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日蓮大聖人・池田大作

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8 自然観、宇宙観  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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1  「天人合一」
 池田 季先生は、しばしば人間を自然の一部にたとえたり、自然を人間の中に見いだしておられます。
 たとえば、エッセーでも、青年を「朝八時か九時の太陽」と呼んだり、学舎に咲き香る花々を「わたしの心の中の春の反映」と表現するなど、枚挙にいとまがありません。先生の文章には、自然を愛する気持ちが満ちあふれでいます。
 先生にとって、自然とは、どのような存在でしょうか。また、宇宙は、どのような存在でしょうか。
  人間は本来、大自然の一部です。しかし、自然と切り離されてから、大自然と対立し始めました。
 私は「天人合一」を主張しています。
 「天」とは大自然のことで、「人」とは人間のことです。「合」とは互いに理解し、友誼を結び、互いに敵対しないことを言います。
 西洋の「自然征服」とは哲学が違うのです。
 また、現実的な角度から考えてみると、人間と自然は切り離されて久しいので、「自然に帰りたい」と思うものです。
 陶淵明の詩に「久しく樊籠はんろうの裏に在りしも、復た自然に返るを得たり」(『陶淵明金集』上、松枝茂夫・和田武司訳注、岩波文庫)ーーああ、久しい間、私は鳥籠の中にいた。今、ふたたび、あるがままの自由な生活へと戻ってきたのだーーとあります。
 彼は官職を去り、故郷の田園に帰ってきて、どんなに喜んだことでしょうか。
 人間と自然界が矛盾にあふれることは、避けられないことですが、矛盾があるからこそ、それを解決しなければならない。矛盾が解決されれば、調和に到達できるのです。
 調和は人生と宇宙の最高の法則です。矛盾を解決すればするだけ、調和のレベルと質は高まっていきます。インドの哲学者タゴールは調和を主張しました。
 自然と宇宙は、どのように存在するのか。
 私は、それらは「矛盾と調和の交替のなかに存在する」と感じています。
 池田 同感です。タゴールは私も大好きな詩人です。
 宇宙と人間の調和をタゴールは、たとえば、こう謳いあげました。
 「昼となく夜となくわたしの血管をながれる同じ生命の流れが、世界をつらぬいてながれ、律動的リズミカルに鼓動をうちながら躍動している。
 その同じ生命が大地の塵のなかをかけめぐり、無数の草の葉のなかに歓びとなって萌え出で、木の葉や花々のざわめく波となってくだける。
 その同じ生命が 生と死の海の揺監のなかで、潮の満ち干きにつれて ゆられている。
 この生命の世界に触れると わたしの手足は輝きわたるかに思われる。そして、いまこの刹那にも、幾世代の生命の鼓動が わたしの血のなかに脈打っているという思いから、わたしの誇りは湧きおこる」(「ギタンジャリ」森本達雄訳、『タゴール著作集』1所収、第三文明社)
2  人生で最も大切なもの
 池田 ところで、季先生は、人間が「生きていく」うえで、最も大切なものは何だと、お考えでしょうか。もちろん、最低限の衣食住があったとして、ですが。
  最も重要なことは、あまねく天下の人民大衆に何らかの良いことをし、それによって人民大衆の精神面や物質面が向上できるようにすることです。
 曹操のいわゆる「寧ろ我天下の人にそむくをもとむとも、天下の人の我に負くを要めず」(わしは、自分が天下の人に背とうと、天下の人に背かれるのは我慢できぬ)は、最もあってはならない考え方です。
 池田 同感です。”自分さえ良ければいい””人が困っていても関係ない”ーー日本は最近とみに、そのようなエゴの風潮の強い社会になってしまいました。
 仏典には「人のために灯をともせば(その人の前を明るくすると同時に)自分の前も明るくなる」(御書
 1598ページ、通解)とあります。
 人に尽くことこそ、じつは自分を生かす道であり、他の人を顧みない利己主義は、じつは自分自身を傷つけているのです。
 季先生は、「戦争と革命の世紀」と言われた二十世紀の「生き証人」です。ぜひ次の世代にメッセージを、お願いします。

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