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第十章 「生への希望」を語る「人間のた…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

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8  万人を感動させうる「生への希望」
 金庸 ええ。文学の特質ということでいえば、私は、文学の働きと、宣伝文句や理を説いた文章とは、性質が違うと思います。
 理を説いた文章の目的は、事柄の道理を明確に説明し、筋道の立った、きわめて厳格なロジック(論理)で分析して、読者を心の底から納得させ、作者の意見を受け入れさせるところにあります。
 敵への抵抗を宣揚したければ、憎悪すべき敵の実態を、あますところなく描き出さなければなりません。ここで奮起せず、抵抗しなければ、すぐに国家は滅亡し、民族は絶滅するということを、人々に認識してもらわなければなりません。
 革命を鼓吹したければ、事実を列挙して、現在の政府と制度が、人民に対してきわめて大きな危害を及ぼしていること、そして、これをひっくり返し、大々的に「民主」を宣揚しなければ国と人民の運命は危ういということを人々に自覚させなければなりません。
 文学も敵に抵抗し、革命を鼓舞することはできます。しかし、それは説教とは違います。また、登場人物に説教させるものでもありません。人々を感動させる物語なり、劇的なシーンなり、人々の心を激しく揺さぶる詩句によって、作者の感情を読者や観衆が受け入れる、というかたちをとるのです。
 そこでは読者が単に受け入れるだけではなく、熱血が沸騰し、熱い涙がほとばしるような感動を覚えることすら可能なのです。
 池田 わかります。人の心を揺り動かすのは、道理や大義名分ばかりではない。作者自身の内面にたぎる、「大感情」のほとばしりだということですね。辛亥革命の前夜、青年の憂国憂民の熱血を燃え立たせた鄒容の『革命軍』など、その好例でしょう。
 巴金氏の『寒夜』にしても、文章に込められた世の悪や、不条理への激しい怒りは、やむにやまれぬ「大感情」となって凝結し、凡百の宣伝文など足もとにも及ばない、有無をいわさぬ説得力をもっています。
 金庸 私が書いた武侠小説には、何らかの主題をもった思想を宣揚したいという意図はありません。たまたま、社会における醜悪な現象や醜悪な人物を浮き彫りにし、風刺することはあっても、それはただ興に乗った勢いで、気ままに描き出したものにすぎないのです。
 本来の主旨は、中国人の伝統的な美徳と崇高なる品格、高邁なる思想を肯定し、読者の心に、これらに対する敬慕の念を自然に湧き立たせ、「この世に生を享けたからには、当然こうあるべきだ」と思ってもらうところにあります。
 大多数の読者は実行できないかもしれませんが――実は、作者の私自身もできないわけですが(笑い)、そうした美徳に「あこがれる」気持ちを引き出すことができれば、それで目的は達成されたと思っています。
 池田 いえいえ。幾百千万の読者が先生の作品を愛読しているということ自体、先生の文筆活動が成功し、その目的が達成されている証明だと思います。
 金庸 ありがとうございます。比較的広い立場からいえば、文学の目標は、文字を用いて人物、物語、感情(ただし漢詩には、通常、人物や物語はありませんが)を創造し、ある種の美的で、善的で、純粋な感情、または価値を表現するところにあります。
 こうした感情または価値は、人生において本来、すでにそなわっているものです。それを芸術家が精錬し、組織立てることによって、読者に感動を与えるとともに、読者は、その価値を見いだしうる観点を受け入れていくのです。
 ときには作者が描く人物や物語が、それ自体は美的でも善的でもない場合があります。それでも、根底において表現したいものは、美的、善的な価値の肯定にほかならないと私は思います。たとえば魯迅の『阿Q正伝』『狂人日記』『薬』、ロシアではゴーゴリの『外套』、ドストエフスキーの『罪と罰』『白痴』などがそうです。
 この問題は、これまでに多くの哲人、学者が論じてきました。それぞれの考え方があります。私の意見が必ずしも正しく、完璧であるわけではありません。
 池田 真摯な魂にとっては、生きることそのものが「希望」への道程です。「希望」への間断なき、限りなき前進です。
 現実のカオスに身を投じ、苦闘しながら、そこから自分自身の人生の軌跡を切り開いていく――その意味で、人間のあらゆる営み、人間の生活、人間が生きるということそれ自体が、価値創造への闘争だといえるでしょう。
 ペンをとるということも、その例外ではないはずです。ホイジンガは、言っています。
 「生は闘争である」
 「人間の精神生活の全語彙は、すべて闘争の領域において機能している」(『朝の影のなかに』堀越孝一訳、中央公論社)
 人生とは、そして「言葉」とは、「より良く生きる」「人生の価値を見いだす」ための闘争である、と。
 もちろん、エンターテインメントとしての読み物や、人生の現実や矛盾を、そのまま読者の前に投げ出してみせるような作品もあります。しかし万人を感動させうる文学とは、よしんば逆説的なかたちをとったにせよ、どこかで「生への希望」を語っているものではないかと私は思います。

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