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第四章 「二十一世紀人」の条件――鄧小…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

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9  「二十一世紀人」の条件
 池田 今後、ますます世界は狭くなります。一体化が進みます。「一体化された世界」の焦点は、「人間」です。
 頭も心も体も強い。視野が広い。人間が大きい。そうした「国際人」「世界人」が陸続と育たなければ、未来は開けません。その人材を、どう育てていくか。私たちすべてが真剣に考えなければならない問題です。
 金庸 まったくそのとおりです。
 池田 訪れるたびに思うのですが、その点、香港という街は恵まれていますね。国際都市としての「地の利」があります。
 重ねてゴルバチョフ氏の話になりますが、氏の故郷は北コーカサスのスターブロポリといって、商業交易はじめ人的交流の非常に盛んなところだったそうです。
 そうした故郷の気風に触れて氏は、「何世紀もの間、人との調和、民族間の友好関係が、生き抜くための最大の条件であった」「私たちは思考形態からいっても、人間関係からいっても、『国際主義者』となるべく運命づけられていた」と言われていました。
 香港にも、同じような事情があるのではないでしょうか。いわば「国際人」の揺籃の地としての――。
 金庸 たしかに香港で長い間生活した人は、おのずと、ある種の国際感覚をはぐくむことができるでしょう。小さいころから世界を旅し、世界に対する見識をもつ機会に恵まれています。視野が狭くないのです。
 ただ、欠点は、中国本国の文化や伝統に対する感情や、愛情に欠けています。これはおそらく、(中国人としての)重厚な基盤がないからでしょう。
 池田 それも、今回の返還によって大きく変わるのではありませんか。今後は香港の人々の長所と、中国本国の人々の長所が、結び合わされていくことでしょう。
 金庸 中国人も伝統的に外国人を排斥しません。異民族の文化を容易に受け入れるという長所をもっています。
 香港の人間は、政治上はイギリス人の影響を受けていますが、人種差別という偏見がありません。私たちは、西洋人、日本人、インド・パキスタン人、黒人と、誰とつき合っても、まったく同じように見なします。ですから、友だちづき合いはもちろん、恋愛も結婚も、まったく問題ありません。
 私の友人には、「国連家族」とも呼ぶべき家庭をもつ人が、たくさんいます。たとえば娘が外国人に嫁ぎ、息子が外国人をめとっても、みんな仲良く、楽しく、いたわりあって暮らしています。
 言葉、宗教、生活習慣はちがっていても、「愛」による調和によって、幸福な共同生活を送ることができるのです。
 池田 必要なのは、言葉、宗教、生活習慣など、人間を隔てる「差異へのこだわり」を捨てた、人間すべてに対する「愛」――いわば、「大愛」であり、「普遍の愛」ですね。一言でいえば「慈悲の心」です。
 金庸 大きな国も小さな国も、もちろん人間も、みな平等です。みな平等に仲良くしていくべきです。釈尊も、人間だけでなく、犬も猫にも平等に大慈大悲を注ぎました。
 池田 「平等」と「慈悲」。まさに「国際人」「世界人」「二十一世紀人」の条件ですね。平和も、「慈悲の心」が広がった分だけ近づきます。
 「大人は己なし」(荘子)という言葉が、若いころから私は好きです。「己」とは、ただ自分の私利私欲をさす言葉ではないと思います。小さなカラに閉じこもった小さな自分、自分とは異なる価値を受け入れられない小さな器の自分。それをもさして「己」というのでしょう。
 日本人は、島国根性といって、なかなか広い心がもてません。小さな「己」が捨てられません。これは日本人の宿命といってよい。だから私は青年たちに「世界に目を向けよ」「堂々たる国際人たれ」と、常々語っています。二十一世紀に活躍するには、それが絶対の条件だからです。
 金庸 まったくです。その意味で、創価学会と池田先生の存在は、日本にとってきわめて重要です。
 日本は他の面では優れていても、国際感覚が優れているとはいえません。
 以前、ある大会社のアンケートが、私のもとに来ました。「どうして日本のイメージは悪いのか」という設問です。
 私は、「自分の長所を表現することが、下手だからではないか」と答えました。そのために、長所までも短所に見られます。これは改良したほうがいい。
 たとえば、ある人が、学問もあり、能力も優れている。しかし人間関係の面でうまくいかない。それでは誤解されて、悪い人だと思われかねません。
 池田 いつも言うのです。日本人は、もっと「話す」ことだと。とにかく「しゃべる」ことです。特に海外では、言葉を惜しんではいけない。黙っていてはいけない。黙っていては、いつまでたっても心は通いません。
 「沈黙は金、雄弁は銀」といって、黙っていることを美徳とする風潮が、まだまだ根強い日本ですが、これからの国際化社会では逆です。「雄弁こそ金」です。
 金庸 真の「二十一世紀人」になるには、まず胸襟を大きく開き、自分と違ったところのある人に、差別や偏見の心をもたないことです。そして交際のなかで互いに理解し合い、意思を通わせ、「慈悲の心」「愛の心」をはぐくむことです。「相手のために何をすべきか」を考えることです。
 それでこそ社会の調和が期待でき、世界平和の維持が期待できるのです。
 池田 心に「慈悲」。そして、実際の行動においては、常に「相手のため」を考え、「相手のため」に行動する。つまり「菩薩」の実践です。
 私たちは香港と日本、中国と日本、そしてアジア、世界へと、「慈悲の心」「菩薩の実践」で民衆を結んでいきたいものです。その「民衆の大交流」のなかからこそ、真の「国際人」「世界人」が育つのです。

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