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日蓮大聖人・池田大作

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大乗仏教の特質  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

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2  カラン・シン 知的なレベルからだけでなく、精神的悟りにもとづいて教えを説く偉大な教師はみな、さまざまな事柄について広範囲にわたって見解を述べるものです。したがってその強調するところは、教えを説く時と場所によって違ってきます。このことは、たとえば『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』のような深遠な聖典や、シュリー・クリシュナやイエス・キリスト等の教師にもあてはまります。
 ブッダは半世紀にわたって数百平方マイルに及ぶ広大な地域で教えを説きました。
 ですからおっしゃるように、当然それぞれの場所、時、聴衆に応じて、適切な説法をしたことは間違いないと思います。そしてブッダの巨大な智慧の宝庫から、各宗派がそれぞれ教えの異なった側面を取り出してそれを発展させたといってよいでしょう。
 ヒンドゥー教徒の私から見れば、これは別に驚くべきことではありません。事実、ヒンドゥー教内の多様な学派・宗派の存在も、まったく同様の現象から発生しているからです。セム系の諸宗教から見れば、このような展開は、たとえばキリスト教におけるローマ・カトリックとプロテスタント、あるいはイスラム教におけるシーア派とスンニー派の大分裂のようなものと考えられるでしょうが、ヒンドゥー教の伝統では、このような多様性を尊重し、さらには歓迎さえするのです。
 仏教の二大宗派である小乗と大乗の分裂について、それは前者が僧団の戒律を重視したのに対し、後者が布教に力点をおいたからであるとするご意見はたいへんおもしろいと思います。
 最近の例を挙げますと、これは今世紀のことですが、スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、ヒンドゥー教の持戒・布教という二つの要素を、別個ではあるが相互に密接な関係をもった二つの組織にまとめようと試みました。すなわち、ラーマクリシュナ・マートを持戒のための僧団とし、ラーマクリシュナ・ミッションを布教の任にあたらせることにしたのです。
 仏教がインドの広大な諸地域に、そして他の数多くの国々に弘まったこと、しかもそれらの諸地域・諸国の言語、社会、経済、文化が千差万別であったことを考えれば、なぜ仏教が過去二千五百年にわたって数多くの宗派に分かれたのかということが容易に説明できます。
3  池田 仏教はそのように、多くの分派を生じながらも、たがいに暴力や武力をもって大規模に争いあうことはしませんでした。そこに、同じく歴史の進展とともに分派したユダヤ教、キリスト教、イスラム教が、たがいに凄惨な争いを繰り広げてきたのと根本的に異なっている特色があります。
 カラン・シン 哲学的観点から見ますと、仏教がインド社会の伝統にあたえた最大のインパクトは、平和主義と非暴力を主張したところにあります。この主張は、インド独立運動におけるマハトマ・ガンジーのたぐいまれな指導力を支える一つの重要な要素となりました。
 また、これは意義深い事実ですが、インドの国旗にはダルマ・チャクラ、つまり仏教でいう法輪が描かれています。さらにインドの国章そのものが、サールナートの獅子石柱を図案化したものですが、この石柱にも法輪が彫られています。国民の八〇パーセントがヒンドゥー教徒で、仏教徒は二パーセントにも満たない国が、こうした国旗と国章を採用し、受け入れている事実は注目に値します。このことは、ブッダのインドにあたえた衝撃がいかに重大であったかを明確に示していますし、仏教がその発祥の地から駆逐されたと非難する人々に対する最適の反論となっております。またこの事実は、多様な伝統からその最良の部分を受容・吸収するヒンドゥー思想独特の包容力を際立たせています。

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