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日蓮大聖人・池田大作

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インド仏教衰滅の原因  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
2  カラン・シン インドで仏教が衰退したことにはいくつか原因がありますが、長期の、複雑で多次元にわたる変遷の結果として現れたものです。かいつまんでいえば、この衰亡の原因として四つの主な要素が挙げられましょう。
 第一に、内部的な要因が挙げられます。ブッダの滅後、彼のあたえた偉大な精神的・倫理的刺激はしだいに消滅し、仏教は部派間の争いが絶えない状態となりました。その激しさは往々にして、仏教徒と非仏教徒の争いに匹敵することさえあったのです。これによって仏教の魅力がそこなわれたのは当然です。それと同時に王族からの支援が激減したため、仏教はその経済的支柱を失うことになりました。僧院はほとんどが都市部に集中しており、地方に深く根を張っていませんでした。この事実からみても、おそらく仏教は為政者からの支援に頼りすぎるようになっていたのでありましょう。
 第二に、ブッダは、教団に女性を入れることをつねづね快く思っておりませんでしたが、もっとも側近の弟子であるアーナンダ(阿難)が再三うながしたので、やっとそれに同意したのです。これはいくつかの点で真に革命的な処置ではありましたが、同時にそれは、将来、非常に面倒なことをひきおこす種を内に秘めていたのです。
 ブッダの絶大なる精神的影響力が優勢である間は組織もうまくいっていました。だが何世紀か経つうちに、僧院の宗規がますます手ぬるくなり、僧尼の倫理的・精神的修養が弱化し、退廃するようになるのは避けられないことでした。文献によれば、紀元七―八世紀には、それがはっきりと分かるほどひどくなっていたようです。当時書かれたいくつかの文学作品は僧院のことをあざけり笑っています。こうした状態が一般大衆に対する教団の威信と影響力をそこない、それによって教団の終局的な崩壊を早めたことは確かです。
3  池田 二つとも仏教教団の内部から生じたものですね。釈尊は、弟子たちに対し、獅子も身中に生じた虫によって破られてしまうとの譬えをもって、教団のなかに生じる敵をもっとも注意しなければならないと戒めていました。
 仏教は高度な精神的緊張なくしては支えられない高い理想と厳格な修行を要求する宗教であるために、その存続が困難だったといえましょう。人間は堕落の道を進むのは容易ですが、向上の道を歩くことはむずかしいものです。
 カラン・シン そのとおりです。次に第三点として、この対談で私がすでに指摘したことですが、仏教は新しい、独立した宗教として成立したものの、その土壌であるヒンディズムと密接なつながりを保っていました。ヒンディズムには他の信仰を吸収するすばらしい包容力があります。それはまるで大海が、どんな大河が流入してもあふれることがないのと同じなのです。
 ヒンディズムは西暦八世紀に、偉大な哲学者であり改革者であったアディ・シャンカラ・アーチャーリヤに率いられて大いに勢力を盛り返しましたが、それは右に述べた仏教衰微の諸要素と時期的に一致していました。このこともまた、インドにおける仏教衰退に重要な役割を演じたにちがいありません。とくに、顕著な仏教教義のいくつか、たとえば動物の生贄の廃止などを諸宗派自体が取り入れたことからみても、それはいえるでしょう。
 最後に、あなたもおっしゃっているように、イスラム教徒のすさまじい侵入があります。八世紀に始まり、その後、幾世紀にもわたってインドを荒らしたこの侵略は、インドの仏教に最後の止めをさしました。この様相を象徴的に示しているのが、一二〇三年のイスラム教徒によるヴィクラマシーラ寺院の容赦ない破壊と、その僧尼の大虐殺だったわけです。
 しかしここで忘れてはならないことは、ヒンドゥー教もイスラム教によって、仏教と同じくらい容赦なく破壊されたにもかかわらず、その存在は続いたということです。これはヒンドゥー教が民衆のなかに、とりわけ地方において深く根を張っていたからであり、またその哲学が非常に弾力性に富んでいたからです。
 このようにヒンドゥー教は、イスラム教の衝撃を切り抜けたばかりでなく、その後、幾世紀にわたって新たな分野を開拓しつづけました。これは仏教がイスラム教の大波に耐えられなかったのと好対照をなすものです。

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