Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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煩悩のとらえ方の転換
「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)
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カラン・シン
この問題を考えるうえで、進化的アプローチと呼べる、今ひとつの方法があります。この考え方は、近年にいたって、偉大なインドの哲学者でヨーガ行者のシュリー・オーロビンドによって見事に説明されています。彼が、力強く、ダイナミックなその哲学体系のなかで、中心概念としたのは、人間の意識の進化ということです。
すなわち、今日、人間は地球上の生物進化の頂点に立っているものの、進化の究極に到達したわけではありません。事実、人間は、動物の意識と神の意識の中間点に立つ一つの生物であり、その人物が精神的発展を遂げるかどうかは、知性のレベルから一段高い超知性のレベルへ飛躍的進化ができるかどうかにかかっているというのです。
さらに、シュリー・オーロビンドは、この飛躍によってのみ一人一人が、みずからの煩悩による迷いを真に克服し、正しい物の見方を身につけることができるとしています。
彼が「完全なるヨーガ」と名づけたこの変革の方法は、きわめて細微な点にいたるまで考えぬかれたもので、『神聖なる生活』『ヨーガの総合』『バガヴァッドギーターに関するエッセー』などの多くの著作の中に詳説されています。
同じような試みは、キリスト教の視点からもなされました。偉大なイエズス会の哲学者テイヤール・ド・シャルダンの手によるものです。
これはまことに暗示的なことですが、彼の主著『現象としての人間』は、ローマ・カトリック教会によって発禁処分となり、彼の死後ようやく出版されました。
私が進化の哲学ともいうべきこの二人に言及したのは、彼らのアプローチが、人間精神の迷いの問題を直截的にとらえているからです。たしかに、迷いあるいは煩悩に対して慈悲心にもとづく見方を欠いてはなりませんが、同時に、内的探究というものは迷いをそのままにしないで、克服しようとする態度であることは、きわめて明白だからです。
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