Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第八章 民衆の魂の覚醒――革命的ヒュー…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

前後
9  魯迅に比肩しうる文人が日本にいたか
 金庸 魯迅先生は、この文章の結論を次のように述べています。
 「(こうした詩人たちは)いずれも剛毅不撓の精神をもち、誠真な心をいだき、大衆に媚び旧風俗習に追従することなく、雄々しき歌声をあげて祖国の人々の新生を促し、世界にその国の存在を大いならしめた。わが国において、これに比肩しうる詩人がいるであろうか」(『魯迅全集1』所収の北岡正子訳「摩羅詩力説」学習研究社)
 池田 魯迅にとって、そうした詩人たちの姿は、自らが進む「民衆覚醒」の道の先達と映ったことでしょう。彼の心の鼓動が聞こえてくるような一節です。
 金庸 この文章は古文で書かれていて、やや難しかったせいか、当時の青年たちは、あまり注意を向けませんでした。
 しかし、そこに描かれた、国を愛し、国の発展を願う思い。民衆を目覚めさせようという情熱。人々の足枷になっている風俗習慣に反対し、古く朽ち果てたものは取り払おうという思想は、その後、魯迅先生が一生を通じて行った言動と寸分も違いません。
 「わが中国において、これに比肩しうる詩人がいるであろうか」
 この問いかけは、池田先生が言われるように、まさしく魯迅先生が、「これぞわが道」と思い定めたゆえの言葉です。自分自身に課した言葉であり、自らを励ます言葉であったと思います。
 池田 私も問いかけてみたいと思います。
 「日本において、果たして魯迅に比肩しうる文人がいたであろうか」と。
 日本の近代の主だった文人のなかで、魯迅のように社会悪と真正面から戦った人がいたかといえば、おそらく皆無でしょう。
 もちろん中国と日本とでは、背負った時代背景や事情が違うかもしれません。
 十九世紀以来の帝国主義の流れのなかで、日本は「後発」の帝国主義国でした。そのため近代化の進展の度合いが比較的早かった。「先発」の帝国主義国に追いつけ、追い越せと、国民がこぞって先を急いだ。
 その近代化の欺瞞性や醜さを文人たちが鋭く感じとっていたことも事実です。
 夏目漱石が有名な『草枕』の冒頭で「……とかくに人の世は住みにくい……どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る」と述べているように、文学や芸術の世界が、実社会への一つの異議申し立てを基盤にしていることは事実でしょう。
 しかし、日本と中国では「住みにくさ」の度合いが、まるで違う。ゆえに文人たちの問題意識も、魯迅のように社会の矛盾や悪に目を向け、真っ向からそれに立ち向かおうとするのではなく、個人の内面へ、あるいは魯迅が中国古典との断絶を叫んだのとは対蹠的に、古典の世界へと向かってしまいました。
 それは、見方によっては、ゆとりともいえるし、逆に、むしろある種の逃避といえます。いずれにせよ、そうした土壌からは、魯迅のような戦う文人が生まれなかったことだけは事実です。日本と中国の近代史を比較するなど、軽々にすべきではないし、もっともっと長いスパンで見なければ、その理非曲直は判断できないでしょう。しかし私は、この「果たして魯迅に比肩しうる文人がいたであろうか」という問いは、絶えず問い直されてよいと思っております。
 よく日本に「革命」はなかった――太平洋戦争後の民主化はもとよりのこと、あるいは明治維新にしても、みな外圧をきっかけにして起こったもので、民衆が自ら起こしたものではない、といわれますが、総じて民衆が自分たちで意識して、自発的に社会を変革するという経験がなかった。
 そうした精神的土壌からは、一人の「魯迅」も世に出ることはなかった。これは日本人の精神の骨格を考えるうえで、重い意味をもっているように思えてなりません。

1
9