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日蓮大聖人・池田大作

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3 「天人合一」論  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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2  少数民族にも同じ思想哲学
  ずっと、私は、季先生の影響と啓発を受けてまいりました。
 人間と大自然の関係についても、深い関心をもち、若干の書物に真剣に目を通し、さまざまな意見を参考にしながら、いくつかの問題について、深く模索し、私自身の判断をくだしてまいりました。
 季先生は、中国古代哲学の命題である「天人合一」における「天」の含意を、だれもが理解できる「大自然」と説明されました。そして、「天人合一」思想を、人間と大自然との関係は一体であり、切り離してはならないものとして解釈されました。
 そして、この思想の重要性を最高のレベルにまで高めていったのです。私は、これは「天人合一」思想に対するまったく正しい、きわめて重要な新解釈だと思います。
 なぜなら、それは学理において、根拠があり、理にかなっているだけでなく、実践においても、時弊を克服するうえで重要な意義を含んでいるからです。
  そのことに関して私は、漢民族の「天人合一」思想に類似した哲学の一例として、中国の少数民族「ナシ族」の哲学をあげてみたいと思います。
 少数民族の哲学思想については、私はほとんど目を通しておらず、みだりに論ずることは避けたいところなのですが、雲南うんなん(ユンナン)の友人が送ってくれた『東巴トンパ文化とナシ哲学』という本の中に、次のような記述がありました。
 「大地の優れた虎、虎の頭は天が与えたものである。虎の皮は大地が与えたものである。虎の骨は石が与えたものである。虎の肉は土が与えたものである。虎の眼は星が与えたものである。虎の腹は月が与えたものである……」
 何の解説を加えなくても、天地万物を一体とする精神が脈打っております。
 このような「天人合一の精神」は、その他の少数民族にも必ずあるにちがいないと思います。
 池田 産業革命以前は、「自然対人間」といっても、「人間が自然に与える影響」はごくわずかでした。とくに農耕、牧畜が始まる数千年前までは、自然が人間の生殺与奪を握っていました
 人間が自然を改変するのは、人類の長い歴史からみれば、ごく最近のことです。自然を畏敬し、「人間と自然は一体不二」と考えてきた歴史のほうが、圧倒的に長かったのです。どの民族、集団をとっても、「人間と自然は一体である」という感覚のほうが自然だったのでしょう。
 それに対して、一神教の影響のもと、西洋世界は、自然と人間を分離し、自然を客観視し、支配しようとする思考を育んできました。その思考が、近代科学文明の発展の基盤となったのは確かです。
 対照的に、中国やインドでは、「自然と人間の一体性」への感性が継承され、理論化されていきました。
3  考古学者の考察
 蒋
 「西洋文明は歴史上、過去に遡れば、通常、紀元前三十、四十世紀以前の二大河川流域のシュメール(Sumer)人の文明にまで遡ることができる。
 この文明発祥前の宇宙観や社会制度のつぶさな状況は知るすべもないが、おそらくそれは同時代の東洋文明の文化と基本的な違いはなかったであろうと推察することができる。
 しかし、シュメール人の時代、あるいはそれより少し前になると、二大河川流域の歴史に革命的な進展がおこった。
 これは人類社会と自然世界との間の関係における進展であった。この進展が取り入れた形式にはおもに二つの要素が含まれる。
 一つは、生産技術革命で、金属の生産道具を使用したことと、大規模な灌漑工事を行ったこと。
 これらは、政治的な手順を踏んでではなく、技術面から、生産高の増加と大量の富の集中を獲得したことを意味する。
 もう一つの要素は、生産原料の大規模な取引と流通により、地方文化の相互連鎖がもたらされ、地域性自然資源の制限が打破されたことである。
 このような進展は、人類史上初めて、地域性自然資源の束縛から解き放たれたと言えよう。
 これと呼応するのが、シュメール人の宇宙観のなかに、人間界の外にありながら、創造性をそなえた神々が現れたことである。それゆえに、社会制度の中に宮殿と神殿が現れたのである」(『考古人類学随筆』生活・読書・新知三聯書店)
 張光直博士のこの論述は、次のことを説明していると思います。
 (一)太古から紀元前三、四千年までの全人類の宇宙観は、人類社会と自然世界との間の関係を、切り離せない同一の関係としてとらえていたこと。
 (二)このような宇宙観は中国、インド、日本等、世界中多くのところで、たえず受け継がれ、近代にいたった。その具体的な表れが「天人合一」「依正不二」「梵我一如」等々であること。
 (三)五、六千年前に、シュメール人の生産方式が、突然変化したことにより、人類を大自然から切り離すような宇宙観が形成され、西洋文明の「宇宙征服」という宇宙観の起源となった。このような宇宙観は西洋文明の発展を支配する原則として、現代にまで続いていること。
 さらに、「天人合一」の宇宙観について、張光直博士は一九九〇年に発表した論文「”天人合一”の宇宙観と中国の現代化」の中で、次のように論じています。
 「中国の伝統的な”天人合一”の概念は、人間と自然との間のある種の調和のとれた関係に基礎が築かれ、伝統文化行為の一致性に基礎が築かれている。
 このような行為は農業、建築、医薬、牧畜、料理、廃棄物処理、および物質生活のあらゆる場面に表れている。しかしながら西洋の概念とは異なっている」
 張博士はまた「かつて”天人合一”の宇宙観は、世界の多くの地方に、おいて人間文化の常道であた。当然ながら今ふたたび、その地位を築くべきである」と。
 さらに「もし”天人合一”という概念をもう一度発揚することができれば、全人類に対して重大な貢献を果たすことができるであろう」と論じています。(香港中文大学校)
 いずれにせよ、張博士の意見は、私が引用しなかったものも含め、季先生と池田先生が、おっしゃるように、東西二大文化間の思考モデルと宇宙観に、明らかな対立関係が存在しているという説を有力に裏づけていると思います。
 仏教への影響
  「天人合一」の命題の淵源に大多数の学者の一般的な解釈は、戦国時代の儒家の「思孟学派」からきているというものです。しかしこれは、かなり狭隘な理解であると思います。
 『中華思想大辞典』には「『天人合一』を主張し、天と人間の調和を強調するのが中国古代哲学のおもな基調である」とありますが、これは比較的、広義の理解で、実情に合っています。
 池田 仏教者として、私が注目するのは、その「中国古代哲学のおもな基調」が、インドから中国に渡った仏教に、どのような影響を与えていったかということです。
 仏教は中国に伝来したあと、「一切衆生、悉く仏性有り」に加えて、「山川草木、悉く皆成仏す」という自然観、生命観を形成しました。
 インドでは明智によって解脱するのは衆生であり、植物とは区別されていましたが、中国仏教では、草木も人間や他の衆生と同じく仏性をもっており、仏になる可能性をもっているとされました。つまり、人間と自然環境は、ともに仏性をもっているという点で、通底していることを説いたのです。
 仏教は、中国文化の伝統のなかで、人間だけでなく、あらゆる生物、生態系にも尊厳性を認める自然観を完成させていったと言えましょう。ここに、あらゆる生態系を包括する大自然を「依報」とし、人間を「正報」として「依正不二」論が形成されていったのです。
4  4 儒家思想にみる「天人合一」論  
5  「主客同一」
  現代中国の最も著名な哲学者の一人、故・金岳霖きんがくりん先生は、論文「中国哲学」の中で次のように指摘しています。
 「中国哲学に精通している人々の多くは、中国哲学の最も際立った特徴として『天人合一』をあげるであろう。
 『天』という言葉は暖昧ではっきりしない。それをしっかりとらえようとすればするほど、指の隙間からこぼれ落ちてしまう。この単語が日常生活のなかで最も頻繁に使われている一般的な意味は、中国の『天』を代表するものではない。
 もしわれわれが『天』を『自然』や『自然神』と理解し、あるときは前者を強調し、あるときは後者を強調したとすれば、いくらかこの中国の単語を把握したことになるであろう。
 この『天人合一』説は、たしかに、ありとあらゆるものを包摂する学説である。
 また最も高度で、最も広い意義の『天人合一』とは、つまり、主体が客体に融合、あるいは客体が主体に融合しながら、根本の同一性を堅持し、すべての目に見える差別を消滅させ、個人と宇宙を不二の状態にいたらしめることである」(『東西文化議論集』〈上〉所収、経済日報出版社)
 この金岳霖先生の洞察は、たいへん深く、重要視に値するものと私は思います。
 金先生の意見によれば、「天人合一」と「依正不二」という哲学の含意は、主体と客体との間の関係が、根本的に同一の関係にあることです。
 このような関係は、哲学の一命題として「主客同一」とも呼べるでしょう。
 池田 よくわかります。「依正不二」に通じています。
6  孔子の矛盾
  具体的に、儒家思想から紹介したいと思います。
 『周易』には、「『大人』なるものは、その聖徳は天地の大徳と合致し、その明智は日月の光明あるに合致し、その布く秩序は四季の循序じゅんじょあるに合致し、その善悪に下す禍福は鬼神の降す吉凶に合致している。
 天の時に先立って事を行っても、天は大人のなすところにもとり違うことはなく、天の時に後れてその事を奉じ行っても、大人はよく天の心に合してその事のよろしきを得る」(今井宇三郎『易教』上、前掲『新釈漢文体系』23)とあります。
 ここで言っているのは「天人合一」のことで、人生で最も高い理想の境涯のことです。
 孔子の天に対する見方には、少し矛盾があります。時には、天は「自然」のものであり、天が語らずとも四季があり、万物が生成すると考えます
 またあるときは、人の生死や富貴は天が決めると考えます。とはいえ、彼は、天を意志のある人格神とは見なしていません。
 池田『論語』の、「天何をか言うや、四時行なわれ、百物生ず。天何をか言うや」(金谷治訳注、岩波文庫)という一節のことですね。
 つまり、天は何も言いはしないが、しかも春夏秋冬はたゆみなく運行し、生物を含む万物はそれぞれ生育している。これらはすべて、天の偉大なる働きである。しかし、天は何も言いはしないではないか、というのです。
 すでに、孔子の「天」に対する感覚は、人格神的なものから理法的なものへと比重が移っていますね。
 中国の天の崇拝の起源は、自然崇拝や祖先崇拝からの派生説、遊牧民起源説などさまざまあるようですが、最初はアニミズム的な人格神であったことはたしかなようです。それがしだいに非人格化し、自然の循環、生命の生成・消滅、連鎖といった「法則」へと概念化されていきました。
 この天の「非人格化」はのちに、「天とは理なり」とする宋の朱子学、すなわち「理学」によって、一つの完成をみております。
7  人間道徳の根源
  孔子の孫である子思ししの天人に対する見方は、『中庸』に代表されます。
 『中庸』にいわく「己の性を発揮すれば、それを推し及ぼして、他人にも人としての性を発揮させることができる。
 他人にも性を発揮させることができれば、人々とともにすべての物を適正に扱って、その本来の発展をとげさせることができる。
 物の発展をとげさせることができれば、天地の万物を発生成長させる事業を助けることができる」(前掲『中庸』)と。
 孟子の天人に関する考え方は、基本的に子思の衣鉢を継承しています。
 『孟子』万章上にいわく「人が人力でなそうとしないでも、自然にそうなって来る者は天意自然のしわざ、天業であり、人力で招き致そうとしないのに、自然に至るものは天命である」(前掲『孟子』)と。
 つまり、天命は、人力の及ばざるもので、最後に人を成功に導く力であり、人力以外の決定の力である、ということです。孟子も天を神とは考えておらず、人々は、心を尽くし、性を養うことによってのみ天を知ることができる、としました。
 『孟子』尽心上には「人間の心(中略)を、拡充し存養しつくす者は、人間の本性がどんなものであるか、(中略)知ることが出来る。人間の本性(中略)を知れば、その本性を与えた天の心がいかなるものであるかが分る」(同前)とあります。
 池田 孔子における「天」は、全宇宙の主宰者であると同時に、人間道徳の根源でした。これをさらに精緻に体系化したのが孟子でしたね。
 「天」が人の中に内在するがゆえに、人間の本性は「善」であるとするのが、孟子の性善説です。その特徴は、自然の理法がそのまま倫理の理法となっているところにあります。
 また、「人間の本性を知れば、天の心がわかる」との一文は、中国思想の特色である「人間主義」の立場を示してもいます。
 すなわち、「天」は道徳の根源である。そして、天と人は連関している。ゆえに、いたずらに天をまつるのではなく、「人」に関心を払っていれば、それが結局、「天」に通ずることになるのだ、とする立場です。
 「天人合一」思想は、中国的人間主義、合理主義の背景であることにも注目すべきだと思います。

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