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日蓮大聖人・池田大作

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仏教のアジア各地への流伝  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

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1  池田 仏教の歴史を概観してみると、インド亜大陸を主舞台として展開された約一千年間(西暦六―七世紀までの)に、いわゆる小乗教と大乗教の二つの流れができています。もっとも小乗教という呼称は、大乗教を自称する人々が、それと対立する部派仏教を蔑称したものですから、一般的に用いることは、あまりふさわしくないかもしれません。
 一応、その特徴を要約していえば、小乗すなわち部派仏教が出家僧中心のいき方をとったのに対し、大乗教は、在家信徒の立場を重んじたといえましょう。部派仏教が主として東インドからスリランカ、ミャンマー、インドシナ半島へと流伝されていったのに対し、大乗教は西北インドからガンダーラを中心に栄え、やがて中央アジアを経て、中国、朝鮮、日本へと伝えられていきました。
 中国に仏教が初めて伝えられたのは、公式には西暦一世紀の半ばで、その後、数百年にわたって、インドないしインド文化圏の僧侶により経典がもたらされ翻訳されていきました。私にとって馴染み深い『法華経』を完璧な形で訳したのは、五世紀はじめ、クチャ(亀茲)出身の鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)です。
 しかし、今、述べたように数百年にわたって、次々と経典が伝えられたため、仏教の全体像も、釈尊の真意も、漠然として把握できない状態でいたところ、初めてそれを全体的・統一的に把握して、仏法の深義を明らかにしたのが、六世紀後半の天台大師智でした。この天台大師の出現と活躍によって、仏教は中国において翻訳紹介の段階がひとまず終わり、独自の信仰体系となったといえます。
 日本へは六世紀半ばに伝えられ、七―八世紀に飛鳥、天平の仏教美術が花開きます。また、九世紀初めには伝教大師最澄によって天台仏法が日本に移入されました。しかし、これらは、朝鮮半島や中国の仏教の移し替えの域を出ませんでした。日本で初めて生まれたといえる信仰体系を確立されたのは、私が尊崇している日蓮大聖人です。
 以上は東アジアへの流伝の概略ですが、もう一方の仏教の流れについてみますと、ジャワのボロブドゥールの造営が八世紀、カンボジアのアンコール・トムの建設が十二世紀末、スリランカの仏教がミャンマーに伝えられたのが、やはり十二世紀末といわれています。これら東南アジアの仏教は、すべてが小乗教ではなく、カンボジア、ベトナムなどは大乗教、ジャワなどの仏教はヒンドゥーのシヴァ礼拝と融合した密教であり、上座部仏教はスリランカ、ミャンマー、タイに広まり、伝えられているようです。
 このように見ると、インドで仏教が衰えはじめ、あるいはヒンドゥー教と融合して密教に変質しつつあったころに、それにとってかわるように、中国あるいは東南アジア各地で仏教が隆昌したということができるようです。いうなれば、仏教はインドだけのものではなく、国境、民族・文化的伝統の相違を超えた、人類普遍の宗教としての本領を発揮していったともいえるでしょう。
 密教は、小乗・大乗のいずれにも単純に帰属させることのできない流れといえますが、八世紀ごろインドで生じ、チベットや中国に、そしてそこから日本にまで伝わりましたし、東南アジアにも前述のように影響を及ぼしました。
 元来、ヒンドゥー教と融合したものですから、インドの土着文化の色彩を強く示しており、インド文明に親しんだ人にとっては馴染みやすいようですが、私は仏教の本来的な教えからすると、異質なものといわなければならないであろうと考えています。
 本来、釈尊は、呪術的な祈祷などに頼ることを排し、自己自身の内に普遍的真理を求め、あくまで“法(ダルマ)”を根本として、健全なる人間として生きるべきことを教えたのです。この釈尊の教えからすると、神秘的な呪術の力を頼りにする密教のいき方は、原始的なシャーマニズムへの逆行といわざるをえません。
 まして、密教の一部には、人間の本能的欲望をそのまま肯定し、女性崇拝や魔神崇拝を行って、性的快楽のなかに悟りの境地があるなどとするものもあるようです。
2  カラン・シン 仏教のなかの小乗派、大乗派、ヴァジュラヤーナ(金剛乗)派のそれぞれの長所に関して価値判断を下すのは私にはむずかしいことです。ただヴァジュラヤーナ仏教、つまりタントラ仏教(=密教)については、私はそれなりに評価しています。
 人間の性格は一般に考えられているよりも、はるかに複雑で神秘的なものであり、その内奥の欲求を満足させるには知的な命題や道徳的な戒律だけでは必ずしも十分ではありません。私はヴァジュラヤーナ仏教を非難するどころか、それは仏教とヒンドゥーのなかのタントラ教的要素が一体となって発展した、たいへん魅力的で創造的な一派であると考えております。
 あなたは性行為と精神的悟達との結びつきに驚いておられるようです。
 ヒンドゥー教にはタントラ派あるいはクンダリニー・ヨーガ派とでもいうべき立派な一派があって、その一派は性行為と精神的悟達とは密接に結びついており、性的エネルギーを精神的悟達に転換することができるとの仮説を前提としています。混雑した都市に住む人々には、これは奇妙な教理に思われるかもしれませんが、ヴァジュラヤーナ仏教が起こったのは都会ではなくて、生態はおろか空気さえもまったく異なる、吹きさらしのヒマラヤの高山であったことを念頭においてください。
 ヴァジュラヤーナは偉大なタンカ(絵巻物)やフレスコ壁画、彫刻に表現されるじつに見事な芸術の開花をもたらしました。ヒマラヤ山脈一帯にきわめて非凡で傑出した芸術作品がたくさんありますが、それらの作品が幾世代もそこで孤立した生活を営んできた仏教僧によって作られたものであると知ったとき、その感動はとりわけ大きなものとなります。
 インドの伝統では、ヴァジュラヤーナ派の起源は偉大な師パドマサンバヴァ(八世紀)にさかのぼります。クンダリニー・ヨーガ派の教理を復興しようとした最初の勇気あるヨーロッパの学者はアーサー・アヴァロンのペンネームを用いたジョン・ウッドロフ卿でした。彼の広範な研究は一九二〇年代に出版されましたが、それは以前には不明瞭で、広く誤解されていたこの体系に大いなる光を当てるものとなりました。
 もっと最近では、パンディットクリシュナという名前のカシミール人が、すばらしい自伝『クンダリニー』をはじめ、この分野を扱った一連の書物を著しました。
 ヒンドゥー教の伝統では、クンダリニー(蛇)の力は脊椎の基部に存在すると信じられている偉大な霊力です。ある状況のもとでこの霊力が目覚め、脊柱を昇っていき、その過程でさまざまな中枢、すなわちチャクラにエネルギーを注ぎ込みます。チャクラは七つあり、クンダリニーの上昇にともなって次々に活性化されていくと考えられています。六つのチャクラを貫通したのち、霊力は七番目のチャクラである「千葉の蓮華」が存在する脳の皮質へと流れ込みます。これによって人間の意識は変容し、神聖な開悟と融合するのです。
 そうした教義に接したことがなく、ましてや、今、述べたような経験などまったく見聞したこともない人々にとっては、これは奇妙で、秘教的に思えるかもしれません。しかし、それはヒンドゥー教およびヴァジュラヤーナの伝統における重要な要素なのです。

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