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日蓮大聖人・池田大作

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東洋を向く西洋  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
2  カラン・シン 西洋文明を何世紀にもわたって支配してきた粗野な物質主義に対する反発が西洋に広まっています。その結果として、東洋の宗教や哲学を求める運動が顕著になっているのです。これはもはや一時的な流行ではありません。老若を問わず、多くの人々がヨーガや禅などの東洋の宗教的伝統を求めております。この数年間、西洋を旅行して、この運動の広がりに感銘を受けました。
 しかし、心にとどめておくべき大事なことは、それはもはや東洋とか西洋とかの問題ではなく、むしろ新しい地球次元の問題である、ということです。
 今日、人類は過渡期にあります。その変化は根源的なものであり、過去における遊牧文明から農耕文明へ、農耕文明から工業文明へ、工業文明から脱工業文明への移行にも比すべきものです。科学・技術が引き金となって多くの分野、とくに通信と情報の技術の分野に大革新がもたらされたため、世界はわれわれが生きている間に“地球村”に変貌してしまいました。
 しかし、不幸なことに、技術革命に見合うだけの意識変革はなされませんでした。その結果、地球社会は実現したが、人類の大多数はまだそれを容認できないでおり、そこに危険なギャップが生じているのです。
3  池田 まさにおっしゃるとおりです。今や世界は一つの運命共同体であるにもかかわらず、そのなかでたがいに敵視しあい、戦争を考えているのです。これはまるで、狭い部屋の中で、爆薬を突きつけあっているようなものです。そこに、あらゆる存在はたがいに助けあって生きていくのだという東洋的思考法に立つべき理由があります。
 カラン・シン 未来の重圧を切実に感じて、自分なりに現状への対応に努力している人々は全世界で相当の数にのぼります。北アメリカやヨーロッパで「ニュー・(エイジ・)コンシャスネス(新時代意識)」という運動が広がっていますが、これもその一つの現れです。この運動は実際には何十という個々のグループがその成員なのですが、東洋の哲学に負うところが大きいのです。
 奇妙なことですが、東洋こそこうした地球意識への移行に先鞭をつけると期待されて然るべきだったでしょうに、東洋自体が本質的には西洋的な価値体系と目的観に、はまりこんでいたように思われます。
4  池田 そのような関心事に応え、そこに一つの新しい道を提示するものは、現実の生活や文化・社会のあり方に直接結びつく原理や実践法でなければなりません。
 仏教のなかでも、たんに現実の人生の苦悩から目をそらして死後の極楽往生を説いているだけの教えもありますが、この現実の自己と社会の変革を教えているのが『法華経』なのです。
 カラン・シン いかなる哲学も、真実かつ有効であるためには、人生の物質的側面を等閑視することはできません。ヒンドゥー教もこの点に関してはきわめて明確です。
 ヒンドゥー教は人生の四つの目標を設定しております。それはダルマ(道徳的、精神的価値の枠組み)、アルタ(物質的進歩と幸福)、カーマ(肉体的快楽)、モークシャ(解脱)の四つです。このように、物質的、肉体的側面もそれなりに重要視されております。ただし、そうした側面がダルマという広範な枠組みのなかに収まり、究極的にはモークシャにおいて超克されることをつねに条件としております。

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