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第十一章 「ユマニテの光」で世界を照ら…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

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9  「ユマニテの光」に満ちた世界とは
 金庸 「無償の愛」を謳った作品としてはユゴーの長編小説『海に働く人びと』も、同様の感動を与えてくれます。青年ジリヤットは、少女デリュシェットを深く愛するゆえに、彼女との結婚の権利を放棄して、その権利を彼女が愛する男性に譲り、二人を結婚させます。その後、ジリヤットは海上の大きな岩に悠然と座り、ひたひたと寄せくる満ち潮に身を任せ、水中へと飲み込まれていきます。
 池田 残念なことですが、日本では『レ・ミゼラブル』ほど知られていない作品です。
 金庸 中国で海外の文学作品が次々と翻訳され、絶頂に達した時期は、一九二○年代、三○年代です。翻訳された作品の大部分は、厳粛なテーマを担った大長編でした。たとえばトルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフ、ロマン・ロランなどです。
 これまで先生と語り合ってきたユゴーの小説は、切々とした悲哀を帯びたロマン派の愛情物語として受け止められてきました。そのために、革命小説を好み愛国精神に満ちた進歩的な翻訳家たちから、好意を寄せられることはありませんでした。たとえ多くの時間と労力を費やして、こうした愛情物語を翻訳した人がいたとしても、批評家の攻撃にさらされていたにちがいありません。
 池田 そうですか。しかし、それは明らかに曲解ですね。私は「進歩」や「革命」について、ユゴーほど正しいスタンスで考えていた人も少ないと思います。つまり、イデオロギーのスタンスではなく、人間のスタンスで――。
 ユゴーは『レ・ミゼラブル』の一節に、こう記しています。
 「市民諸君、今日何が起ろうと、勝っても、負けても、われわれがやろうとしているのは、革命である。火事が町全体を照らすように、革命は人類全体を照らす。それではどんな革命をやろうとしているのか?さっき言ったように、真実の革命である。政治的観点からすれば、ただ一つの原則があるだけだ、つまり、人間の人間にたいする主権である」(前掲書〈5〉)
 「ユマニテの光」に満ちた「世界」を実現しなければ、すでに革命の名に値しない、という主張でしょう。
 ソビエト連邦が崩壊したとき、"ロシア人がフランス革命の幕引きをした"ということがいわれました。つまり、左翼のイデオロギーからみれば、ロシア革命はフランス革命の延長上で、とらえられていた。したがってロシア革命の挫折は、フランス革命が提起した課題そのものの終焉を意味するのだ、と。
 しかし、そうしたイデオロギーのスタンスが色あせてくればくるほど、輝きを増してくるのは、人間のスタンスです。二十世紀が、「戦争の世紀」と呼ばれるほどの、悲惨と殺戮を繰り返してきたのも、まさに人類全体を照らす「ユマニテの光」という一点を見落としてきたからではないでしょうか。
 その意味でもユゴーは、もっともっと読まれるべき作家であり、読み返されるべき作家であると信じます。

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