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日蓮大聖人・池田大作

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3 小乗経典と大乗経典の源流  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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1  原始仏典の存在
 池田 もう一つうかがってよろしいですか。小乗経典、大乗経典の成立については、どのように、お考えですか。
  池田先生が先ほど論及された多くの問題のなかで、一つの核心となる問題があると思います。
 それは、小乗経典と大乗経典の共通の源流、すなわち、「原始仏典」と呼ぶべきものがあったかどうか、という問題です。
 池田 「原始仏典」を想定するのは、小乗・大乗の諸経典のもとになった経典があったとする考え方ですね。それは釈尊の折々の言葉をまとめたものではなかったのか、と考えるものです。これは大事な問題です。
  この問題について、学術界では、さまざまな意見がありました。
 かいつまんで言えば、ドイツの学者・リューダースが最も早く「原始仏典」という概念を提起しました。リューダースは、ある「原始仏典」が存在したと主張し、あわせて「原始仏典」の言語的特徴を系統立てて論じました。
 リューダースが主張する「原始仏典」の含意に対する解釈の違いから、学者たちは、ある「原始仏典」が存在したかどうかという問題について、まったく対立する見解を示したのです。
 賛成派の代表者が季先生で、反対派の代表者が、F・エジャートンやH・ベッヒェルトでした。
 ここで、この二派の意見を引用するのは不可能ですし、その必要もないと思います。
 この問題を説明するために、季先生の膨大な著作のなかから、次の一節を引用するだけにとどめたいと思います。
2  口授口承が仏典の基礎
 池田 重要な問題です。どうぞご紹介ください。
  季先生はこう論じられています。
 「現在のわれわれの推測によると、仏典形成の過程は、だいたい次のようなものであったはずである。
 すなわち、仏陀本人が何らかの著作を著したのではなかった。この点は肯定できる。しかし、彼がつねに話していた言葉がなかったということはありえない。仏典の中の十二因縁に関するあの経文の一節は、この部類に属するのかもしれない。
 当時は文字で書かれた典籍が無く、経典の学習は、すべて師匠が口授で伝え、弟子がその口授を口承したのである。最初に口授口承されたのは、仏陀がつねに語っていたいくつかの話であったにちがいない。
 なぜなら、これらの話は、一度聞き、再度聞き、一度伝え、再度伝える。このようにしていくと、比較的確実に弟子たちの記憶の中に刻まれ、時間がたって、しだいに仏典の基礎を形成していったのである。
 この基礎のうえに、時代の推移にともなって、一代、また一代と、師匠と弟子がだんだんといくつかの新しいものを加えていったので、編纂し、文字に書きとどめることになると、すでにそれは、比較的大きな一つの書物になっていったのである。
 仏陀本人、および仏教初期のかの大師たちは、みな東部出身であった以上、話していたのは、東部の言葉であり、最初のこの仏典も、つまりわれわれが言うところの原始仏典も東部の言葉で書かれたはずである。そうでなければ、理解することはできない」(「原始仏教の言語問題を再び論ず」、『インド古代言語』〈『季羨林文集』3〉所収、江西教育出版社)
 このような論述は、季先生の原始仏教言語研究の基礎のうえに確立されたもので、池田先生のご意見の有力な裏づけになるでしょう。

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