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日蓮大聖人・池田大作

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ガンダーラ文化と西方世界  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
4  カラン・シン ギリシャ人は人間の形を見事に描写することに巧みであり、太陽神アポロンの像はその典型的な例と考えられていました。しかしその一方、彼らの彫刻は、神々の外形的な美しさは表しましたが、その内面的な光輝を描写するという要素に欠ける傾向がありました。この内外両面の同時描写を可能にする独創的な融合――その代表的な例がマトゥラーやサールナートのすばらしい仏像(五世紀)であるわけですが――それがギリシャ的伝統のインド化とでもいうべき現象の結果として実現したのです。
 仏像の起源に関するあなたのご質問には、かなり明快な解答があるように思われます。個人が神と接触しうる方法は数多くあります。あなたの以前のご質問への答えのなかで、人と神の合一のためにヒンドゥー教が説く道(つまり瑜伽行)について述べました。それは四つに区分され、学問、献身、精神的実践、社会活動です。その一つがバクティ・マールガ、すなわち献身、信愛の道です。人類の歴史が明らかに示すように、この信愛の念は、神が人間の形で描き出されたときに最高度に喚起され、表現されます。
 たしかにプラトンやシャンカラのような非凡な人々は、観念を黙考するだけで神なるものの認識を発現させることができましたが、大部分の人々にとっては、人間の形をした神像が礼拝にもっとも適した形態であるようです。
 興味深いのは、ヒンドゥー教も仏教も当初は神仏を人間の形で表すことはなかったのに、やがて非常に多種多様の神像・仏像を造りだしたということです。
 ですから、人間の形をした仏像の発展は、ギリシャの影響を受けて促進された一つの論理的帰結であったと見るべきでしょう。人間の形をした彫像を礼拝に用いることを奨励するヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、ローマ・カトリック教等の宗教と、それを禁止するユダヤ教、イスラム教、いくつかのキリスト教派のような厳格なセム系の宗教との間のさまざまな心理的相違については、十分な研究が必要でしょう。
 おそらく、人間の形をした彫像が使われる場合、とくにヒンドゥー教のように男像と女像が組み合わせで用いられる場合には、礼拝者の心をやわらげる力があるものと思われます。
5  池田 信仰・礼拝の対象を人間の形をした像として具象化するか、まったくそうしたものを立てないか、あるいは第三の道がとられるか、これは生命的感応において非常に重大な問題です。
 この点については、かつてトインビー博士とも論じあったところです。
 トインビー博士は“究極の精神的実在”は神人同形のものとして表現するより、仏教に説かれるような普遍的な生命の法体系でとらえるほうが、より合理的で、より正しいと思うと語っておりました。

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