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日蓮大聖人・池田大作

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第七章 新たなる「文学の復興」を――『…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

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2  小説の舞台、フランスのイフ島を訪ねて
 金庸 三年前、私と妻は、何人かのフランスの友人と一緒に、マルセイユを観光しました。友人の一人がマルセイユ市の海上消防隊の隊長で、私たちを案内してくれました。
 マルセイユと海を隔てて浮かぶイフ島は、ぜひ訪れてみたいと、思いを募らせていた名所です。その友人がいうには、デュマの小説のおかげで、イフ島は観光のメッカになり、多くの観光客が見学にくるそうです。
 実際には、ダンテスその人が、この島に囚われていたわけではなく、根も葉もない作り話なのですが。(笑い)
 池田 私も、マルセイユを訪れた際(一九八一年)、イフ島を遠望したことがあります。思ったほど陸地から離れておらず、ダンテスほどの水泳の名手なら、簡単に泳いで渡れそうな感じがしました。(笑い)
 南フランスの、まばゆいばかりの陽光を浴びて、コバルト色の海に浮かぶ白い小島を遠望しながら、恩師の獄中の闘いのことなど、しばし思いをめぐらしたものです。
 小説が売れたことで、その小説の舞台まで名所になることは、よくありますね。
 金庸 私にも、似たような経験があるのです。
 『射鵰(しゃちょう)英雄伝』という小説で、女性主人公の黄蓉と、その父親・黄薬師が住む桃花島を描きましたが、この島自体は舟山群島の東にある、実在の小島です。ところが小説とテレビで広く名前が知られたために、島はたいへん有名になり、観光地になりました。
 私が島を訪れたとき、村長と党指導者から、"ここが「東邪・黄薬師」の旧居であることをハッキリさせたいので、記念に一筆、書いてもらえないか"と頼まれました。(笑い)
 小高い丘には小さな「あずまや」が建てられており、小説から取った「試剣亭」という名前が、ちゃっかりつけられていました。(笑い)
 ちなみに観光客を送り迎えするため、新しく購入された船の名前は「金庸号」です。
 池田 人気作家ならではの"有名税"ですね。(笑い)
 金庸 でも私は、彼らの好意に心から感謝したいと思います。
 小説が事実にもとづいたものであろうとなかろうと、作品の品位を傷つけることはありません。それに読者が「これは真実だ」と思い込むことは、読者の想像を一つ増やすことです。また、その土地の風情を、一つ増やすことにもなる。
 世の中には、いわゆる「名所旧跡」が、ずいぶんありますが、その多くは「こじつけ」ではないでしょうか。たとえば杭州の西湖にある「断橋」は、ふつう神話に出てくる白娘子と夫の許仙が出会ったところだと信じられています。しかし、現実に白蛇の精が人間と愛し合うことはありません。(笑い)
 池田 日本では、たとえば山本周五郎の『樅ノ木は残った』などが、そうした例になるのかもしれません。
 NHKテレビの大河ドラマで放映されてから、物語の舞台である仙台が一気に有名になり、そこここに物語にちなんだ"名所"が増えたようです。(笑い)
 少々、飛躍するかもしれませんが、宗教の次元から言うと、いわゆる「名所旧跡」を訪ねるというのは、あまり意味がないといえます。現実の生活の場を離れて、どこかに聖地や神秘的な霊地を求めるのは、普遍的な信仰のあり方ではない。
 国際宗教社会学会元会長のオックスフォード大学のウィルソン博士と対談をしましたが、博士は「信仰は、特定の場所を神聖視する地域主義的なシンボリズム(象徴主義)を克服すべきである。寺院建築は、本来の宗教心や精神と比較すれば重要ではない」と言われていました。
 牧口初代会長も、若き日の大著『人生地理学』で、"発達した人民は、必ずしも宗教の起源地、その他の霊地を参詣せずとも、内心の信仰によって、その宗教心を満足させることができる"(要旨)と喝破されています。私も、まさにそのとおりだと思います。
3  「多作」の作家デュマの実像
 金庸 同感です。
 ところでデュマの小説は、三百作近くあるといわれますが、ほとんどは別人が書いたものです。デュマの名をかたって書かれたものもあれば、借金返済に困ったデュマが、二流三流の作家を雇って、粗製濫造したものもあります。(笑い)
 池田 ライバルから「小説製造工場の工場長」(笑い)と攻撃されたこともあるようですね。
 金庸 そのためにレベルが低く、構成も甘く、人物描写もいいかげんなものが多い。私も、まんまとだまされて読んでしまった偽作が少なくありません。(笑い)
 彼自身が書いた作品は、もちろん素晴らしい出来ですが、それは『三銃士』の三部作、『モンテ・クリスト伯』『黒いチューリップ』『マーガレット王妃』など、わずか数作だけです。
 池田 残念ながら、『黒いチューリップ』『マーガレット王妃』などは、日本ではあまり知られていません。どんな物語ですか。
 金庸 『マーガレット王妃』は、フランス王シャルル九世の母親が、本のページに毒を塗り、娘婿のアンリ四世を毒殺しようと企てます。しかし、彼女の息子のシャルル九世が先に本を手にしてしまい、結局、息子を毒殺してしまったという話です。
 池田 なるほど。同じような話は、中国にもありますか。
 金庸 あります。明の大文人・王世貞は、父の仇を討つために、恋愛小説の逸品『金瓶梅』を書き上げます。その一枚一枚にすべて毒をしみこませ、人から人へ転々とさせた揚句、宰相・厳嵩の息子である厳世蕃の手に渡るよう仕組みます。
 厳世蕃は一読するや、案の定、この本の虜になります。夢中で読み進むうち、(毒が接着剤の役割を果たして)ページとページがくっついている個所に行き当たります。そこで指に唾をつけてはがそうとした途端、毒に当たってしまうのです。毒は弱く、中毒死することはありませんでしたが、脳をやられてしまいます。
 厳世蕃は、もともと父親の厳嵩の知恵袋でした。皇帝が祈りを捧げるときに読み上げる、道教の"祝詞"である「青詞」を書くのが得意でした。厳嵩は、そのおかげで、時の嘉靖皇帝の寵愛と信頼を得ていたのです。ですから、厳世蕃の知力が衰えてしまったあと、厳嵩は失脚します。厳世蕃も牢獄に入れられ、そこで亡くなります。
 池田 実際に、あった話なのですか。
 金庸 非常に疑わしい話です。(笑い)
 歴史考証によれば、『金瓶梅』は王世貞の作品ではないといわれています。ただ洋の東西を問わず、本に毒を塗った話で熱心な読者に満足してもらおうと考えた人がいたことは事実のようです。
 池田 古来、毒というものは、人間を悪へと引きずり込んでいく魔力があるようです。『モンテ・クリスト伯』でも、復讐相手であるヴィルフォール検事総長の夫人が登場するくだりで、毒殺の話が出てきますね。
 少々不気味ですが、西洋では「ボルジアの毒薬」伝説といい、毒をめぐる物語は多いようです。
 一○年ほど前に、中世のキリスト教の修道院を舞台にした『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ)という小説がベストセラーになりました。映画にもなりましたが、ここでも「本のページに毒を塗る」というトリックが出てきます。
 金庸 デュマの作品の『黒いチューリップ』は、チューリップに魅せられたオランダ人を描いています。恋する一組の男女が、黒い花をつけるチューリップの品種の栽培に成功し、大いに人気を博します。すると、嘘や力ずくで、ごっそり横取りしようとする人間が現れ、ここからスリルに富んだ場面が次々と展開します。
4  ファリア神父にみられる「哲人の風貌」
 池田 そうしたデュマの作品群のなかでも、『モンテ・クリスト伯』は白眉でしょう。
 金庸 『モンテ・クリスト伯』の最大の魅力は、池田先生がおっしゃるように、話の展開が人をひきつけてやまず、ややもすると予想外の展開になるところにあります。しかも細かな部分にいたるまで、情理を逸脱したところがありません。傑作です。
 私は『連城訣』という小説を書き上げたとき、突然、あることに気づいて、びっくりしてしまいました。
 登場人物の狄雲が、獄中で「神照経」という口伝による武術の奥義を授かるくだりが、『モンテ・クリスト伯』のダンテスが獄中で、ファリア神父から教えを授かるくだりにそっくりなのです。これは故意にまねようとしたわけではなく、知らず知らずのうちに、同じような発想をたどってしまったのです。
 池田 先生は「東洋のデュマ」と呼ばれる文豪です。やはり、もともとデュマと発想が似ておられたということではありませんか。
 金庸 いえいえ。(笑い)
 似ている部分を改めようと思えば、できなくもなかったのですが、もう全編を書いてしまったあとです。改訂するとなると、かなり骨が折れる作業になります。
 それに「神照経」を授ける丁典は、気高さと深み、独特の風格をそなえており、『モンテ・クリスト伯』のファリア神父と、いささか異なっています。私自身が書いた愛情物語のなかでも、この作品の登場人物は飛び抜けた非凡さをもち、第一級に数えられると思います。ですから、この一段を削り取ることは、本当に惜しいと思ったのです。
 池田 日本語訳が出たら、ぜひ『モンテ・クリスト伯』と読みくらべてみたいものです。
 ファリア神父には「哲人の風貌」がありますね。たとえばダンテスに語りかけた、こんなくだりです。
 「世の中には、物識りと学者とのふた色があってな。物識りをつくるものは記憶であり、学者をつくるものは哲学なのだ」(『モンテ・クリスト伯』〈一〉山内義雄訳、岩波文庫)
 また、その「哲人の風貌」は、深い学識に裏づけられている。ファリア神父は、こう語ります。
 「人間の学問などは、とてもかぎられたものなのだ。あなたに、数学、物理学、歴史、それからわしに話せる三つ四つの現代語を教えてあげたら、わしの知っていることはそれで全部だ。わしの頭からあなたの頭にそれをうつすには、二年もあったらじゅうぶんだろう」(同前)
 「わしの知っていることはそれで全部」といいますが、これはやはり、たいへんな知識人でしょう。大知識人だからこそ、知っておくべきことと、そうでないことの判断ができる。
 金庸 言葉に含蓄がありますね。
 池田 それにファリア神父の言葉は、ありし日の恩師を思い起こさせます。
 恩師はよく、"君たちが得意とする学問を挙げてみなさい。私に三カ月の余裕があれば、どんな学問でも君たちに負けない力をつけてみせる"と言われていた。恩師も、本当に学識の深い方でした。
 金庸 ところで池田先生は、これまで私をデュマと比べてくださいました。本当に恐縮します。
 ですが、彼が見事な筆さばきを見せるところは、私など、とても太刀打ちできません。私たち二人の作風は、たしかに似かよっていますが、おのおのが最も優れた小説を五つ取り出して平均点を競ったら、デュマは私の数倍もの得点になるでしょう。
 しかし、もし一五の作品を取り出して平均点を競えば、手前みそですが、あるいは私のほうが勝てるかもしれません(笑い)。先ほども申し上げたように、彼の場合は佳作が少なく、駄作は実に多いからです(笑い)。しかも駄作といっても、極めつけの失敗作ですから、平均すると、佳作の点数が大幅に押し下げられてしまうのです。
5  「文学の復興」が希求される現代
 池田 金庸先生とデュマが、それぞれの作品を語り合ったら、さぞ興味深い展開になるでしょう(笑い)。それにしても、デュマあるいは、ヴィクトル・ユゴーなどに肩を並べるような大文学は、西洋でも今、なかなか現れませんね。
 近代文学、特に二十世紀の文学は、精緻な心理描写や写実、技巧をこらした文体などの点では、たしかに優れた作品を生んできたように思います。
 しかし物語の「おもしろさ」や人をひきつける「強さ」「想像力」――言ってみれば「生命を蘇らせる力」、デュマやユゴーの文学にみなぎっている骨太のエネルギーは、かえって失われてきたのではないでしょうか。
 もちろん、時代ということもあるでしょうが、その作品に触れたとき、より大きな「生命の脈動」に触れていくことができる。そんな文学こそ、今再び、求められているように思えてなりません。
 現代の子供たちは、「心を揺さぶられるもの」を求めている、画一的な今の社会は「豊かな世界」をもつ「物語の力」を借りてこそ乗り越えられる、といった見方もあります。
 金庸 まったく同感です。
 池田 「文芸の復興」と呼ばれた「ルネサンス」――今、新たなヒューマニズムが待望されるなか、その内実を形成しゆく「文学の復興」が求められているのではないでしょうか。
 恩師も、「大文学を読めば、仏法が、より深くわかってくる」といわれていました。大文学には、仏法で説く「十界」も、その他の要素も、すべて含まれています。「人間主義」を興隆するために、私は「文学の復興」の必要を痛感するのです。
 金庸 文学は人生を豊かにするものです。仏教も人生の問題を解決するもの。どちらも人生の問題を追究するものです。
 池田 先生との「文学対談」も、その「文学の復興」の時代を展望するものと、私は思っています。
 金庸 私も同じ思いです。
 「大文学」といえば、デュマの作品こそ、その名にふさわしいものといえるでしょう。
 デュマは、世界の文学史上に確固たる地位を占めています。それは一つには、登場人物が生き生きと描かれているためです。生き生きとした人物像を描けるのは、その小説家がきわめて高い文学的才能をそなえている証拠です。
 池田 物語の「筋」だけではなく、「人物をどう描くか」ですね。
 金庸 『モンテ・クリスト伯』と、『三銃士』の文学的価値の一つも、主人公の個性が鮮明であり、人物像が生き生きとしているところにあります。
 そう考えてみると、二つのうちでは『三銃士』の価値のほうが、ずっと高いと私は思うのです。というのも『モンテ・クリスト伯』の登場人物は、善悪がはっきりしすぎていて、性格が単純だという傾向があるからです。あたかも型にはまった京劇役者のようで、「白でもなく黒でもない」といった、あいまいな部分が欠けているのです。
 池田 そういわれれば『モンテ・クリスト伯』の悪人たちは、いかにも悪人然としている(笑い)。『三銃士』のほうは、そうでもありませんね。ロシュフォールなどという人物は、ダルタニャンの宿敵のような存在であり続けるわけですが、必ずしも悪人ではありません。
 先生のご指摘は、さすがです。私も元来、あまり深く考えてこなかった観点です。
 金庸 人間の社会にあっては、善と悪とは複雑に交錯しあっています。この社会で誰が百パーセントの善人である、また悪人であるとは、なかなか言えないものです。悪人にも善い部分があるだろうし、善人にも悪い部分がある。作者が考えるべきことは、真実かどうかということです。
 『倚天屠龍記』で私が書きたかったのは、人生の一つのとらえ方でした。それは、普通いわれる、正しいもの邪なもの、良いもの悪いもの、といった立て分けが、ときには、とても区分できないことがあるということです。
 人生必ずしも「善には善の報いがあり、悪には悪の報いがある」わけではない。善玉悪玉を、はっきり分けることはできない。人生は本当に複雑で、運命は千変万化するものです。
 池田 金庸先生の人間観は仏教の人間観、生命観にきわめて親近しています。
 仏典には、「善に背くを悪と云い悪に背くを善と云う、故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり、善悪無記・此の外には心無く心の外には法無きなり」等とあります。
 善悪は「不二」である。人間の生命は、本来、善悪両面をそなえているのであり、人の心の働きを、どちらか一方に限定することはできない、と。
 この言葉に照らしても、金庸先生のお考えは、仏法の発想ときわめて近いと思います。
 金庸 とすると私は、もともと仏教徒としての資質があったのでしょうか。(笑い)
6  主人公・ダンテスの復讐劇が語りかけるもの
 池田 ただ私個人としては、それでも『三銃士』より『モンテ・クリスト伯』のほうが好きです。文豪に異を唱えるようで、申しわけないのですが。(笑い)
 金庸 とんでもありません。(笑い)
 『モンテ・クリスト伯』でダンテスが、恩に報い、仇を返していくようすは、人々の心を晴れ晴れとさせ、愉快にさせてくれます。しかし、さらに大切なことは、気概にあふれ、度量も大きく、君子然とした、彼の風格にあると思います。
 池田 単なる「復讐の鬼」にとどまらない人間の奥行きの深さだ、と。
 金庸 一人の人間が復讐を決意し、仇敵をメチャメチャに斬りさいなんだとしても、それは一時の衝動に身を任せただけのことです。それにひきかえ、用意周到にはかりごとをめぐらし、着実に報復の準備を進めながら、復讐を遂げる前に、誰もが納得のいく理由で仇敵を許す――それでこそ人々は、より大きな感動を覚えるのではないでしょうか。
 池田 賛成です。まったく、おっしゃるとおりだと思います。
 「復讐の鬼」ダンテスも、やがて次第に、そうした「許し」の方向へと向かっていく。たとえば妻子の死というかたちで仇敵・ヴィルフォールへの復讐を遂げたあと、彼は、こうつぶやきます。
 「わたしのしたことが、どうかやりすぎでなかったように!」
 そして復讐劇の最後となるダングラールの場合には結局、彼の生命を助けてあげます。
 金庸 そうです。一番、悪辣に思える人間を許すのです。
 池田 恩師は、ご自身で書かれた小説『人間革命』(妙悟空著)の主人公を、「巌九十翁」と名づけました。
 あの戦時中の弾圧で、師である牧口先生は獄死され、弟子たる戸田先生は生きて獄門を出られた。
 明治の生まれらしい、それは剛毅な、そして豪放磊落な恩師でした。その恩師が、ひとたび牧口先生の獄死に話が及ぶと、時に涙さえ浮かべられながら激昂された。言いようのない怒りを、どうすることもできないといったようすでした。
 誰が牧口先生を殺したのか!先生の仇を討たずにおくものか!――その激しい怒りを、「魂」を、「巌窟王」になぞらえたのでしょう。
 仏法に「復讐」はありません。しかし、それは決して、邪悪との戦いの放棄を意味するものではありません。
 それは特定の社会や個人を暴力で打ち倒すというのではない。その人間なり社会の奥にひそむ、より本源的な、"見えざる魔性"との戦いなのです。
 恩師の言う復讐、仇討ちも、根本的には、そうした意味が込められていました。"見えざる魔性"を打ち破ることは難しい。だからこそ、激しい怒りが必要なのです。渾身の戦いが必要なのです。
 金庸 ダンテスの戦いが、単なる"目には目を、歯には歯を"といった単純な復讐劇を超えた、ある種の救いがあるのも、デュマの人間観の奥行きの深さによるところが大きいといえるでしょう。
7  「人間が人間を裁く」ことの傲慢さ
 池田 トルストイも『アンナ・カレーニナ』の扉に、『聖書』のこんな一節を掲げています。「復讐は我にあり、我これを酬いん」(『トルストイ全集7アンナ・カレーニナ』〈上〉中村白葉訳、河出書房新社)と。
 復讐といっても、人間には、越えてはならない一線がある。誰人も、他の人間の人生の一切を踏みにじり、生命を奪い取る権利はない。究極において、人間が人間を裁くという傲慢さに陥ってはならず、最後の裁きは人為を超えた何ものかに委ねられている。トルストイも、その一点を見すえていたのではないかと思います。
 恩師も「人間が神に代わって罰するという考えは間違っている。法罰でいかなければならない。法に力があるときは、人間が人間を罰する必要はないからである」と語っておられました。
 金庸 中国では、前漢以前において、復讐という行為は、社会から是認されていました。父を殺された仇を、もし報いなければ、世間から親不孝というレッテルをはられ、恥知らずと罵られたことでしょう。
 日本では、鎌倉・室町時代において、「仇討ち」と「助太刀」の気風が発展し、復讐行為に対して、かなり肯定的になりましたね。
 池田 ええ。特に江戸時代においては、仇討ちは、為すべきこととして制度化されていました。君臣間でも、たとえば「忠臣蔵」などは、その後、書き物や芝居、映像を通じて、数限りなくといっても過言ではないほど、繰り返し繰り返し取り上げられ、庶民の人気を博してきました。仇を討つということが、いかに人間の情念に深く根ざしているかを物語っています。
 ゲーテは「社会が死刑を定める権利を放棄すれば、ただちにまた自衛が登場する。血の復讐がドアをノックする」(『ゲーテ全集13』所収の岩崎英二郎・関楠生共訳「箴言と省察」潮出版社)と述べています。こうした情念を、より高度な境涯へと昇華させていくには、トルストイが示唆しているような宗教的な契機を欠かすことはできないと思います。
 金庸 ダンテスの復讐は、情念を満足させる、胸のすくような痛快さがあります。しかし今、先生が言われたように、そればかりではありません。
 彼は仇敵の愛児を殺すことで仇敵を終生、苦しめることができたにもかかわらず、結局は昔の恋人メルセデスの懇願を聞き入れ、愛児を許すという場面もあります。
 池田 ダンテスとメルセデスの子・アルベールの決闘をめぐる場面ですね。
 決闘前夜、ダンテスはメルセデスの哀願にうたれ、決闘では自分がアルベールに殺される覚悟を、ひそかに固める。だが母親から一切の経緯を聞いたアルベールは、決闘の場でダンテスにわび、決闘の中断を申し入れる。
 金庸 作者は、このようなシーンを強調することで、命よりも信義を重んじる主人公の高尚な性質を描き出しています。
 そして読者は、永遠に忘れえない印象を胸に宿すことになるのです。
 池田 感動的なシーンです。
 メルセデスは命を賭してダンテスの前に立ちふさがる。ダンテスも、そのメルセデスの強い一念に包み込まれて、ついには折れてしまう。
 一言でいえば、母性の偉大さ――「人間愛のシンボル」としての、母性の勝利ですね。
 この母性の大きさは、ダンテスとともに、アルベールをも包むのです。決闘を途中で打ち切るということは、当時の常識からみれば不名誉極まることだったのですから。
 金庸 私も小説『雪山飛狐』の結末を、はっきりさせないまま、筆を擱きました。
 そのため多くの読者は、このことが頭から離れないようです。「結局、胡斐は苗人鳳に刀を振りおろしたのですか」と、よく聞かれます。
 主人公・胡斐にとって、苗人鳳は父の仇敵であるとともに、恋人の父でもあります。また武侠の先輩として心ひそかに尊敬もしていました。
 振りおろしたのか、おろさなかったのか。それは胡斐の性格が、どれほど高尚か、そして恋人・苗若蘭への彼の愛情が、どれほど深いか――つまり恋人への愛情が、自分の命への愛惜よりも、軽いのか重いのかによって決まります。
 それは、読者一人ひとりが、自分自身で評価し、決定できることなのです。ですから私は、わざとはっきりした結末を書きませんでした。読者に謎を一つ多くもってもらうことで、想像を一つ多くもってもらい、自分で判断する喜びを味わってもらおうと考えたのです。
 池田 素晴らしいお話ですね。
8  「待て、しかして希望せよ!」
 金庸 ダンテスはまた、仇敵の娘であるヴァランティーヌを救い、彼女の縁組が整うように努力します。ここからも彼の偉大な境涯を見て取ることができます。
 ダンテスが恩や仇に報いるとき、人々が感銘するのは、彼がどのようにして恩と仇に報いるのか、ではありません。彼がどのようにして仇を返すことを断念し、また彼がどのようにして「徳を以て恨みに報いる」かにあるのです。
 ダンテスは最後に、国家を相手に戦えるほどの財産をあっさり捨て、美しく優しい少女エデを連れて、飄然と去っていきます。彼方へ身を引きます。読者に甘い慰めをもたらす、こうした結末もまた、この傑作が成功した原因の一つでしょう。
 池田 デュマは、この大小説の最後に、この言葉を置きます。
 「待て、しかして希望せよ!」(『モンテ・クリスト伯』〈七〉山内義雄訳、岩波文庫)
 「待つ」こと。そして「希望する」こと。思うのですが、この一句は、単なる処世訓というだけではない。簡単な言葉のようであって、実は、現代文明の課題を乗り越えるための、一つの回答が隠されているように思えてならないのです。
 金庸 と言われますと。
 池田 現代文明の大きな特徴の一つは、経るべき「時」を待たずに、いわば「結果に飛躍する」ことだといえるのではないでしょうか。
 つまり何をするにも、一歩一歩、地道に、順番に積み上げていくというのではない。まず「結果ありき」で、途中の経過やプロセスを大事にしない。要するに、努力して「待つ」ということを知らない。
 何をするにも、「それで結局、どうなるのか」と、結論を急ぎたがる。「一たす一は、二」という具合に、何でも思いどおりにしようと、すぐソロバンをはじいてしまう。そこに、科学文明のはらんでいる一番大きな欠陥があります。
 これは、ある意味で人間の「思い上がり」ではないでしょうか。
 安直にできあがったものは、長続きしないものです。また、ものごとには、予期せぬ事態がつきもので、「一たす一は二」と必ず同じ結果が出る数式のように、思いどおりにいくものではありません。その予期せぬできごとに真剣に取り組み、努力し、立ち向かい、必死に乗り越えていくなかにこそ人生はあるのです。その格闘の果てに「結果」もあるのです。
 努力を避け、プロセスをいとい、てっとりばやく「結果」だけ手にしたい――賢いように見えて、人間の生き方としては傲慢であり愚かです。
 待つことを知る、しかも希望を忘れずに――そこには、現代社会がほとんど見失ってしまっている健康な楽観主義の知恵が脈打っているようです。
 金庸 なるほど。「待つ」という言葉は、そうした意味をも含んでいるわけですね。
 池田 以前、ペリクレスについて語り合ったとき、「時を知る」ことがリーダーの条件だと申し上げました。ペリクレスのいう「時」という言葉も、こうした意味を言外に含んでいるのではないでしょうか。
 つまり「時」とは、特定の一時点のみをさしているわけではない。その時にいたるまでの、さまざまな葛藤、格闘に満ちたプロセスをも含んでいる……。
 ともあれ『モンテ・クリスト伯』の結末の一句は、さまざまな想像を広げてくれる言葉です。
9  『三銃士』に描かれる個性豊かな登場人物たち
 金庸 デュマにはもう一つ、『三銃士』という傑作があります。
 以前もご紹介しましたが、中国語訳には伍光建先生の非常に優れた翻訳があり、題名を『侠隠記』といいます。その訳文の素晴らしさは、今日ひもといても、まったく色あせていません。もし私が翻訳したとしても、とても伍先生のように訳せないだろうと、よく思います。(笑い)
 池田 翻訳といえば、牧口初代会長が今世紀初めに著した教育論が八年前に英訳され反響を呼びました。教育への関心は世界共通で、学説は時代を超えて読まれました。
 私の著書のことで恐縮ですが、トインビー博士との対談集(『二十一世紀への対話』)は、世界の二一言語に翻訳されています。各地で思いがけない人から"対談集を読みましたよ"と言っていただきます。翻訳という作業のありがたさを感じたものです。
 ともあれ、ある作品が、言葉を超え、国境を越えて親しまれていく。そのためには作品自体のできばえはもとより、「翻訳」によるところが大きいですね。「翻訳」は命です。
 金庸 続編である『続侠隠記』の翻訳は、残念ながら前作には及びません。伍先生は続編を訳すとき、とても忙しかったのかもしれません(笑い)。また前作が大成功したので、続編を訳すときは、こまやかな心配りを欠いてしまったのかもしれません。
 池田 先生は『三銃士』を高く評価しておられますね。それだけに続編への期待も大きかったし、その仕上がりが残念だったのでしょう。
 金庸 『侠隠記』の一書は、私の生涯にきわめて大きな影響を与えました。私が武侠小説を書いたのも、この作品から啓発を受けたからだといっても過言ではありません。
 フランスの騎士団名誉勲章を受章したとき、フランスの駐香港総領事が祝辞のなかで、私を「中国の大デュマ」とたたえてくださいました。
 もちろん、これは私にとって過分の賞賛です。でも、本当にうれしかった。なぜなら私が書いた小説は、ほかでもない、デュマの作風を慕って書いたものだからです。洋の東西を問わず、私が最も愛好する作家はデュマです。このことは十二、三歳のころから現在まで、ずっと変わりません。
 池田 『三銃士』の登場人物といえば、少年時代に手にした少年版「世界文学全集」にたしか「笑わぬアトス」に「紅色マントのポルトス」、それに「美男のアラミス」という呼び名で出てきたと思います。懐かしいですね。手に汗するような思いで一気に読んだことを覚えています。
 金庸 私が読んだのは『侠隠記』の題名でしたが、ふつう『三銃士』の中国語の題名は『三剣客』といいます。『三剣客』といっても、主人公はもう一人の剣客・ダルタニャンが務めていますので、実際は「四剣客」です。
 また題名では「銃士」となっていますし、銃も使用されていましたが、当時のフランスでは、ふつうはまだ剣を使っていた。この作品に描かれているシーンでも、ほとんど剣を使っており、ごく少数の場合のみ、銃が使われています。
 池田 内容面から言って、『三銃士』の魅力は、どこにあると思われますか。
 金庸 先ほども触れましたが、やはり、登場人物の性格が生き生きと描かれているところにあると思います。
 四人の若者のうち、池田先生なら、誰を推しますか。ダルタニャンですか、それともほかの若者ですか。(笑い)
 池田 どちらかというと私は、アトスに魅かれます。
 四人のなかで一番の年長者である彼については、こう描かれています。
 「(ダルタニャンは)このアトスにもっとも心をひかれていたのだ。その気稟と、ふだんは故意に閉じこもっているような蔭から時々さっと光り出す閃き、誰にでも親しみやすくむらのない性質、または辛辣味を帯びた陽気さ、もし極端な冷静の結果だと考えなければ猪突としか見えない勇気、そういうことごとに優れた性質が、ダルタニャンを尊敬以上にひきつけて、友情というより心から敬服しきっていたのである」(『三銃士』〈上〉生島遼一訳、岩波文庫)
 「知勇兼備」というか、多面的で何とも魅力ある人物ではありませんか。
 金庸 たしかに。たくさんの美点を兼ね備えた偉丈夫ですね。
 池田 たとえばアトスが、前途を憂慮するダルタニャンに対して、こう語る場面があります。
 「人生とは、そうした不愉快な故障や災難の数珠つなぎになったものだ。その数珠を、笑いながらつまぐって行くのが哲人だ」(前掲書〈下〉)
 まさに名セリフです。単に冒険を愛し、剣を愛する若者というだけではない。ここには人生の嵐や波浪を悠然と見下ろしながら、さっそうと頭を上げて進む、「哲人の風格」すら感じさせます。
 金庸 『三銃士』の作風は、西洋の小説というよりは、むしろ伝統的な中国の小説に似ています。
 ダルタニャンは頭の回転が早くて、気性が荒く、このうえない勇気の持ち主です。『三国志』や『水滸伝』の登場人物になぞらえると、趙子龍(常山)というところでしょうか。
 ポルトスは巨漢で力持ちですが、思考は少々鈍い。こちらは、張飛、李逵(小李広)に似ています。
 アトスは、先ほど先生が指摘されたように、人格が高尚で、屈託がなく、学者肌でおっとりしています。周瑜と花栄を合わせたような人物といえるでしょう。つまり、最も人々を心服させうる人物です。
 アラミスは、どこかいわくありげで、あれこれと悪だくみをはたらきます。これは『七侠五義』の智化(黒妖狐)に、やや似ているでしょうか。
 池田 アトスについて「周瑜と花栄」と言われましたが、むしろ『三国志』の関羽に似ているといっては、ほめすぎでしょうか。(笑い)
 金庸 なるほど。こうした四人が集まっては、酒を片手に高らかに歌い、馬を馳せては剣を抜く。そこにもう一人、桃か李のようにあでやかで、かつ毒蛇をもしのぐ悪辣さの持ち主である、美女ミレディーが加わります。彼女は、国王ルイ十三世の宮廷に織り込まれていきます。目立たないようにしたいと願っても、どうしてそんなことができるでしょうか。(笑い)
10  歴史と人物をみる眼を養う読書の醍醐味
 池田 『三銃士』の魅力は、いろんな個性がぶつかり合い、活劇を繰り広げていくところにあると思います。人生の劇も、同様でしょう。同じような個性の持ち主ばかりが集まったのでは、筋書きが読めてしまって、おもしろくもなんともありません。
 恩師は、よく言われていた。
 「人材を登用する場合は、組み合わせの妙というのがある。一たす一が二ではなく、三にも四にも五にもなる。そこが人間世界のおもしろさだ。同じような人間ばかりじゃおもしろくないし、大事も為せないぞ」と。
 金庸先生は人物描写の巧みさでも有名ですが、この点でも、あるいは『三銃士』の影響を受けたのでしょうか。
 金庸 『三銃士』から直接的に教わったわけではありません。私の場合はやはり、中国の古典小説から学んだものです。『三銃士』からは、むしろ歴史事実をどのように活用すればよいかを教わりました。
 池田 デュマと、古典小説。そのほかに、どうでしょうか。影響を受けた作品なり、作家は。
 金庸 もう一人の大切な師匠は、イギリスのスコットです。文学的な価値からいえば、一般にはスコットのほうがデュマよりも評判が上です。でもデュマの最も優れたいくつかの作品は、スコットの最も優れた作品と比べても、はるかに読みごたえがあります。
 池田 スコットの作品では『アイヴァンホー』を読んだことがありますが、やはりデュマの作品のほうが優れているように思います。これは、私の勝手な見方かもしれませんが。(笑い)
 金庸 池田先生は青年時代、文学の創作は詩作が中心でした。小説は書いておられませんでしたので、『三銃士』を読まれたときは、私とは違った感想をもたれたと思います。おそらく、四人の剣客が命令を受け取るや、全力を尽くし、毅然かつ不屈の精神で任務を遂行していく姿に、感銘を受けられたのではないでしょうか。
 池田 青年の「若さ」「健康」「気っ風のよさ」といった点では、やはり強い印象をもちました。
 それともう一つ、感銘を受けたという点から言えば、私はリシュリューという人物に興味をもちました。ご存じのとおり、近代フランスの礎を築いた大宰相です。
 権謀術数にたけた老練の政治家であり、複雑な性格の持ち主だった半面、"私"をかえりみることの少ない「無私の人」でもあった。特に人材を愛することにかけては、群を抜いていた。
 『三銃士』の最後のくだりでも、自分の配下であったミレディーを殺したダルタニャンを罰することなく、かえって銃士隊の副隊長に抜擢します。
 為政者としての度量の大きさ、敵味方を超えて人材を愛する心の深さでは、どこか『三国志』の曹操をほうふつさせますね。
 ともあれ登場人物と歴史上の人物を比較しながら読むことも、読書の醍醐味の一つですね。いい作品は、それだけ想像の翼を広げさせてくれるということでしょうか。

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