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日蓮大聖人・池田大作

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7 古代インドの「梵我」説  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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2  『リグ・ヴェーダ』の創造賛歌
 池田 『リグ・ヴェーダ』の第十章にあります。天地を覆ってまだ余る千の頭、千の目のプルシャ(原人)をいけにえとして、神々が供儀を行って、万物が生まれたという神話です。
 意より月が、目より太陽が、口よりインドラ(雷神)とアグニ(火神)が、気息から風が、臍より空が、頭より天が、耳より方位が生じたというものです。
  『リグ・ヴェーダ』には、その他にも、「生主歌」「造一切歌」「祈祷主歌」等の世界創造に関する賛歌があります。
 池田 読者のために、若干、説明を加えておきます
 と、「生主歌」とは、「ブラジャーパティ」すなわち「創造の神に捧げられた歌」という意味ですね。『リグ・ヴェーダ』の第十章にあります。
 ただし、この歌は、すべてを生みだしたものはだれだろうか、という疑問を繰り返しております。おそらく既存の神には理論的な限界を感じていたであろう古代インドの人々が、その背後にある「真理」や「法則」を求めようとした、精神的努力の跡と見なされている賛歌です。
 次に、「造一切歌」は、建築になぞらえて万物の創造を歌った賛歌です。これも人間を超えた人格神ではなく、言語や行為などのきわめて抽象的な概念の背後に、万物を創造する「真理」を求めようとした賛歌と考えられます。
 また、「祈祷主歌」は、ヴェーダ語の「プラフマナス・パティ」すなわち「ブラフマンの主」をたたえる歌です。祭式のときに唱えられる祈祷の言葉の背後にある宇宙的、神秘的な力としてのブラフマンに、古代のインド人が思考をめぐらし始めたことが推察される、古い資料です。
 いずれにしても、これらの歌は天地、また人間を統合する「統一的原理」を指向した文献です。
  日本の高楠順次郎、木村泰賢両博士は、『印度哲学宗教史』(明治書院)の中で大要、こう述べています。
 「これらの賛歌は厳密には一致していないが、共通点がある。一つは宇宙の唯一の起源を説いている。第二に万物がその唯一の起源から生じるとみる。第三に万物が生成した後も、その起源は依然として不変である。(中略)『ウパニシャシャッド』で『唯一無二』(Ekan eva advitiyam)という有名な言葉を生み、大乗仏教にて『唯一乗の法のみ有り二無く亦三無し』の大思想を展開したのも、この系譜をひくものと見るととが出来る」

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