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日蓮大聖人・池田大作

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2 「三十年河西、三十年河東」  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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1  万代栄えた文化は皆無
  中国の諺に「三十年河西、三十年河東」(盛者必衰のことわりの意)とあります。
 人類数千年の歴史から見て、東西文化の関係は「三十年河西、三十年河東」です。
 中国の漢、唐の時代は、事実上、世界の経済と文化の中心でした。これらは事実であり、だれびとも否定することはできません。
 明代末期から西洋学問の東漸が始まり、様相はしだいに変化していきました。一八四年のアへン戦争が一つの転換点でした。日本は真剣に西洋文化を学び、一八六八年に明治維新が始まりました。
 とれは、中国よりも早く、大きな成果をもたらしました。そして、今日にいたるまで、科学技術において、世界トップの座を占めることになるのです。
 銭賓四せんひんし先生の「この百年来、世界の人類文化の祖はすべてヨーロッパにあると言ってよい」という言葉は、私が言う「三十年河西」ということです。
 世界の形勢はこのようなものであり、認めざるをえません。西洋人は、その科学技術の優勢を侍みに、時代の英雄を任じています。しかし、私の考えでは、人類の歴史上、万代に続いた文化は皆無です。二十一世紀からは「河東」が「河西」に取って代わり、東洋文化がしだいに世界を支配していくと思うのです。
 この点については、すでに言及したとおり、ドイツのシュペングラーやイギリスのトインビー博士など、西洋の多くの有識者たちが鋭く感じとっております。
  かつて、季先生が「人類数千年の歴史から見れば、東西文化の相互関係は三十年河西、三十年河東である」と論じたあと、国内外の学術界から広く注目を集め、熱い論議を巻き起こしたことを覚えています。
 さらに、その二、三年後の一九九一年二月、私は東京で、「中外日報」紙上でも、季先生のこの主張に関する報道と評論を目にしました。
 その後、当時ご健在だった尊敬する中村元博士を訪ねた折、中村博士から直接、季先生のこの主張に対する高い評価をうかがいました。
 中村博士が話されていた言葉は忘れてしまいましたが、心のこもった口調と真摯な表情は、私にとって、忘れられない印象として残っております。
2  アジア太平洋の世紀に
 池田 文明の中心は、十九世紀にはヨーロッパにあり、さらに二十世紀には、ヨーロッパ文明から派生したアメリカと旧ソ連へと移動しました。
 続く二十一世紀は、「アジア太平洋の世紀」になるにちがいないという展望を、私ももっております。
 とくに、東アジア地域は、通貨危機や政情不安など幾多の困難に直面しながらも、ダイナミックな発展の活力を発揮し続けています。
 しかし、ここで確認しなければならないのは、現在のアジアの政治的、経済的な発展には、西洋近代文明の所産である科学、技術、産業が大きくかかわっていることです。
 西洋に発した文明は、現代では、グローバル化し、全地球上に広がっております。
 経済面では「市場経済」がグローバル化し、また、先端科学技術の普及は、情報化社会をもたらすとともに、バイオテクノロジーがを中心とする生命科学の未来を開いております。
 一方、グローバル化の進行とともに、地球規模での生態系の破壊が起き、世界を駆けめぐる市場経済は貧富の差を拡大させ、難民の急増、ウイルス性疾患の蔓延等の「地球的問題群」も噴出しております。
 また、人間精神の荒廃、心の病を引き起こし、とくに先進国では、アイデンティティーの崩壊が深刻化してきました。
 このような「地球的問題群」や人間性のアノミー(規範喪失)などは、東洋も含めた全地球的な危機として、人類全体を襲っております
 そして東洋には今、はたして人類のための「地球文明」のビジョンを創出することができるのかという問いが突きつけられております。

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