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日蓮大聖人・池田大作

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3 リーダーシップ――先覚者の苦悩と決…  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

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12  極端と不正義を嫌うマルティの人間主義
 ヴィティエール フェルミンに宛てた手紙の中では、
 他の多くの思想と同様に、社会主義思想がもつ」二つの危険性に対して警告を行っています。
 一つは、外来の主義・運動に関する「未消化な」解釈の危険性について、もう一つは弱者たちに巧みに取り入り、利用するデマゴーグ(扇動政治家)についてです。そこには、以下の文が添えられています。
 「キューバ国民の場合、もって生まれた明るさに欠け、われわれに比べ、ぎすぎすした社会に見られるような危険はありません。言論による説得がぼくたちの仕事ですが、君は気取りなく誠意をもってやってくれることでしょう。問題はやり方を誤ったり、正義を過度に求めるあまり、崇高な正義を台無しにしてしまうことです」
 ここで注目したいのは、「言論による説得がぼくたちの仕事ですが」というところです。ここでまるで運命の糸に導かれるかのように、強く結ばれた二人の友情がふたたび、断ちがたいほどに強固に結び直されるのです。
 そうです。池田博士が感銘を受けられていた、あの青春時代に政治犯として捕らえられたときに、永遠に交わした友情が――。
 池田 『モンテクリスティ宣言』の中で、キューバ在住のスペイン人に訴えている個所が想起されます。
 「彼らがわれわれを冷遇しなければ彼らも冷遇されはしないだろう。尊敬すればみずからも尊敬されよう。鋼鉄には鋼鉄が、友情には友情が答える。アンティール列島人の胸のなかににくしみはない」(前掲『キューバ革命思想の基礎』)と。
 ヴィティエール これまで挙げられた文章ではむろんのこと、
 詩人で画家のラファエル・デ・カストロ・パロミノの『今日と明日の物語』への序文や、パリ・コミューンに対するあらゆる言及において、マルティは社会正義を求めて「極端で誤った方法をとること」を拒否しています。
 もちろん、社会正義そのものに対しては、フェルミンに宛てた手紙の中で強く訴えています――「君とぼくは、つねに正義のための存在です。なぜなら正義がいかに歪んだ形をとろうとも、正義のための存在であり続けねばならないからです」
 これらの、バランスのとれた数々の発言と、「働く者の共和国」という構想とを結びつけて考えるとき、次のことが明らかになるでしょう。すなわち、「絶えずみずからの手を汚して働き、みずからの頭で考え、みずから誠実に働き、家族の名誉を敬うごとく、他の人々が誠実に働くことへの敬意」をつねにもち続けることによって純化される、漸進的な「社会主義的思想」にマルティは近いと思います。
 マルティのヒューマニズムはまたキリスト教的であり、古典的であって近代的であり、ラテンアメリカおよびカリブ海地域の状況のなかから、彼の生来の気質のままに創造されたものだったのです。
 池田 たしかに、キューバ革命党のニューヨーク評議会議長宛ての通達(一八九二年八月)に「われわれは、ただ一つの階級の利益のためにではなく、すべての階級に等しく利益をもたらすために、革命を継続する」とあるように、マルティの思想はプロレタリアート独裁といった考え方とは明らかに異質ですね。
 とくに、プロレタリアートの勝利に役立つなら「暴力」や「裏切り」「密告」なども、むしろ“善”として奨励するレーニンのような極端な倫理観は、マルティのどこを探しても見当たりません。
 ヴィティエール 残念ながら、マルティは雄図空しく銃弾に倒れ、(一九五九年のカストロによる革命まで)歴史上のチャンスは二度とやってきませんでした。一八九八年から一九五八年まで、キューバにとっては挫折の半世紀であり、唯一の選択しか残されていなかったのです。それは革命による急進的変革でしたが、これを守るための警戒を怠ることは、今なお許されないのです。

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