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日蓮大聖人・池田大作

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7 日本における受容  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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2  伝教大師と日本天台宗
  真和上に来日を要請したのは、遣唐使節の留学生でしたが、平安時代の伝教大師も、還学生として唐に渡り、天台宗を学んだのですね。
 池田 そのとおりです。
  彼は、日本天台宗を開きますが、『法華経』をどのように位置づけ、日本に流布させたのでしょうか。
 池田 日本人が『法華経』信仰を受け入れていくうえで、伝教大師による「日本天台宗の創設」は画期的な出来事でした。九世紀のことです。
 伝教大師は、『法華経』の「一乗思想」によってすべての衆生が成仏できることを説きました。
 しかも、他の経典の教えでは長期間の厳しい修行が必要とされるのに対し、『法華経』は、即身成仏の教えであると強調したのです。
 また、伝教大師は比叡山に大乗戒を授ける戒壇を建立することを朝廷に願い出て、死後一週間後に勅許がおりました。
 その後、日本天台宗は中心的な教団となり、日本中に『法華経』が広められていきました。
 平安時代の文学作品『源氏物語』や『枕草子』などにも、『法華経』や「天台本覚思想」の影響が大きいのです。
 『法華経』が「女人成仏」を説く経典であるため、女性の信仰を集め、それが平安時代の女性による文化の創造に力を与えた面もあります。
 「女人成仏」と言えば、平安時代の前の奈良時代に各地につくられた「国分尼寺」でも、『法華経』を根本経典としました。文学も、芸能も、生活も、日本文化の万般にわたって、『法華経』の影響は絶大だったのです。

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