Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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1 心の詩――人間と宇宙の交響  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

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13  芸術とは「真実が勝利するための最短の道」
 ヴィティエール マルティの文学が、現代社会に受け入れられにくい理由もそこにあることを、私たちはすでに語りあってきました。
 また、表現様式(スタイル)について、マルティは、こう言及しています。
 「表現様式には、川のせせらぎ、葉の色彩、椰子の木の荘厳さ、火山の溶岩が備わっていなければならない」と。
 つまり、マルティは「(巧緻を凝らした)修辞学的手法に対して、自然に即した手法をもって」対抗したのです。
 この自然に即した手法は、唯一「新しく生まれ変わった人間」にふさわしいものであることを、マルティは示唆しているのです。
 その自然からマルティは、表現対象の本質と形、すなわち豊饒と同時に節度を、想像力の横溢と同時にその秩序づけを学んだのでした。
 ゆえに、マルティは次のように要約しています。
 「詩人が自分の考えを、ある形に収めていくということは、刀をその鞘にぴったり収めるようなものです。そのような人は表現様式をもっているといえるでしょう」
 また次の文は、彼の詩論の鍵でもあります。
 「芸術とは(表現対象に)真の敬意を払わずしては成り立たない、ひとつの形式である」そしてこのことは、次のような疑問文のなかで結論づけられています。
 「芸術とはいったい何なのでしょうか?
 真実が勝利を勝ち取るための、最短の道ではないでしょうか?
 と同時に、その真実を人々の心と頭脳に、輝きを失うことなく、永遠に存続させるための最短の道なのではないでしょうか?」
 池田 思わず膝を打ちたくなるような、簡明かつ肯綮にあたった芸術観ですね。
 それは、科学的真実のみが肥大化し、「人間いかに生くべきか」といった問いが宙に浮き、文学や芸術がその根を断ち切られて浮遊している現代の病を、まことに鋭くえぐり出しております。
 「川のせせらぎ、葉の色彩、椰子の木の荘厳さ、火山の溶岩」――このマルティの象徴的な言葉に、私は日蓮大聖人の自然観を重ねてみたいと思います。
 「此の身の中に具さに天地に倣うことを知る頭の円かなるは天に象り足の方なるは地に象ると知り(中略)鼻の息の出入は山沢渓谷の中の風に法とり口の息の出入は虚空の中の風に法とり眼は日月に法とり開閉は昼夜に法とり(中略)毛は叢林に法とり、五臓は天に在つては五星に法とり地に在つては五岳に法とり」(御書五六七㌻)と。
 細かい穿鑿はさておき、そこに響きあっているコスモロジー再興への想いは共通しているはずです。

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