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日蓮大聖人・池田大作

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3 仏教教団の存在意義  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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2  差別社会における釈尊の立場
  同感です。釈尊の興した仏教は、当時、革命であったと言えるでしょう。
 権力が公認した、言ってみれば「公用語」であるサンスクリットを使用したならば、利点は明確にありました。
 池田 王侯、貴族公認のお墨付きをもらえるわけですから、最初から「権威ある宗教」として人々の上に君臨できたでしょう。しかし、釈尊はそうはしなかった。
  サンスクリットの使用が多大な利益をもたらす可能性があったにもかかわらず、あえて、釈尊はそれを拒否したのです。
 さらに、経典の記述では、この比丘たちを叱ったわけです。
 この比丘はバラモンの出身であったとされています。そのために、頭の中にはまだ保守的な意識があったのです。
  バラモン教あるいはヒンドゥー教が提唱する種姓制度は、血統によって人間を高低貴賎の異なるランクに分ける社会的身分制度で、バラモンは、最高ランクの種姓です。
 バラモン教あるいはヒンドゥー教の倫理規範である『マヌ法典』の規定によれば、バラモンの種姓は次のような三つの特権をもつとされています。
 第一に、『ヴェーダ』を伝授すること。第二に、他者のために祭祀をつかさどること。第三に、布施を受けること。そのうち、先の二つはバラモンの職業で、第三は特権にあたります。
 つまり、「布施を受ける」ということは、バラモンが先の二つの職業にたずさわることへの報酬であったわけです。
 しかも「『ヴェーダ』を伝授すること」と「他者のために祭祀をつかさどること」という行為は、ずれもサンスクリットを使わないで行うことはできません。
 ですから、事実上、バラモンはサンスクリットを伝授する権利を独占し、サンスクリットを神聖で至上最高の言語としてあがめていました。
 このようなわけで、バラモン家庭出身で、サンスクリットに習熟した人々は、おのずと一般民衆が使用する方言や俗語を見くだすようになっていったのです。
 池田「現在、比丘たちは、名、種姓、生まれ、部族を異にして出家しました。彼らは自分の言葉によって、仏の言葉を汚しています」という考え方に、民衆を下に見ているような雰囲気が漂いますね。
 いろいろな弟子たちが、自分の言葉で仏の言葉を汚しているので「ヴェーダ語」に改めたいというのは、まさしく「正統」バラモン教的なエリート主義が彼らの頭にあったということでしょう。
 そのことが、「仏の言葉を汚す」というのは、差別意識の表れとも言えましょう。
 悩める人々の友であることを主張した釈尊の立場から言えば、民衆がそれぞれの言葉で、仏教の思想を語るということは、それこそ仏教思想の多様性、さまざまな人々に隔たりなく「自由」と「解放」への道をさし示すことができた、ということの実証なのです。
  同感です。
 池田 また、「名、種姓、生まれ、部族を異にして出家しました」というのは、釈尊の弟子たちが、それほどの広がりをもっていたということでしょう。
 釈尊の教えが、部族問の対立をも克服しつつ広がっていったというこの事実は、部族、民族、文化、社会的階層、経済力の違い等が、「紛争」「混迷」を引き起こしている現代世界の状況を考えるうえで、まことに重要な意味をもっと思います。
 当時のインド社会は、経済交易の発達とともに若干の自由な雰囲気が生じた状況でした。
 しかし、家系の違い、身分の違い、部族の違いは超えがたい壁であったととは間違いありません。
 そのような家系、身分の違い、部族の違いを超えて、人々が釈尊のもとに集ったのです。
  そうです。さまざまな境遇の違いや地域の違いを超えて、悩める人々、虐げられた人々が、釈尊の教えに希望の光を見いだしたのです。
3  衆生平等のオアシス
 池田 「チャンダーラ」というと、当時、最も差別されていた人々でした。
 集団で社会から隔離された生活を強いられたチャンダーラが、仏教教団に入り、数年で修行を完成した例が『マハーヴァンサ』という仏典に出てきます。
 仏教教団は、当時の社会において、悩める人、抑圧された人々にとって「オアシス」のような存在だったのでしょう。
  バラモン教は賎しい種姓出身の者が、バラモン教徒になることを固く禁じただけでなく、彼らがバラモン教の宗教儀式や祭紀にかかわることを、厳しく戒めました。
 釈尊は、これとは逆のやり方をとり、種姓制度に反対し、衆生平等を訴えました。そしてまた、すべての人々に、種姓、男女を問わず、僧団に加入したり、仏教に帰依したりすることを許したのです。
 バラモン教の種姓制度の提によると、チャンダーラは、賎民で「不可触民(the untouchable)」であり、バラモン教を信奉する社会では、彼らは道を歩くにも二本の木を打ち鳴らしながら歩かなければなりませんでした。高貴の種姓がその音を聞いて彼らの影を避けられるようにするためにです。
 なぜなら、彼らの影すらも不浄なものとされ、高貴の種姓の体が汚されるとされたからでした。
 しかしながら、このような、いわゆる「賎民」であっても、仏教に帰依し、修行得道できるとしたのです。
 この点からも、釈尊が創始した仏教は、間違いなく、当時、正統な地位にあったバラモン教に対する抵抗、挑戦であり、広大な民衆を拠りどころとした”革命運動”であったことがうかがえます。
  生まれや部族を超えた釈尊を取り巻く集いのようすが、ヤメールとテ一クラの言葉からうかがえます。
 もちろん、彼らはそれを「仏の言葉を汚す」行為と嫌ったのですが。
 池田 仏弟子たちが使っていた「自分の言葉」が、バラモン出身の者の目から「仏の言葉を汚している」と見えたことは、「仏の言葉」がエリートよりよりも民衆に広まっていた事実を裏づけるものとも考えられますね。
  そうです。そのとおりです。

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