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4 二十一世紀の国家観――人類こそわが…  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

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1  “部族意識”ではなく、“人類意識”を
 池田 一九九九年には、有力上院議員や州知事など、アメリカ合衆国の要人のキューバ訪問が報ぜられました。
 また「ニューヨーク・タイムズ」紙(一九九九年十一月十一日付)が「対キューバ禁輸は再考の時に」という論説を掲げるなど、いくつかの注目すべき動きが見られたことを率直に歓迎したいと思います。“一衣帯水”の両国が、いつまでも敵対関係を続けていてよいはずがないからです。
 さて、私の友人であり、“アメリカの良心”と呼ばれた故ノーマン・カズンズ氏は、こう述べています。
 「単にアメリカだけでなく、世界の大部分における教育の大きな失敗は、教育が人々に人類意識ではなくて、部族意識を持たせてしまったことである」(『人間の選択』松田銑訳、角川選書)
 閉ざされた“部族意識”ではなく、開かれた“人類意識”をこそ育んでいかなくてはならない――。これは今日、最重要の人類的課題の一つでありましょう。
 マルティの次のような断章の数々には、人類意識というか、いまだ見ぬグローバリズム(地球的な視座をもつこと)の曙光への熱望があふれております。
 「民族があるのではなく、人間が、その習慣や形態の上で微妙に多様であるだけなのです。気候の条件が様々であろうが、たどる歴史が異なっていようが、その本質と独自性は変わるものではありません」
  「私は何をすべきか?
   〔人びとを〕結束させ、準備して、待つべきだ!
   黒人と白人を、海の彼方で生まれた人々を
   ここの人々と結ぶのだ」
 「人間を分けたり、限定したり、切り離したり、囲いに入れたりすることは、すべて人類に対する罪である……平和は自然の共通の権利を求める。自然に反する差別の権利は平和の敵である。(中略)人間とは白人、混血、黒人を越えたものであり、キューバ人は白人、混血、黒人を越えたものである」
 「真の人間とは、黒人にせよ白人にせよ、誠意と慈愛を持ち、価値ある行為を喜び、生まれた国を尊ぶことに誇りをもって、黒人もしくは白人を遇する」(以上すべて前掲『椰子より高く正義をかかげよ』)
 ヴィティエール あなたが取り上げられたノーマン・カズンズの思想は、疑いようもなく、マルティの人間主義の系列に属するものです。
 マルティはフェデリコ・エンリケス・イ・カルバハルに宛てた、「政治的遺書」(一八九五年)といわれる手紙の中で、次のように言っています。
 「高い見地からものを見、
 民族あるいは人類としての心の底からものを考える人びとは数少ないものです」(前掲『キューバ革命思想の基礎』)
 しかし、一つの重要なニュアンスの違いがあります。マルティは、祖国・国籍・国家(“部族意識”よりかなり大きいものですが)と人類(“人類意識”)との間の矛盾を強調しているのではなく、むしろ両者の間には弁証法的関係がある、ということを提起しているのです。
 池田 先の語らいで、エドワード・W・サイードがマルティを賞賛して「その民族主義のゆえに、彼らの批判的見解に手心が加えられることはなかった」(前掲『知識人とは何か』)と述べていることにふれました。
 つまりマルティは「祖国」に奉仕し続けたが、民族主義がともすればおちいりやすい閉鎖的意識を相対化する視座を、つねに持ち続けていた。
 そこから、祖国と人類との間に緊張感をはらんだ「弁証法的関係」が生じる――ということですね。
2  自分にもっとも身近なものから始める
 ヴィティエール そのとおりです。その弁証法的関係については、マルティは、すでにキューバへの最後の旅の少し前に、次のような言葉で説明しています。
 「自分がこのようにして何かの営みをせざるをえなくなったとき、自分にもっとも身近なものから始めるべきである。それが自分に関するものだから、あるいは他人とは関係ないものだから、というのではなくて、むしろそのほうが人間としてよりよい、より自然な波動をおよぼしていくことができるからである」
 「より自然な」――ここが大切なのです。
 マルティは、こう続けています。
 「自分がよりよく知っていること、自分の喜びとか悲しみとか、身近に感じていることから始めるべきなのだ。このような身近なことから、真に祖国を感じとることができるのだから。祖国というものは、ぼくたちがもっと身近に見ている人間の一部であり、たまたま縁あってぼくたちの生まれた場所なのである。
 われわれは、キリストの名をかたった無用の君主制や腹黒い宗教、恥知らずで物欲に支配された政治を擁護すべきではない。このような過ちがしばしば祖国という名のもとで行われているが、人間はもっと身近な、自分のもって生まれた義務を遂行することを拒んではいけないのである。これは光であり、だれも太陽から逃れることはできないのである。それが祖国だ」
 池田 「自分にもっとも身近なものから始める」ということは、民主主義を考えるうえからも大切な視点です。
 アリストテレスは、“国家がまともに機能するには、全市民が一人の人間の声が聞こえる範囲に住んでいなくてはならない”(趣意)と言っています。声が聞こえるというのは、ある種の比喩でしょうが、民主主義の基盤をなす同胞意識といっても、ストア学派の「四海同胞の世界市民主義」のように所与のものとしてあるのではなく、まず「身近」から形成されていかなければならない、ということでしょう。
 事実、直接民主主義の祖型といわれる古代ギリシャのポリス(都市国家)などにしても、アテネ(アテナイ)やスパルタのような例外は除き、せいぜい数千人程度の規模にとどまっていました。
 人間の同胞意識というものは、なかなか、それ以上の広がりをもつことが困難なようです。
 恩師の戸田城聖先生も、青年たちに対し「衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦いである」(『戸田城聖全集』1)と、「身近」からの変革を訴えておられました。
 ヴィティエール なるほど、よくわかります。
 ですから、私がまとめた「アーノルド・トインビー教授と池田大作博士の対話に関するマルティ的解読のための覚え書き」(トインビー・池田対談『二十一世紀への対話』へのヴィティエール博士の覚え書き)の中で、先のマルティの言葉を引用したあと、私は次のような所見を書き記しました。
 「――明らかにマルティは、不健全で攻撃的なナショナリズム(国家主義)の危険性に対する危惧をもっていました。しかしながら、植民地化された国の状況は、政治的な解放で事足れりとするのではなく、自分のアイデンティティー(自己の拠りどころ)というテーマに対して、異なった次元からの衝迫性をもたらしたのです。加えて、キューバの場合、今なおアイデンティティーを守っていかなければならないという課題を背負っているのです。
 (ストイック〈禁欲的〉な理想によれば)“世界市民”になるためには、まずこの世界に居場所を確保しなければなりません。トインビー教授は対話のなかで、主権国家であることを主張している小国について、しばしば言及されています。
 キューバのホセ・レサマ・リマという詩人は、国の歴史を動かす駆動力は国の広さによって決定されるものではなく、その国の保有する生命力、
 精神的膂力(筋力、腕力)によって決定される、と言っています。
 いずれにしてもマルティ的愛国心を『われらのアメリカ』において彼自身が厳しく批判した『世間知らずの田舎者』のもつ盲目的愛国主義や、共同体としての自己中心主義と混同してはならないと思います。私たちのもっとも偉大な愛国者であるマルティは、『人間の最大の幸福を求めて』生き、そして死ぬことを私たちに教えてくれました」
 それは、あなたが先にふれられたような、人類社会における普遍的な人間なのです。
3  “世界の均衡”を確保することの必要性
 池田 二十一世紀は、さまざまな紆余曲折を経ながらも、世界が一体化の方向へ進むのは必定でしょう。
 そのさい、「祖国」や「民族」に対するマルティのスタンスは、新たな世界秩序が安定したものになるかどうかの生命線といえます。
 というのも、世界秩序形成の過程で、「大国」と「小国」、「中央」と「周辺」のバランスをどうとるかということが、おそらく、世界史的アポリア(難問)として浮上してくることは、だれの目にも明らかだからです。
 「小国」「周辺」からのアプローチを忘れてしまうと、たとえば国連(国際連合)などにしても、その機能を強化することが、国連に名を借りた大国の世界支配の異名にすぎないといった事態さえまねきかねません。
 サイードのように、数々の歴史的な辛酸をなめてきたパレスチナのような「小国」「辺境」出身の人々には、
 そのへんの事情、矛盾が、骨身にしみて理解されているにちがいありません。
 だからこそ、マルティの民族主義のおびている健全性をつゆ疑わず、そこに、知識人という存在の意義を見いだしているのです。
 ここでは、もう一つ、同じく「小国」「周辺」であるスイスの思想家ヴェルナー・ケーギの一文を紹介してみたいと思います。
 「けだし一つの世界、甲の形にせよ乙の形にせよおそらく我々の未来を成すであろう一つの世界、この一つの世界も、故里という細胞群――精神生活が東でも西でもその都度その都度栄えた細胞群――が健康を維持する限りにおいてのみ生きうる」(『小国家の理念歴史的省察』坂井直芳訳、中央公論社)と。
 「小国」「周辺」を無視あるいは軽視した世界秩序など、死せる世界、死せる秩序にすぎません。
 ヴィティエール おっしゃるとおりです。マルティは、そのような考察を行っていくなかで、別の重要な配慮も忘れてはおりません。それは「国家」です。
 狂熱的ナショナリズムの道具として、法的・政治的・経済的・軍事的に、世界平和を妨げるもっとも大きな要因として存在するのが国家です。
 マルティは巨大な国家の危険性を予感し、“世界の均衡”を確保することの必要性を説きました。それは唯一の大国の覇権をさけることによって可能になる、と主張しました。
 それゆえマルティは、一八八九年から九〇年に第一回米州諸国会議が開催されたさいに、イギリスとの歴史的に長い経済交流を維持したい、というアルゼンチン代表の主張を支持したのです。
 世界における“大国”の存在がさけえないものである以上、
 それら大国間で均衡がたもたれているのが望ましい、と考えていたのです。
 池田 列強が牙をむいているなか、したたかに生きのびていくための一つの知恵ですね。ニュアンスの違いこそあれ、日本も、明治の開国のさい、列強の植民地主義の牙から逃れるため、先人がずいぶんと苦労しました。
 また一九九一年のソ連邦の崩壊以後を、キューバの人々が“特殊期間”と名づけ、大国間の均衡の崩れを、たいへんな危機意識をもって受けとめておられる理由も、よく理解できます。
4  “道徳の真の基盤は家族や民族に存在する”
 ヴィティエール 国家について言えば、マルティは若いころからカール・クリスチャン・クラウゼの影響を受けています。彼がスペインに滞在していた一八七一年から七四年にかけて、同国ではクラウゼの思想がとても流行していたのです。
 ホセ・フェラテル・モラは彼の著書『哲学辞典』の中で、クラウゼの政治思想について次のように要約しております。
 「ヘーゲル哲学の基盤となっているような国家を至上とする理論を真正面から拒否しながら、クラウゼはいわゆる原初的な普遍性を有する人間の集まりの重要性を強調したのである。教会、あるいは国家という限定された枠内の集まりに対して、家族や民族の集まりを重要視したのだ。道徳の真の基盤は家族や民族に存在しており、したがって人類の理想は一つの国家が他の国家を支配するのではなく、おのおのが有する独自性を損なうことのない、普遍的な集まりの連邦なのである」
 このような思想は“自然な”反植民地的ナショナリズムの基礎を築くことを容易にし(シモン・ボリバルが提唱した連邦制の抽象的側面を是正することにもなりました)、クラウゼが予期しなかった反帝国主義の基礎づくりにも貢献しました。そして『キューバ革命に当面するスペイン共和国』から「われらのアメリカ」およびメキシコの親友メルカードに送った最後の手紙にいたるまで、マルティの政治的ヒューマニズム(人間主義)に通底しています。
 池田 アメリカの哲学者ジョン・デューイは、ある学者が村落共同体にふれた文章に言及しています。
 もし村落の一人が斧を足に落として大けがをしたとすると「事故の知らせは口から口へと、一マイル(=約一・六キロメートル)も離れた村のもう一方の端まで飛ぶように伝わることであろう。村人たちはみんなすぐにこの事故のことを知るだけでなく、同時にこの災難にあった瞬間の仲間の村人のこと、鋭く光るおのが足元に落ちてきて、傷からは赤い血がほとばしったことをなまなましく思い浮べるだろう。そしてまた、まるで自分の足が傷ついたように感じ、その身体に衝撃が伝わるのを感じることだろう」(『現代政治の基礎―公衆とその諸問題』阿部斎訳、みすず書房)と。
 これを受けて、デューイは「このように親密な状態があれば、国家などはくだらないものである」と断じています。そして「人間の歴史の長い期間にわたって、ことにオリエントでは、国家は、宗教的信仰のために膨張して巨人になった遠隔の為政者たちが、家族と隣人関係の上に投げかける影以上のものではなかった」(同前)と。
 ここでデューイが「親密な状態」と呼んでいるものこそ、クラウゼが「道徳の真の基盤」と言い、マルティが「もっとも身近なものから始める」
 ことを強調する元意と、相呼応しているものです。
 ヴィティエール ええ。今日、そのヒューマニズムは、もっとも技術的に発展している世界の一部にのみ恩恵をあたえる、経済的・政治的・文化的“グローバリゼーション(世界の一体化)”の主張にまっこうから反対するであろう、と私たちは確信しております。
 池田 そのとおりです。昨今の“グローバリゼーション”は、しばしば“アメリカナイゼーション(米国化)”のことだと指摘されますが、その指摘を決して軽視してはなりません。
5  「内在的普遍」に基づく地球文明の幕開け
 ヴィティエール また、マルティは、自分自身の顔をもったチャックモール神の像を描いています。その神はメキシコ先住民の神ですが、マルティはその神を、あらゆる人種の「根源を思い出させる」象徴と位置づけています。
 マルティの反人種差別の思想は、確固たる理由と高い見識を具えた展望にもとづいたものであり、ラディカル(根本的)で絶対的なものです。それは、今日の世界にとってもっとも必要に迫られているメッセージの一つといえるのではないでしょうか。
 池田 私は、次のような認識をもっていました。すなわち、「人類こそわが祖国」と叫んだマルティは、まぎれもなく、人類共和の理想を追い求めてやまない、偉大なる“世界市民”であった。カズンズ氏の言う“人類意識”の、そしてベルクソンのいう“開かれた魂”の比類なき体現者であった、と。
 しかし、この対談を通して、さらにマルティにあっては“部族意識”と“人類意識”との間に、
 弁証法的緊張関係があったということの輪郭がはっきりしてきたことは、大きな収穫でした。そして、大いに勇気づけられました。
 なぜなら、来るべき“グローバリゼーション”の基底には「内在的普遍」という指標が据えられなければならないというのが、ここ十年来の私の主張だったからです。
 というのも、二十世紀を席巻したイデオロギー――それが、ファシズムのように「国家」や「民族」を至上とするものであれ、ボルシェビズムのように「階級」を至上とするものであれ、それらは押しなべて「外在的普遍」というかたちをとって、人々に外から押しつけられてきた。その押しつけのもとで、あまりにも多くの血が流されすぎました。
 その反省の上に立てば、新たな世紀の地球文明の幕開けは、理論的にも実践的にも「内在的普遍」をふまえてなされなければなりません。
 その意味からも、おっしゃるとおり、マルティの思想が「今日の世界にとってもっとも必要に迫られているメッセージ」であることに、私も深く同意します。
6  マルティが言及した“未来の宗教”
 池田 先にふれたハーバード大学での「二十一世紀文明と大乗仏教」と題する二度目の講演(一九九三年九月)の中で、私は、特定の宗教よりも「宗教的なもの」の緊要性を訴えたデューイの宗教観に論及し、二十一世紀における宗教の役割を考察いたしました。
 いわゆる「宗教がともすれば独善や狂信におちいりがちなのに対し、デューイのいう『宗教的なもの』とは、
 『人間の関心とエネルギーを統一』し、『行動を導き、感情に熱を加え、知性に光を加える』。そして『あらゆる形式の芸術、知識、努力、働いた後の休息、教育と親しい交わり、友情と恋愛、心身の成長などに含まれる価値』を開花、創造せしむる」ものをさしています。
 総じて「宗教的なもの」とは、善きもの、価値あるものを希求しゆく人間の能動的な生き方を鼓舞し、いわば、後押しするような力用といえましょう。
 そして、本来、人間自身のなかにある、こうした力用を開発していくことに、宗教が未来性をもちうるかどうかの分水嶺があると、私は思うのであります。
 そうでないと、宗教は、人間復権どころか、ふたたび人間をドグマ(教義、教条)や宗教的権威に隷属させようとする力をもつからであります。
 ヴィティエール マルティは「宗教的なもの」を二通りに考えていました。
 まず第一には、“歴史の変遷につれてさまざまに変化していく文化の源泉として”であり、第二に“人間に生まれながらに内在している不可欠なものとして”であります。
 文化の源泉としては、さまざまな宗教が多くの思想や芸術を――ある場合には政治形態をも含めて――生みだしてきたことは明らかです。また、それはあらゆる人類の営みに通常見られるような周期――汚れのない誕生、矛盾をはらみながらの成長、背信行為、衰退――を描いてきています。
 そのような歴史上重要な宗教のなかで、マルティが顕著な理由をもって、親密な一体感をもったのはキリスト教でした。教会の制度とはまったく無縁の、
 福音書の純粋な教えを胸にいだき続けたのです。
 ですから、彼は若いころから「自分はキリスト教徒である。純粋で、一途なキリスト教徒である」と公言して、初期のキリスト教を讃え、贖罪の自己犠牲の必要性を認め、十字架にかけられたキリストの姿に、深い敬意を示したのです。
 また彼は、先に申し上げましたように、仏教に対しても高く評価していました。
 池田 そうですね。マルティの人となりを知れば当然のことですが、宗派性にとらわれず、人間主義という普遍的視座に立ち、そして、イデオロギーなどによる曇りとも無縁なその宗教観に、あらためて感銘を深くしました。
 ヴィティエール その一方で、折々に“未来の宗教”の到来についても言及しています。
 その未来の宗教とは、教義にもとづくものでもなく、制度化されたものでもなく、「偉大な創造者の存在への感触、自分の心の内奥に、おぼろげだが確かに存在し、人知を超えたものへの、かそけき感触」にもとづいています。
 そして、それは「宗教は人間に本然的に具わっているエッセンス(本質、精髄)である」との確信に立った展望なのです。
7  「法の絶対性」と「人の寛容性」との融合
 池田 その意味で、マルティの次のような宗教への言及は、あなたのおっしゃる“未来の宗教”のジャンル(部類)に属し、それはまた、デューイが唱え、私どもが要請する「宗教的なもの」と、きわめて親近していると思うのです。
 「諸宗教は、宗教に融合していく。(中略)人間が大きくなったから、もう教会に入りきれない。あちらでも、こちらでも。健全な自由は、死に対する歓喜を培う」
 「寺院だって?人間の中にあるすべての寛大さを解放し、人間の中にある粗野で下劣なすべてのものを抑制する、人間愛の寺院が今ほど必要とされている時はない」と。
 ヴィティエール 私たちの推測するところでは、その“未来の宗教”には神を拝む場所は必要ないでしょう。なぜなら神聖なるものは、みずからの煩悩や狂信から解放された人間と不可分であるからです。
 つまり、宗教というものは、自由と正義と美から成り立つものであります。そこでは、理性と神秘が融和しており、自然と精神が共存している。それこそ、すべての宗教のめざすものが収斂しゆくところなのです。
 そういう点に到達するために、マルティは新しい啓示ではなく、人間が生来もつ倫理観が実践によって鍛え上げられていくことに期待を寄せていたのです。
 それは、まだ眠っている大衆を覚醒させることであり、日々の日常的な営みが、巧まずして宇宙との調和を奏でゆく、非常に重要な意義をはらんでいるものでした。
 池田 宗教なきヒューマニズムは悪であると断じていたシモーヌ・ヴェイユを彷彿とさせるような、透徹した眼の持ち主であったことがわかります。
 “人間が生来もつ倫理観が実践によって鍛え上げられていく”という点に関して、カズンズ氏が興味深い指摘を行っています。
 ヒンドゥー教徒に対してキリスト(イエス)を、イスラム教徒に対してブッダ(釈尊)を、ユダヤ教徒に向かってムハンマド(マホメット)を受け入れさせることは、不可能に近いだろう、と述べながら、氏は、こう問題提起をしています。
 「しかし人間が深い精神的な素質を有するという命題については、みんな共通に異議はないだろう。
 もしその同意からさらに一歩進めて、それぞれの宗派の神学で神性の表現される形は異なっていても、神性が外的なものではなくて、内的なものであり、その働きは人間を通じて現われる。そして人間は自分のすること、考えることによって、神性を立証したり、反証したりするという命題についても、彼らすべての同意を得ることができれば、我々は、それだけ地球上における真の宗教的情況の実現に近づいたことになるだろう」(前掲『人間の選択』)と。
 私は、そのような課題を、「法の絶対性」と「人の寛容性」との融合という観点からとらえています。みずからの宗教的信念という点では絶対的確信に立つのは当然のこととしても、その確信が人間の上に、人間社会に顕現されてくるあり方という点では、徹底して寛容の精神に貫かれていなければなりません。
 それは、マルティが“未来の宗教”として、またデューイが「宗教的なもの」として志向していたところと、強く響きあうであろうことを私は確信しております。
 たしかに、私がハーバード大学で講演したあと、コメンテーターのハービー・コックス教授が、人類の宗教史に照らして「『宗教的なもの』が、世界の大多数の人々に働きかける力をもつとは思われない」と、やや悲観的な感想を述べておられたように、
 それがたいへんな難事であることは承知しております。
 しかし、そこでひるんだり、手をこまねいていたりしていては、希望の二十一世紀の展望は開けてこないというのが、私の信念です。
8  教育にかける情熱と反教条主義
 ヴィティエール あなたがジョン・デューイについて多くを言及されたことは、うれしい意味で驚きでした。
 デューイは自分自身の生の体験という具体的な事実の前に先立つ、あらゆる杓子定規な考え方に対して、たえず警戒を怠ることのなかった人物であった、と私はみております。
 ジョン・L・チャイルズは著書『教育と実験主義哲学』の中で、デューイの教育理念について次のように言及しています。
 「経験というものは、生きたものであり、また絶えず変化するものなので、特定のあれこれの思想に結びつけ、固定することはできない」
 池田 あらゆる先入観を排し、事象に即してものごとをとらえようとするプラグマティズム(実用主義)の大成者デューイの本領をうかがわせる言葉ですね。
 ヴィティエール ええ。あなたは「デューイのいう『宗教的なもの』とは、『あらゆる形式の芸術、知識、努力、働いた後の休息、教育と親しい交わり、友情と恋愛、心身の成長などに含まれる価値』を開花、創造せしむる」ものとおっしゃられていますが、ここで列挙されているものは、文明化された人間とともに長い歴史を有しているものです。
 一方、マルティは反教条主義を唱えていましたが、人間が継承する価値すべてを否定するものではありませんでした。彼は次のように述べています。
 「教育するということは、一人一人の人間に、それまで造られてきた人類すべての営みの結晶を与えることである。それは、一人一人の人間をして、いま生きている世界を凝縮した存在たらしむることなのだ、死を迎えるまで。
 それは、人間をその時代が要請する水準に高めることであり、そうすることによって、人間はその水準を超えて向上していくことができるのだ。人間を、時代の水準の下方に置き去りにしてはならない。教育することは、生きるために、人間をして備えさせることである」
 池田 マルティの教育にかける情熱は、前にも語りあいました。彼が子ども向け雑誌「黄金時代」を独力で編集し執筆していることからもうかがわれるように、すべてを貪欲なまでに吸収していく子どもたちの教育に、全魂をかたむけたところに、マルティの教育観が凝結しているように感じます。
 「黄金時代」のある編集後記の中の「これは王子様であるよりいいことです――人の役に立つというのは。何も新しいことを学ばず、何の役にも立たずに一日が過ぎてしまった時には、子供は嘆き悲しむべきなのです」(柳原孝敦・花方寿行訳、『選集』1所収)との言葉には胸を突かれます。
 万事に冷笑主義(シニシズム)の横行する現代、だれがこれほど率直に、真正面から、子どもたちに“真実”を語ることができるでしょうか。
 ヴィティエール 同感です。
 ところでデューイは、人間を一定の“鋳型”にはめこもうとする教条主義を排しつつ、
 「あらかじめ備えるということはかえって危険をはらんだ考えである」とまで言及しています。
 そのために、私の父はデューイにこと寄せながら、(知的遺産の継承の大切さを)こう問いかけたのです。
 「数世紀におよぶ文化的蓄積――望まれるあらゆる洗練されたもの――が、もし教育というものの根源に位置づけられないとしたら、もし私たちが(過去と切り離され)“新しい状況”の運命のもとのみで生きなければならないとしたら……、いったい、どのような価値が持続するのだろうか」と。
 本筋から逸れた話になってしまいましたが、(知的遺産の継承について)新しいことを考えさせてくれるでしょう。
 いずれにしても、あなたが指摘された、デューイとマルティとの間の「宗教的なもの」をめぐる評価が、きわめて親近していることについて、お話しできたことは幸いでした。建設的な一致点を見いだしていくことは、あなたが得意とする、非常に尊い作業でもあります。
9  人間に正義と美を教える「文学」の可能性
 池田 こうした宗教観ゆえに、マルティは、人間を卑小化する、ひからびた既成の「宗教」に対置して、人間に正義と美を教える「文学」の可能性に大きな期待を寄せておりました。
 理性と気品とを巧みに調和させるそのような文学は、「驚異と詩に渇き、それを求める人類」が「古い信仰の空しさと無力さ」を感じながら待ちわびている新たな「宗教」――いわば真の宗教性を実現するにちがいない。彼はこう信じてやまなかったようです。
 ある発言をとがめられ、ローマ法王から破門されたマックグレーン神父の最終演説に対して、マルティが「自由に奉仕する者は教会に奉仕できないのでしょうか」と問いかける一文は、マルティの宗教や文学のあるべき姿に対する考え方を、明確に浮かび上がらせています。
 「宗教は、人間が外界に予感する一種の詩であり、到来するであろう世界の詩です。そして、それこそ、宗教のもっとも純粋で永遠たる側面なのです。
 多くの夢と翼で、さまざまな世界が結ばれ、その世界は、まるで翼で結ばれた乙女たちが舞うように、空間で輪を描きます。だから宗教は死なないのです。むしろ広がり、さらに浄化され、偉大さを増し、自然の真理と響きあうなかで、最終的には、広大な詩へと転じていくのです」と。
 ヴィティエール 未来の宗教への導き手ともいうべき文学に関しては、私はそうした役割を担う文学と、偶像化された文学とを、区別して考えなければと思います。
 つまり、教会やドグマとは無関係に内なる宗教性を志向しゆく文学と、十九世紀末にフランスでつくり出された文学至上主義(文学の偶像化)や芸術至上主義(芸術の偶像化)とを区別する、ということです。高踏派や象徴主義、デカダン派、芸術のダンディズム(おしゃれとして身につけること)や宗教のディレッタント(趣味として愛好すること)がこのような偶像化に貢献してきました。
 マルティは、それらの芸術的成果のいくつかを評価したり、吸収したりしていますが、本質的にはマルティとなんら関係ありません。
 彼にとっての文学、また彼のなかに脈打っていた文学は、
 このうえなく強力かつ甘美なものであり、たえず人生に奉仕するものだったのです。祖国や他人のために、そしてすでにお話ししてきましたように、人類全体、「人間のあらゆる魂」に仕えるものだったのです。
 池田 何のための文学か――マルティが巧まずして体現していたような文学は、現代では、むしろ西洋以外のところで継承されているのではないでしょうか。
 私の経験で言えば、たとえば、現代中国文学界の長老である巴金氏などがそれです。
 私は、巴金氏とは、つごう四回ほどお会いしていますが、そのつど強く印象づけられたのは、ご高齢にもかかわらず衰えを感じさせない創作意欲、敵と戦う闘志、そして徹底して人民に奉仕していこうという姿勢でした。氏は、私との語らいで、談たまたま“政治と文学”におよんだとき、「文学は政治から離れることはできません。しかし、政治は、絶対に文学の代わりにはなりえない。文学は、人の魂を築き上げるものだからです」(『旭日の世紀を求めて』潮出版社)と語っておられました。
 また、氏が来日したときの講演会で語った“作家としての自画像”は、次のようなものでした。
 「来る日も来る夜も、あたかも私の魂を鞭打つかのように、私の内部では、情熱の炎が燃えさかる。大多数の人々の苦しみと、自分自身の苦しみが、一刻の休みもなく私のペンを走らせる。私の手は、押しとどめることのできない力で、紙の上を動く。それは、あたかも、多くの人々が私の手の中のペンを借りて、その苦しみを訴えているようだ」(同前)と。
 ここには、
 明らかにマルティと魂を共有しあう“使徒”的人間像が浮き彫りにされています。
10  人々を救うための文学
 ヴィティエール 私は、中国のことはよく知りませんが、おっしゃることはよく理解できます。
 もし、お許しいただけるならば、ここで私の個人的な見解を述べさせていただきたく思います。
 おそらく東洋では、とりわけ日本においては、文学は西洋におけるように病的で毒されているようなものではないのでしょうが、しかし、現代西洋文学がマルティの示唆した方向に進むことは、ほとんど期待できないことは確かです。当時は、ユゴーやエマーソンやトルストイなどの、世界的に偉大な作家・思想家たちが、まだ生きていましたけれども。
 現代においては“使徒”としての文学など、もはや存在しないのです。
 マルティの思想を普及させていくうえで、もっとも大きな障害の一つは、まさしく彼の“使徒”としての雰囲気なのです。それはマルティの大きな魅力なのですが、今日の多くの読者を遠ざける要因となっているのです。
 マルティは職業作家として生きることに、あまり関心をいだかなかったため、(もっぱら教師たちによって研究されるためだけでなく)人々を救うために書いたマルティの文学が息づくための“時”が過ぎてしまったのか、あるいは、まだその“時”がめぐってきていないのかもしれません。
 私は、その“時”がまだめぐってきていないものと信じ、池田博士の学識豊かな熱情と、決して手放すことのない熱い希望に勇気づけられて、あなたとの対話を行うという名誉を、お受けすることとしたのです。
 池田 光栄です。
 もう一人、私の友人を紹介させてください。キルギス(共和国)の出身で旧ソ連邦を代表する作家の一人であるチンギス・アイトマートフ氏です。ご存じのとおり、氏の作品は、現代のヨーロッパやアメリカ合衆国では、ほとんど見られなくなった、コズミック(宇宙的)な世界観を濃厚におびています。
 ゴルバチョフ元大統領の側近として、ペレストロイカ(改革)に挺身していた氏にとって、一九九一年のクーデターはたいへんなショックであった。そして、その後のソ連の混乱、荒廃は氏の文学にかける情熱にも、冷水を浴びせかけるものであった。
 当時、彼は文学の力、生命力を信じられなくなった苦しみを切々とつづった長文の書簡を私に寄せてくれました。
 それに対し、私も私なりに、自分の思いのたけを返信にしたためました。その最後の部分を引用させていただきたいと思います。やや、長文になりますが……。
 「『私は今、文学の生命力が感じられないことで苦しんでいます』とのあなたの言葉は、優れた文学者の発言だけに、また私の親しい友人の表白であるだけに、他人事とは思えません。日本においても言えることですが、グラスノスチ(情報公開)による言葉や情報の洪水は、それに反比例するかのように、言葉の内実の希薄化をもたらすことは否めません。厳しい言論統制下にあっては、限定されたものであっても、真実の言葉を求める渇きにも似た希求がありましたが、ちょうど、その反対の現象が現れるようです。
 しかし、それも一時のことでしょう。私は、
 歴史の淘汰作用を信じております。もちろん“外野席”からの発言ではなく、みずからその流れの中で、流れを作る作業にたずさわりながら、そう申し上げたい。本年(一九九一年)六月、あのヨーロッパの“緑の心臓”と呼ばれる美しいルクセンブルクで語り合ったさい、あなたはおっしゃったではありませんか。――ヴィクトル・ユゴーを領袖とするロマン主義を古いと言う人がいるが、私は、そうは思わない。現代にロマン主義をよみがえらせる作業は、とても大切なこと、と。
 今こそ、決してあせらずに、その共同作業を始めましょう。この対談集も、もちろん、その一環です。ユゴーのごとく、善を語り、正義を語り、友情や愛を語るに、なんの臆することがありましょうか。マルクスの評判は、今や地に墜ちたかの感さえありますが、少なくとも、私は、彼が、大著『資本論』の冒頭に、次のダンテの言葉を引いた心意気は、壮とするものです。『汝の道をゆけ、世人をして語るにまかせよ』と」(『大いなる魂の詩』。本全集第15巻収録)
 ヴィティエール 博士! 私もあなたと同じく「まだその“時”がめぐってきていない」と確信するがゆえに、また、その“時”を招来せんがために、僣越ですが、アイトマートフ氏に送ったエールを、あなたにも送らせていただきたいのです。

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