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日蓮大聖人・池田大作

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はじめに  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

前後
1  人生は、「出会い」のドラマである。
 美しい出会い。一瞬の出会い。生涯を決める出会い。悔いや苦さを残す出会い。出会いのドラマは、人それぞれである。
 人生を織り成す数々の出会いのドラマのなかでも、会ってすぐ心が通じる出会い、いわず語らずのうちに、互いの考えや「思い」が通じ合う出会いほど、うれしいものはあるまい。
 そんな出会いの時、人はそこにある種の懐かしさ――仏教的にいえば、「宿世の縁」ともいうべき運命の糸の導きを感じるものである。まるで互いが知り合うずっと以前から、心の奥で語り合っていたかのような……。
 私にとって金庸氏との出会いは、まさしく、そうした「縁」を感じさせる出会いであった。
 中国伝統の「武侠小説」に新たな生命を吹き込んだ、現代中国語文学の最高峰。「中国文学の宗師」「東洋のデュマ」「中国人あるところ、金庸の小説がないところはない」と称えられる大文豪である。
 作家としての盛名ばかりではない。香港を代表する日刊紙『明報』を創刊し、以来、三十有余年にわたって世論をリードしてこられた「良識の灯台」――。
 金庸氏の活躍の軌跡は改めて紹介するまでもないが、私が感嘆したのは、権威・権力の横暴には一歩も引かない「言論の闘将」の気骨であり、その気骨の奥にある「民衆」へのあふれんばかりの愛情であった。常に「民衆」という最も根本の一点を見つめて微動だにしない「まなざし」であった。そして、中国四千年の歴史の重みを伝える「大人」の風韻であった。
 「筆鋒」という言葉がある。氏のペンは、まさに「剣」であった。敵は多かった。もし右と左という言い方を使うなら、そのいずれからも憎まれた。恐れられた。攻撃され、中傷された。ついには生命まで狙われた。
 香港、東京で語り合うこと四度。いつの折だったか、氏にうかがった。
 「圧迫は、さぞ激しかったことでしょう」
 答えは、即座に返ってきた。
 「はい。しかし、ことの是非・善悪は明白です。私は不合理な圧迫には、断じて屈しませんでした」
 常に笑みを絶やさない柔和そのものの温顔に包まれた、したたかにして骨太の気概、精神性――読者を魅了してやまない、あの熱血の武侠小説を生み出す秘密も、そこにあるのかもしれない。
 文名赫々、しかも有数の実業家である。無事安穏な生活を送ろうと思えば、送れたに違いない。だが、それは金庸氏――香港の方々の愛称にならえば「査大侠」(金庸氏の本名は査良鏞)の選ぶところではなかった。
 時流、時節におもねり、右顧左眄するのではない。「民衆の利益に合致するかどうか」を発言の基準として貫いた。民衆という大地を離れては、たとえ千万言を費やそうとも、それは空論であり、無価値であることを深く知るゆえであったにちがいない。
 金庸氏は香港の返還時期についても、文化大革命の本質についても、いちはやく見抜かれた。それも、この「民衆の側に立つ言論」に徹し切ってきたからこその、炯眼であったと私は思う。
 「真実」を語る者に、陰謀や策略は常である。避けようがない。そうした輩を低く見下ろしながら、邪悪の壁を断固、打ち破ってこられた。
 私も、同じ心で生き抜いてきたつもりである。金庸氏との出会いに不思議な「縁」を直感したのも、双方の人生経験と信念が、巧まざる共鳴音を奏でたからにほかなるまい。
 中国の春秋戦国時代。孟子は「王道」の理想を説いた。武力や権謀術数によって己一身の栄華を図り、他人をそのための手段とする「覇道」。それに対して公明正大、どこまでも「人格の力」によって、より多くの人々の幸福を求める「王道」と。
 ――覇道に生きるは易く、王道に生きるは難い。昔も今も。
 いわんや時代の闇は、ますます深い。とともに覇道の易きにつく人の何と多いことか。そのなかを毀誉褒貶と名聞名利の風に揺るがず、信念の茨の道を歩んでこられた。「自ら反みて縮ければ、千万人と雖も吾往かん」。対談のなかで金庸氏が強調しておられた言葉である。この信念の人生にこそ、「王道の人」の輝きを見る。
 日本では月刊誌『潮』、香港では『月刊明報』で、一年にわたった連載を終えた本年二月、香港で金庸氏と再会した。
 その際、「今後も対談を続け、続編の発刊を」という話になった。のみならず氏は、声を励ましていわれた。「対談集を出し、続編を出し、そして十年後には更に三冊目の対談集を出したい」と。その意気、いよいよ軒昂である。
 もとより私も望むところである。氏は今年七十四歳。私は七十歳。杜甫が「人生七十、古来稀なり」と謳った時代とは異なり、まだまだ若い。
 文学論をはじめ、香港返還問題、師弟、友情、仏法の生死観、文明論、そして青春時代の思い出等々と、私たちの語らいは多岐にわたったが、語るべきこと、語り残すべきことは尽きない。
 「出会いのドラマ」は、また新たな展開へと続く。ゆえに、ここに収めた内容は、私たちの対話の旅路の一里塚だと思っている。
 香港が中国という大家族の一員となって、まもなく一年――金庸氏が、そして私が愛する香港、そして中国の繁栄を、お祈りしてやまない。
 尚、雑誌『潮』連載中から本書の刊行にいたるまで、多くの方々のご尽力をいただいた。心から御礼を申し上げたい。
  一九九八年三月 池田大作

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