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日蓮大聖人・池田大作

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2 民衆の言葉で語る  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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1  「律蔵」の「自分の言葉によって」をめぐって
 池田 『法華経』にもあてはまるというご指摘はたいへんに興味深い話です。『法華経』の成立状況については、章を改めて話しあいたいと思います。
 さて、仏教経典に「新旧の層」があるととを確認したうえで、問題は、「釈尊の言葉は何であったのか」ということです。
 それを考えるうえで、「仏の言葉」をめぐる仏典の記述にふれたいと思います。「仏弟子は、どういう言葉で語るべきか」を、ヤメールとテークラというバラモン出身の二人の仏弟子が釈尊と問答する話です。
 これを季先生が、ある論文(「原始仏教の言語問題」)で大きく取り上げておられました。
  ええ、それは「律蔵」に出てくる大切な話です。
 池田 内容について、私のほうから紹介させていただきますと、次のように記されています。
 ヤメーアルとテークラというこ人の兄弟がいた。バラモンの出身で、言葉づかいもよく、美声であった。あるとき、彼らは釈尊に語りました。
 「導師よ。現在、比丘たちは、名、種姓(=出身、家柄)、生まれ、部族を異にして出家しました。
 彼らは自分の言葉によって、仏の言葉を汚しています。私たちが仏の言葉をヴェーダ語(=バラモン教の聖典である『ヴェーダ』で使われている言葉)に変えたいと思います」
 この申し出に対し、釈尊は「比丘たちよ。仏の言葉をヴェーダ語に変えてはなりません。変える者は、悪作あくさの罪(反省すれば許される軽い過ち)となります。比丘たちよ。私は自分の言葉によって仏の言葉を習うことを許します」と語った、と記されています。(「律蔵」小品、『南伝大蔵経』4、大正新脩大蔵経刊行会、趣意)
 ここでの「ヴェーダ語」というのは、もちろん細かく言えばいろいろな意見があるでしょうが、当時の「正統的なサンスクリット」と考えてもよいですね。
2  分かれる学説
  そうです。「正統」と考えられていたバラモン教で使われていた言葉という意味で、そう考えてよいと思います。
 そして、その「自分の言葉によって」という部分に関しては、さまざまな説があるのです。
 たとえば、イギリスの仏教学者T・w・リス・ディヴィズとドイツの東洋学者H・オルデンベルクは、この言葉を「比丘自身の言葉」と解釈しました。
 ドイツの碩学W・ガイガーは、「仏自身の言葉」と解釈しました。
 池田 つまり、「自分の言葉」を「私自身の言葉」、すなわち「釈尊自身が使っていた言葉」と考えるか、「あなたたち自身の言葉」、すなわち「比丘たちが日常的に使っている言葉」と考えるか、の違いですね。
  そのとおりです。基本的には、ガイガー説を支持する人は少なかったのですが、彼には有力な”支持者がいました。
 池田 それは、だれですか。
  それはブッダゴーサ(仏音)です。彼の注釈にガイガーの説のとおり、「仏の言葉」と書いてあったのです。
 池田 ブッダゴーサという人は、五世紀に活躍した南方上座部の仏教学者で、パーリ三蔵の注釈を整理した人物ですね。その人物が「仏の言葉」と解釈しているのは、大きな資料です。
 しかし、彼がそれまでの異説を整理した学者であるということは、逆に整理のときに彼の「意図」が入り込む危険性も生じますね。
  おっしゃるとおりです。彼は偉大なパーリ語経典の権威ある注釈者でした。ですから、パーリ語経典の正統的な地位を擁護する意図があったことは容易に想像されます。
 ブッダゴーサの注釈の見解についての客観性には、いささか疑問点が残るのです。
3  「比丘自身の言葉」
 池田そういうこともふまえて、季先生ご自身の見解は、「比丘自身の言葉」で語るように、釈尊は言った、というととですね。
  「自身の言葉で語る」については、かつて学者たちがさまざまな解釈を行ったのですが、それぞれ自己の考えを主張して譲らず、だれかがだれかを納得させるということはできませんでした。
 しかし、季先生が初めて、漢訳仏典中のいくつかの「律」に見られる証拠を用いて、「自身の言葉で語る」が言わんとする意味は、「(あなたがた、つまり比丘たち)自身の言葉を用いて」としてしか説明できないことを実証されたのです。これによって、仏教史上、重要なこの問題は、決定的な、反論する余地のない解釈がなされたのです。
  そうです。じつはこの物語と類似のものは、漢訳経典の随所に現れています。私の論文にも述べたものですが、いくつかあげておきましょう。
 『毘尼母経』巻四には次のようにあります。(大正二十四巻、参照)
 二人のバラモン比丘がいました。一人は字を烏嗟呵うさかと言い、もう一人は字を散摩陀さんまだと言いました。
 二人は、仏の所へ行き、世尊に次のように言います。
 「仏の弟子の、なかにさまざまな種姓があり、さまざまな国土の人、さまざまな郡・県の人がいて、それぞれに言葉の音が異なっています。言語が不正確なので、皆仏の正義を破っています。ただ、願わくは世尊、われらが闡陀至せんだし(=チャンダス。サンスクリットの音韻論)によって論を持し、仏経を撰集し、文句を配列し、言葉の音を弁別させ、義を明らかにすることを聞き入れられますように」
 仏は比丘に告げました。
 「私は、仏法のなかにおいて美しい言葉を正しいものであるとはしないのです。ただ、意義を失わないことが、私の心であります。もろもろの衆生にしたがって、どのような音によって悟りを得るのか、それについて話すべきであります」
 池田 そうです。仏教は宗教です。「真理」は一つであっても、その表現方法が単一であっては、独善におちいってしまいます。
 人々の悩みに従って、その種々の嘆きに応じて、その人を救う方法があってしかるべきです。人間の幸福のために宗教があるのです。決して宗教のために人間があるのではありません。
4  経典が示す釈尊の心
  おっしゃることはよく理解できます。まったく同感です。
 さらに、『四分律』巻五十二には次のようにあります。(大正二十二巻、参照)
 あるとき、字を勇猛という比丘がいました。バラモンから出家し、世尊の所に行って、頭面礼足ずめんらいそくし、退いてかたわらに座り、世尊に次のように言いました。
 「大徳よ。このもろもろの比丘たちは、さまざまな種姓より出家し、名字もまた異なり、仏の教義を破っています。願わくは世尊、われらが世間の好ましい言語(=サンスクリット)によって、仏経を正しく整えることを聞き入れられますように」
 仏は言いました。
 「お前たち、愚か者よこれはすなわち殻損である。外道の言語をもって、仏経を錯雑させようとするとは」
 さらに、仏は言ったのです。
 「国の一般大衆の言葉の理解の範囲内で、仏経を誦し、習学し・なさい」
 さらに『五分律』巻二十六には、次のようにあります。(同前、参照)
 バラモンの兄弟二人がいました。闡陀鞞陀せんだべいだ(『リグ・ヴェーダ』などの四つの主要『ヴェーダ』を補助するバラモン教の学問の一つ。前述の闡陀至と同じ)の書をそらんじていました。
 のちに正法により出家しました。もろもろの比丘の誦している経が正しくないことを聞いて、責めとがめて言いました。
 「もろもろの大徳は出家して久しいにもかかわらず、男女語、一語多語、現在・過去・未来語、長短音、軽重音もわきまえず、このように仏経を読誦するなどとは」
 比丘たちはそれを聞いて恥じました。二人の比丘が仏の所へ行き、つぶさに仏に語りました。
 仏は次のように言いました。
 「国の音によって読誦するのを聞いても、仏意を違えたり、失ったりすることになりません。仏の言葉を外道の言語に直したものを聞いてはなりません。これを犯した者は偸蘭遮ちゅうらんじゃ(=トゥラッチャヤ、粗罪。「悪作」と同じく微罪)となります」
 池田 この伝承も興味深いですね。バラモンの二人組は、文法の規則などの言葉の形式にとだわりをみせていますね。
 それに対して、釈尊が重要視するのは、あくまで「意」です。また、そこにこめられた仏の心です。
  この伝承には、サンスクリット文法用語がいくつか見られます。そのうち三つの「語」という文字の意味は、「言葉」という意味ではなく、それぞれ異なっています。
 池田 三つの「語」とは、季先生が先ほど引用された『五分律』の中にある「男女語」「一語多語」「現在・過去・未来語」ですね。
  現代漢語のなかで、第一の「語」は、「文法上の性」を表し、「男女語」とは、「男性」と「女性」に相当します。
 第二の「語」は、「数」を表し、「一語多語」は「一語」「多語」に分かれ、現代の「単数」と「複数」に相当します。
 第三の「語」は「時制」を表し、「現在語」「過去語」「未来語」とは、現代の「現在時制」「過去時制」「未来時制」に相当します。
 サンスクリット文法はきわめて複雑で、長期的に専門の訓練を受けないと、マスターするととはむずかしいものです。
 古代インドの言い伝えによれば、サンスクリットをマスターするには十二年かかる、と言われていました。
 古代インドですらサンスクリットに精通した人は、おそらく、社会の上層階級に属する一握りの人々に限られ、広範な民衆ではなかった、と考えられます。
 ですから、釈尊が、サンスクリット使用に反対する言語政策をとり、比丘たちにそれぞれ自身の言語で語ることを許したことは、自身が創始した宗教を、広大な民衆に近づけ、広大な民衆の需要に適応させ、広大な民衆のなかへ広く伝播させるうえで、つごうが良かったわけです。

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