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日蓮大聖人・池田大作

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ミリンダ王と対話の精神  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

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2  カラン・シン 西洋の歴史家たちは、長期にわたる歴史的調査もせずに、インドの文化と歴史に及ぼしたギリシャの影響を過大評価する傾向があると私には思えます。
 その影響が、多くの点で重要であったことは否定しませんが、広大な国土をもつインドの悠久の歴史のなかでは、その重要性は取るに足らぬものといわざるをえません。
 事実、メナンドロスは、北インドの一地方を統治したにすぎず、はるか南のインド洋まで伸びている巨大なインド亜大陸は、ほとんど彼の影響を受けませんでした。おそらく、このような理由で、メナンドロスは『ミリンダ王問経』以外のパーリ語の著作には、めったに登場しないのです。
 しかし、それはそれとして、ミリンダ王は明らかに、戦場での武勇と、哲学における博識多才というめったに両立しない資質を備えた驚くべき才能の持ち主であった、といえましょう。
 王と仏教の賢者ナーガセーナの有名な問答は、もっと昔にジャナカ王と大賢人ヤージュニャヴァルキアが行ったウパニシャッドの対話を思い起こさせます。相手のナーガセーナ比丘は、博識であったばかりでなく、計り知れぬ智慧を有していたことは明らかです。あなたのおっしゃるとおり、ミリンダとナーガセーナの出会いは、東西哲人の対話がもっとも格調高い形で表れたものです。
 ミリンダ王が、この問答の結果、仏教に改宗したという話は、たしかにありえないことではありません。政治や戦争をさかんに行ってきた人々が、精神的悟りを得た智者にまともにふれたとき、突然、錬金術的な変容を遂げるという例は数多くあります。
 インドとギリシャが相互に影響しあったことそれ自体は、長い東西の対話の歴史において、一つの意義ある出来事です。何人かの学者がこの影響を西洋の観点から研究していますが、どうも彼らはその重要性を強調しすぎるきらいがあります。
 逆に、インドの学者のなかには、その意義を過小評価しがちな者がおります。アーノルド・トインビーのような歴史家は、一方に偏らない公平な見方をしていたように思われます。
 いずれにしろこの問題は、今後、研究すべき分野が豊富に残っており、とくに東洋(つまりヒンドゥー教・仏教)の立場からその研究が進められるべきでしょう。

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