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日蓮大聖人・池田大作

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6 道家、墨家、雑家の自然観  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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2  墨子の矛盾、呂不韋の主張
  他方、墨子の天命鬼神に対する見方には矛盾があります。
 一方で「非命」「尚力」を強調して人の富貴貧賤、栄辱は「力」にあり命」にあらずとしますが、もう一方で彼は、「天志」「明鬼」を尊重します。彼の言う「天」とは意志があり、賞罰を行う人格神のようです。
 「兼愛」「非攻」「尚賢」「尚同」などの彼の政治思想には、同様の表記がありますまた、呂不韋りょふいは『呂氏春秋』応同で次のように述べています。
 「成ることひとしく類が同じであれば、皆合うのである。故にぎょうは善を行って衆善が至るのであり、けつは非を行って衆非が来るのである。商(股)の戒めに云う『天の災害を降し、祥を布くのは、並びによるところがあるのである』」と。
 また「山雲は草むらのごとく、水雲は魚鱗のごとく、早雲は飛火のごとく、雨雲は水波のごとく、皆その生ずるところに類して以て人に示さないことはないのである」(『呂氏春秋選注』王范之注釈、中華書局)とも言います。
 ここからわかるように、呂不韋は自然が人と相応するものであると主張しています。
 ここまで述べてきたように、中国古代の「天人合一」思想は、紹介すると多岐にわたり、中国古代において、いかに普遍的であったかがわかると思います。
 池田 中国思想にも、「天人相関」を否定した荀子や王充のような例外はあります。
 しかし、中国思想の二大潮流として対極に置かれる儒家と道家を比べてみても、儒家の最高規範である「天」と、道家の最高規範である「道」の間には、その自然観において、本質的な違いは見受けられないと思います。
 そのことは、季先生の説明でよくわかります。

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