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日蓮大聖人・池田大作

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7 古代インドの「梵我」説  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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1  根本思想は「人と自然との合一」
  中国思想の場合のみならず、古代の東洋思想も、だいたい、これに類していると私は考えます。
 その代表例として、仏教発祥の地であるインドをあげましょう。もちろん、インド古代思想には、さまざまな学派があります。
 池田 仏典には、九十数種類の学派があったと記されています。代表的なのは、「ダルシャナ」と呼ばれた六つの学派です。「ヴェーダーンタ「ミーマーンサー」「サーンキヤ」「ヨーガ」、そして「ニヤーヤ」「ヴァイシェーシカ」の六つです。
  「ダルシャナ」は古代漢文では通常「見」と訳され、現代中国語では「哲学」と訳されています。
 その六見、あるいは、六派の哲学の名称は、古代と現代中国語では、通常「吠檀多べいだんた」「弥蔓差みまんさ」「数論すろん」「瑜伽ゆが」「正理しょうり」「勝論かつろん」と訳されています。そのうち、第一、第二、第四の訳名は音訳で、その他の三つは意訳です。
  それらのさまざまの学派は、それぞれ異なった学説を主張したのですが、ほぼその諸学派に影響を与えた根本的思想は、やはり「人と自然の合一」の思想であると言えるでしょう。
 インドで使用される名詞は、当然、中国と同じであるわけはありません。中国は大自然や宇宙を「天」と呼び、インドでは「梵(ブラフマン)」と呼びました。
 中国での「人」は、インドでは「我(アートマン)」になります。
 概括して言えば、中国は「天人」を説き、インドは「梵我」を説くと言えるでしょう。意味は、基本的に同じであると言ってもよいと思います。
 池田 ブラフマンの起源として、一応、定説として考えられているのは、著名な東洋学者オルデンベルクの説で、「神聖で呪力に満ちた『ヴェーダ』の祈祷の言葉」を意味したとされます。
 バラモン教の祭式主義において、バラモンたちの唱える祈祷の言葉は、神々さえも支配する「力」をもっていると考えられました。さらに抽象化されて、「宇宙を支配する原理」と考えられるようになったのです。
 つまり、ヴェーダ文献において、神秘的な儀式主義の傾向は否めないまでも、人間が自然に対して向かいもつ「力」という主体的な側面がブラフマンには確実に存在します。
 人間は、偶然や神の気まぐれなどに翻弄される受動的な存在ではなく、あくまで自然や宇宙と交流しあう存在として考えられているのです。
 バラモン教が退廃して、儀式中心主義が迷信的な様相を帯びると、仏教、なかんずく大乗仏教こそが、大宇宙の一員であり、なおかつ宇宙と向かいあう独立した存在としての人間の大きさ、偉大さを、大いに謳いあげることになります。「宇宙即我」あり、同時に「我即宇宙」です。
  インドの古代バラモン哲学においては、最古の経典『リグ・ヴェーダ』の「原人賛歌」の中で、「天人合一」思想がきわめて明確に、かつ具体的に表現されていますね。
2  『リグ・ヴェーダ』の創造賛歌
 池田 『リグ・ヴェーダ』の第十章にあります。天地を覆ってまだ余る千の頭、千の目のプルシャ(原人)をいけにえとして、神々が供儀を行って、万物が生まれたという神話です。
 意より月が、目より太陽が、口よりインドラ(雷神)とアグニ(火神)が、気息から風が、臍より空が、頭より天が、耳より方位が生じたというものです。
  『リグ・ヴェーダ』には、その他にも、「生主歌」「造一切歌」「祈祷主歌」等の世界創造に関する賛歌があります。
 池田 読者のために、若干、説明を加えておきます
 と、「生主歌」とは、「ブラジャーパティ」すなわち「創造の神に捧げられた歌」という意味ですね。『リグ・ヴェーダ』の第十章にあります。
 ただし、この歌は、すべてを生みだしたものはだれだろうか、という疑問を繰り返しております。おそらく既存の神には理論的な限界を感じていたであろう古代インドの人々が、その背後にある「真理」や「法則」を求めようとした、精神的努力の跡と見なされている賛歌です。
 次に、「造一切歌」は、建築になぞらえて万物の創造を歌った賛歌です。これも人間を超えた人格神ではなく、言語や行為などのきわめて抽象的な概念の背後に、万物を創造する「真理」を求めようとした賛歌と考えられます。
 また、「祈祷主歌」は、ヴェーダ語の「プラフマナス・パティ」すなわち「ブラフマンの主」をたたえる歌です。祭式のときに唱えられる祈祷の言葉の背後にある宇宙的、神秘的な力としてのブラフマンに、古代のインド人が思考をめぐらし始めたことが推察される、古い資料です。
 いずれにしても、これらの歌は天地、また人間を統合する「統一的原理」を指向した文献です。
  日本の高楠順次郎、木村泰賢両博士は、『印度哲学宗教史』(明治書院)の中で大要、こう述べています。
 「これらの賛歌は厳密には一致していないが、共通点がある。一つは宇宙の唯一の起源を説いている。第二に万物がその唯一の起源から生じるとみる。第三に万物が生成した後も、その起源は依然として不変である。(中略)『ウパニシャシャッド』で『唯一無二』(Ekan eva advitiyam)という有名な言葉を生み、大乗仏教にて『唯一乗の法のみ有り二無く亦三無し』の大思想を展開したのも、この系譜をひくものと見るととが出来る」

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