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日蓮大聖人・池田大作

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アショーカ王の平和思想  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
1  池田 「アショーカ王は世界で最高に尊敬したい大王だ」と語っていたのは、汎ヨーロッパ運動の指導者で、EC生みの親といわれる故クーデンホーフ=カレルギー伯でした。氏とは、その晩年に二度ほど会談し、対談集『文明・西と東』を発刊しましたが(本全集102巻収録)、アショーカ王の平和理念に心底から賛同していました。
 私もまた仏教徒として、早くからアショーカ王に注目してきました。インド最初の統一王朝であるマウリア朝の時代、当時の世界でもっともすぐれた文化の華が爛漫と咲き誇り、とくにアショーカ王の時代になってからは、戦争から平和への流れがつくられていった転換に着目したい。
 仏教の経典を読みますと、アショーカ王は前世において仏に沙の餅を供養した功徳により、仏滅後百年に孔雀(マウリア)王朝の転輪聖王として生まれたと書かれています。また、最初は「暴悪アショーカ」と呼ばれて恐れられていたのが、仏教に深く帰依し慈愛にみちた政治を行い「法のアショーカ」として民衆から迎えられたということです。しかも、全インドにおいて八万四千の宝塔を建て、仏典を結集し、さらに「法の巡行」を行って各地に法勅を銘刻させたといいます。
 有名なアショーカ王の碑文は、今日、インド亜大陸の各地から出土し、今までに確認された記念碑は四十数種にのぼると聞きます。その内容は日本でも翻訳され、出版されていますが、それを読むと、今から二千二百年以上も昔に、これほど見事な、高い理想の“平和憲章”が宣布されていた事実は驚くべきことです。
 アショーカ王の摩崖法勅によると、その即位八年にカリンガ国(現在のオリッサ地方)を攻めたとき、十万人が殺害され、十五万人が捕虜として拉致された。アショーカ王はその惨状を見て悔恨を生じ、それからは「法による統治」へと大転換を遂げたといいます。その少し前にアショーカ王は仏教の教えに接したといわれています。即位十年には釈尊成道の地を訪れ、以後「法の巡行」が開始されています。
 ところで、アショーカ王の法勅で注目されるのは、インドの各地に「法の巡行」を行ったばかりでなく、四方の近隣諸国にも「平和の使節」を派遣していたことです。すでに広大な領土をもつマウリア王朝では、武力による統治をやめ、軍隊も儀礼的な近衛兵のみに縮小されていたということです。
 現在はアフガニスタン領になっているカンダハールからは、ギリシャ語とアラム語のアショーカ王碑文が発掘され、世界の考古学者や歴史家を驚かせました。その当時、西北インドから西方の砂漠地帯にかけては、ギリシャ人やイラン人が多く生活していました。
 そのような西方の諸民族に対しても、アショーカ王は現地人の言語で平和の理想を訴えたのです。
 このようにアショーカ王は、きわめて国際性に富んだ平和外交を展開しました。こうしたアショーカ王の精神と事蹟について、博士はどのように評価されますか。
2  カラン・シン アショーカ王は、インド史ばかりでなく世界史においても傑出した人物の一人です。王は、仏教を保護した最初の国王とみなされていますが、それはもっともなことです。仏教がインドおよび諸外国において重きをなすようになったのは、大部分が王の努力によるものでした。王が、現在のパトナであるパータリプトラ(波利弗城)に都を創設したインド史最初の偉大な王チャンドラグプタ・マウリアの孫であることは、往々にして忘れられています。
 アショーカの生涯、とくにカリンガの大虐殺を契機とした平和主義への劇的な転向は、世界中によく知られています。また平和の福音を弘めた王の比類なき貢献も、同じように有名です。世界中によく知られております。特筆すべきは、王が非常に多くの仏塔を建て、仏典結集を外護し、息子のマヘーンドラや娘のサンガミトラーをはじめとする伝道使節を世界中に送り、後半生をブッダの教えを流布することに捧げたということです。
 インドの多士済々たる諸王のなかで、アショーカ王はじつにラーマ王の次に位置しております。ラーマ王とはヒンドゥー教徒がヴィシュヌの化身であったと考えている人物で、アショーカの法の王国より幾世紀も以前にラーマ王国を設立していました。
3  池田 平和の問題は、とくに現代においてはもっとも重要な課題です。
 その意味で、アショーカ王の治世を研究し、いかにして平和を具現していったかを知ることは、世界平和実現をめざすうえで重要なカギになるといえましょう。
 日本においては、第二次世界大戦の末期に、首都東京をはじめ各主要都市に悪夢の大空襲を受け、また、広島、長崎に恐るべき原爆が投下されて、多くの生命を奪われ、国土は焼土と化しました。その惨状のなかで、人々は戦争放棄を謳った“平和憲法”を受け入れたのです。
 われわれ創価学会の第二代会長となった戸田城聖先生は、戦時中に軍部の弾圧に遭って二年間の獄中生活を送りました。そして、あたり一面の焼け野原となった首都東京に立って、人間苦の解決と平和実現の原点として日蓮大聖人の仏法の流布を決意したのです。それから三十数年たった今、創価学会は一千万の人々を擁し、一大平和勢力として重きをなすまでに発展しました。
 私自身、平和を願う仏教者として、平和、文化、教育の次元から世界の各国を訪問しております。それは、たとえ人種や民族は違っても、この地球上において平和な社会を築き上げるという理想の一点において、すべての人間と人間との交流が重要な意味をもつと考えるからです。
4  カラン・シン 核時代の今日、アショーカの平和の福音がますます重要な意義をもつというあなたのご見解は、きわめて適切なものです。たった一個の核弾頭でも、第二次世界大戦全体を通じて連合国・枢軸国双方が使用した全爆薬を合わせたよりも大きな爆発力をもっているのです。一個の弾頭で、四十年以上前に広島と長崎を無残に消滅させた爆弾の千倍の破壊力があるわけです。そして、世界の弾薬庫には、このような核弾頭が現在少なくとも五万個貯蔵されており、その九五パーセントは米ソ二大国が所有しているのです。それゆえ、今日、私たちがまず第一になすべき最重要のダルマ(正しい行動)は、人類のみならず、おそらくこの地球上のありとあらゆる生物を全滅させるであろう核による大破壊を防ぐことです。
 世界各国を訪問して私がますます強く感ずることは、西洋文明が、その偉大で輝かしい数々の成果にもかかわらず、今日重大な危機に瀕しているという事実です。科学・技術は、人間に途方もなく大きな力をあたえました。もし、その力を智慧と慈悲をもって活用するならば、今世紀末までに地球上から貧困と栄養失調、非識字、そして飢餓を一掃することができます。しかしながら、その同じ科学・技術が今日、人類の生存を脅かすものとなっているのです。とくに今、幅をきかせているMAD(相互確証破壊)などという考え方が、その脅威をますます大きくしています。
 このような状況において、東洋は、ウパニシャッドやブッダの教える「神性は万物に遍在する。人類は一つの家族である。人間はみな、もともと神性を具えている。社会のあらゆる階層の人々を幸福に」という偉大な理想を繰り返し説くことによって、人類の救済にふたたび寄与することができると私は思います。私たちは、これらの理想をできうるかぎり緊急かつ効果的に世界中に伝え弘めなければなりません。

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