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第二章 日本と香港――「環太平洋文明」…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

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2  現実離れしたドグマにしがみつく悲劇
 池田 かつて金庸先生は、「明報」にこう綴られました。「実際の状況にそぐわない融通性のない思想を、教条という。ソ連式のマルクス・レーニン主義は教条であり、中国に大いなる災害をもたらした。欧米式の民主主義は本来、良い制度だと言えるが、香港の実際の状況を考慮せず、公式をあてはめるような『お仕着せ』であれば、それもまた教条である。将来、災害をもたらさないとは、必ずしも言えまい」と。
 現実離れしたドグマ(教条)にしがみつく悲劇――これまた、ゴルバチョフ氏と、語り合ったところです。
 「人間」が基準になるのではなく、「ドグマ」によって人間が裁かれていく愚を繰り返してはなりません。こんな悲劇は、もう止めにしなくてはなりません。
 金庸 そういえば池田先生の著作に、「思想」についての、こんな発言があったことを思い出します。具体的な人間を離れて、「抽象化された思想」が独り歩きすると、かえって人間を傷つけ、不幸にする場合がある、と。
 つまり、人民のため、国家のため、民族のため、自分のため、世界のために、利益があるかどうかが、抽象的な「真理」や「イデオロギー」よりも大事であるということですね。
 池田 的確な、また深いご理解に感謝します。「抽象化された思想」の独り歩きも、結局は「人間」を思いやる心を忘れたところから始まります。
 金庸 武力によらず、対話という手段で国際紛争を解決していく。池田先生がゴルバチョフ氏との対談で強調されていた、この原則についても、私は大賛成です。
 先日、先生との手紙のやりとりのなかで、一九九六年来、衆目を集めている釣魚台群島(日本側の呼び名は尖閣諸島)の主権問題について語り合いましたね。先生はお返事のなかで、私の意見に賛同され、こう述べられました。
 「釣魚台群島の主権が、どこにあるかという問題について日中両国が平和を念頭において話し合い、協議をまとめるべきです。双方ともに両国の友好関係をそこなうような、一方的な行動に出てはなりません。
 もし合意が得られなければ、しばらくはそのままにしておいて、将来また話し合いを再開すればよいのではないでしょうか。群島付近の天然資源は共同で開発し、双方が納得のいく方法で利益を分配することもできるのですから」と。
 池田 両国の友好にとって、たいへん微妙な、そして大事な問題です。だからこそ「話し合い」を根本にしなければなりません。速断はいけません。古来、領土をめぐる血で血を洗う紛争は限りなくあったわけですから。
 金庸 実際、中国当局の主張も、私たちの意見とほぼ同じです。
 一九九六年秋、北京で開かれた中華人民共和国の建国四七周年を祝う、国家主催の宴席に参加しました。そのとき、外交部副部長の唐家璇氏と同席し、この問題に話が及びました。氏は、日本を訪問し外務省の担当官と協議したそうです。
 今すぐ、理にかなった解決方法が見いだせないにしても、事態の悪化だけは防いでもらいたいと希望します。
 池田 まったく同感です。金庸先生のお便りには、その深い心情が行間にあふれておりました。
 金庸 貴国の著名な歴史学者・井上清氏は、地道な研究と調査のすえ、『「尖閣」列島――釣魚諸島の史的解明』と題する著書で、多くの歴史的事実を検証しています。そして釣魚台群島は、早くも明朝の永楽年間に中国の版図に属していた事実を指摘され、このことから、群島は中国に所属すべきことを証明されました。井上氏の歴史事実を尊重する公明正大な気概に、たいへん敬服しました。
 国家と民族の利益は、たいへん重要です。しかし一個の人間として、さらに重要なことは、人格が正直で無私であることです。また一人の学者としてさらに重要なことは、事実と証拠を尊重することです。
3  「一国二制度」――中国人ならではの「生き抜く」知恵
 池田 ところで、漸進主義といえば、返還後五○年間、香港の現在の社会体制を変えないという「一国二制度」(社会主義国である中国が、香港の現行の資本主義体制を認める制度)という考え方も、その一つの表れと言ってよいのではないでしょうか。
 金庸先生は一九八一年、香港の代表的かつ中立的なジャーナリストとしては初めて、文化大革命後の鄧小平氏と会われました。
 その席で、中国の経済建設が話題になったおり、こう述べる金庸先生に鄧氏は深くうなずかれていましたね。
 「毎年進歩して後退さえしなければ、進歩の速度は二の次です」と。
 金庸 「一国二制度」は、鄧小平氏の偉大な着想です。彼がこの主張を始めたころ、私は「人民日報」に一文を寄せ、「一言して天下の法となる」とたたえました。
 二つの異なる社会・経済の制度が同時に一国のなかで平和裏に共存し、ともに繁栄を謳歌し、互いに助け合う。この原則によってこそ、香港は返還後も基本的に現状を維持していくうえで、困難を解決できます。また台湾との平和的統一という問題をも解決できるのです。
 さらに大きな視野に立って、その意義を考えてみますと、社会主義陣営と資本主義陣営も平和裏に共存し、互いに助け合うことができるということです。五○~六○年代のように、両陣営が生きるか死ぬかの「不倶戴天の敵」となる必要などないわけです。
 池田 鄧小平氏とは私も二度お会いしました(一九七四年十二月、七五年四月)。「枠」にとらわれない、柔軟でダイナミックな発想に感銘したことを、よく覚えています。
 私は「一国二制度」にしても、社会主義市場経済、経済特区にしても、その発想の基盤は同じだと思います。つまり、社会主義の国だからといって、社会主義経済にばかりこだわらない。あくまでも現実に即しながら、また現実に問いかけながら、よりよい選択を模索していく。実に柔軟な発想であり、優れたバランス感覚です。深圳大学の講演(一九九四年一月)でも申し上げましたが、そこに私は中国古来の知恵を見るのです。
 社会主義市場経済と聞けば、多くの人がその矛盾ばかりをいいます。社会主義は計画経済が根本だ。一方、市場経済は資本主義の「お家芸」ではないか、と。しかし、もっと長い目で見れば、それは矛盾などではなく、中国人ならではの「生き抜く知恵」の発露ではないでしょうか。
 香港の返還についての中国の考え方も、この「現実に即して針路を決める」という知恵に裏づけられているのではないかと思います。
4  香港の繁栄と安定を維持するための"二大要求"
 金庸 ここで再度、確認させていただきたいのですが、香港が中国に返還されることは「自明の理」なのです。
 西側国家の政治家や学者には、香港人は自主独立の権利をもち、中国に返還されるかどうかは、香港市民の投票で決定すべきだと考える人たちがいます。「民族自決」は近年、世界の潮流になった観がありますが、香港のいわゆる「民主派」のなかにも、このような見方をもっている人がいます。
 地理的に、また人種的に、一つの体系を成している植民地ならば、住民の意思にもとづいて独立すべきです。しかし香港は中国の一部です。返還問題があるだけで、独立するしないといった問題は存在しないのです。
 池田 たしかに中国には、香港と同じようにかつて外国の植民地とされ、のちに返還された地域が多くありますね。
 金庸 香港新界の租借条約は、一八九八年(清の光緒二十四年)にイギリスが無理強いして調印させたものです。同じ年、ドイツは中国に山東省膠州湾(青島)の租借を強制し、期限を九九年としました。ロシアは旅順、大連を租借し、期限を二五年としました。イギリスは山東省威海衛も租借し、期限を同じく二五年にしたのです。翌年にはフランスが広州湾(湛江)を租借し、期限を九九年としました。また一九○五年、中国は旅順、大連の租借権をロシアから日本に移すことを承認しました。
 中国は、香港の新界および付属の離島を除き、これらの租借地すべてを、とうの昔に回復しました。
 中国は威海衛、旅順、大連、湛江、青島などの租借地を回復するときも、上海、漢口、天津、広州、厦門、鎮江、九江、蘇州、杭州、福州、沙市、重慶、営口各地の外国租界を回復したときも、現地住民の意見に耳を傾ける必要はありませんでした。日本に割譲した台湾を回復したときも、日本に占領されていた東北の四省(いわゆる満州)を回復したときもそうです。
 池田 香港の場合も同じであると。
 金庸 ええ。中国が、たとえイギリスの反対を取り合わず、一枚の通知を出して一九九七年七月一日か、もしくはそれ以前の任意の日に香港を回復すると宣言したとしても、不合理なことは何もなかったのです。
 本来なら青島の租借期限の満了も九七年でした。湛江の租借は九八年で満期になります。しかし実際には、四五年、中華民国政府は、第二次世界大戦の終結とともに、これらの租借地を回復しました。ドイツは戦争に負け、抵抗する力がなかったので当然としても、中国の同盟国であったフランスも、何の異議も唱えなかったのです。
 四五年から四九年まで、また四九年から今日まで、中華民国政府または中華人民共和国政府が、香港を回復しなかったのは、できなかったわけではないのです。やらなかっただけです。香港を回復しなかったのは、そのほうが中国政府にとって、利益が損失を大きく上回っていたからにほかなりません。利益に対する考慮によるものです。また、香港の繁栄を維持することが中国にとって有利であるがゆえに、香港は繁栄と安定を維持しなければならないのです。
 池田 強引にものごとを運ぼうとすると、どうしても無理や歪みが生まれてしまう。だから中国は、国益を考慮して、これまで香港を、あえて回復しなかった。また、香港を現状のまま五○年間は維持すると決めた。歴史の流れを巨視的に洞察していく、まことに中国らしい選択でした。
 『孫子』の有名な一節が、想起されます。「上兵は謀を伐つ。其の次ぎは交を伐つ。其の次ぎは兵を伐つ。其の下は城を攻む」(『孫子』金谷治訳注、岩波文庫)と。損害の最も少ないように、直接的な武力行使を下策とし、兵戈を交えることをできるだけ少なくして、はかりごとの段階から勝利の実をあげることを最上の戦術としていますね。このへんが中国伝統の政治外交上手と言われるところでしょう。
 日本外交などに比べると、私はそこに、はるかに成熟した"大人"の発想を感じます。
 そういった中国独特の発想が、どこから生まれてくるのかといえば、やはりその底に、健全かつ奥深い「人間主義」の伝統があるからでしょう。
 孟子は"君子は人をやしなうところのものをもって人を害さず"と言いました。つまり、イデオロギーも領土も、人間を養い、益するためのものであって、人間を害するためのものではない。どこまでも「人間を根本に」考え、「人間から出発」しなければならないのだ、と。
 先の『孫子』といい、私は、中国の古典は"人間学の宝庫"であると思っています。
 香港問題をめぐる、中国の現実的で柔軟な対応にも、こうした「人間主義」の伝統の知恵が光っています。
 この二十世紀、ナチズムやスターリニズムなど、「人をやしなうところのものをもって人を害した」狂気、「反人間主義」のイデオロギーが猛威を振るいました。今なお続く民族主義の暴走しかりです。そのなかで人間同士が、どれほど傷つけ合ってきたことか。
 金庸 香港市民の願いも、香港の繁栄と安定が長期にわたって維持されることにあります。
 ただ香港市民は、「私たちは従来からの自由な生活様式や、現行の法律と法治制度が保たれることを要求する。そうでなければ香港式の繁栄と安定を維持することなど望むべくもない」と強調しています。
 「長期にわたる香港の繁栄と安定を維持することと、数十年来の生活様式と法律制度を変えない」というこの二大要求については、香港市民で異議を唱える人はいません。統治に関わる指導者層であれ、企業家や事業経営者であれ、各種の専門家や中産階級であれ、技術者、労働者、露店商であれ、青年、学生、家庭の主婦であれ、また政治思想が極右派反共主義者であれ、左派の商工界や労働界であれ、みな同じです。
 つまり、香港市民の圧倒的大多数の願いは一致しており、異なる意見をもつ人はきわめて少数なのです。
 池田 よく理解できます。
 金庸 聞くところによると、過激な思想をもった一群の青年が北京に押しかけ、香港の政治・経済制度の徹底した変革を主張しました。このとき、中国政府側の責任者は彼らに、このような提議をしてはならない、中国当局は、このような主張は受け入れられないと勧告したそうです。
 事実、中国当局が提起した九七年以後の法案も、「繁栄安定、自由自治」の二大要求が含まれています。中国当局は九七年に香港を回復した後も、資本主義制度を五○年間維持すると明確に示しています。それが基本法のなかにも明文化されたのです。
5  日本と香港は運命共同体
 池田 香港の運命と日本の運命は、アジアの近代史を見ても、深く関わっています。
 金庸先生もご存じのことと思いますが、香港がイギリスに割譲される契機になったアヘン戦争は、日本にも計り知れない影響を与えました。
 ヨーロッパ列強の武力進出と清国(当時)の無力――高杉晋作や久坂玄瑞、坂本龍馬といった明治維新の志士たちが日本の「開国」を唱え、「日本は目を覚まさなければならない」と考えたのも、直接的にはアヘン戦争がもたらした危機感によるものでした。
 「日本と中国は唇歯輔車の関係」、いわば運命共同体であると、当時、盛んに言われていたとおり、日中両国の歴史的、地理的なつながりは、あまりにも深い。
 金庸 たしかにアヘン戦争と香港の割譲は、日本の有識の士に、「唇亡びて歯寒し」とのたとえどおり、「日本も同じ目に遭うのではないか」という危惧をいだかせました。だからこそ徳川幕府を倒し、明治維新など一連の近代化を成し遂げていったわけです。
 池田 日中のつながりの深さからすれば、香港の将来も、同じように日本の将来に大きく関わっていると思います。日本人は、決して他人事のように考えてはなりません。
 いわんやアジアは激動しています。日本は香港、中国、ひいてはアジア諸国と、どんな関係を築いていけばよいのか。香港返還は、その大きな契機です。
 金庸 まして今日、世界各国の相互関係は一五○年前に比べて、はるかに密接になりました。
 国際関係は化学反応にたとえることができるのではないでしょうか。つまり、より小さい容器に高温を加えると、化学反応はより強く、より激しく起こるわけです。
 池田 絶妙な比喩です。
 金庸 香港と日本の距離は近い。人々の往来は、双方ともに頻繁です。経済関係も密接です。香港と東京の相互の影響は、香港と上海、東京と札幌の間よりも、大きいのではないでしょうか。
 ここ二○年ほどの間に、日本文化が香港人に与えた影響は、とても大きいといえます。香港人は日ごろから日本の自動車や電化製品を使い、日本の歌と日本のマンガを受け入れています。香港の流行歌にも、日本の曲に広東語の歌詞をつけたものが、たくさんあります。たとえば中島みゆきの「ルージュ」などは、たいへんはやりました。(笑い)
 日本の百貨店、たとえば大丸、三越、そごう、西武なども、香港にはあります。
 池田 私も香港を訪れてみて、日本名の看板が実に多いことに驚いた経験があります。(笑い)
 金庸 日本の食べ物、たとえば寿司、刺身、鉄板焼きなどは、香港人にたいへん喜ばれています。ただ最近は釣魚台群島の問題が原因で、日本のものが歓迎される度合いが、やや割り引かれてしまいました。しかし、これは短期間の現象にすぎないでしょう。
 一方、香港の映画スターや歌手といった芸能界の人々が、日本でも注目を浴びはじめました。日本は香港人旅行者にとって最も人気の高い国であり、香港もまた日本人が最も好む観光地の一つです。
 池田 おっしゃるとおりです。香港と日本はますます密接な関係になっています。
 金庸 そのなかでも香港国際創価学会(香港SGI〈創価学会インタナショナル〉)は、仏法の正義を宣揚し、文化交流と世界平和を提唱してきました。根本理念が高尚で純粋であるため、香港において急速な発展を遂げています。いつ、どこででも、創価学会の会員の方に出会うことができるほどです。
 もちろん香港の組織を担うリーダーの皆さんや、職員の皆さんが、熱心に任務に励み、努力を怠らぬ精神に負うところが大きいことはいうまでもありません。
 池田 ありがとうございます。ひとえに金庸先生はじめ、多くの方々が温かく見守ってくださっているからです。おかげさまで香港にあっても、社会貢献の団体として、各方面から高い評価をいただいております。鼓笛隊、音楽隊などの対外行事への参加も、これまでに一○○回を大きく超えています。
 香港SGIのメンバーが今後なお一層、よき市民として、香港の発展のために貢献していってほしいと、私は、念願してやみません。
6  「人間の信頼関係」がひらく「共存共栄」の方途
 金庸 思うのですが、日本と香港は、二つの共通した恵みを享受しています。第一に平和、第二に自由です。平和を維持し、自由貿易を行っていきさえすれば、日本と香港は、共存共栄していくにちがいありません。
 第二次世界大戦中、日本は「共存共栄」のスローガンを叫びました。しかしこれは、日本の統治とコントロールのもとでのそれでした。いわゆる「大東亜共栄圏」とは、日本が盟主として覇を唱え、東アジアの国々は日本の指揮と命令に服従するというものでした。日本一国だけが栄光と利益を享受し、服従を強いられた国々は、かろうじて生存が許されました。
 これからの共存共栄は、各国が完全に平等であり、互いに利益をもたらしあうものでなければなりません。
 池田 全面的に賛成です。国ごとの歴史や伝統の違い、利害の対立は、もちろんあります。しかし二十一世紀の国際関係は、何といっても「人間の信頼関係」を基礎にしなければなりません。そのためには「平等互恵」の原則が不可欠です。互いの差異を認め合い、尊重し合うことが出発点です。
 金庸 古代と中世では、常に商業が戦争を引き起こす主要な原因でした。アテネとギリシャのポリス(都市国家)間の戦争にしろ、ローマとカルタゴの大戦にせよ、いずれも商業上の利益が衝突して起こったわけです。
 中世のヴェニスや、アラブ世界にしても、商業を保護するためには戦争を避けることができず、強大な海軍と陸軍を築かなければなりませんでした。
 近世に入ると、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランスなどが、商業利益の争奪のために、毎年のように激しい戦いを繰り広げました。
 第一次世界大戦もまた、イギリスとドイツの商業上の衝突に始まり、ついには血と肉が飛び交う悲惨きわまりない大戦にまで進展してしまいました。
 しかし二十世紀も後期になり、二十一世紀を目前に控えて、状況は根本的に変化しました。国際貿易は互いに略奪し合ったり、市場の対象として国家人民を搾取するものではなくなりました。各国が最も効率の良い生産を行い、平等互恵の条件下で外国と物資を交換することを意味するようになったのです。
 池田 商業上の利害や商業精神というものが、必然的に戦争を誘発してきたという点は、もう少し立ち入った論議が必要かもしれません。
 たとえば古くは、カントが、商業精神を平和構築のための大きな要因と見ていました。もちろん、逆の見方をする論者もおります。
 この点はさておき、おっしゃるとおり、二十世紀も後半に入り、経済面でも相互依存体制が強まり、国家エゴのあからさまな突出など、とうてい許されない時代を迎えていることは事実です。
 金庸 日本はアメリカに自動車を輸出していますが、これはアメリカの経済資源と富を略奪するためではありません。アメリカ人に、国産車に比べて、より低価格で性能の良い自動車を購入する機会をもってもらうためです。
 一方、アメリカは日本にコンピュータ、飛行機、薬品などを輸出しています。その意味も、今述べたことと同じです。こうした貿易は、アメリカ国民に利益をもたらすとともに、日本国民にも利益をもたらします。
 香港(実際にはイギリス当局ですが)は、たいへん早くから、こうした事情を理解していました。自由貿易が各国の人々にとって有利だと知っていました。だから私たちは、関税を徴収していません。どんな貨物が香港に輸入されようとも、私たちは税金を徴収しないのです。
 もっとも、タバコとアルコールには関税がかかります。その目的は貿易を制限するためではなく、こうした有害物の消費を制限するためです。
 日本と香港は今後、相互の関係を、これまで以上に深めていくことでしょう。さらに言えば、世界の自由貿易を促進するために、共に協力し合い、努力を惜しまないことが大事だと思います。
7  民衆レベルの「心の交流」が日本の命運を決める
 池田 たしかに、国家エゴのおもむくままに振る舞うことは、もはやどこの国であろうと許されず、紛争や利害の衝突は何らかのシステムやルールのもとで処理されなければなりません。このための新たな世界秩序づくりが、まがりなりにも緒についたことは、第二次世界大戦後の二十世紀後半の世界史を特徴づけることかもしれません。
 国連の存在は、その象徴でしょう。大国の拒否権によってマヒ状態に陥っていた安全保障の機能も、冷戦後は、湾岸戦争の際に見られたように、ようやく機能しはじめました。もとより、その後のソマリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が示すように、過大な期待は禁物ですが……。
 ともあれ、新たなグローバリズムへの曙光が見えはじめたという点では、二十世紀後半の動向というものは、われわれが考えている以上の世界史的な意味をもっているように思います。
 金庸 貿易についても、事情は同じということですね。
 池田 そうです。
 GATT(関税と貿易に関する一般協定)ウルグアイ・ラウンドの成功で、GATTがWTO(世界貿易機関)へと発展的に解消されたのも、世界経済のシステムやルールづくりという点では、大いに希望をいだかせる"一歩"でした。
 とはいえ、システムやルールが円滑に適用されるためには、その根底に、協調と互助の精神がなければならない。絶えず相手の立場に立ってものごとを考える「複眼の思考」を磨いていくことが不可欠ではないでしょうか。
 最近では、だいぶ収まってきたようですが、かつては集中豪雨を思わせる日本の輸出攻勢が世界のひんしゅくを買いました。「自分さえ良ければ、相手がどうなろうと知ったことではない」――そんなエコノミック・アニマル同然の勝手放題を続けていては、ルールも秩序も共存共栄も、あったものではありません。
 その点、日本は香港に学ぶべきです。
 金庸 池田先生、ここで改めてお尋ねしたいのですが、日本と香港との関係を促進するために、私たちは具体的に、どのようなことをすればよいのでしょうか。
 経済的な側面については、今、話し合いました。そのほかには、どうでしょうか。たとえば日本から香港へ来るのと同様に、香港から日本へ行く場合も、旅行者のビザを免除してはどうでしょうか。友好促進と関係強化に役立つかもしれません。
 池田 金庸先生の、日本と香港の友好を真剣に願われる深い思いが伝わってくるお言葉です。
 ビザの免除という点は、一九九六年末に来日したパッテン総督も言及していました。これについては金庸先生の意見と一致しており、私も、そのアイデアに賛成です。ビザやパスポートが、ことさらうるさくなったのは今世紀前半であり、グローバルな時代に似つかわしくありません。
 次に、これは特に「未来を見つめる」という観点から申し上げたいのですが、政治・経済だけでなく、文化・教育の次元で、多角的、重層的な関係を結んでいくことが必要ではないでしょうか。
 経済面などでの結びつきは、金庸先生もご指摘のとおり、すでに密接です。しかし「心の結びつき」という面では、残念ながら、まだまだこれからだと思います。「軍事」や「経済」、そして「政治」を表にした交流には、限界があるのです。民衆レベルで文化・教育の交流を推進し、互いを知り、信頼を醸成していくべきでしょう。
 金庸 なるほど。
 池田 一九九四年、私どもの東京富士美術館の所蔵品による「日本美術の名宝展」を、香港で開催させていただきました。その際、多くの来賓の方々が異口同音に述べておられたのは、"日本の「美しい心」に触れることができた"ということでした。
 これまで日本は、中国や香港の方々に信頼していただけるような歴史を残してはきませんでした。また、工業化された社会で、科学技術や工業製品は知られていても、奥深い文化は知られていなかったのでしょう。
 しかし、その日本にも「美しい心」はあるのだ――そんな驚きを、来賓の方々はもたれたのではないでしょうか。そして私たちは、いささかなりとも心の距離を縮めることができたのではないでしょうか。
 もちろん、これは小さな例にすぎません。しかし長い目で見たとき、文化の交流、また教育の交流こそ焦点です。それこそが友好の心の苗を育てていくことを、私は固く信じています。
 また、そうした「心の交流」に真剣に取り組めるかどうかが、日本の命運を決める大きな要素になるにちがいないと思っています。
8  巨大な中国とどう付き合うか
 池田 今、中国は「四つの近代化」を進めています。その発展は世界の注目の的です。私も深圳などの経済特区を実際に目にして、確認したところです。
 「社会主義市場経済」は壮大な歴史的実験です。その中国で香港は今後、どんな役割を果たしていくのか。どんな位置づけがされていくのか。
 金庸先生は、返還後の香港の政府準備委員も務められています。そこで今後の見通しについて、うかがいたいと思います。
 金庸 「一九九七年」以後、香港は中国に返還され、中国という大家族の一員になります。香港における一切の問題は、香港という一地方に限った問題を除いて、中国と一体になって考えていかなければなりません。
 池田 もちろん、それが大前提でしょう。
 金庸 そのうえで中国といえば、ただちに思い浮かぶのが「巨大」という概念です。九百数十万平方キロの面積は、香港の九○○○倍を超え、一二億あまりの人口は、香港の約二○○倍です。
 私たちは、そんな「大家族」のなかに飛び込んでいくのです。前途は本当に無限です。どんなことでも成し遂げることができ、どんな事業も無尽蔵の可能性をもっています。これまでずっと緻密な計画を立て、目先の利益を追ってきた香港人にとって、まるで「小人国」の人間が「大人国」に足を踏み入れるようなものです。(笑い)
 『紅楼夢』でいえば、「劉老老、大観園に入る」の場面、つまり農村の女性である劉おばあさんが生まれて初めて華やかで堂々とした豪邸に入ってきたときのようすにたとえられるでしょう。
 池田 主人公である貴族の屋敷を、初めて目にしてビックリする場面ですね。
 ともあれ香港の方々は、まもなく中国という大家族の一員になられる。その立場で、今後、特に重要になってくると思われる課題は何でしょうか。
 金庸 中国と日本の関係です。
 中国と日本は"同文同種"です。しかし、これまで交通が不便だったこともあり、相互関係として挙げられるものは、あまりありません。中国から日本への文化、宗教の交流を除けば、日本の中国侵略の歴史くらいです。中国は文化、文明を日本に伝えました。ところが日本は、これに日本刀と銃砲で応えたのです。
 池田 そのとおりです。恥ずべき「不知恩」「忘恩」の歴史です。
 金庸先生は、自著の、黄塵の大地を揺るがす大活劇『書剣恩仇録』の日本語版の出版に際し、一文を寄せておられます。
 そのなかで侠士、大丈夫の名誉へのこだわりに関し、結論して「過ちを犯すのはもちろんよくないが、それよりいけないのは、過ちを犯したのに死んでも認めず、屁理屈をこねて誤魔化そうとすることである。これはますます名誉を汚すだけである」(『書剣恩仇録』〈一〉「日本の読者諸氏へ」岡崎由美訳、徳間書店)と鋭く論じておられる。
 まさにご指摘のとおり、日本の為政者や学者のなかには、中国に対する日本のかつての過ちをごまかそうとする姿勢があります。これは両国関係にとってプラスにならないのみか、未来を危うくするものでもあると思います。
 金庸 日本の戦後経済の奇跡は、幾人かの外国の学者が研究した結果によると、中国の儒教思想の伝統を発揮したためといいます。
 いわゆる儒教思想の伝統とは、主に「集団の観念を先とし、個人の利益を二の次におく」というものです。東洋社会は、家庭と集団の利益を重視しますので、しばしば私利私欲の打算を克服することができるのです。
 池田 「私利私欲の打算の克服」は、「個人の権利の制限と犠牲」と表裏一体を成しており、日米貿易摩擦のときなど、集団を優先させ個人を犠牲にしていると、アメリカ側からの攻撃の矢面に立たされました。
 しかし私は、儒教思想を一方的に封建的で遅れたものと見なす近代主義の立場はとっておりません。儒教的伝統のなかにも、幾多の貴重な精神的遺産が蓄えられていると思います。
 金庸 東洋的な人間の内面に発する天然の習性は、西洋人は学び取ることができません。それどころか日本の成功は世を挙げて、嫉妬と排斥を引き起こしました。
 アメリカのデトロイトでは、路上に駐車してあった日本製の自動車数台を、何者かが棍棒や鉄パイプでメチャクチャに壊し、鬱憤ばらしをしたという事件が起こっています。
 日本は、いつまでも経済上の大成功をわがものとし、制限も報復も受けないということはありえないのです。それでは日本の活路は、どこにあるのでしょうか。
 西欧国家は共同体の連盟を結び、共同の市場をもちました。近い将来、貨幣と経済政策も共有することになるでしょう。アメリカ、カナダ、メキシコも、同一市場の関係を打ち立てました。東南アジアのインドネシア、タイ、マレーシア、シンガポールなどの国家も、東南アジア諸国連合を結成しています。各国が連盟して集団をつくることは今や、世界的な趨勢になっています。
 池田 そのとおりです。この流れはますます強まっていくでしょう。
 金庸 こうした同盟関係は、戦争のためではなく、貿易のためなのです。そして貿易上の密接な関係から政治、文化のより緊密な関係が、自然の流れとして発生するはずです。こうした国家は、国際社会で孤立することはありません。
 では、日本はどこと盟約を結ぶのでしょうか。もちろん、中国とです。
 日本は現在、軍事上ではアメリカの核の傘に保護されています。しかし現実には、こうした盟約には何の意味もありません。単に日本人に「頼れる兄貴」がいて、人にいじめられる心配がないという心理をもたらしているにすぎません。
 実際のところ、周囲の国を見ても、ロシアは問題が山積していて、わが身のことで精一杯です。中国は基礎建設に没頭するため、長期の平和が保たれる国際環境をつくろうと、できるだけの努力をしています。武力衝突を起こそうと、人に向かって挑発する意図など、絶対にもっていません。また西洋の諸国が、わざわざ東にやってきて、ことを起こすことなどありえません。
 あるとすれば、日本軍国主義者の野心が再び芽生え、東アジアで人の「あら」を探して問題を起こし、他国を侵略することです。しかし日本が侵略を開始しても、アメリカが支持するとは限りません。
 池田 だから日本は、中国をパートナーに選ぶべきだということですね。
 金庸 ええ。中国は厳格な人口計画を実施していますが、今後数十年のうちに中国全土の人口は一三億~一四億に増加することは間違いないようです。ということは、一人当たり毎年一米ドルを増産しただけで、国内総生産は一三億~一四億米ドル増加することになります。
 一人が一○米ドル増産すれば、国内総生産は一三○億~一四○億米ドル増加します。中国の生産力の発展は、ようやく動きはじめたばかりです。毎年、八~一○パーセントの速度で上昇を続ければ、二十一世紀半ばには、きっと世界第一位の経済大国に成長することでしょう。総生産額がアメリカを追い抜くことは間違いありません。一人当たりの生産額は、そう高くはならないでしょうが、全国的な総計は、驚異的な数値になります。
 中国と日本が、もし経済で真の同盟を結べれば、両国にとってきわめて大きな利益をもたらします。また世界平和を確固たるものにするうえで、重大な役割を果たすはずです。日本の先進技術と組織力に、中国の巨大な地域と人口が加わるわけです。
 このような同盟は当然のことながら、世界中から、その一挙手一投足を注目されるほど重要なものになります。この同盟によって、世界平和を擁護するならば、誰が軽率に平和を破壊するような暴挙に出ることがありましょう。このことは日本にとっても、もとより願ってもないことであり、中国も心から希望するはずです。
9  よきパートナーシップを築くために
 池田 おそらく金庸先生と結果的には同じ方向を目指すことになると思うのですが、私は経済的にも軍事的にも、何らかの"覇権"的なものにつながるブロック化には反対です。
 もちろん、日中間の経済協力は、もっともっと緊密化し、強化されていくべきだと思います。と同時に中国、日本、アメリカの信頼関係はアジア、太平洋地域の根本問題ですから、お互いに対等のよきパートナーシップの相手でありたい。世界の平和と繁栄という大局を見すえて、一つ一つ適正な選択をしていくバランス感覚――これが、日本に一番欠けているものです。
 日中関係にしても、あまりにも対米追随で場当たり的な対応に終始してきた。私は、両国にいまだ国交がない約三○年前、日中国交回復の提言を行いましたが、その点に警鐘を鳴らしたつもりです。そうしたバランス感覚がなければ、よきパートナーシップなど"絵に描いた餅"になってしまいます。
 金庸 基本的なポイントは、双方が誠心誠意、平等互恵の立場を貫くことです。どちらかが優位に立とうとか、相手を犠牲にしようなどと考えないことです。
 日本人はたいへん賢明であり、中国人も決して愚かではありません。一度でも、どちらかがだまされたり、バカを見たりしたら、もう二度目はありえないと考えるべきです。秘策を戦わせて互いに争ったり、私利私欲に走ったならば、同盟を結ぶことなど、できません。たとえ結んだとしても、すぐに仲間割れして決裂してしまうでしょう。
 池田 何であれ、「信頼関係」こそ一切の基盤です。
 金庸 フランスとドイツは元来、仇敵同士でした。ナポレオン戦争、普仏戦争から二度の世界大戦にいたるまで、長年にわたって血で血を洗う激戦を行いました。両国が互いに殺戮した青年は数え切れないほどです。
 しかし今日ではフランスとドイツはしっかりと手を結び、至誠からの団結を守り、互いに相手を配慮しながら、欧州共同体の礎になっています。
 中国と日本も仇敵同士で、長年、戦場で対峙する仲でした。しかし今日では、共通の利益をもっています。中国を侵略し、中国を支配する考え方さえ日本になければ、フランスとドイツの同盟のように、中日同盟を結ぶことができるのではないでしょうか。
 中日同盟を現実のものとするには、中国側は儒教の「仁義礼智信」の精神を、より多く発揮させなければなりません。日本側は、日蓮仏法の説く慈悲を胸に、「善の心」で人に接するという仏法の精神を、より多く発揮させなければならないと思います。
 私のこのような考え方は、ともすれば願望が現実の可能性を上回っているのかもしれません。この点、池田先生のご教示を仰ぎたいと思います。
10  「環太平洋地域の連帯」を展望して
 池田 恐縮です。深いご見解、鋭い歴史観に敬服します。中国のもつ潜在的な力と文化の厚みは、米中の劇的な国交回復を主導したキッシンジャー博士も、私との対話でつとに口にしていたことです。
 そのうえで私は、今、先生が言われた「中日同盟」の前提について、少し触れさせていただきたいと思います。
 金庸先生もご指摘のように、ひと口に「平和な世界」といっても、いっぺんにはできません。国と国との連帯なり、地域的なまとまりなりの延長上に、平和な「一つの世界」があるわけです。その平和な「一つの世界」をつくっていくためには、どんな地域のまとまりというか、枠組みが考えられていくべきか。私も、ずっと考えてきました。世界の識者の方々とも対話してきました。
 そこで、以前から強い関心をもっているのが、政治や軍事、経済に限らず、広く文化一般まで展望した「環太平洋文明」という視点です。環太平洋という地域には、日本、中国はもちろん、東南アジアやオーストラリア、南北のアメリカ大陸諸国も含まれます。一説には、世界の人口の約六割が、この地域に住んでいるともされます。当然、民族も文化も言語も多種多彩です。親しく交流した歴史すらないところもある。
 しかし、もし、その連帯が実現できるなら、まったく新しい「世界文明」の可能性を引き出していくことができる。なんとか太平洋を人類融合の「実験の海」にしていくことはできないかと、私は常々思ってきました。
 金庸 壮大な発想ですね。
 池田 かつてクーデンホーフ・カレルギー博士と語り合いました。EU(ヨーロッパ連合)の生みの親と言われる方です。
 博士は、「現代はヨーロッパ・アメリカ文明の大西洋から、次第に新しい太平洋文明に移行していく過渡期」であると指摘されていました。トインビー博士も同じように、太平洋文明の到来について語っておられた。
 両博士とも、「平和で、開かれた太平洋文明」を展望されていました。
 教育学・地理学の泰斗でもあった、私ども創価学会の牧口常三郎初代会長も、早くから環太平洋地域の重要性に注目しておりました。処女作の『人生地理学』(一九○三年刊)では、日本の位置を「太平洋通り〇〇丁目」といった表現で、わかりやすく示しています。
 「平和な、一つの世界」を見つめ、そのための「環太平洋地域の連帯」を展望する。そのうえで、日中両国の関係が果たす役割は非常に大きい。この意味から言って、日中間の多角的な協力関係は重要ですし、大いに進めていくべきだと思うのです。何しろ中国と日本は、「太平洋通り」では、丁目の違いどころか、番地の違いぐらいに近接しているのですから。
 金庸 よくわかりました。ともあれ、このような中日関係を含めた大仕事のなかで、香港がまず、中国の先駆としての役目を果たせればと希望しています。経済面にしても、日本がもし、善意をもって香港との協力を強化できれば、中国の信用と善意を増すことができ、巨大な協力関係に向けて邁進できる可能性が出てくると信じています。
 池田 香港には、多様な文化を受け入れ、諸民族の「共生の道」を模索してきた歴史があります。観念ではなく、実体験の蓄積があります。その香港の方々と信頼を結んでいけるかどうかは、日本の国際化の試金石でもあるのです。

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