Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第五章 友情、精神と人格、仏教との出合…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

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10  永遠のテーマ――「人間、人生とは何か」
 金庸 そうです。いくら時代が変化し、文明が進歩したからといって、解明できる問題ではありません。
 池田 特に「生および、その前」「死および、そのあと」という命題は、人間にとって普遍の、そして永遠のテーマです。
 この命題に真摯に取り組まずしては、人生は、およそ薄っぺらなものになってしまうでしょう。極端な話、「あとは野となれ、山となれ」――今現在を、ただおもしろおかしく暮らせばよい、ということにもなりかねません。
 金庸 先ほど先生と語り合った「拝金主義」も、そうした問いかけが失われたところに大きな原因があるといえるでしょう。
 池田 同感です。入会する前の私も、私なりに、この命題に何とか迫りたいと努めていました。哲学を学び、文学を読みあさったのも、そのためでした。ときには、エマソンの超絶主義の哲学にあこがれたこともありますし、あるときはベルクソンの「生の哲学」の書物を、むさぼるように読んだこともあります。
 「心の遍歴」といえば、そうした遍歴の果てに、私は仏法にめぐり合うべくして、めぐり合ったといえるでしょう。
 戸田先生に初めてお会いしたとき、その生命から放射される強烈な光線の前に、今まで魅力を感じてきたエマソンやベルクソンのイメージも、みるみる春の霞のような淡い輪郭と化していくのを、いかんともなしえませんでした。
 私は「確かなもの」にめぐり合うことのできた感動を、即興の詩に託して先生に聞いていただきました。
 「旅びとよ/いづこより来り/いづこへ往かんとするか……」
 人間とは何か。人間は「いづこより」来るのか。そして「いづこへ」往かんとするのか――いつも脳裏から離れないテーマだったからこそ、こうした詩が即座に浮かんできたのでしょう。以来、私の求道の旅は始まりました。この旅路に終着点はありません。

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