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日蓮大聖人・池田大作

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現代インドにおける仏教の復興  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
1  池田 ヒンドゥーのなかに融け込んだ密教的伝統とは別に、本来の仏教についても、ふたたび見直そうとする運動がインドで行われていると聞いています。とくにインドにおける現代の仏教運動を考える場合に、アンベドカール博士の存在は忘れてはならないものと思われます。もちろん、その政治的立場や、社会的運動のあり方そのものについては異論もありましょうし、異なった評価があたえられるかもしれません。
 しかし不可触賎民の家に生まれたアンベドカール博士が、本来ならもっとも恵まれない環境のなかで生涯を閉じる運命を担わされていた多くの同胞のため、また、インドの繁栄のために、社会的な差別撤廃を叫んで立ち上がられた勇気と決断と実践には敬意を表さざるをえません。
 アンベドカール博士は、インド社会においてヒンドゥー教から離脱することの意味を十分にわきまえて、しかも仏教へ改宗しました。そして釈尊こそ平等
 正義・独立の教えを説いた人であると主張し、人間性を保護するものは仏教以外にないことを訴えました。
 このアンベドカール博士の主張に共鳴して、多くの人々が仏教徒となったと聞いています。現在のインドにおいて、まだまだ仏教徒の数は微々たるものですが、カラン・シン博士は、インドにおける仏教の役割、今後の見通しをどのように考えられますか。
2  カラン・シン B・R・アンベドカール博士は現代インドにおける非凡な人物でありました。一般に、博士の主要な業績は憲法作成の分野にあったと考えられております。優秀な法学者であった博士は憲法起草委員会の委員長も務め、自由インドの憲法の起草と議会通過に重要な役割を果たし、その偉大な手腕で最初から最後まで多大な影響をあたえました。事実、彼は独立後、ただちにジャワハルラル・ネルー内閣に法務大臣として参画しております。しかし、意見の不一致から数年後に辞任しました。
 彼がハリジャンの出身である事実は、彼の業績をいちだんとすばらしいものにしております。ハリジャン、すなわち「神の子」は、イギリス統治時代に不可触賎民という忌むべき名称で呼ばれていた最下層民に対し、マハトマ・ガンジーがつけた名前です。
 幾世紀も続いたハリジャンをはじめカースト外の諸部族に対する虐待への償いとして、インド憲法が彼らの福祉のために特別の規定を盛り込んだ事実を指摘することは重要です。中央政府・州政府関係の勤め口のうち一二・五パーセントがハリジャンのために、七・五パーセントがカースト外部族の人々のために、それぞれ確保されております。したがって、これら恵まれない階層の人々のためにインドの全職業のじつに二〇パーセントが確保されており、さらに学校への入学や社会での昇進等において恩典を受けることができます。
 私がこのことを申し上げるのは、アンベドカール博士が、現代インドにおいてハリジャンがこれまで果たし、今日もなお果たしつつある重要な役割を象徴しているからです。
 マハトマ・ガンジーの偉大な貢献の一つは、あらゆる形態の差別、とくに“不可触性”という好ましくない伝統に執拗に反対したことでありました。インドの独立後四十年を経て、この不可触性の悪しき風習が大きく崩れたことはたいへん満足すべきことです。地方にはまだその風習が残っている所もあるかもしれませんが、私たちの社会的伝統のなかでは、それはもはや主要な要素ではありません。これは現代インドの形成に寄与したマハトマ・ガンジーとアンベドカール博士、およびジャワハルラル・ネルーその他の勇敢な人々の功績というべきです。
 アンベドカール博士の仏教への改宗についていえば、最新の国勢調査ではインドに約四百万人の仏教徒がいる事実を指摘すべきでしょう。
 これらの仏教徒は二つのグループに分かれます。すなわち、北部および北西部のラマ教の仏教徒と、西部のマハーラーシュトラ州に数多く住んでいる仏教徒です。後者の大多数は、アンベドカール博士の出身地であるマハール・コミュニティーの人々で、博士が改宗したのちに自分たちも仏教徒となったのです。事実、博士の信奉者たちは博士その人を神聖な人物とみなす傾向があり、博士の像を祠った寺院もいくつかあります。これらの人々は、ときとして、ネオブディスト(新仏教徒)あるいはアンベドカライト(アンベドカールの信者)と呼ばれることがあります。
 最後に、インドにおいて仏教が輝く存在であることは、私の考えでは、この国の仏教徒の統計的な数字には関係がないと申し上げたいのです。この対談のなかで指摘しましたように、ブッダとブッダの教えと象徴は、もはやインドの伝統にがっちりと組み込まれており、たとえ、インドに仏教徒が一人も存在しなくなったとしても、消滅するものではありません。 

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