける紛争をはじめ、貧困や難民の問題など、アフリカを取り巻く状況は、依然として厳しいものがあることは事実です。ミレニアム開発目標の達成度も、サハラ砂漠以南の地域の進捗状況が、最も深刻であるといわれています。
 しかし今、積年の負の遺産に屈することなく、アフリカの国々が互いの協力で持てる力を倍増させる方向を目指し、直面する課題に連帯して臨む基盤づくりが進みつつあることの意義は計り知れないといえましょう。
 その具体的な取り組みとして採択されたのが「アフリカ開発のための新パートナーシップ」です。“アフリカ開発の鍵はアフリカ自身が握っている”との信念に立脚した各国の指導者による誓約をまとめたもので、平和と安定、民主主義、安定した経済運営、人間中心の開発の促進などが目指されています。大切なのは、こうしたアフリカの人々による意欲的な挑戦を、国際社会が全力で支えていくことではないでしょうか。
 今年5月には、第4回アフリカ開発会議(TICAD4)が横浜で開催されます。この会議は日本が主導し、国連などとの共催で93年以来、5年ごとに行われてきたもので、アフリカをはじめ各国の首脳や国際機関の代表らが参加し、アフリカが抱える問題に対する認識を共有し、解決の方途をともに話し合う場となってきました。
 今回の会議にあたって、私が特に留意を促したいのは、「アフリカの青年に対するエンパワーメント」の視点をすべての対策の基礎に据えることです。貧困や悪環境の下での生活が世代を超えて受け継がれる悪循環を断ち切り、「青年層の置かれた状況の改善」を通じて、「すべての世代にわたる状況の改善」を段階的に図っていく――そのプラスのサイクルへの転換を目指すべきだと訴えたい。
 これまでTICADでは、基礎教育の普及、人づくり拠点への支援、職業訓練などの面から人材育成が進められてきました。その実績をベースに、新たな柱として「アフリカ青年パートナーシップ計画」を設け、青年に対するエンパワーメントを前面に押し出し、アフリカが直面する諸課題の克服に挑戦する担い手を育成する環境整備を進めるべきであると提案したい。
 そして、日本をはじめ世界の青年との交流を深めながら、アフリカの問題にとどまらず、地球的問題群の解決にともに立ち向かう“青年の青年による青年のためのネットワーク”の形成を目指していってはどうでしょうか。
 今年は「日本アフリカ交流年」でもあり、さまざまな交流行事が予定されています。その取り組みを一つの起点として、今後、日本とアフリカ諸国の青年や学生たちが、毎年、定期的に交流する制度を確立することも、あわせて提案したいと思います。
21  軍事利用の再燃と開発競争への懸念
 最後に、第3の柱として「不戦の制度化」の観点から提案をしておきたい。
 私は、冷戦対立が激化していた時代から、軍拡の流れを阻止し、緊張緩和を図るために、米ソ首脳会談の開催を呼びかけるとともに、自らも対話と交流による民間外交に努めてきました。米ソ関係に加えて中ソ関係が悪化した時(1974年〜75年)には3カ国を相次いで訪れ、周恩来総理やコスイギン首相、キッシンジャー国務長官らと会談し、関係改善のための橋渡しも行ってきました。
 人類を破滅に導く核兵器による全面戦争や、世界を分断し民衆を苦しめる戦争を何としても食い止めなければならないとの決意からでした。冷戦の終結で、そうした危機は遠のいたものの、近年は核兵器の拡散に伴う脅威が強まってきております。
 昨年の提言で私は、「核兵器に依存しない安全保障」への移行を図るために、核軍縮の誠実な履行を確保する「国際核軍縮機構」の創設を呼びかけました。この軍縮の履行と同時に、核廃絶を実現させる上では、「核兵器の非合法化」を国際社会のコンセンサス(合意)として確立することが欠かせません。
 その一環として今回、注意を喚起したいのが、「北極の非核地帯化」であります。これは昨夏からカナダ・パグウォッシュ・グループが呼びかけているもので、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」を胸に“核兵器のない世界”の実現を目指す私どもSGIも、趣旨に賛同し、支援を表明したいと思います。
 北極海は、かつて冷戦時代において弾道ミサイルを搭載する東西両陣営の原子力潜水艦の航路として、軍事戦略上の重要な地理的位置を占めておりました。しかし先に触れたように地球温暖化に伴い、夏季に北極域の海氷が減少し、一層の軍事利用が可能となる状況が生まれることが懸念されています。
 また、これまで厚い氷に閉ざされていた北極では、海上航路の利用は困難で海底資源の開発は容易ではありませんでしたが、温暖化で状況が一変すれば、その利用と開発をめぐって、各国の利害が大きく衝突する恐れもあります。ゆえに今、北極における軍事利用の禁止や、人類の共有財産としての保護体制の確立とともに、非核地帯化が喫緊の課題となっているのであります。
 南極では、1959年に採択された「南極条約」に基づき、軍事利用の禁止のほか、南緯60度以南地域におけるすべての核爆発と放射性廃棄物の処分が禁止されています。
 その後、非核地帯を設置する動きは、ラテンアメリカおよびカリブ地域、南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジアにまで広がり、域内での核兵器の開発・製造・実験・保有・使用とともに、輸送や持ち込みを禁じる条約が五つの地域で成立するにいたりました。
 今や南半球の陸地の大半をカバーし、アジアにも広がった非核地帯は、それぞれの地域における核拡散の歯止めとなっているだけでなく、「核兵器の非合法化」に向けての足がかりとなるものともいえましょう。
 これらの非核地帯条約に署名した国に、一国で非核地位を宣言しているモンゴルを合わせると、100カ国を優に超えます。つまり、世界の半数以上の国々が、核兵器の開発や使用を条約の形で違法化する意思を示しているのであり、他の地域でも非核地帯の設置に向けて協議を重ねる中で、「核兵器の非合法化」を人類共通の規範としていく流れを確実にし、最終的には核兵器の開発・取得・保有・使用禁止などを定めた「核兵器禁止条約」=注6=を実現する道筋を開いていくことが求められます。
 その取り組みの一環として、まずは国連が中心となって、北極の軍事利用の禁止と非核化を定める「北極非核地帯条約」の制定を目指すべきであると訴えたい。とくに被爆国で非核3原則を国是としている日本は、「核兵器のない世界」を求める他の国々や市民社会と協力しながら、北極の非核地帯化に向けてのイニシアチブを発揮していくよう、強く望むものです。
 またこのアプローチは、北東アジアにおける核拡散防止を考えるにあたっても有益であると思われます。
 日本は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核3原則について、今後も一切の例外なく堅持することをあらためて誓約した上で、6カ国協議を通じて「北朝鮮の核開発の完全放棄」を目指すとともに、「北東アジアにおける非核地帯の設置」という、より包括的な目標とビジョンに向けた関係国との対話と外交努力に、全力を注ぐべきであると思います。
 核軍縮にせよ、核兵器の非合法化にせよ、国際社会の世論の強い後押しなくして、現実の重い壁を突き崩すことは容易ではありません。その突破口を開くための草の根レベルの枠組みとして、私は2年前に発表した国連提言の中で「核廃絶へ向けての世界の民衆の行動の10年」の制定を呼びかけました。
 そして私どもSGIでは、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」50周年の意義をとどめて、昨年から「核兵器廃絶への挑戦と人間精神の変革」展の国際巡回をスタートさせました。これは、1980年代に行った「核兵器――現代世界の脅威」展や、冷戦終結後に内容を一新した「核兵器――人類への脅威」展に引き続く形で、国連が呼びかける「軍縮・不拡散教育」を民衆自身の手で進める具体的行動の一つとして新たにスタートしたものです。
 今後もSGIは、この意識啓発の活動とともに、パグウォッシュ会議をはじめ、志を同じくする団体や組織と手を取り合いながら、「核兵器の非合法化」の実現を求める国際世論の喚起に努めていきたいと思います。核廃絶への道を開いていくことこそが、生命尊厳の思想を掲げる仏法者としての社会的使命であると確信するものです。
22  クラスター爆弾の使用を条約で禁止
 二つ目に呼びかけたいのは、「クラスター爆弾禁止条約」の早期締結です。
 クラスター爆弾は、内蔵した多数の子爆弾を広範囲にまき散らす兵器で、目標対象となった一帯にいる人々を無差別に殺傷するだけでなく、一部が不発弾のまま残るために、紛争終結後もなお深刻な被害をもたらし、復興を妨げる要因となっているものです。
 これまで24カ国・地域で約4億4000万個の子爆弾が使われ、推定で10万人が死傷したといわれており、今なお73カ国が備蓄を続けている状況にあります。
 その使用や製造と備蓄の禁止などを求めるNGOの連合体「クラスター爆弾連合」が2003年に発足し、運動が広がる中、昨年2月にクラスター爆弾の禁止を目指す国際会議がオスロで開催されました。以来、対人地雷全面禁止条約を締結した際と同じ方式で、クラスター爆弾の禁止に積極的な国々とNGOを中心に「オスロ・プロセス」と呼ばれる条約づくりの作業がスタートしました。
 クラスター爆弾をめぐっては、これとは別に、「特定通常兵器使用禁止制限条約」の枠組みでの討議が行われていますが、いまだ大きな進展は見られません。
 最終的には、より多くの国が加わることが望ましいとしても、オスロ・プロセスが目指しているように年内の条約締結を実現させることが先決ではないでしょうか。対人地雷全面禁止条約が成立から10年を経て、加盟国だけでなく非加盟国に対しても地雷の使用を思いとどまらせる人道的・国際法的な規範となったように、クラスター爆弾に関しても同様の規範を国際社会の中でつくりあげていくべきではないかと思うのです。
 対人地雷に続いて、市民社会の強い後押しで、クラスター爆弾の禁止条約が成立すれば、他の分野における軍縮を前進させる大きな原動力となるに違いありません。
23  日中平和友好条約締結から30周年
 最後に、日中関係の未来を展望しつつ、東アジアにおける「不戦の制度化」について論じておきたい。
 今年で、日本と中国との間で平和友好条約が締結されて30周年になります。
 振り返れば、日中平和友好条約の締結は、74年12月に周恩来総理とお会いした折、周総理が強く希望しておられたものでした。私もまったく同感であり、その会見の翌月にアメリカのキッシンジャー国務長官と会見した際には、日中友好にかける私の信念と周総理の思いを伝え、賛意を得ることができました。
 75年4月に再訪中し、トウ<登におおざと>小平副総理と条約の早期締結について語り合い、三木武夫首相への伝言を託されました。日本政府にそれを伝えた後、政府間交渉が再開されました。そして78年8月、条約が調印され、日中関係の新たな歴史が始まったのです。
 以来、さまざまな分野で交流が進み、経済面での相互依存が深まる中で、今や1年で473万人が往来し、貿易総額も日米間の総額を超える規模に発展するほどの関係が築かれるまでにいたりました。
 また最近は首脳間対話が定期的に行われるようになり、政治面でも協調関係の構築に向けた動きが活発化しつつあります。昨年4月には温家宝総理が来日し、首脳会談が行われ、成果である日中共同プレス発表の中で「協調と協力を強化し、地域及び地球規模の課題に共に対応する」との方針が盛り込まれました。来日の折、私も温総理とお会いしましたが、席上、温総理が「中日友好は、大勢の赴くところであり、人心の向かうところです」と語られた言葉が深く胸に残っております。
 また先月には福田首相が訪中し、胡錦濤国家主席らと会談を行い、環境・エネルギー分野での協力や青少年交流などに関する共同文書が合意されました。
 かつて私が両国の国交正常化を訴えてから40星霜――。日本と中国が、アジアと世界の平和と安定と発展のためのパートナーシップの構築に向けて大きく踏み出したことに感慨を覚えます。
 日中関係の好転とあわせ、日韓関係の改善も進みつつあり、この3カ国の良好な関係が一つのベースとなって、「東アジアサミット」での議論も、地道な地域協力を模索する場として定着してきたと言われています。
 一方、ASEAN(東南アジア諸国連合)も、昨年11月の首脳会議で、地域の平和と安定の維持、非核武装、貧困削減などの目標を掲げる「ASEAN憲章」と、2015年の経済共同体実現に向けた宣言を採択し、地域統合に向けた前進を開始しました。
 私は、日中韓の3国と、ASEANという二つの輪が、平和と共生の方向に向かって粘り強く歩みを続けていくならば、やがて東アジアに「不戦の制度化」を実現することは、決して不可能ではないと確信しています。
 日本では、昨年から「21世紀東アジア青少年大交流計画」を立ち上げ、中国や韓国やASEAN加盟国を中心に、5年にわたって毎年6000人の青少年を日本に招く計画をスタートさせました。
 長らく東アジアにおける青年交流や教育交流を民衆レベルで進めながら、より一層の拡大を呼びかけてきた一人として、計画の大成功を心より願うものです。
 と同時に、この取り組みを単なる交流の機会だけに終わらせることなく、例えば、国連諸機関で働く人々を招いてともに話を聞く場を設けたり、国連が進めている環境教育や軍縮教育に関して一緒に学ぶ機会を持つなどして、青年たちが国境を超えて次代を担う共通意識を育む場にしていってはどうかと、提案したいと思います。
 人類の未来はすべて青年たちの双肩にかかっている――これは、私が対話を重ねてきた世界の識者の意見の一致するところでもあります。
 私どもSGIは、「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」との戸田第2代会長の遺訓を胸に、今後も青年に一切の光を当てつつ、地球的問題群の解決のために行動する民衆の連帯を築いていきたいと思います。
24  語句の解説
 注1 文明の同盟フォーラム
 スペインとトルコの両首相の共同提案を受けて、2005年9月に国連のアナン事務総長が「文明の同盟に関するハイレベルパネル」を設置。2006年11月にまとめられた最終報告の成果を踏まえ、第1回のフォーラムが今月開催され、「異文化間対話に対する若者の取り組み」などをめぐって討議が行われた。
 注2 「僣主制」への衰退
 プラトンは『国家』の中で、政治制度のあり方を、(1)王制(2)名誉制(3)寡頭制(4)民主制(5)僣主制、の五つに分類。その上で、民主制という「最も高度な自由」が、それがはらんでいる宿命的な内部矛盾によって、僣主制という「最も野蛮な隷属」へと衰退してしまうという“自由の背理”の問題を提起した。
 注3 スペイン内戦
 1936年から39年にかけてスペインで起こった内戦。人民戦線をソ連が支援し、フランコ将軍らによる反乱軍をファシズム陣営のドイツとイタリアが支持した。これに介入する形で、反ファシズムの旗を掲げる「国際旅団」が組織され、ヘミングウェーやアンドレ・マルローをはじめ各国の知識人や労働者が義勇兵として身を投じた。
 注4 IPCC
 国連環境計画と世界気象機関によって1988年に設立。科学的見地に基づいた地球温暖化に関する報告書を定期的に発表し、第4次評価報告書の作成には130カ国以上から約4000人の専門家が参加した。昨年、温暖化に関する共通認識をつくったとして、ゴア前米副大統領とともにノーベル平和賞に選ばれた。
 注5 「バリ・ロードマップ」
 交渉が難航し、日程を延長する形で採択された行程表では、すべての国が参加する特別作業部会を設け、来年の第15回締約国会議までに、数値目標も視野に入れた新たな削減枠組みをつくることで合意。具体的な検討項目として、途上国への被害防止支援や技術移転、新たな資金策の検討、森林減少対策などが盛り込まれた。
 注6 核兵器禁止条約
 この条約の基礎となるものの一つとして、法律家、科学者、軍縮専門家らによって作成された「モデル核兵器禁止条約」がある。97年にコスタリカが国連に提出し、討議文書として配布された。昨年のNPT(核拡散防止条約)再検討会議の準備委員会において、コスタリカにより再び改訂版が提出され、公式の文書となった。

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