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日蓮大聖人・池田大作

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5 恩師の存在  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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5  教育と教師
 池田 教育こそ最極の人生の聖業です。
 私も、牧口先生、戸田先生の遺志を受け継ぎ、創価大学、創価学園を創立しました。また、教育にはわが身を惜しまぬ信条でまいりました。
 季先生の門下のように、四世代、五世代、次の人材、そのまた次の人材というように、若人が陸続と成長してほしい。それが、私のなによりの喜びであり、願望です。
 季 池田先生の教育にかける精神に感動します。
 どのような国であれ、どのような民族であれ、必ず教育を最優先しなければなりません。教育は最も神聖な事業です。
 教育の目的は「継承」と「発揚」にあります。先人の創造と智慧を継承し、またそれを発揚し、さらに光り輝かせていく。そして後世に伝えていく。このようにして人類はたえず進歩し、精神境涯もたえず高まっていくことができるのです。
 池田 同感です。季先生は、ご自身の研究をどのような弟子に受け継いでほしいとお考えでしょうか。
 また、弟子、学生と接するさい、心がけていることは何でしょうか。
  私は後継の弟子には、「才能」があり、「勤勉」で、学術研究に対して「根気強い」人でなくてはならないと言っています。
 また、教師は学生と接するさいは、身をもって範を示さなければなりません。中国では古くから「身の教えは言の教えに勝れたり」(身をもって教えることは、口先で教えることよりも勝れている)と言われています。
 学生に「一杯の水」ほどの知識を授けようと思えば、教師はまず「一桶の水」ほどの知識を用意しなければなりません。教師は、決して「空の桶」をさげて、授業に臨もうと思ってはなりません。
 師弟には共同の偉大な目標があります。学生たちは弟子でもあり、同志でもあるのです。
 池田 まったく同感です。黄金の輝きを放つ言葉です。
 小学校の校長であった牧口先生も「教育の目的は児童の幸福にある」(『創価教育学体系』上、『牧口常三郎全集』6、第三文明社、趣意)と、また、教師は「尊敬の的たる王座」ではなく、「王座に向かうものを指導する公僕」であるべきだ(同前、下、同全集6、趣意)と、教育革命を叫ばれました。
 教師が、”今は未完成の学生たちも、いつか必ず、自分など及びもつかない偉大な人物になるのだ”と、信じて育てていくことですね。教師は決して学生を下に見てはいけません。同じ人間として、また学問を志す同志として、学生を励まし、わが子のごとく心から愛していきたいものです。
 「教育革命」は「教員革命」から始まると言えましよう。教員が良くならなければ、学生は良くなりません。学生が良くならなければ、未来の指導者は育ちません。
 私も、創価大学、創価学園の先生方と、つねに教育の原点に立ち戻ろうと確認しあっております。

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