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日蓮大聖人・池田大作

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5 永遠の生命観――生も歓喜、死も歓喜…  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

前後
1  「つねに太陽に向かう」透徹した楽観主義
 池田 私は、人間の生き方は、大別して「太陽に向かう」か「湿地帯を好む」かの二つに分かれると思っております。
 現代のような世紀末の混乱のなかで右往左往しながら、人々は、ともすると閉塞感におちいり、嫉妬や愚痴、中傷などに支配された「湿地帯を好む」生き方に傾きがちです。
 それだけに私は、マルティが体現していた「つねに太陽に向かう」という、時代を貫いて底光りのするような楽観主義が、ことのほか尊いものに思えてなりません。
 マルティの生涯は、苦闘の連続でありました。
 しかし、マルティの周りにはつねに、澄みきった青空のような明るい輪が広がっていたように推察されます。たとえば食事にしても、友人と一緒にとるようにし、楽しい会話とともに味わったといいます。
 「意志」の人に悲壮感は無縁です。
 彼の言葉からは、かのマハトマ・ガンジーにも似た、強き楽観主義が響いてきます。
 「勝とうと挑戦する人は、すでに勝利している」
 「私にとって敗北は無縁のものだ。節制、献身、そして殉難はあっても、決して敗北はない」
 また「頭を垂れるより、頭を上げたほうがはるかに美しい。人生の打撃にくじけ、地に横たわるよりも、あきらめずに歯向かっていくほうが、はるかに美しい」とも。
 私どもの宗祖である日蓮大聖人も、どんなせっぱつまった状況に置かれても、つねに余裕と希望を見失うことのない、透徹した楽観主義を貫かれました。
 マルティは、物事の成否を決める第一の要諦は「己に勝つ」ことにあること、東洋の諺にいう「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」ということを知悉していたようです。
 ヴィティエール あなたは、マルティと日蓮との相関性を、それとなく思い浮かべられたなかで、マルティの卓越した楽観主義を感じとられていますが、その正確さに、キューバ人として、私は非常に感激しています。
 「『人間性の本源的一体性』ともいうべきもの、とりわけその最高の事例を、マルティのなかに見いだす」と、私の父は主張していました。ここでは、その「人間性の本源的一体性」という信条について語りあいたいと思います。
 当然といえば当然なのですが、ユネスコ(UNESCO・国連教育科学文化機関)は一九九五年を、世界的に「ホセ・マルティ没後百周年の記念の年」とすることに決定し、他の二人の近代的精神の指導者とともに、彼の名前を連ねました。
 他の二人とは、たいへん異なる環境から出現した、マハトマ・ガンジーと、マーチン・ルーサー・キング牧師です。キング牧師はうぬぼれではなく、心から自分のことを“正義の大太鼓”と呼んでいました。
 池田 なるほど。ガンジーやキングの推し進めた非暴力の運動と、武器を取って立たざるをえなかったマルティの闘いとは、外形的に見ると必ずしも同じではないことは前にもふれましたが、マルティの精神性の深部――おっしゃるところの「人間性の本源的一体性」の次元では、驚くほど近似しており、魂同士が共振していることは、私にも十分理解できます。
 ヴィティエール 深いご理解、ありがとうございます。
 自分が担わざるをえず、しかもいまだに危機的状況に置かれている歴史的課題に、マルティは“使徒”のごとく取り組みました。
 それ以上に、“正義の人”マルティの精神的メッセージは、あなたが「時代を貫いて」とおっしゃっているように、彼自身を取り巻く時代と状況を超えて、人類のはるかな過去と結びつき、未来に向かって投げかけられていることは疑いを入れません。
 それらは、次のような彼の大きな願いのなかに暗示されており、私たちに根本的な倫理性や純粋な道徳的誠実さを気づかせてくれるのです――「ぼくは善良な人間である。善良だから、太陽に顔を向けて死ねるだろう!」と。
 インドやアメリカの宗教文化の中心を占めている「太陽」は、彼にとって普遍的な愛の象徴以外の何ものでもありませんでした。
2  愛の戦士――人生最終章の勝利
 池田 じつは、宗祖である「日蓮」の「日」は、太陽を意味しているのです。日蓮仏法は「太陽の仏法」です。「太陽」は、何があっても希望と勇気を見失うことのない“向日性”の生き方を象徴しています。
 ともあれ、マルティは、その純粋さ、誠実さゆえに、つねに面を上げ胸を張り、太陽を仰ぎながら、人生の勝利の頂へ、まっしぐらに進んでいったのでしょう。
 「人間の精神には、黄昏は存在しない。否、光の冠をいただいた目標のみが存在する。
 山の先端は頂上である。嵐が海面を波立たせて、空に向かって高く突き上げられた先端は波頭である。樹木のそれは樹冠である。人生もまた頂点で終わらなければいけない」との、いかにも“正義の人”のメッセージに似つかわしい彼の言葉は、つねに太陽に向かいゆく人の真骨頂を表しています。
  精神の名に値する精神をもつことができるのは、“自分に勝つ”というもっともむずかしい闘いに勝利することのできた人、すなわち真の楽観主義者だけである。その楽観主義者には、人生最終章の勝利が約束されているのだ――そうしたマルティの達観が伝わってくるようです。
 ヴィティエール また、マルティは、「秋のうた」の中で次のように言及しています。
  「愛を憎む者だけを打て!
  他の者に速く手をさしのべよ!
  人間はすべて愛の戦士なのだ。
  うつし世のものみな進みゆく
  天を統べる主の愛を
  抱かんとして――」
 ガンジーやキングのような人々が、外見の違いこそあれ、愛を勝ちえたのだということを、私たちが感じとることができたならば、彼らもまた、やはりマルティと同じように愛の戦士であり、愛の確信をもっていたということであり、胸が安らぎます。
3  敵をも味方に変える人格力
 池田 彼らの透徹した愛、万人を包みゆく広々とした境涯が感じられます。
 「人間はすべて愛の戦士なのだ」というマルティにとっては、前(四九㌻)にもふれたように闘いといっても、詮ずるところ、人間の結びつきの一つの表れだったのでしょう。そうした達観に裏打ちされていなければ、闘いは、報復に次ぐ報復を生み、憎しみの連鎖をもたらすだけです。
 この達観こそ、マルティが、ガンジーやキングと共有していたものでした。
 マルティが、アメリカのタンパ(フロリダ州)にある、同志のパウリーナ・ペドロッソ夫妻の家に住んでいたときの有名なエピソードを思い起こします。
 ――ある夜、マルティを監視していたスパイが、家の扉を叩いた。用心深く扉を開けたパウリーナは、それが敵だと気づくと、大きな声で「マルティは、ここにはいない」と告げます。
 目を覚ましたマルティは、事の経過を聞くと「ここにいると言ったのかい」と尋ねる。「いえ、いないと言いました」と答える彼女に、マルティは、こう言うのです。
 「そうか、それは真実を言うべきだったね。その男たちは、今日は私の敵だが、明日は私の最良の味方にしていくだろうから」と。
 敵をも味方に――マルティの雄大な人格の一端を見る思いがします。
 ヴィティエール マルティは、自分を毒殺しようとした(マルティは実際に毒を盛られ、胃をひどくやられていました)キューバ人と話しあいをもった事実が知られています。
 その男は、泣きながら(話しあいをもった)部屋から出てきた。その後、マルティたちの解放軍に入隊を希望し、軍隊における階級章も与えられました。
 しかもマルティは、その男の名前が知れわたることを固く禁じているのです。
 池田 すごい感化力ですね。じつは日蓮大聖人にも、敵を味方にしていくマルティの話と響きあうエピソードがあるのです。
 権力者の策謀による斬首の危機を脱した大聖人は、一時、幕府の役人の屋敷に身柄を移されます。屋敷に着いた大聖人は、なんと、ご自分を護送してきた武士たちに酒をふるまい、役務の労を温かくねぎらっているのです。
 “罪人”であるはずの大聖人の、あまりにも深く大きな人間性を目の当たりにした強者たちは、すっかり心を打たれてしまいます。帰り際には、頭を垂れ、手を合わせて「これまで、あなたを憎んできましたが、お姿を拝見していて、あまりの尊さに考えを改めました」と、その場で帰依を誓う者さえいたといいます。
 相手の偏見や憎悪さえも、一八〇度覆し、たちまちのうちに共感者に変えてしまう、優れた感化力、人格力――。これこそ、
 偉大な人間主義者に共通する「ソフトパワー」の真髄ではないでしょうか。
4  私は世界を立ち上がらせる
 ヴィティエール おっしゃるとおりです。
 またマルティは、いくつかの預言者的詩篇の中で次のように述べています。
  「名もなくつつましく ぼくは生きる。
   ひっそりと貧しく 死ぬ。
   ぼくの墓のうえをごらん
   必ずや ぼくの面影を見いだすだろう」
 あなたは、ハバナの中央にある革命広場と記念館の前にある、全キューバ国民に親しまれている堂々としたマルティの像をごらんになられたことでしょう。
 池田 思慮深い面立ちで、右肘を片膝の上に置き、じっと祖国キューバの前途に思いをこらしている白亜の像でした。ロダンの「考える人」を想起させるような……。
 ヴィティエール 私たちはこの像を、彼の行為の完全なる遂行の象徴としてではなく、その行為の続行を求める象徴として受けとめております。
 私たちが日々、そのような必要性を感じることこそ、マルティの希望であり、勝利なのです。
 池田 仏法に「令法久住(法をして久しく住せしめん)」という法理があります。未来永遠にわたって法を伝え広めていくという意味ですが、それを可能ならしむる淵源も、いつにその人が、全存在をかけて、何を残したかにあります。
 日蓮大聖人も、孤島(佐渡島)に流罪された、生涯でも最大の難局にあって
 「日本国に第一に富める者は日蓮なるべし」、「流人なれども喜悦はかりなし」等と、その大境涯は、何ものをもってしても、壊すことも破ることもできず、微動だにしませんでした。
 すべてを莞爾として受けとめゆく、その「大いなる肯定」は、マルティの楽観主義と高らかな共鳴音を奏でているように思います。
 その意味から私もまた、皆さまとともに、非業の死にもかかわらず「マルティは勝った」と満天下に叫びたいのです。
 ヴィティエール 同感です。キューバ国民の寄せる、マルティへの限りない敬愛が、その証拠です。
 いずれにしても、悟りを開いた者はすべて、みずからに対する自負心をいっさいもたない、と言われていますが、マルティは晩年に書いた手紙の一つの中で――「私は世界を立ち上がらせるでしょう」と言っています。この言葉を彼は、ガンジー、キングら全員を代表して、つまり人間のなかのもっとも善なるものになり代わって言ったのだ、と私たちは確信しています。
 池田 先生、キューバで、あなたはご自分のことを“外国人”などと言わないでください。それほど自然に、心からマルティの精神と一体化されたのですから。
 池田 ありがとうございます。もし“外国人”などと言ったら、「人種というものはない」と言ったマルティに叱られるかもしれません。(笑い)
 私も、ライフワークである小説『人間革命』のテーマを「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」としました。このテーマを、マルティと共有したいと思います。
5  「死」と対峙しながら、「生」を生きぬく
 池田 さて、マルティの透徹した楽観主義は、宗教的ともいうべき生死観に支えられていたのではないでしょうか。死を覚悟した一人の青年の力が、どれほど偉大であるか。私はマルティの次の言葉に、「死」と対峙しながら「生」を生きぬいた人間の、荘厳な生き方を見るのです。
 「素朴な一兵卒のように、崇高で確固たる目的の手助けをして、そして、貧しくも、果敢に自由の手を取りながら死んでいく準備をしています」
 「祖国のために戦いながら、ヤシの木の根元で死にたい」
 「光を放ちながら死にたいものだ」――
 私も、恩師のもとで命がけの青春を歩んできました。胸を患いながら、「革命とは死なり」をモットーに、仏法の大民衆革命に殉ぜんと、決死の覚悟で闘い続けてまいりました。
 ヴィティエール あなたが、健康的には困難をかかえながらも、恩師が始められた偉大な仏法の大民衆革命に捧げられた、みずからの青春を語るとき、あなたがマルティのことを身近に受けとめ、理解してくださっているということがはっきりわかります。
 私たちの“使徒”は実際、政治指導者であったと同時に、これまで話しあってきたとおり、精神的指導者でもありました。
 池田 ところで、マルティの生死観は、驚くほど仏法の生死観と通じあっています。
 彼は言いました。
 「生は一つの賛歌であり、死は生の隠された形なのだ。(中略)人生は、
 良い時期にその意味を理解する人々にとって、苦しいものではない。蜜も、光も、口づけも、同じ生の根源から生まれたものである」
 「死ぬということは、旅路を続けることだ」
 「人間の全生涯が、人生のすべてではない。墓場は終着点ではなく、経由地点である。死は歓びと諦めである。人生が、この地上での生に限定されるならば、あまりにも粗野で不快な造花であろう」
 私は、かつてEC(欧州共同体、現在のEU〈欧州連合〉の母体)の“生みの親”といわれたクーデンホーフ=カレルギー伯と対談したことがありますが、伯は、西洋的死生観は一冊の本のようなもので、全ページをめくり終わったら死であり終わりであると考えるが、東洋では、人生は本の一ページのようなもので、ページは次々に続いていく――そんな譬えをしていました。
 その意味からいうと、マルティの生死観は、東洋的発想と近似しているのです。
6  仏教的生命観と通じあうマルティの生死観
 ヴィティエール あなたはマルティと仏教の教えとの類似性を見いだしておいでですが、インドの伝統的おとぎ話の編集を行ったとき、マルティが「ブッダの寛大で、融和的で、穏やかで、正しく、忍耐強く、愛情に満ちた哲学」に心からの親しみをもって言及していることや、雑誌「黄金時代」の中で簡潔にして深遠な筆致で「心正しき王子(ブッダ)」の物語をアメリカ大陸の子どもたちに語っていたことを思い浮かべたならば、決して不思議なことではありません。
 もうすでにふれましたが、彼は、ブッダを手始めにして“人類の解放者、人間性の覚醒者、思想の偉人”に関する研究を行おうとする計画をもっていました。
 池田 マルティは、人間性を磨き、輝かせていく糧になるものならば、何でも貪欲なまでに吸収していったわけですね。
 宗教であれ、思想・哲学であれ、人間のための宗教、人間のための思想・哲学であって、決して逆であってはならない――真のヒューマニストの面目が躍如としています。
 ヴィティエール またさらに、仏教徒の伝統に親しみ、影響を受けたかに思える時期や作品があります。
 一八八〇年に、内面的な安らぎを得て、こう記しています。
 「直感は人生をあらかじめ知覚する能力であるがゆえに、来世を明らかにしてくれます。その驚くべき直感が私たちに備わっている以上、私は来世を信じられます。同様に、かなたに過ぎ去った別の世界、つまり前世も確信できるのです。
 来世のために、過剰なまでの情熱に裏打ちされた思想、不完全燃焼のままの力、達成されざる願い、癒しへの渇望――この渇望を携えながらこの世から立ち去るのですが――それらとともに来世へと旅立たなければなりません。
 かなたに去った前世――当時は私の祖国であったその前世に対して、私は何か重大な過ちを犯してしまったにちがいない。それというのも、何処にあるのやら知ることさえなくなった母国――今は毒の花々しか咲かないが、私が生まれた、麗しく、君のものでもあり彼のものでもあったその母国――から永劫に放逐されて生きるという罰を、
 私は今なお受け続けているからなのです」
 池田 なるほど。たしかに、マルティの精妙な感受性がよく表れており、仏法で説く「業論」と、きわめてよく似た思想です。それは、人間の身・口・意にわたる営みが、生命の深層に「業」として蓄えられ、それが死後も継続していくという考え方です。
 “使徒マルティ”も、人間の織りなす「罪と罰」の因果のドラマを、人類の精神史の深所で感じとっていたにちがいない。時代の宿命を双肩に担っているかのような、その感受性の鋭さこそ、使徒の使徒たる所以です。
 仏教では、「願兼於業(願、業を兼ぬ)」という法理があります。みずから願って悪世に生まれて法を弘める、という意味です。
 仏教でいう菩薩の誓願とは、そうした深い内観と内省のうえに打ち立てられた決断ですが、それは内面世界の来し方、行く末を鋭く凝視している点で、マルティのいう来世と前世とを知覚する内的「直感」ときわめて近似していると思います。
7  現世主義と聖職者への痛烈な糾弾
 ヴィティエール たいへん、示唆的ですね。同じころに書かれた『自由詩』の中のいくつかの詩篇、「ポーライク・ウェルソ」「秋のうた」「軛と星」にも同様のものを見ることができます。
 「軛と星」の一節を見てみましょう。「軛」とは、自由を拘束するものを意味し、それを受け入れた者は、あたかも去勢牛のように、権力に従順に飼いならされてしまう。「星」とは、大いなる使命に生きゆく殉教の生き方を象徴しています。
 「しかしながら 恥ずかしげもなく
   去勢牛のまねをする人間は
   去勢牛になる。
   そして、そんな去勢牛のまま
   再び人間へと立ち返るための
   業苦の旅が待ち構えている」
 池田 ダンテの『神曲』(地獄篇)にでも出てきそうな話です。
 現代人は、そうした生命の因果律、とくに三世にわたる因果律を迷妄であるとして否定するか、あるいは無視しがちですが、かく言う自分たちのほうが、現世主義という価値観の「大空白時代」、最近流行の言葉で言えば、「アイデンティティー・クライシス」(自分が自分であることの心もとなさ)をまねき寄せ、度しがたい迷路に入り込んでしまっていることに、そろそろ気づかなければなりません。
 ヴィティエール マルティも、おそらく同感するにちがいありません。
 その証拠に、ほかにも『自由詩』の中の「十字架のないキリスト」や「襤褸をまとったキリスト」の詩篇は、さらに憂苦をたたえており、イエス・キリストの受難に、より心を寄せています。
 この受難については、すでにメキシコ滞在中に渾身の力をこめた哀悼歌を捧げていますが(「死者」一八七五年)、『素朴な詩』の最後の詩篇においてはその詩と――それは、神の言葉と響きあっているのですが――キリストを同一視しています。
 マルティのなかには真の詩的キリスト像が息づいており、キリストを“宇宙のより大いなる理想性を備えた人間”と名づけていました。また、戯曲「祖国と自由」やマグリン神父の破門に関する記録の中で、キリストを欺瞞に満ちた弟子たちの裏切りから守っているだけではなく、人々に対する愛のために犠牲となる贖い主としての無償の愛という信条を、マルティは、わがものとしていたのです。
 池田 「祖国と自由」の中での“欺瞞に満ちた弟子たち”に対する糾弾は痛烈です。
 「崇高なるイエスの名をあなた方が口にするのは冒涜というものだ!
 奴隷制を容認し、キリスト教の教義であるかのように偽ってイエスを変貌させてしまう司祭、人里離れた土地に来てまで愚かにも権力者を探しだそうとする司祭、貧しき者にはあらゆる法を否定し、富める者にはあらゆる法を保証する司祭、命を賭けて擁護するどころか一民族の犠牲に付け入ろうとする司祭、こうした司祭たちはイエスを偽っているのだ。従順な民衆に彼の輝く御顔を汚れた罪人のように変貌させて説いているのだ!」(大楠栄三訳、『選集』1所収)と。
 権威の座に安住し、保身に明け暮れる聖職者が、宗祖の精神を裏切ってどれほど堕落していくか――これは、古今を問わず、変わらぬ構図のようです。
8  殉教の誉れ――人々のために、私の血を
 ヴィティエール あなたが「祖国と自由」から、この一節を思い出してくださったことを、たいへんうれしく思います。
 ここでマルティは、一インディオであるマルティーノ(この名前がマルティに由来することは明白で、マルティは、彼に自分の気持ちを代弁させているのです)を通して、「(マルティーノが身を置く)革命的・大衆的キリスト教」と「(聖職者が支配する)スペインの植民地支配に連なった制度としての教会」を対置させているのです。
 マルティは、文学的遺書といわれる「ゴンサーロ・デ・ケサーダへの書簡」の中で、詩『イスマエリーリョ』(一八八二年刊)以前の詩作は、いかなるものも発表しないでほしいと言っているにもかかわらず、この作品「祖国と自由」(一八七七年)を探し出して全集に加えるよう勧めています。
 それは、あなたが引用されたようなくだりが有する、思想的重要性によるのです。
 ちなみに、若いころマルティがキリスト教をどうとらえていたかということに関していえば、「人々のために、私の血を」という一言で、みずからの倫理観を総括していた事実を思い出さねばなりません。また、最後の手紙の中の一つでは、「キリストは十字架にかけられて一日で死んだが、その死は、毎日現前していることを学ばねばなりません」と書いています。
 池田 『パンセ』の中のパスカルの言葉が想起されます。
 「イエスは世の終りにいたるまで苦悶し給うであろう。そのあいだ、われわれは眠ってはならない」(松浪信三郎訳、『パスカル全集』3所収、人文書院)と。
 “使徒マルティ”にとって、殉教はむしろ望むところであり、誉れだったのでしょう。愛であれ慈悲であれ、宗教的精神性の究極のあり方は、利害や損得などの“ギブ・アンド・テイク”的な次元を超越した“無償性”であらねばならない。そこに殉教の誉れがあります。
 私も「革命は死なり」という言葉に、そうした思いをこめているつもりです。
9  「無我」よりも「大我」を重視
 ヴィティエール 仏教との接触についてお話ししますと、
 マルティはヒンドゥー語の格言「Tat tvamasi」の考え方に近いのではないかと思えることがたびたびあります。この格言はアーノルド・トインビー博士の心を深くとらえましたが、「それ(究極の実在)は、あなた(人間)である」と訳されています。池田先生、このことについて私は、まさにトインビー博士とあなたとの対話を読み学んだのです。
 この格言は、宇宙的な存在へと、己を拡大し、一体化しゆく個我の存在を肯定することによって、(小乗仏教的な)涅槃にいたるための(個我の)消滅を超える北伝仏教(大乗仏教)の本質をよくとらえているのではないでしょうか。
 池田 大乗仏教と小乗仏教(南伝仏教)との相違を、簡潔に、よく把握なさっています。
 仏教哲理のベースには“縁起観”があり、いっさいの物事は「縁」すなわち繋がり、関係性のなかで「生起」するのであって、単独で「生起」するものは何もないと説きます。したがって仏教は、物事の個別性よりも関係性に重点をおいております。その関係性が、小乗仏教では「無我」に力点が置かれるのですが、大乗仏教では「無我」よりも「大我」というニュアンスを重視しています。
 ヴィティエール なるほど、理解できます。
 とりわけエマーソンについて論じたマルティのエッセーの中で、大自然を結びつけ浄化させ解放させる彼の能力をほめたたえているとき、その近似性が感じられるように思われます。
 しかし、エマーソンは「宇宙は下僕であり、人間が王である」と繰り返し述べているにもかかわらず、インド哲学のなかで「心地よく消滅していくような感覚」を覚え、“レモンの花咲く林”のように酔いしれている――マルティは、
 そのエマーソンのインド哲学への極端な執着ぶりを非難せざるをえないのです。そして、ついにエマーソンの過ちを見抜くのです。
 おそらく、その過ちは南伝仏教が提起する“個我”の絶対的な消滅に起因しているのでしょう。
 いずれにしても、被創造者であり、しかもまた永遠の創造者(スコラ哲学者は「Natura・naturata」そして「Natura・naturans」と言っています)である大自然は、つねにマルティの思想の鍵でありましょう。
10  「死を忘れた文明」を生きる人々の羅針盤
 池田 エマーソンは、私も若いころに愛読した哲学者です。マルティは、エマーソンの数ある著作の中で『自然』を最良の書物である、としていますね。
 ところで、本章のテーマである「生も歓喜、死も歓喜」ということでいえば、マルティがエマーソンに寄せて語っているすばらしい言葉にふれずにはおれません。
 「死はひとつの勝利であり、正しく生きた人にとって、柩は凱旋の馬車となる。涙は喜びの涙、悼みによるものではない。なぜなら、生が彼の手足に刻みつけた傷は、すでに薔薇の葉で蔽われているのだから。正しき人の死は祝祭だ」(「エマソン」内田兆史訳、『選集』1所収)と。
 もう一つ、マルティの言葉を引用させてください。
 「自分自身の内に、永遠のものを秘めている人間は、永遠のものを育む。また永遠のものを育まないと、自分を堕落させ、後退させていく。自分自身の中に高邁な、永続的なものを見いだせない人間は、はかないことに隷属し、自分を売り渡してしまう」と。
 ヴィティエール マルティにとって宗教は、ある歴史的に生滅する文化形態でしたが、また同時に彼は、人間性本来の、自然な、生まれながらにして備わっている宗教性を信じていました。
 教義もない、また理性と対立することのない、そうした人間の宗教性に関する洞察、その確たる会得は、未来の宗教、あるいは人間解放の宗教をもたらすでしょう。
 未来を先取りしている、あらゆる宗教の明確な一致点は、死がいっさいの終わりであることを受け入れていないことです。
 「死は生の隠された形である」という、ホイットマンを論じた文章に要約されるように、マルティのあらゆる主張は、ここ、すなわち死がいっさいの終わりではない、ということを基点として発せられているのです。
 池田 仏法では、法華経に「無有生死」とあるように、生命は三世永遠と説きます。その実相から見るならば、本来、生も歓喜であり、死も歓喜であります。
 日蓮大聖人は、「自身の永遠の生命の大地を、生と死を繰り返しながら歩んでいくのである」と説いています。(「自身法性の大地を生死生死とぐり行くなり」)
 ゆえに私は、ハーバード大学で二回目の講演を行ったさい(一九九三年九月)、テーマを「生も歓喜、死も歓喜」としたのです。
 仏教の生死観、永遠観にも通ずるマルティの達見は、「死を忘れた文明」といわれる現代を生きる人々に、またとない人生の羅針盤を示しているといえないでしょうか。
11  生死を超えて魂の充足感
 ヴィティエール あなたが思い起こさせてくださったように、先ほど述べたような(透徹した楽観主義の)信条を知れば、マルティの生涯を、悲観的な、苦悩に満ちた人生であったかのように思い描くことはできません。
 マルティは、自然や芸術の美しさを心から愛し楽しむ、造詣の深い人でしたが、そのうえ彼自身が「エマーソンの午後」と呼んだように、言葉に表現できない幸福を経験しています。
 マルティは、愛情にみちた結婚の喜び、友情による慰め、詩というエクスタシー(恍惚)、そして何にもまして幸せだったのは、“義務を遂行した”というかけがえのない喜びを知ったことではないでしょうか。
 彼は、「自然の恵みの最たるものは、一身を捧げた者をして、目的を達成させることである」と、それを経験したものとして記しています。そして彼は、最後の瞑想の時間に悟りを得ました。
 「殉教、ここに平穏がある」――この言葉に、マゾヒズムはいっさい存在しません。
 マルティが崇拝していた聖テレサのように、こう言うことも可能でした――「苦行のときは苦行を行い、楽しむときは楽しみなさい」と。
 池田 生死を超えて、わが使命に「一身を捧げた者」だけが知る“安穏の楽”ともいうべき深い喜び、安らぎ――そこにこそ、奥底から湧き起こってくる魂の充足感があります。
 日蓮大聖人は、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて」信仰に精進していきなさい、と門下を励ましております。現象面での苦悩を突き抜け、見下ろした――黒雲のはるか上空で輝く太陽のごとき、大いなる境涯を教えているのです。
 流刑地である佐渡での、日蓮大聖人の悠揚迫らざる境涯を、私の恩師はこう偲んでいます。
 「大聖人ご自身のお命も危うく、かつはご生活も逼迫しているときにもかかわらず、弟子らをわが子のごとく慈しむ愛情が、ひしひしとあらわれていることである。春の海に毅然たる大岩が海中にそびえ立ち、その巌のもとに、陽光をおびた小波があまえている風景にも似ているような感がある」(『戸田城聖全集』3)と。
 ヴィティエール マルティは、食事を調えるにあたってはだれよりも料理法に通じていましたし、食後は座の中心となって感動的な話をして、だれよりも会話を楽しんでいました。そうやって、ささやかななかにも人生の喜びを味わっていました。
 けれども、愛する母国で闘う運命を遂行することになったとき、そして初めて彼の身体から政治犯収容所の鎖が垂れ下がっているのを感じたとき、彼の魂が変貌したのです。
 彼が書いたのはそのときでした。四方に死の危機が迫りくるなかで、無理解に苦しみながら、すでに爆発的な勢いを得た暴力を目前にして――。
 「光だけがぼくの幸せに比肩する」
 「ぼくは自分のことを純心で気楽な人間だと思っている。ぼくのなかには何か子どもののどけさのようなものがある」
 そうです、池田博士、この生と死のドラマは、おっしゃるとおり「現代を生きる人々に、またとない人生の羅針盤を示している」といえるでしょう。

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