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日蓮大聖人・池田大作

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人間平等観の系譜  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
2  カラン・シン これまでのいくつかの章でふれたとおり、ヒンドゥー教の見解は決して宿命論的なものではありません。「今世の行為」が軽視されたことなどまったくないからです。
 ところでブッダ自身が信じていた業(カルマ)と再生の教理が意味するものは何か。それは、われわれの現在の境遇は気まぐれな神々が勝手に決めたものではなく、前世におけるわれわれ自身の行為の結果であるということです。したがって、今世におけるわれわれの行為が必然的にわれわれの来世の輪郭を形づくることになります。
 元来、神性があらゆる存在にあまねく行き渡っているという考えは、まさしくウパニシャッドの世界観の一部を成すものでした。
 その意味では、仏教ばかりでなくウパニシャッドも時代よりはるかに進んだものでした。たとえばヴェーダーンタ哲学では、単一の神力があらゆる存在に行き渡り、あらゆる生物の心中に宿っていると考えています。これは今日ですら人類の大部分に受け入れられていない考えです。ヒンドゥー教と仏教双方の教えの裏面にひそんでいる普遍的な要素を認識できないこと――
 これこそまさに人類が当面している危機の根源なのです。
 西洋哲学の研究方法は、最近まで唯物的な前提にもとづいていました。私はこれを「デカルト・ニュートン・マルクス的範例」と呼んでいます。この世界観によれば、物質があらゆる存在の究極的な基盤をなしており、意識または精神は随伴現象にすぎません。
 しかし最近四十年間にこの考えは、アインシュタインの相対性理論やそれ以後の進展、たとえばハイゼンベルクの不確定性原理、ボーアの相補性理論といった量子力学等々によって大きくぐらつきました。亜原子物理学や銀河系外宇宙学での最新の研究は、唯物的範例には欠点があることをきわめて明確に示しています。事実、現代のもっとも偉大な科学者の幾人か、たとえばアインシュタイン、ボーア、シュレージンジャー、プリゴージン、ジョナス・ソーク、ジョージ・ウォールド等は、東洋の諸宗教の眼識のほうが、幅をきかせている西洋流の考え方よりも、新たに発見された事実を正確に表現していることを認めるようになっています。
 そうした東洋的な見解は西洋の学界からまだ完全には容認されていませんが、今世紀末までには広く受け入れられるようになると私は確信しています。その意味で、仏教をできるだけ大規模に教えていかねばならぬというご意見に賛成ですが、ヒンドゥー教についても同じことを申し上げたいと思います。
3  池田 人間、生命の尊さを根本とし、とくに心の問題を大切にする東洋の発想は、それをなおざりにしているがゆえに深刻な危機的状況を惹起している現代文明に対し、一つの光明を投げかけることができると信じます。

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