Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

4 口承の経典化  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

前後
1  『法華経』編纂の時代・思想状況
 池田 『法華経』の編纂にあたっては、釈尊直説の核心となる思想が、その当時の時代状況、思想状況に応じて、一つの形をとったと私は考えます。
 蒋先生、『法華経』編纂当時の時代状況、思想状況はどのようなものであったとお考えですか。
 『法華経』を見ると、次のようなことが推測されます。
 まず、釈尊の膨大な教えの分々にとらわれ、いくつもの分派がおこり、教えの本質が見失われていた。
 また釈尊の記憶が遠ざかり、種々の他の仏を想像し、求めていた。
 釈尊根本、釈尊の悟った平等の法を根本とする『法華経』編纂者たちが、かえって異端者として迫害を受けていたーーこのようなことがうかがえると思うのですが、いかがでしょうか。
  古代インドを記述した歴史文献が乏しいため、『法華経』編纂当時の時代状況や思想状況について、確かな史料にもとづく詳細な説明はできません。
 それでも学者たちは、『法華経』自身の思想内容や言語的特徴から、『法華経』編纂当時の時代状況や思想状況等、多方面にわたる問題の探究や推測に努めています。
 たとえば、季先生は、次のように明確に述べられています。
 「『法華経』の発生地は、マガダであり、時期は、紀元前二世紀前後であったと考えられる。(中略)
 言語的特徴からみると、『法華経』は、原始仏教の範疇に属すべきものである」(「梵本『聖勝慧到彼岸功徳宝集偈』を論ず」、『仏教』〈同『季羨林文集』7〉所収)
 池田 きわめて明快です。ほかにも、別の視点から論じられたものがありますか。
  たとえば、池田先生が創立された創価大学・国際仏教学高等研究所の梶山雄一前所長、湯山明教授、菅野博史所長、および辛嶋静志教授等の諸先生が、『法華経』について、それぞれ思想史や文献学の方面からなされた研究は、敬服すべきものがあります。
 『法華経』編纂当時の思想状況については、『法華経』自身の思想内容から推察できるのではないか、と思います。
 たとえば、『法華経』が表している平等思想からは、当時の民衆のなかに、人々が成仏できる、という精神的な需要、あるいは、宗教的な需要があったと考えられるのではないでしょうか。
 同じように、『法華経』が表している「会三帰一」の主張からは、当時の民衆のなかに、三乗を統一させたいという、願望や要請があったと考えられるのではないでしょうか。
2  大切な教えは暗唱
 池田 「開三顕一」のことですね。よくわかります。
 ところで、インドには、大切な教えは文字に書きとどめるのではなく、暗唱し、心にとどめていく習慣があったようです。
 この点はいかがでしょうか。
  そうですね。インドの古い時代には文字がありませんでした。バラモン教の聖典である『ヴェーダ』は、師から弟子へと代々口承で伝えられてきました。
 池田 『法華経』が編纂された時期はどうですか。
 竜樹の著とされる『大智度論』には「仏口の所説を弟子弟子誦習し、書して経巻を作る」(大正25巻)とあります。この「経巻」とは大乗経典をさしています。文字で記して経典を編纂したようですが……。
  『法華経』が形成された時代には、インドにも独自の文字が存在しました。すでにアショーカ王の碑文が刻まれています。それが証拠です。
 池田 蒋先生、口承が経典として編纂された『法華経』に関して、諸経典と比べて何か特別な点がありますか。
  『法華経』自身から、『法華経』書写は一つの修行であり、『法華経』を永遠たらしめる功徳であることがわかります。
 『法華経』書写は、まさに信仰を体現する修行であり、功徳を積む方法の一つでした。
 書写は二種類あり、一つは、信徒自身が書写するものです。もう一つは、信徒が供養者、あるいは布施の主としての立場で、お金を出して人に書写してもらうというものです。
 大乗仏教では、功徳は回向できると信じられていましたから、写し手が書写を通して得られる功徳は、写し手自身に属するだけではなく、供養者や施主にも回向されるとされました。
 要するに、この二種類の書写は、いずれも修行のため、功徳を積むためであったのです。
 池田 『法華経』を読むと、文字や暗唱で伝えられてきた仏説のなかから、釈尊の思想の核心を選び取り、見事に蘇らせている、とひしひしと感じます。
 編纂者のなかに、釈尊の悟りに肉薄し、つかみ取った俊逸がいて、見事にリーダーシップを発揮したとしか思えません。

1
1